Xの記憶〜涙の見る夢〜

第7章 真の果て  2.声

―― 雄士、どうやって奪える?
―― 躰に触れさえすれば。ただし、おまえの再生力と一緒でそれなりの時間と集中が必要になる。拘束まではできない。その間に転移されれば無駄に終わる。
―― では、ボクが神経を麻痺させればいいってことですね。
―― おれは背後に回る。
―― わかりました。
―― じゃ、わたしはその間、もう一人の相手してる。

 三人はそれぞれの役割を果たすべく、行動を開始した。
 雄士が一人の背後に回り、腰と右肩を腕に抱えこむ。その不意打ちを狙って粋が神経略を始める。やがて少年の躰から力が抜けた。すかさず、雄士は少年の力量を吸いあげた。
 雄士の躰に力が満ち足りることはない。許容量がどれだけあるのか、それは雄士自身でさえも未知だった。
「終わった」
―― 五分かかってます。
 雄士がつぶやくとともに略を切りあげた粋は答えた。
「早いのか、遅いのか?」
「評価は時と場合によります」
 雄士が口を歪めて皮肉っぽく云うのに比べ、粋はすまして返した。
 晃実はもう一人の少年と対峙(たいじ)し、攻撃をかわしながらじりじりと詰め寄る。少年の額に瞬時だけ触れ、その意識を絡めとった。
 その手が意識とは別の命令で動きかけた時、
「次だ」
と云う声とともに、少年の背後に雄士が現れた。
「いいか?」
「大丈夫。やって」
 同じように、今度は粋のかわりに晃実が略している間に雄士は力量を吸い尽くす。
 目を開いたまま、少年は動くこともない。
「粋、どうだ?」
「同じです」

 晃実たちは地に並べた二人を思案する面持ちで見下ろした。
「これからどうしますか?」
「晃実、おまえがさっきやった力の応用。異能力者にやれないか?」
「え?」
「分解と結合だ。DNAの塩基配列を変化させればどうだ?」
「つまり能力遺伝子を除去するか、もしくは機能ゼロにする」
「やったことないけど……」
「当然だ」
「でも、やってみる価値はあるかも」
 そう応えると雄士は小さく笑みを浮かべた。
「おまえしかできない。できるようだったら、次はおれの中に入ってやってみてくれ。それをおれが学べるんであればラクだろ」
「うん、わかっ――」

『ユーを返して』

 いきなり晃実の耳に悲しいくらいの細い声が届いた。
「ユー……って……」
 晃実は少年を見下ろしていた目を上げ、遥か高い山頂から声の方向を見やる。
「晃実?」
「どうしたんですか」
 晃実はさっきの言葉が声ではなく想いだと気づいた。
 そうでなければ、雄士にも粋にも届いているはず。
―― こっちだ。
 今度は最初のそれと違って太い声だ。
 粋の問いに答えるまもなく、ともすればその軌跡が()き消えてしまいそうな声が晃実を誘う。
「誰かが呼んでる!」
 答えを待っている粋に向かって叫んだ。二回目の声を聞き取った粋は訝しげに顔をしかめている。
 いまは考えている暇はない。これが罠でもなんでも。
「晃実!」
 雄士と粋の叫びを背に受けながら、晃実は声を追った。
「クソッ。粋、晃実を追え!」
 雄士が舌打ちをして粋を促した。
「わかりました」
「おれはノーマルの対処してから行く。軌跡を残してくれ」
「承知です」
 云うが早いか、粋は晃実を追った。


 晃実はがむしゃらに声を追ってその場所にたどり着く。それがどこかを悟ると驚きを隠せなかった。
「ようやく念願のご対面だな」
 仰々(ぎょうぎょう)しい椅子に仰け反るように座った海堂将史が、笑みだろうか、口をわずかに歪めて云った。
「お互いにね」
 皮肉をこめて晃実は云い返した。
 将史はまた口を歪める。それからしばらく、将史は気味が悪いほど無言で晃実をじっと見つめた。
 何……?
 晃実は眉をひそめる。読み取れる感情はないが、なんらかの思惑、あるいは激情を持って見られている気がした。

