Xの記憶〜涙の見る夢〜

第7章 真の果て  8.照準

 これで決まる。違う。ここで終わらなければ。
 アリーナの三塁側のベンチ前に現れた海堂将史を外野席から遠く見下ろしながら、晃実はつぶやいて、込みあげてくる不安と焦りを抑えつけた。

「シャイ!」
 シャイの眼差しはまっすぐライト側の観客席にいる雄士へと注がれている。雄士が呼ぶと、シャイは首を横に振った。
 雄士の口もとを読んだだけなのか、その様子からシャイはやはり聴こえていないらしい。
 シャイが得意とするミームのせいだろうか。はっきりしない顔立ちゆえにその表情を読み取れないはずが、晃実には畏れと涙がくっきりと見える。感じていることを見えると勘違いさせるほど、その想いが強いのかもしれない。
「シャイ、おれと闘う必要はないだろう?」
 シャイは言葉よりも先に首を振った。
「わからない。ユーはいなくなった。グレイもいなくなった。誰の声も聴こえない。グレイがいなくなっちゃったのに、やっぱりあたしはここから出られないよ。あたしは何? あたしは誰? あたしはずっと独り?」
 ドクン。
 泣きたいほどのシャイの問いかけに、鼓動が一際大きく晃実の中で響いた。
 自分のものではない鼓動と共鳴したその感覚は漠然とだが、前にも覚えがあった。

「独りではない。少なくとも、私は雄士のようにおまえを見捨てない」
 その声に反応したようにシャイは雄士から視線を外し、隣に立つ将史を見上げた。
「シャイ!」
 雄士の呼ぶ声に反応することはなく、ただ縋るようにシャイは将史を見つめている。そこになんらかのコンタクトが見えた。
 晃実は雄士のもとへと転移した。伴って粋も合流した。
 残った三体のノーマルタイプはシャイの命令を失って静止したままで、それを粋のクローンが見守っている。

――雄士、シャイと将史は通じてるの?
――わからない。
 雄士はその表情と同じく険しい声で答えた。
――グレイとも通じませんか?
 雄士は粋に促されて、グレイを呼ぶも応答も存在も感じ取れない。
――グレイ……なぜだ? なぜ、おれたちまでもが通じない?
 雄士は重ねて問いかけたが結果は変わらず、だめだ、と口に出した。
――どうして消えちゃったのかな。約束したのに……。

 晃実の云うとおり、あの時、宣言したはずだ。全力でシャイを抑える、と。グレイ、それが今の結果なのか?
 雄士はグレイに向けた質問というよりは自らに問いかけた。

――とにかく今、謎が解けるわけでもありませんし、海堂をやるしかありません。
――待って。そのまえにシャイに――。
「晃実、待て!」
 雄士が制止したときはすでに晃実は転移していた。
 計算した距離に届く寸前、晃実は躰に衝撃を感じた。見えない壁がまたもや邪魔をした。撥ね返された晃実を雄士が背後から受け止める。
 雄士の腕の中で小さく呻き、晃実は躰を丸めた。
「何やってるんだ」
 雄士は責めながらも晃実の痛みを除去した。
「……近づけるならって思っただけだよ」
「こっちから声が届かないということはどういうことか考えろ」
 首を仰け反らせて見上げた雄士は今にも舌打ちしそうなしかめ面だ。

「雄士」
 その姿を取り巻く空気のように冷たい声が割りこんだ。
「私の唯一の愚かな素行は、雄士、おまえが環の子であるまえに神河の子だという事実を認めるのが遅すぎたことだな」
 晃実と雄士はそのままグラウンドの中央に下り立った。次いで粋が横に並ぶ。
「そうじゃない。逆だよ」
「晃実――」
 今更何を云っても取り返しがつくわけではないと重々承知していても、晃実は極あたりまえの人間として伴う心の痛みを将史から見出そうとした。
「逆? 云っていることがわからんな」
 雄士をさえぎって将史は冷酷な笑みを向けた。
「あなたの中の認めようとしなかった心は、人間としてあたりまえのものだよ。あなたの抱いた野心のほうが愚かなのに」
「野心か……私にとってはそうではない。きみが云う野心こそが私のあたりまえだ。利用できるものは利用する。役に立つものを発見したときはそれを発明に替え、そして開発に替える。これが大企業の首領としての生き方だ」
「あなたは間違ってる。少なくとも、そうするために犠牲者を出すのは間違ってる」
 晃実のやりきれないように首を振った。
「協力しあえば、すべてが我々の思いのままになっただろうに。残念だな、きみとはいつまでたっても平行線のようだ。あの男のように」
 その口調は残念という感情には程遠い。
 何を云っても何も変わらない。
「あの男って洸己おじさまのこと?」
 将史は(さげす)むように形だけの笑みを見せた。

