Xの記憶〜涙の見る夢〜

第7章 真の果て  5.ブレス-呼吸-

 洸己たちが背負った重責はどれほどのつらさであったのだろう。晃実はいつもそう思ってきた。
 ここにきて、洸己が海堂将史を葬らなかった理由はおそらくは託すことにあったのではないかと考え至る。環の兄だからこそ。
 将史は彼らの警告と許しと期待を感応することもなく、無下に裏切った。
 いよいよ終結させる時だ。長い苦辛を経て、今、またここに同志が集まる。やり残された意志を引き継ぎ、応えるために。
 三人はうなずきあって、互いの意思を確認した。
 そのなかで粋は思うのだった。
 この闘いを、人知れぬ悲劇で終わらせるわけにはいかない。存在する未来があってこその闘いなのだ。誰一人欠けることなく、ともにそろって。

 ニャーン。
「ブレス!」
 突然の猫の鳴き声に振り向くと、ここにいるはずのないブレスの姿があった。
「こんなところへ一人で来たの?」
 ニャーン。
 こんなに遠く、利用されるために一度しか来たことのないこの場所まで犬ではあるまいし、猫の能力でたどり着けるのだろうか。
 でも。
 何かがわかりそうな気がした。
 ブレスを抱きあげると、地と平行線に視線を送る晃実の瞳は、遥か果てが見えるかのように一切を通り越して濁る。
「どうした?」
 声をかけた雄士を見上げ、晃実はその瞳に焦点を合わせた。
「おじさまたちがすぐ傍で見ててくれてる。約束をちゃんと守ってくれてるよ」
「晃実の心の中にいるんでしょう?」
「そう思ってたけど……」
 確かに思いだせば、彼らは記憶の中でいつも晃実に語りかけてくれる。それは間違いないが、それとは別のところで息衝く心を感じている。現在進行形の想いを感じている。
「けど?」
 雄士が探るように晃実を見つめる。
 想いと事実を重ねあわせたとき、晃実はそこに在るものを理解できた。
 そっか。恭平とわたしの傍にはずっとブレスがいてくれたんだ。
 晃実の顔に笑みが浮かぶ。
 その過程はわからない。今、そんなことはどうでもいい。ただ、そこに在るものを信じて。
「うん……うまく説明できないよ。でも……もうすぐ、はっきりするかもしれない」
 晃実は困ったように首をかしげると、雄士が晃実の腕の中にいるブレスを撫でる。気持ちよさそうにブレスが甘えた声で鳴く。
「帰してくるか?」
「ううん。たかが猫を相手にするとは思えないし」
 守られた約束、果たされる願い。ブレスがこの場に立ち会うこと、それがその存在の意味。
「なら」
「始めましょうか」
 粋が雄士に引き続いて云うと、晃実はブレスを下ろした。
「晃実、独りで突っ走って無茶はするな」
「そうです。全員が在っての勝利でなければ意味はありません」
「もちろん、そのつもりよ」
「行くぞ」

 (いと)わない。
 この苦しみが消えるのなら、偉大な意思が求める代償となってもかまわない。
 約束を破ることになっても。

 雄士の言葉を合図に三人はともに、DAFとドームを繋ぐ渡り廊下の中央にある玄関前に立つ。
「やるべきことはわかってるな」
「もちろん。邪魔が入るまえに手っ取り早くやらなくちゃ――」
「すでに邪魔が入ったようです」
 晃実をさえぎって粋が知らせた。
 ノーマルタイプの異能力者が一人、DAFへと入るシャッターの前に突如として現れた。
「一人?」
「そうそう何人も一度にコントロールできませんからね。特に相手がボクたち、異能力者なんですから。数少ない異能力者を無駄にするまえに、まずはお手並み拝見というところでしょう――」
 粋の言葉が途切れる。
 あたりまえだがタイミングも何もなく、ノーマルタイプは攻撃を仕掛けてきた。
「すでに二体は失ってるというのにお手並み拝見て場合か」
 雄士が一歩踏みだして先頭にはだかった。攻撃を受け止めた衝撃で少し足が後退したものの影響を見せることなく、雄士は嘲笑して吐き捨てた。
「雄士、あの二人はどうしたの?」
「測候所の中に移してる。火山活動が鎮静化したとはいえ、今、登ってくるような命知らずはいないだろうし、しばらく見つかる心配はない。あとは回復するまでにどれだけ時間がかかるかというところだ。ここはおれが相手する。早く行け」
「わかった。でも――」
「だから、わかってる。死ぬまではやらない」
 今一、雄士の云い方に納得できない響きがあったが、晃実はうなずいた。
「では」


