Xの記憶〜涙の見る夢〜

第7章 真の果て  9.心の証明

 手加減のない恭平の攻撃が晃実へと向かってくる。迎撃と吸収とで調整しながら距離を詰めていった。
 晃実へと向かうシャイの攻撃は雄士が間を立ち回って防いでいた。離れた外野席では粋がミームを駆使してクローンを操り、晃実への攻撃をふさいだ。
 晃実はタイミングを計って恭平の背後に回る。

――?!
――シャイから切り離すよ。
 恭平の無言の質問に晃実は答え、素早く取った腕を切りつける。
――無理だ!
 云いながら、背後に向けられた恭平の手のひらから力が放たれる。
 その力はまともに腹部に入り、晃実を飛ばした。
 ある程度、その攻撃を予測していた晃実は躰を丸め、水泳でターンするときのように、ぶつかる寸前、壁を足で蹴った。
 衝突は避けたものの、態勢が整うまえに恭平の攻撃が晃実を襲った。
――雄士っ。
 恭平の悲痛な声が今度は雄士を呼んだ。その本意とは別に更なる攻撃を晃実に放った。
 恭平の声に気を取られた雄士の一瞬の隙を縫ってシャイの攻撃が伸び、更にその隣で悠然と闘いを先導する将史の手からも力が放たれた。
 雄士は迎撃を放ったが、速度に追いつかず、唯一将史の力だけは弾いたものの、助ける間もなく、シャイと恭平の力が晃実を吹き飛ばした。
 ぐふっ。
 晃実は無防備に壁にぶつかって撥ねた。肺から全部の空気が押しだされ、かみしめていたくちびるが切れて血が流れた。
 そこへまた恭平とシャイの攻撃が放たれる。雄士は素早く間に転移して両の手のひらをそれぞれに向け、力を放った。雄士のほんの手前で力が相殺(そうさい)され、衝撃波とともに光が散る。
「晃実!」
「……大……丈夫……」
 息を詰めていた晃実は雄士の呼びかけにようやく呼吸を再開して答えた。躰の内部が痛みに悲鳴を上げる。外に漏れそうなのをやっとのことで抑えた。折れた肋骨と切れた毛細血管を自ら修復していく。
 その間も雄士が攻撃をふさいでいた。ともすれば、三つ同時にくる攻撃を後退しながらもどうにか吸収した。
 そうしているうちに恭平が距離を詰めてきた。
 一瞬後、転移した恭平は雄士の背後に位置し、容赦なくうずくまった晃実に手をかざす。

「恭平っ」
 雄士が躰をくるりと回したとたん、背中に攻撃を受け、恭平もろとも飛ばされた。
 くそっ。
 雄士は舌打ちして瞬間的に躰を反転させた。力に()されるまま背中がバックネット下の壁にめり込んだ。
 子供の頃以来だ……こんなこと……。
 再び背中からやられるという屈辱と自分の隙に苛立ちを覚えながら雄士は小さく呻いた。
 同時に苦痛に満ちた悲鳴があがった。
 雄士と恭平の前で晃実の躰が撥ねあがる。
「シャイ、やめろっ」
 雄士は痛みを振りきって叫んだ。かまえた手から力を放つ。が、将史の前で力は弾け消えた。
 雄士に(かば)われた恭平はなんなく立ちあがり、動かない晃実にまた手をかざす。
「恭平っ」
 雄士は素早く立ちあがって、背後から異能力をも使って恭平を羽交い絞めにした。片腕で恭平を縛り、空いた手でシャイが放つ力を迎撃した。