「あの男は最後まで雄士が異能力者であることを認めなかった」
 雄士はかすかに首を捻り、目を細めて将史を見やった。
「おれはずっと力を封じられていた。そのうえでいつ気づいたんです?」
「原因がわかってまもなくだ。当初はあの男たちの云うままを信じていたが、純血種の開発に当たって近い数値が欲しくなった。それで調査したというわけだ。残念ながら、ほかの所員に変異者はいなかった。あの瞬間、まさに環たちは奇跡のなかにいた。当然、そのあとに生まれた、おまえが、ということになる。あの男と環と、それに父が邪魔をしておまえの遺伝子を調べるには至らなかった。逆にそのことで確信を得たんだがな」
 将史は情の欠片もなく嘲笑を浮かべた。
「あなたは自分の父親を殺したんですね」
 晃実は、質問ではなく確認を求めた雄士を驚いて見上げた。顎のラインが強張っている。
「私は殺してはいない。父は私を排除しようとした。あの頃は私も若かったんだろう、動揺してしまってね。ちょっと力を使ったら驚いてそのままだったよ」
 晃実は信じられない面持ちで平然と告げた将史を見つめた。
「酷すぎる」
 将史は晃実に目を向けた。
「故意ではない。力を制御できなかっただけのことだ。父は環が死んで憔悴(しょうすい)していたからな。雄士を手渡しさえすれば、あの男たちもいずれは頭痛も解消したはずだがな」
「どういうこと?」
「今のきみがその証明だ」
 確かに今の晃実なら救える。けれどそれが雄士とどう関係すると云うのか、将史は含んだ云い方をした。
「何が云いたいんだ?」
「雄士――」
「誕生の所以(ゆえん)、だよ。まだそこまでは気づいていないようだな」
 雄士に呼びかけた粋をさえぎり、将史はもったいぶった口調で云った。今はまだ、それ以上に云う気はないようだ。
 雄士の追及を制止しようとした粋はとりあえずほっとした。
 雄士は粋に視線を向けた。応じて粋は小さく首を振った。
 今は知る必要ない。というよりは知らないほうがいい。少なくとも晃実は。
「あの男たちが私に協力しさえすれば、我々は実験をする必要もなく、犠牲者は出なかったはずだ。それでも彼らの生き方が絶対だと信じると?」
「違う!」
 本末転倒と云える将史の理屈は晃実を絶望的な気分にさせる。
「おじさまたちはきっとあなたに証明したかったんだよ。異能力がどんな世界を導くのか。あの爆破を見ても畏れないなんてあなたはどうかしてる」
「なんのために? 私に証明してどうするんだ?」
 将史は質問を重ねて嘲笑った。
「環おばさまのためにだよ。洸己おじさまはきっとあなたに考え直してほしかったの。環おばさまと雄士を守ってほしかったんだよ」
「甘いな。バカな奴らだ」
 将史は吐き捨てるように云った。
「でもあなたも、その『バカな奴ら』の一人だよ」
「私はきみたちとは違う」
 断固とした口調だった。
 それを否定する材料はいくらでもある。富と名声にこだわることも、欲望という名の感情がもたらすものだ。
「どんな人間でも完全に感情を押し殺すことなんてできない。あなたはそう思いこんでるだけだよ。環おばさまのことをどんな形であれ、あなたは愛していると云った。おばさまを奪った洸己おじさまを憎んだ。それらはすべてあなたの持っている感情だよ」
 小気味よく、クツクツと将史は笑う。

「晃実、無駄です。海堂将史は罪悪感が欠如している人間ですよ」
 晃実を思いきらせようと、粋は諭した。
 晃実が傍らに立つ雄士を見上げると、希望を否定するように首を横にふった。
「彼には何も通じない」
 それでも晃実はすぐには目を逸らすことなく、ただ雄士を見つめた。そうすれば、万事うまくいくかのように。
 それは云い訳をしようのない、晃実の弱さだ。

「やってみろ」
 嘲りに満ちた声が囁いた。誰に向けられたものか、判別するまえに晃実が将史を振り向きかけたところで、雄士が切羽詰ったように、くそっ、と吐き捨てた。
「晃実!」
「粋、()けろっ」
 粋の声に被せて云うと同時に雄士は向かってくる力と晃実の間に入った。晃実を抱いて転移をする瞬間、放たれた力が雄士の背にもろに衝撃を与えた。
 吹き飛ばされながらも、このままだと晃実が背中から壁にぶつかると気づき、雄士は躰の向きをどうにか反転させた。
 重く鈍い音を立て、雄士は一塁ベンチのすぐ横の壁に押しつけられた。
 ク――ッ。
 いくらか威力に抵抗する努力はしたものの、それでも壁にひびが入るほどの衝撃だった。
 晃実は雄士のおかげで傷一つ負っていない。すぐに躰を起こした。
「雄士、大丈夫?!」
「これくらいなんてことない」
 雄士は痛みを除去して晃実に答えた。
「ごめん。雄士が云ったとおり、わたし、集中力が欠けてるみたい」
 雄士は一つ大きく息を吐きだしてから立ちあがった。
「いいさ。それがおまえだから」
 晃実はその意味がわからなかった。
「何――?」
 それは最後まで言葉にならなかった。
「行け」
 また冷たく命令する声とともに二回目の攻撃が放たれる。今度は気を抜くことなく留意していた雄士は晃実の前に立ち、迎え撃つことで力を相殺した。