 晃実と粋は壁を通り抜けてDAF内へと転移する。
「この辺?」
「そうです」
 粋の返事で入ってすぐの床に手を向けると、晃実は一瞬にしてそこを(ちり)と化した。鈍い音とともに穴が開く。
 粋は地下に置きっぱなしになっている自分のクローン三体を確認した。
「ふーん。ボクの分身は思いのほか丁寧に扱われていたようですね」
 粋は地下に降り立って誰にともなくつぶやいた。

 ノーマルタイプよりも操作の緻密(ちみつ)さを必要とするクローンは、それでも捨てきれなかったらしい。
 いや……それとも恭平がボクのかわりにこのクローンたちを動かせるとでも……?
 ふと、意地悪な理由を察したところで、粋ははっきりと知った。
 長年に(わた)って異能力の研究に携わってきた彼らは、結局のところ、何も得てなどいない。彼らにわかっていることといえば、異能力を手にしている人間がいるということだけだ。
 ベッドに縛りつけられていた粋とDAFの操り人形でしかない異能力者たちとがどう違うのか。
 異能力の差について理由解明にたどり着けなかった研究者たちは、おそらくはそれ以前に差があることに気づいていない。
 その違いがどこからくるのか。何が原因なのか。
 それが彼らにわかるはずがない。彼らは根本的な間違いを犯しているのだから。
 あるいは、心と関係のないところにいる科学者たちに理解を求めようとしても、例えば他人が何かを失って嘆いているとき、それが『悲しみ』だと察することはできても、その感情を同じ深さで理解することは不可能であるように、所詮無理なのかもしれない。
 根本的な間違い――それは、異能力者たちも異能力者であるまえに人なのだということ。その心は、どこにでもいる人と少しも変わらないということ。
 人が十人十色であるように、異能力もそうあってなんらおかしくない。
 無くしていた、いや、正確に云うなら隠していたはずの粋の心はずっと息衝いていたのだ。
 再生力を持つ晃実、予知力を持つ恭平、エネルギーを略する力を持つ雄士。
 自由になりたいと願ったすえに脱躰の力を持った粋のように、それぞれの力にはなんらかの心の欲求が潜んでいる。

「さて、騒々しくなりますし、シャイの出番が来るまでもうしばらく躰を拝借しますよ」
 粋は自分のクローンたちにつぶやくと、意識をそれぞれに分散させて入りこんだ。
 尊厳を無視し、慢心のもとに異能力の研究のみを優先してきた彼らは自らの良心を見失い、これからさきもその研究と同様にままならないまま、何も見出すことはできないだろう。
 研究者気取りも今日で終わりだ。せいぜい騒ぐがいい。何もかもが理解不能に狂ってしまうまで。


 晃実は指先を切って出入り口の床に血を()らす。ほかに非常口もなく、出入りがあればすぐにわかる。
 常識的に考えればこの建物の建築許可は下りるはずがない。富みを(はばか)る人間と()びる人間と見て見ぬふりする人間と。所詮、同じ穴の(むじな)
 憎むべきは悪であり、人ではない。そう自分は思いきれるのだろうか。
 二階、三階と一通り見回って誰もいないことを確認すると、晃実は入口に戻って穴を覗きこみながら地下にいる粋に声をかける。
「粋、恭平は?」
「いません。地下はもぬけの殻です」
 晃実は下唇を軽く噛んだ。
「……わかった。粋、上がってきて」
 晃実の前に粋とクローン三体が現れる。
「上にも誰もいない……もしかしてコントロール室にも……」
「誰もいないかもしれない」
 晃実のあとを引き継いで粋が云うと同時に二人はコントロール室に転移した。
 やはり誰もいない。機材もなくなっていることに気づいた。
「場所を変えたようです」
「どこ?」
「シャイを捨てることはないでしょうから、そう考えると移動できる場所は一カ所しかない」
「ドーム!」
「行きましょう」

