Xの記憶〜涙の見る夢〜

第7章 真の果て  1.MEG

――前夜。

「タイプN2、目的地への転移完了。映像が届きました」
「誰もいませんね。というより、もぬけの殻です」

 DAFのコントロールルームでは所員が三人、コンピュータの前で画面の向こうを監視している。その背後には所長の井上が控え、少し離れた位置に将史が立っていた。
 将史は壁に設置された大型モニターに映しだされる画像に見入る。
 タイプN2の視覚を通して送られてくる映像は、タイプN2が部屋を見渡している状況がそのまま流されている。照明がない部屋はカーテンのかかっていない窓からネオンの灯りが入るだけで薄暗いが、異能力者であるタイプN2は視覚器をすぐに赤外線機能に切り替え、問題なく状況把握ができるようになった。

「当然、そうだろう。タイプAの片割れを捕らえた時点で引き払ったに違いない。そこまで周到でなければもっと早くに捕らえられたはずだ」
 井上は落胆を示すことなく冷静に状況を捉えた。
「どうしましょうか」
「しばらく様子を見ろ」
 所員の問いかけに答えたのは将史だった。
 それから一分も経たないうちに待っていた変化が表れる。
『いらっしゃい』
 届いたのは少女の声だ。
 映像がぐるりと動き、タイプN2が背後を振り向いた先に少女の姿を捕らえた。
「現れました!」
 待っていた。その姿を。
「ズームアップだ」
「はい……あ、するまでもなく向こうから近づきました」
 アップになったのは一瞬ですぐに映像は乱れた。
 似ている。あの頃の……。
「捕獲しますか?!」
「いや、静観だ。確かめたいことがある」

 会話の間にタイプN2は少女に連れられて別の空間に移動した。モニターに映った様子からすると、どうやらビルの屋上らしい。
 タイプN2が攻撃しているまではわずかなブレはあるものの、ほぼ正確に映像と音声は届いた。それが、少女の反撃によって情報交換の時間に隙を生じ始めた。
「やはり、敵対上での実戦となると戻ってくる反応が鈍くなります」
「意識略されていますが!」
「かまわん。大した材料はない。現状で攻撃指示できるか?」
「やってみます」
 まだ現れない。どうした? 自力で逃げたとは到底思えないが……。
「攻撃可能です。問題ありません」
「捕獲は?!」
「待て」
 その制止に、攻撃を担当した所員はキーボード操作の手を止める。

『晃実、何してるんですか!』
 不意に幼い声が飛びこむ。
『晃実』というのが少女の名であることはここにいる誰もがすでに承知している。が、まったく別の人間の登場は予定外だ。
「誰ですか?!」
「追わせろ」
 驚いた所員も将史の動揺することのない淡々とした声に気を取り直し、無線で命令を飛ばした。
 タイプN2の目が闖入(ちんにゅう)者に焦点が合うと、一瞬コントロールルームがシンと静まる。

「タイプAですっ!」
「まさか?!」
「捕獲だ」
 井上までもが驚愕するなか、将史の太い声が一際強く響いた。捕獲する標的には暗黙の了解がある。
「タイプAはどうしますか?」
「放っておけ。いずれにしろ、タイプN2の能力では一対二となると不利だ」
「了解です」
 云うが早いか、所員は目に捉えることができないほどの素早さでキーボードを叩く。
「違う! タイプAだけじゃない。もう一人いますっ」
 キーボードを叩く所員の横で別の一人が叫ぶ。
「……信じられない」
 驚きを通り越して唖然と所員がつぶやいた。

「……雄士さんです。どういうことですかっ」
 やはりそうか。
「雄士さんが……敵に回ったと?!」
 井上は否定を求めるように叫んだ。
「雄士を拘束した。そのうえ逃げたという時点でわかっていたはずだ。驚いてどうする。とにかく捕獲だ」
「だめです! 命令に反応しない。機能略が起きてます。タイプAですっ」
 タイプN2の視覚障害によった映像は、乱れるとともにまもなくモニター画面が真っ黒になって途絶えた。
 ドサッ。
 映像がクローズした直後、DAFのコントロールルームに突如(とつじょ)人影が現れて鈍い音ともに倒れこんだ。
 それはほんの先刻までモニターの向こうにいたタイプN2だった。
「時間……無用……」
 タイプN2は意識と機能が混濁(こんだく)したまま呟いた。
 驚くあまり椅子から立ちあがった所員たちは息を呑み、茫然自失と立ち尽くす。