「雄士、僕を、殺せ!」
 雄士の異能力に縛られながらも逆らう躰とは裏腹に、悲痛な様で恭平は呻くようにつぶやいた。
「何を云ってる?」
 雄士は次々と襲ってくる力を弾きながら訊き返した。
「晃実を守るためだ。晃実は僕を倒さない」
「おれは晃実を守るためにおまえを()るわけにはいかない。おれは約束したんだ。晃実もシャイも守ると」
「雄士、判断を間違うな! やるべきことは一つだ。異能の抹殺。僕はその足を引っ張ってる。闇を導くわけにはいかないんだ!」
「違うだろ? おまえがいなくなるということは、その闇になる要因の一つになりえるんだ。母から聞かされたことを思いだした。おれたちは三人そろって均衡が保たれていると父が云ってたらしい。なら、おまえと一緒にあったはずの粋も含めて誰も欠くわけにはいかない」
「雄士、なんで……おまえは非情になりきれないんだ」
「お互い様だ。闇を導かない確実な方法は一つ。そうわかってさえ手を下せなかったおまえも甘い。恭平、おまえは死を選ぶまえに、自力でシャイの影響から抜けだすべきだろ。本当に晃実を守る気があるんなら」
 雄士が挑発すると、恭平は力なく笑った。
「似たようなこと、僕はグレイに云ったな……お互い様、か」
「グレイと話したのか?」
「ああ。グレイが捕まったおまえを解放したとき一緒にいた」
「そのグレイが反応しない。どういうことだ?」
「グレイにはグレイの考えがあるということだろ。あいつはシャイを守りきると約束した。僕は信じてる」
「……わかった」

 雄士はその返事とともに恭平を放し、攻撃をかわしながら晃実のもとへと行き、素早く抱きあげて転移した。
「粋!」
 その一言で雄士の要求を理解した粋は、クローンを引き連れて一塁側の座席に転移した。
 晃実と雄士を攻撃から守るように囲う。クローンをミームで巧みに操りつつ、攻撃を相殺した。
 雄士は椅子に寝かせた晃実に額を合わせた。痛みの除去とエネルギー供給をすると、強張っていた晃実の躰が緩んだ。
「大丈夫か」
「ごめん」
 晃実は謝りながら躰を起こした。
「もう一気に行くぞ」
「雄士?」
 雄士は強く揺るぎない眼差しで晃実を見下ろすと、グラウンドに視線を移した。
「粋、もういい」
「了解です」
 答えた粋は雄士の正面から脇によけ、晃実の横に立った。
 雄士は右手を三塁のベンチに向けた。ためらいもなく、雄士は力を放った。シャイの壁がさえぎろうとそれにかまわず、雄士は何度も力を放つ。
 その力は将史を狙ったものではなく、シャイに向けられているのではないかと晃実は思った。

――どうして……?!
 その悲鳴はシャイのものか、自分のものか区別がつかないほど晃実の中で共鳴した。
「雄士!」
 呆然としていた晃実は我に返って雄士の正面に回って右腕を抱き取った。
――どうしてっ。
「邪魔するな」
 雄士は冷たくさえ聞こえる声で云い放ち、悲鳴とともに向かってきた力を開いたほうの左手で撥ね退けた。
「シャイが――」
「シャイにはグレイがついてる」
 雄士は晃実をさえぎると、今度は左手で次々と力を放つ。
 シャイの動揺が空気を禍々(まがまが)しく変えていく。シャイの攻撃が止んだ。
「続けろ。雄士の裏切りははっきりしただろう?」
 将史がシャイを見下ろして(けしか)けた。
――シャイ! 聴かないで!
 届かないと知っていても、晃実は叫んだ。
 ミームの発動も止まり、ノーマルタイプがその場に崩れ落ちた。
 恭平の躰からもシャイの制御が解けた。それでもいつ発動されるかわからないミームを思うと、恭平は晃実たちに近づけないまま、雄士の意図を見守った。
 重い空気と相容(あいい)れない心細さを鮮明にしてシャイは立ち尽くしている。

