Xの記憶〜涙の見る夢〜

第6章 前夜  4.侵入者

 晃実は転移した先に、今しがた感じ取った侵入者を認めた。
「いらっしゃい」
 晃実はおざなりの歓迎の言葉を口にした。
 侵入者ははっと振り向く。
 晃実と年がかわらないくらいの少年。少年とは別の意味で晃実もまた驚く。
 それを隠して目の前にいる少年の肩に手を置くと、晃実は少年を連れてマンションの屋上へと転移した。

「ごめんなさい。室内だとほかに知れるからまずいの。いろいろとね」
 手を放して少し距離を置くと、少年はなんの返答もせず、手を掲げた。
 ある程度予測していた晃実は、力を放った少年の攻撃を反射的に上に跳んで()ける。ワンステップ踏んで斜め後ろに飛んだ。
 晃実の背後にあった屋上への出入り口のコンクリート壁が一部だけ崩れ、欠片がバラバラと落ちていく。屋上の障害物といえばこの出入り口とフェンスだけだ。
「ほら、こういうことを室内でやったら、ほかの人の家まで巻きこんじゃうでしょ」
 晃実はふざけた口調で、微笑を浮かべつつ云った。
 少年は無表情で二回目の攻撃を仕掛ける。
 二人の間に距離ができ、今度は余裕で避けた。
 先程より増した力は外回りにあるフェンスを突き破り、三つの低い建物を越えて、このマンションより高いビルに届いた。ぶち当たった壁にひびが入った。
「あらら、あんまり遊んではいられないよね」
 晃実はくすりと笑ってつぶやくと、次には真剣な顔になって攻撃を開始した。少年は手加減しているらしく、大きな被害ではないが、人に気づかれるわけにはいかない。

 ハッ。
 息つく間もなく手のひらを向けて放つ力を、少年は難なく避け続ける。
 晃実の力は少年の力よりも弱く、フェンスを破るかどうかという程度のわずかなものだ。
 その間に、晃実は狙いどおり、少年との距離を縮めていった。
 少年はフェンスもとまで後退して距離が三メートルと迫ったとき、晃実は一気に近づいた。その喉もとに首を絞めるように手を置いてフェンスに押しつける。
 目を合わせ、少年の意識を混濁させた。意思が欠如しているぶん、それは簡単だ。少年の意識にもぐりこみ、DAFの状況を探りだす。

 今、願うことは一つ――時間は無用。
 雄士が海堂を捨てた以上、DAFはその存続のために動かざるをえない。そしてDAFに残された道は晃実たちを消すこと以外になく、互いに待ち時間は無意味なはず。
 何よりもDAFに考える時間を与えてはならない。
 恭平が体力を回復するまえに、晃実のまえにはっきりと敵となって立ちはだかるまえに決着をつけたい。
 そうすれば望みはある。
 恭平は迷いなく、晃実の傍に戻ってくれると。
 それがかなわなかったとき、心を取り戻した恭平は何を選ぶだろう。

 けれど、その一縷(いちる)の望みはもう断ちきられたのかもしれない。
 すでに恭平に何かあったことははっきりした。
 ここにこの少年がいる、ということの意味。
 恭平は今…。
 失くなったはずの記憶が――。

 ドンッ。
 ッツ――――ッ。
 晃実は不意を突かれ、諸に腹部に力を受けて跳ね飛ばされた。ちょうど最初の攻撃で崩れていたコンクリートの壁に躰がめりこむ。
「驚くよね。侵害してる最中に力を使えるなんて……さすがっていうよりは……可哀想」
 躰を起こしながら、晃実はつぶやいた。

 もともと意思ではなく、ただ任務を遂行するという催眠状態の異能力者は、意識を奪ったところでBOMを利用され、それとは別のところから力を操られて使えるのだ。
 それは恐れるに足りない。
 意思も想いも存在しない力は、ただの力でしかない。
 それが一人なら、相手を散らすことは至極簡単なことだ。
 最大の力は、祈り。
 それでも晃実はDAFの異能力者を相手にそうしない。
 晃実の意思は晃実だけのものではない。
 その意思が望むものは唯一だ。

『人を憎むな。憎むべきは悪に侵された心』
 凶悪事件が起きるたびに誰かが諭すようにそう嘆く。
 それは洸己たちの思想に似ている。

 シュ――ン。
 また力が放たれる。
 晃実は両の手のひらを突きだして受け止めた。が、力に押されてズズッと足が後退する。
 晃実は少年の瞳から目を放さずに、攻撃を吸収しながら探った。

「晃実、何してるんですか!」
 そうしている最中、突然、脇から粋の声がかかった。
 キャッ。
 集中していただけに余計に声に気をとられ、粋を見やった瞬間に、晃実は力をまともに受けて躰が浮いた。
 受け身の姿勢をとってその流れに身を任せたとき、多少なりと後退はしたものの、背後からしっかりと躰を支えられた。
 頭を反らして見上げると、当然のごとく、雄士だった。その顔に苛立ちが見える。
「おまえ、何やってんだ!」
 雄士は問答無用と怒鳴りつけた。
「そんなこと質問してる場合じゃないよ」
 そのとおり、少年の攻撃が引き続き晃実を襲う。彼の中には晃実を襲うこと以外何も目的がないらしい。
 瞬く間に雄士は晃実の前に立ちはだかって、その手のひらでそれを受け止めた。

「粋、神経、攻撃できる?」
「了解」
 粋は返事するなり少年の目の前に転移し、目を捕えて瞬時に運動神経を麻痺させる。
 攻撃はピタリと止み、手先が痺れるのか、少年はまるでロボットのような仕草で目の前に掲げた自分の両手を見比べている。
 晃実が近寄ると、少年が顔を上げた。その目を捕らえる。
 もうこの少年がここにいる必要はない。知りたい情報は得た。
 晃実は意識略、つまりはミームでインプットされた命令を断ちきる。
 BOM操作に切り替えられるまえに帰さないといつまで経っても埒が明かない。
 少年は(きり)なく攻撃を続ける。こっちが攻撃したところで、おそらく少年は痛みを感じていない。ということは、少年は死ぬまで攻撃を続ける。自分の躰の限界に気づかず死に至る。
 晃実はかわりの命令を下す。
 早く! 今すぐに!
 伝えること。それが使命。
「雄士、彼をDAFに戻せる?」
 すでに近寄ってきていた雄士を振り向いて訊ねた。
「序の口だ」
 雄士は歩み寄り、いつか粋のクローンにしたように、ぽんと少年の額を小突いた。少年は消えた。

 三人になったとたん、その場に気まずい沈黙が広がる。
「再生したら部屋に戻るからさきに行ってて」
 晃実は云い残して、壁にひびの入ったビルに転移した。修復後、またマンションの屋上に戻って、出入り口のコンクリートとフェンスを元通りにした。元通りというよりは以前より改良されているかもしれない。
「ここから花火見ようと思ってるんなら、あと一カ月待たないと予定はないよ」
 まだ屋上にいる二人に向かって、つんとして云うと、晃実はさきに部屋へと戻った。
 雄士と粋は顔を見合わせ、そして同時にその場から消えて、晃実を追った。

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