Xの記憶〜涙の見る夢〜

第5章 駆引  3.決まる心

 雄士は海堂の社長室へと転移をした。
 内面とは裏腹に、表面から激情を覆い隠して将史の正面に立った。

「めずらしいな。おまえが異能力を使って来るとは」
 将史はさほど驚きも見せずに、通常のごとく、葉巻を咥えた。
「で、用はなんだ」
 雄士はすぐには答えることなく、将史のデスクの目の前にある応接のソファに悠然と座った。煙草に火をともすと、灰皿を手もとにおいて、足はテーブルの上に投げだす。
 そのふてぶてしい態度に、明らかな変化を悟った将史は眉間にしわを寄せた。
「親子だというのに、用がないと来てはいけませんか」
 雄士は将史を見ることなく、煙を吐きだしながら抑揚(よくよう)のない声で云った。
「つっかかるな」
「長くなりますよ……いろいろと……ありますので」
 将史はしばらく雄士を見つめた。
「よかろう。そのまえに電話をさせてもらう」
「どうぞ」

 雄士は自分の感情をもてあましていた。
 結論は決まっている。ただ、そうするための理由が必要だった。

「さて、話を聞こうか」
 電話を終えると、革張りの社長の椅子に座ったまま、将史は云った。
「異能力者はなぜ生まれたんです?」
「今頃になってそんなことを知りたいのか」
 雄士は肩をすくめた。
「放射能の影響だ」
 意外にもあっさりと将史は真実を答えた。
「偶然ですか。それとも意図したんですか」
「おまえは偶然だ」
「では、DAFの異能力者は必然ということですか」
「必然ではない。実験のなかの偶然に過ぎない。そして、おまえは偶然の天与(てんよ)だ」
 無情な事実が罪悪感など欠片も見せずに告白された。
「実験はなぜやめたんですか。クローンの研究をするからには異能力者を()やしたいんでしょう?」
「無造作に殖やしたいわけじゃない。屑に用はないんだ。おまえのようなサラブレットが数体欲しいだけだ」

 本人を目の前にして、よくそんなことが云えるもんだ。胸くそが悪い。

「おれは馬じゃありませんよ。少なくとも並の人間よりは多少なりと高等動物であるつもりですが」
 雄士は薄ら笑いを浮かべながら、相手の感情を害すると知りながら皮肉を云った。
 将史はフッと口を歪めて笑みを漏らす。
「異能力者に比べれば、私も下等動物というわけか」
 将史の顔には不愉快というよりは真逆の愉快な様があった。
 正面の壁に掛けられた、幾何学的な絵を見るともなく見ていた雄士はそれに気づかない。
「それで、理由は?」
「リスクが大きいってことだ。事故があってな。バッチを持った連中が怖じ気づいた」

 その『事故』については考えないまでも見当がついた。
 やはり政治家が絡んでいるのか。将史が特に親しくしている代議士は松中だ。彼はどこまで承知しているのか。
 おれたちが敵とする相手はどこまでに及ぶというのか。
 クッ。
 つと、雄士は心の中で笑う。
 おれたち……か。
 その響きは意外にもすんなりと馴染み、浸透した。

「すべてを知って協力していたわけですか」
「いや、そんなことを知ったならば国家はパニックだ……違うな、世界がパニックに(おちい)るだろう。あくまで能力開発としか知らせていない」
「なんのために異能力者を?」
 周知が最小限に留められていることがわかり、安堵しながら核心に迫る。
「便利だろう?」
 将史はその一言ですべてを語り尽くす。
 雄士は将史を見やった。
 所詮(しょせん)この人にとって、自分以外はすべてこの程度の存在でしかないのだ。あらためてそう思うと、血縁という(しがらみ)も簡単に断ちきることができる。

「母のことを訊いていいですか」
 雄士はとうとつに話題を変える。
 神経を研ぎ澄まして様子を窺っていた雄士は、将史の緊張が急激に高まったことを感じた。気のせいかと思うほどの刹那のもので、すぐにそれは消え去った。
「今更、おまえが母を恋しがるとは思えないが……」
「どんな人だったか、興味があるんですよ」
「興味……か。どういう風の吹き回しだ?」
 訊くなと(しつ)けてきたのは将史自身であるにもかかわらず平然と(とぼ)けた。
「気紛れです」

 将史はなかなか語ろうとしない。
 それはそうだろう。
 母親は死んだ。
 それだけを聞かされて、これまでを生きてきた。
 なぜ?
 訊くことを許されずに育ってきた。すべてが異常だ。
 晃実が云ったとおり、異能力者には記憶の欠如がない。しかし、雄士がいくら記憶を引っ張りだそうとしても、母のそれはどこにもないのだ。母のみに限らず、七才以前の記憶が皆無だ。
 晃実から聞かされた直後、自分に関することを調べまわった。
 祖母である環と将史の実母にも確かめに行った。祖父が亡くなった後、祖母は実家がある福岡に身を寄せて暮らしている。