「どうした。やれ」
 シャイは答えない。
「X?」
 将史は異変に気づいた。

「ユー、わからない……どうして……?」
 誰の声も聴き取れなくなったシャイはただ一点を見つめ、独り言のようにつぶやく。
 音がなくなったシャイの世界はひっそりとしてやけに自分の声が響いた。闇が躰を包む。
 自分の声もまた届いていないのかもしれないとシャイは思った。
 雄士はシャイを見据え、加減なく本気を示してその力を向け続ける。
 壊したいとずっと思っていた壁が皮肉にも攻撃からシャイを守っている。
 あたしはまた……ユーは……離れてくんだね。あたしは独り……。引き離したのは誰?
 そう思うと同時に、雄士とシャイの間に誰かが割りこみ、シャイを背にして両手を広げた。シャイを庇うためだ。
 それなのに……。
 引き離したのは――!
 シャイの中に力が溢れる。

 シャイ、だめだっ。晃実は――。

 内部から叫ぶ声に気づいたときはすでに遅く、止める間もなく力は放たれた。伴ってその力に引きずられるように、シャイは躰が千切られた感覚を覚える。
 ……グレイ?!

「雄士、もういいっ」
 晃実は盾になるように雄士の前に立ちはだかって攻撃を止めた。
退()け! 無駄にやってるわけじゃ――」
「晃実!」
「晃実っ」
 異変を察した雄士の言葉が途切れ、晃実の名を叫ぶ声が重なった。
 晃実自身も背中に凍りつきそうな冷たさを感じた。恨みでもなく、怒りでもなく、痛いほどの涙。
 振り向いた先にシャイの巨大な力が淀んだ気体となって目の前に見えた。逃げることはかなわず、息を呑んで晃実はそれを待った。
 スロー再生しているように力が近づくなか、晃実の前に粋が、粋の前に恭平が、恭平の前に雄士が立ちはだかった。
 かわす間も、迎撃する間もない。
 ド――ンッ。
 鈍い衝撃を伴って振動音が伝わってくる。けれど、それだけだった。散り散りに吹き飛ばされるほどの力だったはずが、なんの影響も及んでこない。
 あの力を誰が受け止めたのか。
「グレイっ」
 雄士が叫んだ。
 同時にシャイの嗚咽が空気を震わせた。

 晃実は雄士の横に並ぶなり駭然(がいぜん)として目を見開いた。
 雄士の前にはシャイから完全に分離したグレイの姿があった。シャイの力を全身で受け止めたグレイの赤黒い躰から滴る赤い血は身が()がされているかのように見える。床に落ちるまえに血は空気の中に散っていた。
「恭平、オレの気持ちは証明できたか」
 痛みなどないかのように、これまでと変わらず尊大な口調でグレイは恭平に訊ねた。
「ああ。僕はやっぱりおまえに負けるんだろうな」
「ふん。当然だ。雄士……シャイの壁を破ったぞ。あとはおまえに任せる」
 雄士とグレイは互いをじっと見つめた。
「わかった」
 やがて雄士が答えると、グレイはうなずいてみせ、晃実に目を向けた。
「晃実……オレを信じると約束してくれ」
 それはまるで別れの言葉のように聞こえ、グレイが口にした言葉の真の意味を理解できないままも晃実はうなずいた。
 グレイが笑ったように見えたのは気のせいだろうか。その姿が記憶の姿と重なる。
 どういうこと? グレイがそうならシャイは――。
 晃実のなかに疑念が宿った。

 グレイは晃実たちに背を向け、シャイの傍に降り立った。シャイの嗚咽が激しくなる。
「……グレイ……も……ユーと同じ……あたしより――」
「シャイ、違うだろ」
 グレイはシャイをさえぎった。
「ずっと……オレはシャイを……こうしたかったんだ」
 そう云ってグレイはシャイを抱きしめる。
「シャイ、オレは約束を最後まで守れなかったけど、オレのかわりに雄士が守ってくれる」
「約束……って? それにユーは――」
「違う。思いだせ。雄士を信じるんだ。大丈夫だから」
 グレイの腕が強く強くシャイの躰を抱きしめる。きつく縛るほどにシャイの心が穏やかになっていった。
「グレイ……あったかい」
「シャイ、大好きだ」
 笑みを感じるような言葉を最後に、シャイに巻きついたグレイの躰は溶けていく。あの巨大な力はやはり相当のダメージをグレイに与えていたのだ。グレイは滴る血の跡も残さず、蒸発するように消えた。
「グレイ? グレイっ、グレイーっ」