 ただ一人、眉すら動かすことなく落ち着いているのは将史だ。
 せっかくだ。希望に副ってやろう。

「明日は全員召集だ。総力戦でいく」
 将史の命令に井上以下、所員たちはさらに愕然とした表情を浮かべる。
「……向こうにはタイプAも雄士さんもいるんですよ!」
「タイプN2の言葉を聞いただろう。このまま放ってどうする? 侵入を待つか? それよりは先手を打ったほうが()がある」
「それはそうですが……!」
「こちらにはXがいるだろう」
「しかし、Xは地下で眠ったままですし、我々の命令では――」
「Xは一言で目覚める。雄士がいないということ、尚且つ、敵に回ったということは即ち、我々がXを動かせる口実になる、ということだ」
「……そう……ですね」
 井上は自分を納得させるように呟いた。
「松中と手下はどうした?」
「あの所員は眠らせています。血誓(けっせい)の準備中です。松中氏のBOMは安定しました。まもなく定着するかと。とりあえず本人は頭痛が治ったことに満足しているようですよ」
「その時、自分さえよければあとのことはどうでもいい……政治家とは短絡(たんらく)な人間が多い」
「まあ、こちらもBOMについて正確に伝えているわけではありませんが、いかにも。国のためとは名ばかり。政治家とは、私利私欲の俗称というところでしょうか」
「我々は違うぞ。我々こそが世界を安定に導くことができる」
「そのとおりです」

 必要なのは特異な能力。
 合言葉はMaternally Expressed Genes(MEG)

「井上、打ち合わせだ」
「はい、緊急に召集します。一時間後に」
「いよいよMEGの確保だ」


   * * * *


 この夏という季節でも寒い地のはずが、山頂の測候所付近に降り立ったとたん、信じられないくらいの熱気に襲われた。
 火口の所々から蒸気が吹きだして徐々に底が盛りあがりはじめ、すでに(くぼ)みは浅くなっている。この様子だと、噴火するのは時間の問題だと思われた。
 これが自然の為しているものではないことははっきりとしている。
 その証拠に、どんな生き物でもとても立ってはいられないような、熱気に満ちた窪みの中央に二人の人影が見えた。
 闘うまえに少しでも安全の確保をしなければならない。
 無人化した測候所を念のために覗いてみたが人は見当たらない。登山客は慌てふためいて登山道路を駆け下りている。残った人はいないようだ。

「ケガ人が出なければいいけど」
 登山客の後ろ姿を見ながら晃実はつぶやいた。
「とりあえず、こっちが先です」
「わかってる」
「シールド張れるか」
「大丈夫」
「序の口です」
「雄士、粋、彼らを噴火口から誘いだして」

「火口はどうしますか。情報訂正ですむどころか、現実、すぐにでも噴火しますよ」
「どうやって治められると思う? 噴火の仕組みは?」
「はっきりしたことは解明されていませんが、地下数キロの位置にあるマグマ溜まりのさらに深い部分からマグマが供給されて溢れだしたか、プレートの押しだしか……。いずれにしろ、これは異能力者のやっていることですから関係ないでしょう。とにかく、地表で低圧にさらされたマグマは、中に溶解している水が気泡化して一気に膨張(ぼうちょう)することで噴火するようです」
「ということは圧力をかけて押し戻せばいいってこと?」
「簡単に逆論解釈すれば。保証はしませんよ。一時的なもので再活動するかもしれない」
「わかった。とにかくやってみる。雄士……」
「わかってる。殺すな、だろ。ほどほどにやるさ」
 晃実の云わんとするところは、雄士も粋も充分に承知していた。
 晃実がうなずくと、それぞれの行動を開始した。
 グラリ。
 地が大きく揺れた。
 手遅れとなってはいけない。

 雄士と粋はそれぞれの少年の背後に下り、瞬後には火口から転移した。
「どうしますか」
「送り返せば簡単だが、数減らししたほうがいいだろう」
「それはそうですけど、気絶させるだけではBOM操作に切り替えられます」
 少年はすぐに攻撃を仕掛けてくる。向けられる切刃のような風を避けたり、吸収したりしながら二人は会話した。
 その一方で雄士は晃実の様子を確認した。

