Xの記憶〜涙の見る夢〜
第7章 真の果て 4.嘘吐き
「静かだな」
海堂のオフィスから転移後、三人はDAFの門から少し離れたビルの屋上に降り立った。DAFのドームの外壁にある時計の時刻はもうすぐ午前十時を指そうかというところだ。
「嵐のまえの静けさってこと?」
「その嵐が外に漏れることは避けたいんですが」
通勤通学の時間帯を越えて通りは少ないが、まもなくまた外出の時間帯に入る。晃実は辺り一帯を見渡したあとDAFに目をやった。
「うん……あれ……?」
晃実は透視を使ってみて、以前とは状況が違っていることに気づく。
「気づいたか?」
「赤外線が切れてる。門の横の警備室も無人だよ?」
「いつでもどうぞってわけですね」
「そういうことだ。相手がおれたちであることが明らかな今、警備はまったく無意味だってことを悟ったんだろ。事実、そのとおりだ」
晃実はしばし考えこむ。
「雄士。海堂は今までのこと、DAFに限った関係者しか知らないって云ってたけど、ほんとに外部には漏れてないの?」
「云っただろ。あの人は保守に回る人間なんだ。もし外部に漏らせば、DAFを凌ぐ組織ができないとは限らない。研究者であれ、強欲者であれ、世の中には溢れるほどいる。そこで横取りされれば逆に命取りになる」
「でも今、こうなって……DAFの資料が持ちだされたってことは?」
雄士と粋はそれぞれに考える。
「いや、それはないだろう。まずおれたちを倒さなければ無駄足でしかない」
「確かにここまで来て、そういう細かい悪あがきをやるような人間ではないでしょう。海堂家はプライドの高い家系のようですから」
「す・い! 一言多すぎますっ」
嫌味を認めて晃実がたしなめると、粋は肩をすくめた。
「晃実、おまえが怒る必要はない。粋はこういう人間なんだ。それで、ちょうどいいんだろ?」
からかいを受けた張本人の雄士は、大人の見解をもって晃実に同意を求めたが、皮肉が見えなくもない。
その証拠に、粋が一瞬だけ不快だという顔をした。
「そうですよね。自称大人とクソ生意気なガキと天然ボケと、それにお人好しがいて、ボクたちはつりあってるんですよね」
粋の静かなる反撃に、晃実はまたもや考えこんだ。誰がどれかを当てはめる。
「……天然ボケってどういう意味?」
「ボクじゃありませんよ、そう云ったのは」
睨みつけた晃実に粋は弁解した。
思わぬ過去の会話を粋に持ちだされ、苛立つ雄士に晃実の視線が詰め寄る。
「どういうこと!」
ここは大人と自称する雄士のこと。すぐにフォローの言葉を探しだす。
「なんで怒る? 素直でかわいい、の代名詞だろ」
「ごまかされないから。子供だって云ってるのと同じだよ」
仁王立ちで両腕をくむと、小さいながらも精いっぱい背伸びをして晃実は雄士に食ってかかった。
それとは逆に、雄士はますます落ち着きを取り戻し、晃実の腕を解く。
「なんでそんなに大人に見られたいんだ。急いで大人になる必要ないだろ? おれはおまえが大人未満ではあっても、もう子供の域は超えてると思ってる。おれは幼児期に異能力を封じられていたせいで、普通と同じレベルで生活してきた。けど、異能力者としてのおまえの幼児期はただでさえ短かっただろうし、甘えられなかったはずだ。けりがついたら一度思いっきり子供になったらいい」
そんなふうに思いやりを示されたら、なにも云い返せない。ごまかされた感は否めないが、うれしい気持ちもある。
「うん。ここで決着がつけば自由になれるかな」
「自由?」
「そう。縛られるものがなくなって、思いどおりにできるってこと」
「何をしたい?」
「うーん……」
晃実は考えるふりをして雄士から目を逸らした。
雄士の言葉はとても居心地がよく、安堵さえも感じる。心底からそう思えるのならいいのに。
「わかんない……普通の生活かもしれない」
いちばんの望みは、ただ還りたい。記憶にもならない遥か昔にある憶え、温かい泉の中で共鳴した鼓動の腕の中に。ただ包まれているだけでよかったその時に還ることを夢見ている。
「わかった」
雄士がつぶやくと、時間が止まったのかと思うほど、ふたりの間に静けさが漂った。
「……わかったって?」
晃実が見上げると、その声と同じように真摯な意思が雄士の瞳にあった。
「おまえが望むなら、力を全部なくしてやる」
「……できるの?」
「さっき火口で云ったことだ。おれが再生力を学べるならできるかもしれない。どう思う、粋?」
不意に質問をふられた粋は雄士を見上げて首をかしげた。
「わかりません」
粋は率直に無知を認めた。
