Xの記憶〜涙の見る夢〜
第7章 真の果て 6.期待
「さて、どうしますか」
横たえたタイプN3を見下ろして粋が問いかけた。
「出向くだけだ」
「そのまえにこの子で試してみていい?」
晃実はN3の傍らにかがんだ。
「そうですね」
「やってみろ」
二人は晃実の意向を察して即座に促した。
「BOMはどこ?」
「左耳の後ろです」
粋に教えられるままN3の首を動かすと、髪の生え際に携帯に使う記憶媒体程度の小さいチップが見えた。
触れてみたチップは第二の皮膚のようにぴたりと密着し、そこから透視すると何本ものコードが躰内に伸びているのがわかった。シャイの遺伝子がなせる業なのか、コードはそれぞれ脳内の神経組織の要所に器用に伸びて癒着している。
まずはBOMを切り離すことからだ。
雄士は晃実の肩に手を置く。
晃実は破れる皮膚を修復しながら、チップを持ちあげる。手術時の縫合に使われる糸くらいの極細のコードがついてきて、指が潜りこめる程度まで持ちあげた。一本を選んでゆっくりと引きあげる。N3の躰がぴくぴくと痙攣する。その一本が神経とどう絡んでいるかを確認できると、慎重さを心がけつつ引き抜いた。傷ついた神経を再生で修復する。
それを繰り返していき、やがて脊髄に通った一本が残るのみとなった。コードが長いだけに厄介だったがなんとかすべてを取りだして、晃実は大きく息を吐いた。
「見事ですね」
「ありがとう。時間かかって疲れちゃうけどそう云ってもらうとホッとする」
「あとは遺伝子操作だ」
「血誓遺伝子が邪魔しないといいんですけどね」
粋の懸念に晃実はしばらく考え、結論を出した。
「血誓には血の契約で対抗してみる。基本は同じでしょ?」
晃実はN3の手首に傷を入れ、同じように傷を入れて溢れてくる自分の血を垂らす。
ふと、晃実はロボットのように制止した。
「……え?」
「どうした?」
つぶやいた晃実は何かに驚いているようで、雄士が訊ねても顔を上げることなくN3の傷口を凝視している。
……どういうこと?
血と血は互いに吸収しあうように混じり、自らの意思を持ったように躰内に潜ると傷口が独りでにふさがった。恭平とも雄士ともなかった現象だ。
「……ううん。粋は遺伝子、詳しい?」
「DAFのクローン研究は覗いてましたよ」
粋は遠回しに答え、雄士が皮肉った笑みを浮かべた。
「どうやったが手っ取り早いと思う?」
「そうですね。遺伝子操作というよりは異能力の遺伝子を破壊したほうが早いでしょう。簡単に説明すると、まずはDNA、つまり塩基配列を解読してください。それから破壊用の独立遺伝子を構築して既存の遺伝子に導入します。そうすれば組み換えが起こり、形質転換します。そのあとは侵食できる力があれば一気にすむんですが」
「形質転換した細胞を活性化させればいいってことなら、再生の力を使えばなんとかなるかも」
「難しいのはその前段階ですよ。対応するプラスミドの構築。しかも現状ではすべてをN3の躰内でやるしかありません。これが簡単であれば、逆のパターンでDAFは副作用もなく無駄もなく、異能力者を手に入れたんでしょうけど」
「でも血誓遺伝子は操作してできたんでしょう?」
「あれはあくまで人間的拒絶反応を抑えるため、それを発現させる遺伝子コードを調整したにすぎないんです」
「とにかくやってみるよ。雄士、またお願い」
晃実はN3の額と胸にそれぞれ手を置き、雄士もまた晃実の肩に手を添える。
これが晃実にできるなら、考えようによっては……。いや、現に……。
一歩踏み外せば。そう考えて雄士は独り畏れを抱き、表情を険しくする。
その傍らで晃実は意識をN3の躰内に忍ばせた。自らの血を侵入させたぶん、容易く深いミクロの世界へと視野を投じる。
逆向きの鎖が構造した二重の螺旋を捉え、解読にかかる。
「粋、普通の人間のシークエンスを見たことある?」
「ありますよ」
「情報がほしいの」
粋の手が額に触れ、晃実はいくつかの人間のパターンを把握するとともに、自分のシークエンスも解読して照合する。やがて。