「どうだね。私と組まないか。世界は我々のものになる」
 葉巻を咥え、口を開いた将史は余裕すら見せて淡々としている。
「世界を手に入れてどうするの?」
「楽しいじゃないかね。すべてが思いどおりになる。おそらくはきみが望む平和さえ手に入る」
「そんなことできても、すべてが自分の思うままに動いても楽しくなんかない。退屈なだけだよ」
「ボクもそう思いますよ。壁があるからこそ生きていると楽しいものです。考えを変えるなら今のうちですが」
 晃実と将史の不協和音の会話のなかへ、粋が割りこんだ。
「例え平和になったとしても、そうなったら、人は平和という意味さえ忘れてしまう。支配する者がいなくなったら結局は今以上に原始的になる。人間てそういうものでしょ。あなたみたいに」
 粋の出現にも慌てず、晃実の言葉を受けて一頻(ひとしき)り将史の高笑いが室内に響いた。それが止み、今度は短く鼻で笑う。将史は粋に目をやった。

「私はきみに見事に(だま)されていたようだな。躰が思いどおりになったとたん、寝返るとは。きみは恩をあだで返すのかね」
 将史は嘲笑いしながら粋に恩を着せた。
 粋は動揺もせず、いつもの調子で云い返す。
「あたりまえですよ。ボクは利用されるのは真っ平です」
「生かしてやったのはこの私だぞ」
「ボクはそんなことを望んではいなかった。歪めたのはあなたです。それに恩を感じる人間になれるほど、ボクはDAFから情を持って育てられた覚えはありません」
 将史はくつくつと笑う。
「母親も弟も、きみを見捨てたんだ。それなのに義理を立てるつもりか」
「見捨てたなんてっ。あなたたちが隠してたんじゃない!」
「DAFにとって母親の体内で育ちそこなったきみは好都合の研究材料だった。DAFの再始動の際、きみのクローンを製造したが、こちらは失敗した。きみの異能力を補うものでしかなかった。DAFの選んだ(はい)がきみではなく、恭平のものだったら……そうは思わないかね?」
 いやらしいほどの悪の囁きだった。
 晃実の憤りは頂点に達する。
見縊(みくび)らないで。粋はそんな人間じゃないし、恭平は自分のことのように苦しんでる。だから……!」
 だから恭平はDAFに捕まることになった――そう云おうとしたとき、粋がさえぎる。
「晃実、無駄ですよ。この人にはそういう感情は理解できないんです」
「それよりも、事実を突き詰めましょう」
 粋の意見を尊重し、晃実はやりきれない感情を抑制した。

「何を訊きたい? できる限り答えてやろうじゃないか」
 将史は呆れるほどの余裕を見せる。
 晃実と粋は顔を見合わせると、遠慮なくいこうと意見を一致させた。
「DAFの存在、どこまで誰が知ってるの?」
「DAFの所員だけだ。これだけの大事、守秘義務は絶対だ」
「それだけじゃないでしょう。代議士の松中も知っています」
 粋が鋭く口を挟むと将史は肩をそびやかした。
「松中は便利な存在だ」
「海堂病院の異常さを国が見逃したのはその人の力?」
「無論。これからも役立ってもらう。松中はすでにDAFに属すると理解してなんら差し支えない」
「どういうことですか」
「どう思う?」
 将史は試すように粋を見やった。
「……まさかBOMを……生身の人間に……」
「いや……」
 将史は意味ありげに眉をつり上げ、否定の言葉をつぶやいた。
 晃実と粋は再び顔を見合わせた。
「松中は十三年前、自ら、変化を望んだ。止めたんだがな」
「変化……って異能の力を持ってるってこと?! それに十三年前って、病院の爆破で資料はなくなったはず――」
「確かに病院内の資料は全滅したな」
 将史は含んだ声で同意した。
 やはり、ほかに同一資料が存在したのだ。
 そんなことは洸己たちも見当をつけていたはず。それをなぜ放っておいたのだろう。
 そしてまだ何かありそうな含みがある。
「シャイとグレイは何? どうやって生まれたの?」
「知らんよ」
「……知らない? そんなはず――」
「おそらく……私よりはきみのほうが知ってるんじゃないか?」
 将史は晃実をさえぎると片方の口端を上げ、不安に(おとしい)れるような笑みらしきものを浮かべた。
「……どういうこと?」
「X、イコール、未知、ということだ」
 本当のところを知っているのかどうか、粋でさえつかめないほど将史は思惑の塊だ。
 少なくとも粋は見当がついている。しかし、それとは別のところでまだ不安要素があるような気がする。
 とりあえず、それがはっきりしない今は晃実の不安を増長させるわけにはいかない。

