Xの記憶〜涙の見る夢〜
第5章 駆引 5.その時
「一階のコントロール室は十二人で三交代制の管理になっています。常に最低でも夜は二人、昼間は四人が待機していて、場合によっては交代要員が二階の宿泊室で寝泊りすることもあるようです」
晃実が恭平と先生とともに住んでいた、今はガランとした部屋で白い紙を広げ、晃実と粋は頭を寄せ合っていた。
粋は見取り図のように紙に書きこみつつ、DAFの内部を説明した。
「地下室は?」
「医者を含めてスタッフは総勢十五人。体調管理で夜は最低でも二人。ボクがいなくなった今は、コンピュータ管理されていますから一人でもすむのかも――」
――……――――。
「……雄士……?」
粋が説明している途中、晃実は不意につぶやき、顔を上げた。その目は部屋の壁を突き抜け、遥か彼方を見ている。
「どうしたんですか?」
粋が訊ねてもしばらくは放心したように晃実は答えなかった。
「……雄士の……わたしを呼ぶ声がしたの。でも……消えた」
「消えた?」
「うん。意識がなくなった。呼んでも返事がないの」
「どういうことですか」
粋が訊ねると、晃実は首をかしげて戸惑っている。戸惑っているというよりは不安なのかもしれない。
「……雄士は大丈夫かな」
「何がですか」
粋はその『何が』を承知しているうえで訊ねた。
「ううん。いいや……」
晃実は首をかしげながら笑ってごまかした。
「地下室の話だったね。ずっと気になってたんだけど、粋に誘導されて最初に入ったときすごく不用心だったよ? わたしの存在は知れてるわけだし、普通なら警戒すると思うけど」
「あれは、ボクがスタッフを操作していましたから」
「……じゃあ、警戒が手薄だったのは粋のミームのせい?」
「どうでしょうね。ボクは待っていたのかもしれません」
はっきり答えないどころか、意味不明なことを付け加えて粋はニヤリとした。晃実は肩をすくめ、粋が云い含んだ真意追及を早々とあきらめた。
「地下室では何やってるの?」
「体細胞クローンの研究を進めているようですよ」
「……研究って嫌な言葉」
晃実はその顔に不快感を顕わにした。
「すでに動物実験ではほぼ成功をしています」
「異能力者を増やすため?」
「それも考えられますけど、誰でもいいわけじゃない。もっと現実的に考えてみるべきです。母体はいずれにしろ必要なこと。いくらお金を積んでもそう簡単に事が運ぶものではありません。口は災いのもと、ですから。より確実なところで、海堂の言動を重ね合わせると、海堂雄士のクローンってところでしょうね。もっと欲を云えば海堂自身の」
「……雄士はわからないことないけど、海堂はどうして自分のクローンなんかをつくりたがるの?」
晃実は理解できず、驚きに目を丸くする。
「掛け合わせ、じゃないですか? 異能力者になりたいってね。まだ単純に考えるなら、金持ちや地位を持った者にありがちなことじゃないですか。長生きしたいとか、いつまでも若くいたいとか。クローンは確かに同じ遺伝子だけど、同じ人間ではない。ボクがそれを証明しているのに、それがわからないほど生への執着が強いのかもしれない」
恐ろしく、そして愚かな話だった。
十三年前、ただ一つやり残されたこと。それは海堂将史の記憶の消去、もしくは抹殺だった。
洸己たちの落ち度だったのか、それとも――。
「まあ、今ボクたちが理由を考えても、DAFの都合なんて知る由もないし、いずれはわかることでしょう。当面の問題は異能力者とどう闘っていくか、です。あとのことはその時になってからまた考えましょう。場合によって対処法は違ってきますから」
粋の云うとおり、いずれにしろ奸計でしかなく、今は理由を知ることなど後回しでいいことだ。
粋は恭平の役目を完璧にこなして、晃実の進むべきレールを引こうとしてくれる。
もしかしたら、使命感を持っていた恭平よりもずっと冷静かもしれない。それを持ち合わせていないぶん、粋はより客観的に判断が下せる立場にいる。それほど、感情というのは面倒なものだ。
「異能力の存在を知ってるスタッフは全部で三十人程度ってことね」
「そうです。これが多いといえるのかどうかはわかりませんけどね」
「粋がさっき云ったとおり、人の口はそんなに固くはないってことだよね。漏れたら海堂の命取りになるし……」
「もしくは争奪戦ですよ、世界を巻きこんで」
「そうね……外部に異能力に関する情報が漏れていないことを祈りたい気持ち。とにかく人事に関しては慎重にならざるをえないだろうし…… こっちにしては、少なければ少ないほどありがたいけど」
「彼らをどうするつもりですか」
「生きて苦しんでもらう」
晃実はその瞳にめずらしく残忍な決意を浮かべた。
「どうして殺さないんですか?」
粋は率直に平然と口にした。
「わたし……たぶん、粋や雄士が思っているほど、甘い人間じゃない。殺しても彼らはラクになるだけだから。彼らには狂うほど苦しんでもらう」
晃実の声にはそれでもけっして悪になりきれない罪悪感と苦悩が聴き取れる。
「当然ですよ。異能力者たちはどうしますか?」