   * * * *


「とんでもない息子を育てたものだわ。あの人――おじいさんの死も……私は疑ってるの。将史が……。心臓が悪い人ではなかったのに……それどころか健康には人一倍気を使っていた。それもトップに立つ者の責任だからって。将史が怖くて私は何もできなかったわ。環の死について訊くことさえ……。できたのは環の遺志に()うことだけ」
 自分が知っている限りの事実を語った祖母、市絵(いちえ)は自分を責めた。
「雄士、よく考えなさい。自分が何をすべきなのか、何をしていいのか。それが許されることなのか」
「誰に許されなければならないと?」
「あなたの父親と母親、そして自分の良心よ」
「おれにはわかりませんよ。父さんのことも母さんのことも、何も覚えていない。彼らがしたことの事実は把握できても、彼らの中にあった心はわからない。ましてや、自分勝手に今までやってきたおれの良心てなんですか」
 雄士は苛々(いらいら)と咥えていた煙草を灰皿に押しつけた。
 正面のソファに座っていた市絵は、その様子を見て微笑んだ。
 この子は人間なのだ。
 環が死んだ直後は、年に三度も会う機会があればいいほうで最近はめっきりと会うことも少なくなった。それは、環がいなくなったとたんに、将史が市絵から雄士を遠ざけたということがいちばんの要因だ。
 環が生きていた頃は、時に何かを追い求めるように遠くを見て表情をなくすこともあったが、雄士は(おおむ)ね情緒豊かであった。
 それなのに雄士はだんだんと人形のように感情を見せない、妙に大人びた子供に変わった。異能力者であるということを加味すれば納得できないことでもない。だからといって感情がないということはないはずだ、とそう希望を持ち続けた。
 今日の雄士はまるで駄々(だだ)をこねている子供のようだ。そんな雄士を見て市絵はようやく案じた未来に安堵を予感する。
 将史のことはどうにもできなくても、せめて雄士には人として後継してほしいと願っていた。話せば伝わるはずと信じていた。
 ただ、きっかけがなかった。どうなったときに雄士が経緯を受け入れてくれるのか見当もつかなかった。それを今、本人である雄士が提供してくれたのだ。

「環と洸己さんのことは……知っている子がいますよ。環が、あなたと同じ力を持った子に託していると云ってたわ」
「なぜ、今までそれを教えてくれなかったんですか」
「このことを話すには条件があったの」
「条件?」
 市絵はうなずいた。
「あなたが人であること」
 人……?
「将史はもう人ではないの」

 今の雄士はその真の意味が理解できた。変化は出会った瞬間からすでに始まっていた。
「告白する機会はいつでもあったわ。でも、そうしたことであなたの心が歪んでしまうことを恐れていたの。同じ(あやま)ちを犯してはならなかった。将史を放っておいた断罪はいつでも受けますよ。だから雄士、良心を手に入れたら自分が思うとおりにしなさい」
「それが正しいことではなかったら?」
「良心というのはね、自分が自身の心にとって大事とするものがなんであるかを認めたときに、簡単に手に入るものよ。そして人間の心が何をいちばん求めているのか、たぶんそれはすべての人にとって同じもの。だから、間違いなんてないもの。自分の心に正直になって、自分で探すんですよ」
「……わかりました」
 この日に知った事実があまりに突飛(とっぴ)なもので、雄士の思考回路は混乱した。幼き七年間の空白は今までになく雄士を苦しめる。

「おれは……会ったんです」
「会った?」
「はい……父と母を知ってる異能力者に……たぶん、求めてるものに……」
 そう云った雄士には、幼き頃に見せていた遠くの何かを追い求める眼差しがあった。今、そこには無表情ではなく、戸惑い、切望といった感情が見え隠れしている。

「まあ……」
市絵はほっとしてそうつぶやいた。

「よかったわ。それがいちばんの気がかりだったの。名前は云わなくていいわ。今はまだ私は何も知らないほうがいいのよ」
「……これから大変なことが降りかかるかもしれない。けど、いつもと変わらない態度でいてください。こうやって話したことも、誰にも(おっしゃ)らないように」
「わかってますよ。足手まといにならないためにもね」

 何がきっかけとなって雄士を人間へと導いたのか。
 それは明らかに『出逢い』だ。無駄な出逢いなど、この世の中には一つもない。その中でかけがえのない廻り合わせがいくつかある。
 それを見逃さなかった雄士がこれからどう変化していくのか、それをぜひとも見届けたいと市絵は思った。否、見届ける義務がある。
 ただ、確信はしていた。
 雄士は必ず、正しい道へと未来を導くだろう。有志ある者たちとともに。
 何よりも愛に溢れた彼らの子であるのだから。

 雄士はかすかに笑みを見せると、市絵の部屋から出て姿を消した。


 祖母のもとを去った直後にここへ来た。
 待つ理由も時間もない。
 雄士の中に溢れる激情は覚悟を迫る。
 将史に対する制御を施したのは自分自身。
 その自分の弱さを隠すために築きあげてきた冷たい感情は、出会ったことにより呆気なく溶けだした。
 それに伴って生まれたのは葛藤(かっとう)
 選ぶことでおそらくは捨てなければならないものもある。

「それで?」
 まるで質問などなかったかのように答える素振りを見せない将史を横に見上げ、雄士は答えを催促した。

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