「ボクのクローンの経緯は?」
 粋は話題を変えた。
「一卵性双子の応用だよ。きみらが自然に分離した際、担当していた医師が思いたったことだ。実に頭のいい研究者だったが……そのせいできみは母親の胎内で育たなかったのかもしれないな?」
 将史は粋を挑発する。
 それに乗るような粋ではない。
「クローンの母親たちは?」
「金で雇った。しかし、彼女たちは自分が子供を生んだことさえ忘れている。金とは実に便利なものだと思わないかね?」
「そんなの必要ない!」
 (たま)りかねて晃実は叫ぶ。
「そうだろうな。異能力者にとって金は無用だ。だがこの世に生を受けた以上、地位と名誉は必要だ」
「そんなものどうだっていい!」
 叫びとともにわずかな異能力が勝手に動いて、掛けてあった絵画が落ちだ。
 それでも将史は動じない。
「それにしても惜しいな。タイプAを健常者にしたのはきみだろう? 類稀(たぐいまれ)な異能力を持ちながら、欲がないとは。きみに比べれば、DAFの異能力者は屑にすぎん」
「あなたにとってはボクたちも含めて、すべて屑でしかない。自分以外はね。あなたがDAFにクローン研究をさせているのはなんのためですか。何を(たくら)んでるんです?」
「そう遠くないうちにわかるだろう。どうやら私はきみのことも雄士のことも買いかぶっていたらしい。もっと利口かと思っていたが」
 将史は粋に向けて薄笑いを浮かべ、しばらく三人は睨み合ったまま沈黙した。
 いくら待っても、将史はクローン研究の真意を明かさない。
 自分のためなのか。自分が死んでもクローンが生きることで、永遠の命を手に入れられるとでも勘違いしているのだろうか。それとも研究はさらにさきを考えて進んでいるのか。
 もしくはまったく別の利用価値として。
 それがなんにしろ、将史はもう救いようがない愚かな人間だった。

「あなたってかわいそうだ。自分以外に大切な人がいないなんて、すべてに意味なんて見出せないでしょ? 人間じゃない、もしかしたら動物よりも感情がない」
 将史はせせら笑った。
 明らかに自分のほうが分が悪いとわかっているはずなのに、異能力者である晃実たちを恐れる気配もない。
 その強さがどこからくるのか、晃実も粋も計りかねていた。
 無理もない。十年以上をずっと傍に見ていた雄士でさえも本心を知ることはできなかったのだ。
「大切な人間か……私にもいる」
 将史の口から思いがけない告白が飛びだした。
 同時に彼を取り巻くバイオフォトンが微妙に変化したことを、晃実は見逃さなかった。感じ取ったものは……。
「そんなはずない! あなたが死を用意したんだよ。あなたが殺したのも同然じゃない!」
「きみの力には驚かされるね」
 将史は責められても平然としている。
「私を裏切るからだよ。だが、私は今でも彼女を愛している」
「あなたはいったいどう意味で『愛している』と云ってるの?」
 晃実は信じられないといったように首を振りながら訊ねた。
 晃実は心で考え、粋は脳で考える。
 粋は、晃実と将史の会話の内容が皆目わからず、理解するべく頭をすばやく回転させた。