 まずは雄士のところへ移動した。
「早すぎる。何があった?」
 攻撃を受け止めながら、計算どおりに行かなかったことを察した雄士は、晃実たちを認めるなり訊ねた。
「こっちは誰もいないの。たぶん、ドームに――」
「当然、そう簡単に行くわけはないな。わかった。とりあえず、こいつを片づける。コントロールが一人に集中して尚更、単独での略は無理だ。転移で逃げられる。粋」
「了解です」
 返事とともに粋が意識を引きあげたクローンは倒れる。
 火口でと同じように雄士はノーマルタイプの背後に回り、粋は正面に位置して神経略にかかった。意思がないぶん造作なく意識を絡めとり、粋は運動神経を麻痺させた。
「どうぞ」
「わかった」
 五分を経てノーマルタイプの力が尽きる。
「意外と手間取りませんでしたが……」
()られてるからな」
「当然でしょう」
「あと六躰だ」
「だから、死体じゃないよ?」
「晃実」
「お願いですから、闘っている最中にそういうことをいちいち気にしないでください」
 雄士を引き継いで粋が釘を刺した。


   * * * *


 DAFのコントロール室は場所を移し、研究所員たちはコンピュータの画面に見入った。そのうちの二人が目まぐるしく指を動かしてチェックを繰り返している。
「侵入してきました」
 敷地内の監視カメラが正面玄関に三人の姿を捕らえた。
「どうされますか」
「タイプN1とN2はまだ反応がないのか」
「BOMの電波から火口にいることは間違いないんです。生体反応もあるんですが……」
「一躰、提供しろ。どういうことか確かめるべきだろう」
「わかりました」
 将史の命令に沿って、別室にいるタイプN3を送りこんだ。
 N3が聞き取っている三人の会話がコンピュータに接続したスピーカーから流れる。
「MEGとタイプAを研究所内で確認」
 研究所内の監視カメラに切り替えた所員が報告した。
「さっきの、二躰は失ったというのは……」
「回復するまで、と云っていたな。何があるのか確認だ」
 所長の井上に重ねて将史がつぶやいた。
 沈黙のなか、タイプN3と雄士、そして研究所内に侵入した二人の行動を見守った。
「雄士さんは何をしようとしているんですか。やたらと拘束を試みている気がしますが」
 雄士は力を放ち、避けきれなかったN3が一瞬気絶するたびにその躰を羽交い締めにする。その都度、転移させて逃れてはいるが、何かそこに目的があるように見える。
 まもなくMEGとクローンを引き連れたタイプAは雄士と合流した。交わされる会話を聞きとった。
「……『略』とはなんですか?」
「神経略のことじゃないか?」
「……タイプAが意識略しました。転移させま――」
「放っておけ。静観だ」
 誰もがモニターに見入る。攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、雄士はN3の背後に、タイプAは正面で神経略をしているのみだ。
「……どういうことですか。何も起きませんよ……」
「N3からの映像が乱れてます」
「なんでしょうか……とりあえず監視カメラで撮れてはいますが」
 所員が云った矢先、雄士がN3を地に寝かせるところが映しだされる。
「どうしたんだ?」
「命令かけますか」
「やってみろ」
 将史に応えて所員はキーボードを叩くが、いくら無線で飛ばしても無反応だ。すでにN3からの映像は完全に途絶え、監視カメラは三人が会話していることを映しているもののスピーカーは無音のまま、音までも途絶えている状態だ。
「だめです!」
「何をやったんでしょうか?!」
 所員の間に不安が漂う。
「問題ない。切り札はいくつもある」
 将史は口を歪めてきっぱりと云い放った。
「……切り札の一つですが、Xはさっき眠りに入ったばかりです。使えるんですか。それにグレイのほうは――」
「グレイがいないことでかえって扱いやすいとも云える。ここから出られない以上、Xは我々に頼るしかない。そうだろう?」
 整然とした理由で将史が説き伏せると、危ぶんでいた井上も安易に納得した。
「そうでした。今こそ、Xの真の力を知ることができるのかもしれない」
 井上の声には子供のように期待に満ちた響きさえ聞き取れる。
「井上、ここの司令は任せる」
「わかりました」