「どうだ? 雄士が何を選んだのかわかっただろう?」
 将史は(いや)らしいまでにシャイを云い(くる)めようとしていた。
「シャイを苦しめないで!」
 晃実が叫ぶと同時にホームベース寄りにいた粋が将史を狙い撃ちした。が、風船が弾けるような軽い音を立てて将史の目の前で力は消えた。
 え?
「だめだ。シャイの壁が邪魔をしてる」
 雄士は呟くように云った。
「雄士、外野です!」
 粋が叫んだ直後、雄士は晃実を連れてその場から上に飛んだ。
 直後、グラウンドを力が通り抜け、土が(えぐ)れた。
「ミームです。とりあえず、ボクはノーマルの攻撃を遮断します」
 粋は云うなり、クローンの背後に位置し、シャイのミームに操られるノーマルタイプと向き合った。
 晃実と雄士は粋が落ち着いたのを見届けて視線を将史とシャイに戻した。
「海堂はシャイの壁の中にいるの?」
「厳密に云うと身の危険を感じたシャイの防御範囲が広がったにすぎない。つまり、引き離せばいいってことだ」
「海堂はそれでいいとして、シャイとコンタクトを取る方法を見つけないと……」
「ああ」
 雄士は険しい表情だ。
 しかし、模索する間はなく攻撃を察知した。
「雄士、避けて!」
「わかってる」
 二人は攻撃軸からそれぞれ対称方向に飛び退()いた。間を通りすぎた力は一塁ベンチを貫く。
 間髪を入れない四回目五回目の攻撃は晃実のほうに向かってきた。
 難なく避けたが、シャイが狙っているのは晃実だとわかった。
「晃実!」
「大丈夫」
 云った傍から次の攻撃が晃実を襲った。

――逃げろっ。
 六回目の攻撃をかわした瞬間、誰かの言葉とともにシャイとはまったく別の方向から、晃実は横殴りの攻撃を右半身に受けた。
 呻き声が漏れたが、壁にぶつかるまえに晃実は躰を丸めて受身の姿勢をとった。
 ぶつかるまえに三度、雄士に助けられる。晃実が飛ばされている方向と直角の位置から入りこんで、彼女を抱いて転移した。
「大丈夫か?」
 無理やりの転移で少し気分が悪いものの、晃実は頷いた。雄士が素早く額を合わせて不快さを除去すると、二人はシャイとは別に流れてきた力をたどった。
 ――!
「恭平っ!」
 晃実の叫び声に反応して粋は自分と真向かいのホームベース側に立った恭平の姿を認めた。
 まだ痩せている感はあっても顔色が平常に戻っていることに何よりも晃実は安堵した。
「さて、きみらはどう闘う? 水野恭平はXの思うままだ。感情は残されたまま高城晃実、きみを攻撃することになる。彼は苦しむだろうな。それでも闘えるのかね?」
 将史は小気味よさそうに恭平と晃実の名をフルネームで呼んだ。
「闘うよ」
 晃実はためらわず口にした。
「ほう? 仲間を見棄てるきみと、利を追求する私とどう違うんだ?」
「全然違うよ」
 (いや)しいまでの将史の(けしか)けには応じず、晃実は静かに答えた。

 晃実は視線を恭平に戻した。
 闘える、ではなくて闘わないといけない。見棄てる、ではなくて同じ意志を持ってそこを目指しているだけ。
――そうだよね、恭平。
――そうだ。
 封じたはずの記憶を取り戻し、感情を残した恭平が答える。その視線が晃実の傍に戻った雄士に移り、絡み合った。
――雄士、約束は守った。あとはおまえにかかってる。
――わかってる。
 二人は互いの意思を再確認した。
 雄士は恭平に視線を置いたまま、晃実の頭を抱えこんだ。
「あきらめるな。四人そろえば無敵になれるんだろ? 形がどんなであれ、今、そろった」

「雄士、恭平がわたしを攻撃してきても、絶対に手出しはしないで」
「何をするつもりだ?」
「ノーマルタイプにしたことと同じこと。BOMの効力を解く――」
 ゆっくり話すまもなく、想いが飛びこんでくる。
――逃げろっ。
 自ら攻撃を仕掛ける恭平が晃実に呼びかけた。併せてシャイの攻撃も振ってくる。
 雄士は晃実を連れて二つの攻撃ラインから逃れた。力はライン上の壁をそれぞれに叩き壊す。
「独りでは無理だ」
「じゃあシャイの相手は誰がするの? それに海堂も。シャイは海堂に惑わされてるんだよ。まずは二人を引き離さなくちゃ」
 雄士はすぐには答えなかった。
「シャイとわたしを守って。見棄てないって云ったよね? 無茶はやらないから」
「……オーケー。ただし、自分のことだけに集中してくれ。こっちに何があってもかまわないと約束しろ」
 雄士は晃実に誓いを強制した。
「わかった」

 晃実は応え、恭平へと向き直った。

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