「恭平には考えがあったみたいだけど、わたしにはそこまで計画を教えてくれなかった。今になってみると…… たぶん、血の契約で異能力を封止するつもりだったんだと思う。でも、BOMのことを考えると……」
「そうですね。まずはシャイをどうするかってことになってきます」
「粋、雄士はあの子たちのことを誰も知らないって云ってたけど、やっぱり粋も知らないの?」
「正体についてはまったくわかりません。でも一つ、晃実から何があったのか聞かされて気づいたことがありますよ」
「何?」
「ボクがはじめてDAFに連れて来られたのは生まれてから一年後。そのときはまだXは存在しなかった。爆破事件の直後ですよ、DAFにXが保存されたのは」
「……保存、て?」
意思ある生命体にはそぐわない言葉だ。
「最初はあんな人間みたいな形じゃなかったんです。赤黒い液体とも固体ともつかないような、そうですね……軟らかいゴムでできたボールのようでした。喋ることはもちろん、動くこともなく、ただ物体として水を溜めたアクリルケースの中に入れて保存されていました」
「それじゃ、いつ?」
「その二年後くらいです。突然、ケースの中から消えたんです。その数時間後、戻ってきたときは今の姿をしてました」
「二年後……」
「そうです。海堂将史が雄士とともに人の姿に変化していたXを連れて来ました」
二年後、そして雄士と……。
晃実はそこからなんらかを読み取り、ある可能性をつかんだ。
繋ぎあわせて裏付けられるのは、あの時に、追っても追っても見ることのできない存在はXということ。
わたしは、あの時に、すでにXと対面しているのかもしれない。
「当初、人の姿になったXは手が付けられないほど、感情任せの力を自分で制御できなかったんです。窓ガラスが割れたり、物が散らばったり、そんなに大きな力ではなかったんですが……唯一、制御できたのは海堂雄士でした。制御するというよりは彼が傍にいることで安定するんです。それに気づいて、海堂雄士に手懐けさせました」
「それが……雄士がDAFを離れられない理由?」
「そうです。XはなぜかDAFから出ることができないでいます。だからあの人は迷ってるんですよ」
変化しはじめた雄士は何を選ぶのか。
「大丈夫です。遅かれ早かれ、あの人が選ぶのは決まっていますから」
心許なく先刻の彼方へ目をやった晃実に、粋は心強く請け合った。
* * * *
「もう薬に慣れただろ」
その言葉が発せられると同時に、意識が薄っすらと浮上した。
「起きたか」
いつものようにぶっきらぼうな声は少し焦っているようにも感じられる。
「……」
口を開こうとしても力が入らず、次は目を開けようとしたが、かすかに瞼が震えるくらいでかなわなかった。
「おい、起きろ!」
抑制しつつも容赦なく急かす声が浴びせられると、自分が置かれた状況が甦り、わずかな力が戻って目を開けた。
「……グレイ……なぜだ……?」
開いた口も思うように動かせずにやっとそれだけをつぶやき、瞼の重さにまた目を閉じた。
「あいつがシャイを動揺させた。おまえはシャイを捨てるのか、雄士?」
「……違う……そうじゃない……」
「どうするんだ?」
「……シャイは……どうした……?」
「眠ってる。おまえを捕らえて安心してるんだ。あの異能力者が現れて以来、シャイはずっと眠れてなかった。やっと今、深い眠りに入ってる」
それを聞いて雄士は起きあがろうとした。が、躰がまったく自由にならずに雄士はくぐもった声で呻く。縛りつけるものは何も躰に触れていないが、意思が躰に伝わらない。
「筋弛緩剤を使ってるから動けないぞ」
かろうじて開いた目で薄暗い室内を素早く見渡すと、力尽きてまた雄士は目を閉じた。
異能力者たちが眠る地下室の奥に、分厚い鉛の壁に囲まれた部屋がある。雄士はその床に横向きに無造作に転がされていた。
「どうする……つもりだ……?」
「決まってるだろ。BOMを使う」
「グレイ……捨てるわけじゃない……道を探してる……おまえたちも自由に……おまえたちがなんなのか……わかるかもしれない……」
「おまえが急に変わったのは、おまえの中にいた奴のせいか?」
「……」
「雄士!」
「……変わったわけじゃない……きっかけは……そうかもしれない。だが……おまえも疑問を持っていたはずだ。おれたちがこれからどこへ向かえばいいのかが……わかるような気がする。やっと……解放されるんだ……おれは行かなくてはならない」
「シャイはどうするんだ?」
「おまえが……いる。ここから連れ出せない以上……その時が来るまで……シャイを頼む」
―― 雄士。
ふと、雄士とグレイの間に別の声が侵入した。
グレイは引き寄せられるようにその声がした方向へと目を向けた。夏にありがちな激しい雨と稲妻をものともせず、声が届く。
「強い思念だな。何度もおまえを呼んでる。鉛の壁まで突き抜けてるぞ。これ以上続くとシャイが起きる」
「おれは……どれくらい眠ってた?」
「半日も経っていない。もうすぐ夜が明ける」
「グレイ……」
「雄士、呼んでやろうか。おまえの波動を真似るのは簡単だ」
「グレイ……! やめろ――」
―― おれはここだ!