 将史は別の部屋へと入った。
 コンピュータを連ねて電気熱がこもる部屋と違い、ここはクーラーがきいてひんやりとしている。
 縦長い部屋の手前のほうにはDAF研究所から移動した医療機器がそのまま配置され、医療と異能力研究の専門所員がそろって管理に余念がない。
 その奥に並べられた十台のベッドのうち、七つの躰が横たわり、三台はからっぽだ。
 いちばん手前のベッドに将史は近寄り、まだ蒼白い顔をした躰を見下ろした。
「具合はどうだ?」
「BOMは問題ありませんが、体力的にまだ全快とまでは……」
 将史とは反対側で点滴を調整しながら、所員は申し訳なさそうに答えた。
「それでいい。それでこそ、使える、というものだ」
 将史は横たわった躰を一瞥(いちべつ)し、さらに奥へと行き、つきあたりのドアを開ける。
 クーラー以上の冷気に包まれた。温度を厳重に管理された金属の箱に寄り添う。
 天井を見上げると未知の生命体が意識なく浮遊している。
 将史はあの一瞬にして廃墟(はいきょ)となった風景を思いだす。

 砂塵(さじん)と燃えカスしかなく、焦げ臭さと混じって薬品の異臭が漂うなか、制止を無理に押しきってあてもなく歩いているとき、ふと息吹(いぶ)きを感じた。
 気づくことを待っていたかのように小さなつむじ風が吹いて粉塵を舞い散らす。現れたのは直径五センチくらいのゴム(まり)のような丸い物体だ。焼け焦げたせいなのか黒ずんで薄気味悪い色をしているが、よく考えてみれば紙切れ一枚までもがこの塵になった廃墟では明らかに不自然に残っている。
 眉間にしわを寄せた刹那、それが鼓動を打つかのようにうごめいた気がした。(まばた)きするくらいのほんの一瞬。無視できない何かを直感した。かがんで物体をつかむと同時に、ピリッとした感触があり、淀んだ色が揺らめく。光の加減なのか。
 ジャケットのポケットに忍ばせ、しばらくは手もとに置いた。かすかも動くことはなく、音もなくそこにあるのだが、不意に呼吸を感じるときがある。
 その物体がどこから発生したのか、解明する手立てはない。ただ、それから自分に生じた体調の変化との因果関係はすぐに結びついた。
 確信が欲しくても誰にも触れさせるわけにはいかない。不必要な脅威はいらなかった。
 爆破事件後、代議士の松中は自分に波及することを恐れて及び腰だったが、将史にしても保険は必要だ。その思惑の過程で将史は力を得たことを仄めかした。
 政治家にとって情報は何にも勝る(かて)だ。転移、聴音、透視を駆使すれば簡単に手に入る。
 情報提供をして揺さぶりをかけ、その恩恵に(あずか)ると松中は態度を変えた。そして松中は欲を出した。
 止めたにもかかわらず、物体に触れた。
 それは確信をもたらし、以来、万が一を考えて異能力の所以から動きにくい水の中に閉じこめ、誰にも触れさせることなく保存した。それでも物体はあの日、消えてしまった。
 そして物体が消えたことで物体の正体を知った。
 ARISE(アライズ)
 タイプA、つまり恭平という少年の原点と同じく、生命体は突如として出現したのだ。

 力と入れ替わりに得た頭痛はなんの得にもならず、むしろ力を放棄したほうがいいと思うほど煩わしい。
 しかし、逆にその力があるからこそ、おまえを救う機会を得、再び廻り合う可能性がここにある。
 あの日、ミルクを必要とした猫のように、一滴(ひとしずく)の力が復活のきっかけになる。
 将史はそれが猫の背であるかのように、金属の箱をゆっくりと何度も撫でた。

BACKNEXTDOOR