 シャイがうずくまって泣き叫ぶ。
 その姿が幼いだけに痛みが余計に際立った。
「晃実、大丈夫だ」
「え?」
 晃実はとうとつに呼びかけた雄士を見上げた。雄士が手の甲で頬を撫でたとき、晃実は自分の涙を知った。
「……雄士がなぐさめなきゃいけないのはシャイだよ?」
「だから……」
 雄士は云いかけて言葉を切ると、めずらしく、やりきれないように晃実から顔を背けた。その先にいる恭平の決然とした目と合った。
「恭平、大丈夫か」
「ああ。体力的には充分じゃないけど……是が非でも光を導く」
 二人の口調は雄士と恭平が互いを深く知っていることを示し、晃実は漠然と思っていた繋がりを確信した。
「恭平、シャイの影響はどうです?」
「シャイはまだ不安定だ。動かされる可能性はある。けど、グレイが証明した今、僕も応えなきゃならない。ただし、油断するなよ」
「敵と御方、どっちなんですか」
 粋がこの状況下でおもしろがった云い方をした。わざとであることは三人とも承知だ。

 そこへ小馬鹿にした低い笑い声が短く響いた。
「雄士、あれだけXを頼っていたくせに独り立ちできたとたん、Xを捨てたおまえに私が非情だと(けな)す資格があるのか」
 シャイの傍らに立つ将史は何一つ心を動かさずに冷ややかに問うた。
「捨てていない」
「Xはそう思っているぞ?」
「あなたが(たぶら)かしただけのことですよ」
 粋が口を挟んだ。
「私は事実を教えたまでだ。おまえたちがとった行動の結果、グレイは消えた。シャイはどう思うだろうな」
「どうあろうと、おれはシャイを捨てない」
「それは僕たちも同じだ。あんたとは価値を置く次元が違う」
 雄士に重ねて恭平が宣言した。
「なんら違わない。所詮、おまえたちも自分のためにこの闘いを挑んでいるはずだ」
「父たちの願いは一つだ。このことで苦しむ人間はもう要らない」
 変わらず洸己たちを父と呼んで恭平は云いきった。
「それがおまえたちの意思でもある、と? それは偽善だ」
 雄士は異論を唱えるように首を捻った。
「あなたが云う偽善が人間の感情になかったら、人類はとっくに破滅している。おれは誰でものために偽善者であるわけじゃないし、そのつもりもない。その相手が一人であっても、その一人のためにすることを偽善とは云わない。生きていることの意味だ」
「ふざけたことを」
 吐き捨てるように将史はつぶやいた。
「あなたにはわからないだろうな。おれたちはシャイを守る。あなたにはもう勝算などない」
「きれいごとを並べるのは簡単だ」

 嘲笑を浮かべた将史がすぐ前の地に手のひらを向けた。
 グラウンドの地が割れ、横にスライドしていく。ここにも地下が存在していたのだ。ゆっくりと床が浮上してくる。
 台に載った金属箱の横にDAFのスタッフが二人付き添って現れた。
「なんなの、あれ?」
 思わずつぶやいた晃実には答えず、訝しげに雄士は目を細め、脇に立つ粋と恭平と無言のコンタクトを取った。二人ともかすかに首を振った。
「この結果を招いたのは誰だ?」
 そう云って将史は合図を送り、スタッフは金属箱の施錠を解いて中を曝した。白いガスが漏れ、やがて宙に()けた。

 そこに現れたのは人の裸体。
 ――。
 晃実と雄士、そして恭平は息を呑んだ。

 ドクン。
 その姿を認識した鼓動が反応する。

「環……おばさま」
 環おばさん……。
 ……母さん……。

 三人ともの脳裡に共通したのは環が生きている頃の姿だった。

BACKNEXTDOOR