「ボクたちを見ても、異能力者が同じ力を持っているというわけではないようですから」
「そうだよね。得意不得意もあるし、恭平と粋は一卵性なのに全然、違う力を持っている」
「それを学べるのかどうか。まあ、あなたは純正ですから、ひょっとしたらできるのかもしれません」
「純正?」
物を指すような云い方に雄士は不服げだ。
「失礼。ボク以下、異能力者たちは人工授精によるものですが、あなたは異能力を保持した両親から、気が遠くなるような確率のなかで選ばれて生まれたということ。その条件だけでも脅威でしょう。その証拠に、あなたのエネルギー量には誰も敵わない」
「雄士は疲れることないよね?」
晃実は粋に再生力を施したときのことを思いだしながら同意してうなずいた。
あのとき、晃実にエネルギーを分けてくれたうえ、補佐していたというのに、雄士は少しも疲れを見せなかった。それどころかいつもと変わらなかった。火口でもそうだ。
「あなたはあまり他人の目に触れるところで力を使おうとしませんし、実のところ、ボクにもまったく想像つかないというところです」
「そう思ってるわりに態度が違うんじゃないか?」
「一言でいえば、歯がゆい、でしょうか」
粋は生意気に肩をすくめる。
真意を教えてくれる気はなさそうだ。果たして粋から素直な意思を聞けることがあるのだろうかと晃実は思った。
「ね、DAFの異能力者は特別な力は持ってないの?」
「DAFはそれを期待していろいろ調べていますが、彼らには意思がありませんから調べるにも調べようがないまま、たどり着くに至っていません」
「……それだけ聞けば闘いの結果はわかりきったようなものだけど」
「シャイがいる」
雄士が晃実のあとを継いだ。
「うん」
「ここから連れ出せれば事はもっと簡単にすむんだろうが……」
そう云って雄士はDAFを見下ろした。
「どうして出られないのかな」
「……この闘いのなかでわかるかもしれない」
晃実に視線を戻すと、つぶやいた雄士は衝かれたように無意識のうちに手を伸ばして頬を包んだ。しばらく黙ったままで、ただ瞳が何かを訴えるように晃実に注がれる。
「おれはシャイを見棄てない」
「わかってる」
即答しながらも晃実の顔に不安がよぎる。不安という表現は間違っているかもしれない。
「晃実、おまえも、だ」
その言葉に表情が晴れて、晃実のくちびるがうれしそうに広がる。
何もかもを捨てて今、攫いたい。
雄士の中に突きあげる衝動。
離された期間は確かに必要だったのかもしれない。
――僕たちは成長しなきゃいけないんだ。
恭平、今、おれたちは成長したんだ。そうだろ?
想うだけなら、手に入れるだけなら簡単なこと。それでは足りない。守りきる強さがなければ。
守るということは時に非情を余儀なくされる。
その非情を学ぶためにおれはそのなかに身を置かなければならなかった。
そしてまた求めてここに立った。それなら、今、が、その時、だ。
「お邪魔して悪いんですが、そろそろ始めるべきではありませんか」
口を挟むと同時に晃実と雄士が粋に顔を向けた。
「さっきの繰り返しは無用です」
粋はそれぞれに何かを云いたそうな二人をさえぎった。
雄士は口を歪めたが、状況を考えると戯れている時でもない。
「どう責める? 伯父が異能力者であることは考慮してなかったはずだ」
「海堂将史はここにいると思う?」
「さあな。頭痛しだいだろ。けどおれたちがここに来ることは承知してる。今はいないとしても必ずここに現れる」
「海堂将史がどうであれ、まずはコントロール室からやるべきでしょう。シャイはともかく、遠隔操作の要素を少しでも絶つべきです」
「そしたら異能力者のエネルギーを略するのもラクになる?」
「それはシャイの意向にかかってくる」
「じゃあ、シャイを……」
晃実は言葉を途切れさせた。不意に飛び散った光が目の隅に入った。
三人は辺りを見回し、即座にその原因を突き止めた。
DAFの敷地内で、そこにあるはずのない壁にぶつかって抜けだせずにいるシャイがいた。光はその衝撃の凄まじさを物語っている。
「シャイっ」
雄士の叫ぶ声も聞こえないのか、再び空に向かって飛び立つシャイ。
見えない壁に激突するシャイは光を散らし、反動で地面に叩きつけられて躰が跳ねる。痛みを感じているのかいないのか、シャイは再び繰り返そうとしている。
「止めなくちゃ!」
見ているだけでも痛い。
「晃実!」
雄士が止める間もなく晃実はそこに向かった。通り抜けられるはずが、晃実までもが見えない壁に弾き飛ばされた。
ツ――っ!