 二人が少年二人を誘いだすと同時に火口へと転移した晃実は(ひざまず)いて両手を地についた。
 空気中の二酸化炭素を利用して冷却を備えたシールドを張っているために、その熱が皮膚を焼くことはないが、それでは防ぎきれないほどの灼熱(しゃくねつ)に襲われる。滴るはずの汗が水滴になるまえに蒸発した。
 晃実は熱いという知覚をなるべく無視して力を放出する。地がわずかに下がった。が、すぐに押し戻される。
 やはり自然の力には生半可な力量では足りない。

「粋、策はある。が、とりあえずそれはあとだ。しばらく二人の相手をしてろ。火口のほうが危ない」
「わかりまし――」
 雄士と粋が言葉を交わしているうちに晃実の声が割りこむ。

「雄士! 手が空いたら手伝って!」

 そう云ったとたん、晃実の肩に手が触れた。急に晃実の周りの空気が平温に戻る。
「どうやって治める?」
 雄士の力には驚かされるばかりだ。これほどの温度調節をいとも簡単にやってのける。
「成分の分析やってる。再生力と壊破力で分解と結合を繰り返せばなんとかなるかも。その間、圧力をかけていてほしいの」
「わかった」
「粋は大丈夫?」
「あいつは意識分配できる。ノーマルタイプ二体くらいの相手は簡単なはずだ」
「二体って死体みたいに聞こえるよ。それに、はずだ、って……」
 不測の事態にもかかわらず、晃実は咎めるように雄士を見上げた。
「いちいち難癖(なんくせ)つけるか? とにかく粋のことより、こっちが優先だ」
 晃実は呆れたように云い返した雄士を見やって渋々とうなずいた。
「じゃ、やるぞ」

 雄士は晃実の肩に手を添えたまま隣にかがむと、空いたほうの右手を地につけた。
 地が沈む。
 晃実がやったのと違い、確実に沈んだようで盛り返してくることはない。
 雄士の安定した力のもと、晃実はマグマのエネルギーを分散することに集中していく。
 何をやるにしても、破壊へと導くことは至極簡単なことだが、その逆で再生、もしくは還元することは困難を極める。限りなく不可能に近い。容易とはいえないまでも、晃実はその力を手にしている。
 やがて晃実は、外に向かうエネルギーを分解拡散して抑圧に成功した。徐々に噴きださんばかりだったマグマは雄士が放出する圧力を受けて地下深くへと逆流していく。
 ゴゴゴゴゴッッ――――。
 それが還元されてしまうと地が大きく揺れた。まるで警告するかのように気味悪いほどの地響きを伴った。

 晃実は力をほぼ使い果たして大きく息を吐いた。
 その特質ゆえにすぐにエネルギーの生産はされるのだが、使いきってしまうとすぐに満ち溜まるというわけにもいかず、しばらく力が使えなくなる。
「おまえの能力には敬服するよ」
 晃実を支えるように立ちあがらせると、雄士はそうつぶやいて晃実の額に自分のそれを重ねた。
 再生力特有の気だるさも消化され、晃実の内部に力が満ちる。
「でも雄士みたいに力は持続しないし、蓄積も追いつかない」
「二人そろえば完璧ってところか」
「ううん。二人だったらできないことはないかもしれないけど、向かうところ敵なしって状態に持ってくには、恭平と粋が必要だよ」
 晃実は笑う。
「そうだな」
 雄士も請けあった。そして視線を上げる。

「さてと、そろそろ決着をつけないとな」
「……決着ってどうやるの?」
 雄士の言葉に含みを感じた晃実は、上へと転移しながら訊ねた。
「呼応力を使え。おれたちの会話はノーマルタイプを通して向こうに筒抜けだ」
「わかった」

―― 記憶が戻っただろ。それでわかった。
―― 何が?
―― 力を奪える。
―― 奪えるって?
―― 力量を与えるだけじゃない。奪うことができる。
―― つまり……。

―― そうだ。レベルゼロまで力量を奪う。つまり力を使えなくさせられる。ただし、一時的なものだ。どこまで効果が持続するのかはおれにもわからない。

―― あなたにしてはめずらしく、ずいぶんと自己卑下したものですね。

 自らは攻撃を仕掛けることなく、相手二人の攻撃を受け止めているだけの粋がとうとつに口を挟んだ。
「それは、助けは要らないって云ってるんだな?」
 雄士は火口の上に立つと、腕を組んで声帯に切り替えて云い返した。
「冗談ですよ。倒していいんなら手助け無用ですけどね。晃実の許可がおりるはずありませんし」
 あくまで謝罪はしない粋だった。
「当然よ」
「なら、手っ取り早くいくか」

BACKNEXTDOOR