「見つけた。異能力の素。普通の人の塩基とはまったく違う質の塩基が隠れてる」
「どういうことですか」
「普通の人と同じ二重に見えるけど、鎖は二本じゃなくて三本目が片方の一本に絡まるようにして存在してる」
「異能力者のDNAのシークエンスは三重ということですか」
「そう。普通の人に比べてすごく不安定なの」
「それを崩す破壊遺伝子はどうだ。できるか」
「塩基の質は違っても構成自体は同じみたいだし、たぶん血の契約の応用だと思うから。試してみる」
再生と壊破の力を照射し、遺伝子コードを組み立てていく。血の契約がほぼ無意識で遺伝子コードを創りだすように比較的簡単に構築できた。
破壊遺伝子に反応して配列が入れ替わり、異能力の発現のもとになるシークエンスが消滅した。改造した遺伝子に侵食作用を発現させると、隣接した細胞からだんだんと形質転換していく。
「できた。たぶん、これで大丈夫」
N3から手を離し、晃実は深呼吸をした。雄士の補佐でエネルギーの損失はないが、やはり疲れる。
雄士は身をかがめ、晃実の頬をすくうと額を合わせた。
「ありがと」
「闘ってる最中はこれだけのことは無理だな」
「うん」
「勝ってここまで終わらせるしかありません」
「……でも……」
晃実は云い淀んだ。
「なんだ? さっきも何かあっただろ」
「……へんなの」
「何がへんなんですか」
「……N3の中、さっき血の契約をしたせいか、わたしのシークエンスが一定の間隔で紛れてたんだけど、その間のパターンはまったく同じのしかなくてシャイのを特定できなかった。シャイのって云うよりはシャイとN3のパターンを区別できなかったの。血誓は拒絶反応をなくすためって云ってたけど、N3とシャイの遺伝子は今やったみたいに組み換えになって完全に独立した一個体になってるのかな」
ためらったすえ晃実は口を開いた。
雄士と粋は驚くこともなく、それどころか素早くその意味するところの見当をつけ、不自然なくらい無表情で目配せをした。
「今はどうでもいいことだ。成果があったことだけで充分だろ」
「……うん」
晃実は二人の様子を不思議に思って首をかしげたものの、当面は雄士の云うとおり、充分すぎる望みが生まれた。
これで恭平自身も取り戻せる。
「じゃ、行くぞ」
「この子もとりあえずは中に移動させなくちゃ」
「転移ではN3の躰が持ちませんから堂々と入りましょうか」
「おれはさきにコントロール室に行く」
「どこかわかるの?」
「ここで育ったんだ。見当はつく」
「じゃ、移動させてからすぐ行く」
雄士はうなずいて転移した。
* * * *
雄士はまず、地下にある配電室へと侵入して、外部との接触を断つために通信経路を破壊した。
競技場を見渡せるアナウンス室の隣室へと転移すると、雄士の出現に驚いた所員たちが慌てて席を立ち、その場にすくんだ。
雄士は彼らの躰を透視でチェックした。文明の利器は時として厄介な代物となる。
「携帯を出してもらおうか」
彼らは慌てふためきながらポケットや机の中から取りだした。念のために室内を見回すが、ほかにそれらしきものは見当たらない。
雄士は差しだされた携帯電話を手にするとすべてを粉々に砕いた。
「通信経路は断った。これで外部との連絡は取れない」
「雄士さん! なぜ我々と闘う必要があるんです? 手を組めば……」
この場で唯一、臆することのない所長の井上が訴えた。
雄士は冷笑に付する。
「手を組めば? 冗談でしょう。それは対等である者に向ける言葉だ。おれたちが対等であったことがありますか。ガキの頃は散々虐げられました。今は逆転した。それだけのことです。今、DAFとおれは相容れない」
「雄士さん、いずれにせよ、あなたはMEGには勝てないんです」
井上は処置なしといった様で首を横に振ると、絶望ではなく、大したことはないといったように鼻であしらった。
雄士は聞き慣れない単語に訝しく眉をひそめる。
「MEG?」
