Xの記憶〜涙の見る夢〜

第5章 駆引  6.詰み

 晃実は粋とともに雄士を連れて、いったん空っぽの部屋に転移した。
「粋、もう一回転移する。念のため、跡が残らないようにシンクロさせてついて来てくれる?」
「わかりました」
 粋が了解すると瞬時に消え、三人は時を刻むまもなく転移した。
「ここは……」
「そう。さっきの部屋のすぐ下」
 同じつくりだが、この部屋には普通に生活するだけの家財道具が調っている。
「もともとは上の部屋に住んでたんだけど、恭平が捕まって移動しなくちゃならなかった。何かの方法で恭平から居場所を聞きだすかもしれないから」
「逆手に取れば誘い水になりますね」
「うん。でも恭平の記憶は消しちゃったし、もう必要ないかもしれない」
 感情の欠けた声で晃実はさらりと云い、昏睡状態に陥った雄士をリビングの大きなソファに寝かせた。

「晃実……」
「雄士、大丈夫?!」
 晃実は目を閉じたまま名を呼んだ雄士の頬に手を置いた。
「……薬を打たれてる……だけだ。ここは……?」
「ここは安全だから。今のところは、だけど。それより具合は?」
「……薬が抜けたら……大丈夫だ……」
「わかった。今は眠って」
 雄士はそれに答えず、そのまま眠りに入ったようだ。

「薬ってなんだろう。雄士はこのままで大丈夫なの?」
 晃実は不安げにつぶやいた。
「おそらく、麻酔剤とかでしょうから」
「じゃあ、命には別状ないってこと?」
「たぶん」
「たぶん……て、ドクターに診てもらったほうがいいの?」
 晃実は心許ない様子で、至って冷静な粋を見つめる。
「ボクは必要ないと思います。本人がああ云ったわけですから」
 晃実はソファのすぐ横の床に座りこんだ。雄士の顔を覗いたが、なんの反応も見せずに横たわっている。

「誰がやったの? DAF?」
「もちろんそうでしょう」
「どうして? 雄士は海堂の人間でしょ」
 粋はにやりと笑った。
「この人は意外に早く……というわけでもなく当然なのか、結論を出したんですよ」
「また謎かけをするつもり?」
 晃実は口を尖らせてむくれた。
「いいえ。この人は海堂を捨てたんです」
「捨てた……って? ……わたしたちについてくれるってこと?」
「同志となったことは間違いないでしょうね。だからこそ捕らえられた。助けだせなかったら、この人はDAFの操り人形となっただけです」
「……よかった。そんなことにならなくて」

 晃実は心底からほっとしたように息を吐いた。
 正直にいって、粋も安堵していた。
 晃実の精神的面でも、晃実と粋の力量の面でも、雄士を敵とすることはぜひとも避けたかった。
「粋、グレイはどうして助けてくれたのかな」
「いろんなことが絡み合っているような気がします。誰かがその判断で動かしているのかもしれません」

 あの時にグレイの傍らに見えたのは、ボクと同じ力を使って浮遊している躰。
『孤独にしちゃいけない』
 粋に向けられた言葉。
 同じ力だからこそ見え、聴こえたのか、それとも。

「誰か、って?」
「わかりません。ただ、悪意じゃないと思います」


   * * * *


 早朝六時半を過ぎた頃、起きだしたと同時に携帯が鳴った。
 将史は一度だけ目を(さす)ると葉巻を咥え、火をつけて一服したあとに通話ボタンを押した。

「なんだ?」
『雄士さんが消えました!』
 DAFの所長、井上の慌てる声が甲高く耳を(つんざ)き、加えて報告された内容に将史は顔をしかめた。
「どういうことだ」

『それがわかるなら……麻酔は効いていたはずです。そのうえ、並の人間なら死に至るくらいの筋弛緩薬(きんしかんやく)も投与したんです。自ら動けるはずがない。それとも異能力を甘く見ていたのか……』
「外部からの侵入の痕跡はないのか」
『赤外線は感知していません。ただ、今朝方、ここ近隣一帯は一時期停電したそうです。その後、激しい雨が降ったようですから落雷したのかもしれません。もちろん、発電機がすぐに作動しましたが、そのわずかな隙を縫ったということであれば侵入が考えられなくもありません。しかし……』
「Xはどうした?」
『二人とも昏睡しています』
「起こせ」
『だめです。呼びかけましたが、シャイもグレイも応じません』
「起こすんだ」
『どうやればいいと? 浮遊している躰には、我々は触れることもかないません!』
 頓狂(とんきょう)な声を出して井上は将史に問い返す。
「もういい」
 目に見えて苛立った将史は葉巻をじりじりと潰すように、ベッド脇のテーブルに置いた灰皿に押しつけた。
 もう厄介(やっかい)どころではない。
「捕らえた異能力者の状態はどうだ」
『そちらのほうは問題ありません。BOMは落ち着きました』
「あとで行く」
 将史は携帯を閉じた。