転移で向かった躰は細胞の一つ一つにまで痛みをもたらした。撥ねかえる晃実の躰を雄士が空中で受け止め、そのまま地に降りた。
「無茶をする」
「痛い……」
晃実はぐったりと躰を委ねて呻いた。
雄士は横抱きのままさらに晃実を縛ると額を重ねた。脳内麻薬の分泌が促進され、即効で晃実から痛みが抜ける。
「大丈夫か」
「うん、もう大丈夫。ありがとう。それより、どうして……?」
雄士の腕からおりると、晃実はDAFの門へと近づいていく。その間もシャイはあきらめることを知らないかのように飛び続けている。
手を突きだして進んでいた晃実は門の直前で壁の感触をつかんだ。能力を使ってもまったく目に触れない壁が確かに感触としてある。
雄士と粋もそろって晃実の傍に立ち、その壁に触れた。
「何これ?」
「シャイを閉じこめている壁だ。シャイがここから出ようと試みる限り、この壁は消えない」
「じゃあ、シャイがあきらめない限り、DAFの中に入れないってこと?」
「そうです。中から出ることもできませんよ」
「でも、それ抜きにしてもやめさせなくちゃ! 雄士、なんとかならない?」
雄士は思案に暮れながらシャイを見守る。
晃実でさえこの壁を通れないのか。
どういうことだ? 闇と偉大なる光。まったく別ということか? それならどっちなんだ?
転じる先を間違ってはならない。
おれはまた選択を迫られるのか。
―― グレイ、どうした? どこにいる? おまえはシャイを守るんじゃなかったのか。
呼びかけてもグレイが答えることはなく、雄士は険しく顔をしかめた。
「孤独にしてはいけない……」
粋が半ば放心したように不意につぶやいた。
「粋?」
「この壁がシャイを本当に身動きさせなくするまえになんとかしないとまずいことになりそうです」
「まずいって?」
「わかりません。予感です」
「予感て……」
粋は今になってはじめて畏れという感覚を知ることになった。DAFで訓練を強いられたつらさ。死ぬかもしれないと思った、息をできない苦しさ。それらは畏れに比べれば些細なことにすぎない。
ただ、どんな状況に陥ったとしても、自分がいちばん冷静に判断を下すべき立場にいる。
「予知力はボクの領域ではありませんが、恭平の近くにいるので共鳴して予知に似た感覚があるのかもしれません」
「晃実、粋、ちょっと離れてろ」
「どうするの?」
訊ねながら晃実は下がり、粋も倣った。
雄士は答えず、壁に手を触れたまま目を閉じた。
この距離で声が届かなければ、おそらくは呼応も通じない。それなら。
シャイ。
繰り返し心がその名を呼ぶ。
心の呼ぶ声がその心に届いたのか、光が止んだ。
―― ……グレイ……どこ……出られない……ユー……。
何度となく地面に叩きつけられたシャイが横たわったまま動かなくなった。
―― シャイ。
何度呼びかけても応えが返ることはない。ただシャイの、ユー、と繰り返して求める声だけが届く。
そのうち、シャイの口から嗚咽が漏れだす。
シャイの声がおれには聴こえているのに、シャイにはおれの声が通じていない。
すでに闇が――。
やがてシャイの躰は透きとおり、散った。
それとともに壁の感触も消える。支えを失った手は滑り落ち、雄士はその手を強く握りしめた。
見守っていた晃実はさっきまであった壁の付近まで行き、ゆっくりと突き進む。なんの抵抗もなく抜けた。
「雄士、どうなったの……シャイは大丈夫?」
「ああ……眠りに入ったかもしれない」
「それなら今が好機です」
通行人が立ち止まった三人を訝しげに見ていく。その度に神経略を施してやり過ごしていた粋はためらいなく促した。
「そうだな。もう引き延ばせない」
晃実が雄士の顔を見上げると、冷酷さと見紛うほどの意思がそこにあった。
「雄士?」
「晃実」
名を呼んだ雄士の声は畏れるほどに深い。
たった今、目にした雄士とシャイの間にある見えない鎖。
敵わないかもしれない。
おまえも、だ――。
どんな約束の言葉があっても。
「雄士……」
「何があっても信じるんだ」
醜い痛みを見透かされている気がした。
「……何を?」
雄士は、おそらくはすべてを計算して本人である雄士よりも知悉している粋をちらりと見やる。
粋は心得たようにうなずく。
「粋を、恭平を、おれを、そして何よりもおまえ自身を」
「……うん」
晃実が応えると、雄士もうなずき返した。
応えたのとは裏腹に不安は不信を伴って大きくなっていく。違う。不信があるから不安になるのだ。
嘘吐きばっかり。
そう叫ぶ、耳もとに聴こえる鼓動は自分のものなのか。