「我々の命によって動く未知の異能力者のことです」
「……シャイのことか?」
「完全躰ですよ」
肯定も否定もせず、井上はそれだけを答えた。
雄士が問い質すように首をかすかに捻ったところへ晃実と粋が合流した。
「異能力者たちはどこ?」
気配はなく、晃実は室内を見渡しながら雄士に訊ねた。
一方で所員たちは、雄士に続いていきなり目の前に現れた晃実と粋を見て、ますます恐れをなしていく。
井上だけは逆に期待にほくそ笑んだ。
「動くには命令が必要なんだろうよ」
「……警戒が手薄すぎると思わない?」
どうにもならないことを承知しているとしても、あまりに無防備だ。ここに集まった所員の様子がそれを裏付けている。
「海堂将史は自分さえよければいいという人間だ。彼が勝算の決め手を持っているとしても、それは自分のために使うものでほかのだれのためでもない」
その発言が意味するところに気づいて所員たちは息を呑む。それもまた、あくまで自分のためだけのものだ。
「そんなはずはない。我々はこの日のために――」
「海堂将史が異能力保持者であることをご存知なんでしょうか」
井上をさえぎり、粋がすまして口を挟んだ。
「な、なんだと……?」
「ほら、すでに疎外されてますね?」
粋が小気味よく笑みを浮かべると、それまで余裕すら覗かせていた井上は言葉を失い、呆然とした。
「ここに閉じこめられてる異能力者たちの気持ちを考えたことある?」
晃実は問いかけてみたが、彼らは意味を理解できないといった表情を見せた。動揺しているせいかもしれない。
晃実自身、答えが返ってくるとは思っていない。それでも、訊ねずにはいられなかった。
雄士は晃実の肩に手を触れ、制止しようと無言で諌める。
「知りたいの。手を下すまえに彼らに良心があるのか」
所員の様子をつぶさに見守りながら、晃実はつぶやいた。
彼らが見せた答えは、異能力者である晃実に対する恐怖だけだった。晃実が期待した、後悔も自責の念も欠片さえ見えない。彼らはただ、『手を下す』という自分に関わる言葉に反応しただけだ。
晃実はくるりと躰を回して彼らに背を向けた。
露骨に自分に対する恐怖を見せつけられることはつらい。
わたしも人間なのに……力なんていらない……!
「やめた」
晃実はつぶやいた。
互いに反対方向を向いたまま、雄士が晃実を見下ろすと、その睫毛にかすかな光を認めた。
「すぐに殺ろうかとも思ったけど、やっぱり手緩いよね。だから、それまで恐怖を嫌というほど味わってもらう」
雄士は恐怖に慄く所員たちを冷たく見ながら、晃実の頭をつかの間引き寄せた。
晃実のその言葉が本心ならば安心できる。が、そうではなく、ただの強がりだ。
DAFに限らず、自分が第一だという人間は腐るほどいる。権力という力に怯えてひれ伏す人間も。
これくらいで傷ついてしまう晃実は“事実”のなかで生きていけるのか。闘いのすえ、すべて解決するということは、晃実にとってそれだけ生への執着を失うことになるだろう。
「おれなら、狂ってしまうほど恐怖を感じさせてやる。今は時間がないが、いずれ……」
含みを持たせて言葉を切り、雄士は彼らの恐怖を煽る。
本来の目的は晃実の心を少しでも軽くさせるためだ。その程度の仕打ちに罪悪感を持つ必要ないのだと、少なくとも、晃実より自分のほうが格段残酷なのだと知らせるために。
「では、操作経路を断って異能力者でも探しに行きましょう――」
粋の言葉が途切れた。
晃実も確認するまえに侵入者の存在を感じ取った。
「……シャイだ。出向く必要はなかったようだ」
雄士は現れた異能力者たちを見据え、晃実の頭上で本戦を宣言した。
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* 遺伝子とは … 参照:Wikipedia
生物の遺伝的な形質を規定する因子で、遺伝情報の単位
遺伝情報はDNAの塩基配列(シークエンス)を媒体としてアミノ酸と対応し、たんぱく質へとコード(変換)される。