 来るところまで来たか。駒はそろった。
 自分が冒した奸計で自らの首を絞めることになろうとは……。
 将史は寝室の隣に続く部屋を開けた。
 二重にある重厚な金属のドアを開けて奥へと進むと冷気に襲われる。内部は寸分の隙もない、まるで金属の箱部屋だ。奥に液体窒素(ちっそ)ボンベが並び、そこから伸びる配管は部屋の中央にある(ひつぎ)のような金属の箱に繋がっていた。液体窒素自動供給装置により常にその箱の中には極低温液化ガスが供給されている。
 金属の箱に近づくと、将史は手を置き、緩やかに撫でた。
 まだあきらめん。おまえと私が廻り合うまでは。
 こうなった今、それ一つでいい。それさえ叶うのならどんな苦境も(いと)わない。


   * * * *


「まったく!」
 粋はその光景を見て腕を組むと、呆れたように小さく叫んだ。
「どこにいるかと思えば……目を放すとこれですか」
 粋は独り言をつぶやきながら、部屋の中に進んだ。
 真夜中にもかかわらず、異能力者である粋の目にははっきりとその姿が映る。
「あまりにも無防備すぎますよ」
 昨日から昏睡したままの雄士は、移動させた部屋のベッドでまだ眠りについている。が、それは問題ではない。
 問題は隣で雄士にくっついて眠っている晃実だ。

 昨日は、雄士の容態が心配だからと――その必要はないと云ったのだが、ほとんどの時間、晃実は傍に付き添っていた。
 そうとはいえ、こんな場所で眠る必要がどこにあるというのだ。
 自覚がなさすぎる。
 また、こいつもこいつだ。麻酔剤か何かを打たれたにしても、いいかげん、目が覚めてもいいだろう。
 安心しすぎなんですよ。二人とも。

 粋は心の中でブツブツと文句を並べたて、起こすべきかどうかを迷った。
 やがて粋は大きく息を吐きだした。

 まぁ、いいでしょう。四六時中、晃実の相手をしているのも疲れることだし……。独りもいいものだ。好奇心を満たしに、しばしボクも休息のときを堪能(たんのう)しよう。
 それでなくても闘いはすぐ目のまえにある。安らぎはどこにもない。
 目的を果たせたとしても、それはすべての人間に安穏(あんのん)をもたらすものではない。
 もしかしたら苦悩の始まりだ。真実とは残酷なものが多い。
 “ふたり”はよく似ている。
 いや、当然のように似ているものが多すぎる。



 雄士の意識が目覚めた。
 あまりにも深い眠りに、思考力が重力に引きずられているようで考えるのも億劫(おっくう)だ。すぐには何も思いだせず、それよりもさきに躰の右側が妙に重みを感じていることに気がいった。
 左手を上げ、接着されたような目を押さえる。何度か(まばた)きをして目を開けると、右の腕と胸の間に埋もれるように載った頭部が見えた。
 眉から下が完全にタオルケットの中で、顔は判別できず、額しか見えない。

 ……女を連れこんだか……にしても、おれが泊めるはずない……。――!
 考え廻ったところで一気に記憶が戻った。
 そうだ、おれは麻酔剤を打たれて……。
 となると、脇の下に潜るようにして眠ってしまう人間は一人しか思い浮かばない。
 雄士は顔を少し持ちあげて、そっとタオルケットを(まく)った。
 見当をつけ、確信はしていたものの、いざそれが目の前の事実となると、唖然とさせられる。
 いったい何考えてんだ。
 まだ重さの残る頭を再び枕につけると、左手で額を押さえる。
 これがおれじゃなかったら、襲われてるぞ。
 雄士は心の中で警戒心の欠片も見えない姿に向かって叱責(しっせき)した。
 ただ、独りを好んでいるにもかかわらず、雄士にとってこの状況は不快でもない。むしろ。
 その意味する不可解な感情に雄士は戸惑う。

 ゆっくりと部屋を見渡すと、カーテンの隙間から光が漏れている。
 窓際の机に置かれたデジタルの日付入り時計が目に入った。ここに来てから丸一日を越えて眠っていたことを示している。
 そっと腕を外し、雄士は起きあがった。躰がまだだるい。薬が抜けきっていないのだろう。
 なぜ薬を打たれる破目に陥ったのかを振り返ると、限りなく不愉快になった。
 忌々(いまいま)しい。
 自分の愚かさに小さく舌打ちする。
 部屋を再び見回したあと、刹那よりも少し長くベッドの上に目が留まる。
 雄士は意味もなく肩をすくめると部屋を出た。

BACKNEXTDOOR
* タイトル意 詰(つ)み … 将棋で王将がどこにも逃げられないこと