「無論、女性としてだ」
「だって、環おばさまは実の妹でしょう?」
「関係ない」
 将史は一笑に付した。
 最悪のパターンだ。
 粋は(うれ)うとともに心の中でつぶやいた。
「だからなの? 雄士に本当の父親だって思わせてたのは環おばさまの子供だから?」
「そう思ったこともあったな……だが、違った。所詮、利便性に尽きる。親子と云うだけで従順になれるとは……人間は単純に操ることができる。ミームでなくとも」
「……あなたのは違う。『愛』じゃない。自分よがりの単なるわがままだよ」
「誰にもわからんよ。私の痛みは」
「それが本物の愛だったら、あなたは環おばさまの幸せをいちばんに考えるべきだった。それなのにあなたはまったく逆の行為に走った。環おばさまは最期(さいご)まで苦しんでた。今もそう。それがわからないなんて……わたしは許さないから!」
 クックックックッ。
 一頻り将史が笑った。
「実に愉快だな。けっこう。きみたちに憎まれるのは私の望むところだよ。抹殺する甲斐があるというものだ」
 気味が悪いほどの自信を彼は見せる。
 晃実はその自信に唖然としてしまうばかりだ。いや、晃実だけではない。粋もまた呆れ返っていた。

「あなたにおれたちは倒せないさ。たとえ、DAFの異能力者を総動員しても」
 一歩遅れて到着した雄士が将史に現実を叩きつけた。
 雄士が晃実を向いて、大丈夫か、と声をかけると、うなずいて答えた。
 そんな二人を観察していた将史が、なぜか再びくぐもった声で笑う。
「役者がそろったか。おまえがこうも簡単に私を裏切るとは……雄士、血は争えんな」
 二重の意味で将史はそう云った。片方の意味を今、自分以外でここに知る者はいない。
 が、粋だけは理解していた。
「どういう意味です?」
「きみらの能力は私も認めよう。だが、Xはどうする?」
 雄士の質問には答えず、将史は反対に問いかけた。
「あなたに利用はさせない」
「Xはおまえが裏切ったと思っている」
「そう思わせられているだけですよ。おれは裏切らないし、見捨てない」
「それを信じさせることが雄士、おまえにできるのか? シャイをセーヴするはずのグレイが反応しないぞ」
「グレイが?」
 雄士は眉間にしわを寄せて訝しく表情を変えた。

「何事も絶対ではない。闘う方法しだいで、私の勝利だ」
 将史が薄気味悪く囁くように云った。その目を晃実に向ける。
「それに、環を殺ったのは――」
「追いこんだのはあなたにかわりない。あなたにはここで終わってもらう」
 雄士は将史をさえぎり、右の手のひらを向けてかまえた。
 将史は何か云いたげに、途中でさえぎった雄士を見やる。
「……思いだしたのか?」
 将史の問いに雄士は肩をすくめて答え、そこへ粋が同じように手のひらを将史に向けた。
「この人はここで()るべきです」
 将史を見据え、粋は賛同した。
 粋の視線が晃実に移り、それを受けて晃実の視線は雄士に移る。三人の意見は迷うことなく一致する。
「私は壊られたりしない」
「異能力者が相手ですよ。ただの人間であるあなたは壊られるしかない」
「クックックッ、ただの人間か……」
 将史は抑えきれないといった様子で笑う。そしてとうとつに真顔に戻った。

 見逃していた。誘った太い声が呼応であったことを。

―― 生憎(あいにく)と、ただの人間ではないよ。このとおり……。

 将史の声が頭の中に木魂(こだま)する。

 フ――ッ。
 !!!
 将史は三人の目の前から忽然(こつぜん)と姿を消した。

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