「グレイ……!」
―― 晃実、だめだ、来るなっ。
雄士の声帯と心の声がそれぞれに向けて今でき得る限り力で叫ぶ。
刹那、最初の声を追った晃実は難なくたどり着いた。
「雄士!」
晃実はまず床に倒れている雄士を認識し、その顔を覗くようにかがんだ。
「なんで……来た……?」
「やっと会えた」
雄士と同時にそう云った声の主はすぐ傍らに立っている。
晃実は躰を起こして目をやった。
少年の姿をしたXが喰い入るように晃実を見返す。その表情は人ではないからこそなのか、読むことができない。
「晃実、何やってるんですか!」
そこへ晃実を追ってきた粋の声が割りこんだ。
粋は素早く視線を巡らせ、状況を把握する。
「……粋……早く晃実を連れ出してくれ……」
雄士が急いたように粋に依頼した。
「わかってま――」
「雄士も連れて行けばいい」
粋をさえぎってそう云ったのはグレイにほかならない。
「グレイ……?」
雄士が驚いたように問うのと同じくして、晃実は目を見開き、そしてめったな感情を見せない粋さえも、思わず驚きの表情を宿しながらグレイの真意を確かめようと目をやった。
「雄士、約束してくれ。絶対に“シャイ”を見棄てないことを」
「……約束する」
力の限りでグレイを見返し、雄士は偽りなく応じた。
「オレはそれまで全力でシャイの暴走を抑える。力が尽きるまえに必ず……」
「……わかった」
雄士が答えるとグレイはかすかに頷いた。
晃実は膝をついたまま、傍に立つグレイを抱きしめる。
グレイの躰がピクリと慄いた。
「ありがとう。わたしも約束する」
晃実は雄士の頭を起こして抱えこんだ。
粋を見ると宙の一点を見つめている。
「粋、どうしたの?」
「……いえ。行きましょう」
粋らしくなく、ためらうように答えたが、二言目には晃実に視線を向けてもとの冷静な声に戻っていた。
雄士を引き連れ、晃実と粋は跡形もなく消えた。
「……これでよかったんだな?」
『ああ』
グレイが空に向かってつぶやくと、姿のない声が答えた。
「アキミの腕は……懐かしいな……」
グレイは感情のない声でポツリと漏らした。
『シャイがいるだろ?』
「シャイは……オレに応えない。抱きしめてやれないから」
淡々とした無感情の声だからこそ、つらさが見える。
『お相子だろう』
「何が?」
『僕はおまえに譲ったんだからな』
「ふん。わざと必要のないことをやってんじゃないだろうな」
『おまえ……かなり口が悪い。まえはそんな口のきき方してなかったよな』
「こういう状況にあったら歪んでもくるだろ。記憶のない苦しさがおまえにわかるのか。思いだした苦しさも……半端じゃない」
『じゃあ、避けたいことがあるとわかっていても、そこに向かうしかないという苦しさがわかるか。僕はおまえにした約束を守った。成長した今、おまえは三度、晃実を希んだ。ということは今が“その時”なんだろう』
「約束か……。オレもおまえに約束した」
『果たせるか?』
「シャイの力は未熟なうえに未知数だ。オレは保証できないぞ」
『おまえの気持ちはそんなものなのか?』
「……オレは……」
『シャイが未熟なら、おまえもそうだ。あとは……“おまえ”にかかっている』
「……おまえはどうするんだ?」
『おれはもう戻らなくちゃいけない。意思はあっても思いどおりに動くことはできなくなる。その時はおまえに……覚悟してもらう』
「何をするつもりだ?」
『選ぶ、だけさ』
声の主は微笑む気配を残してその存在を消した。