Xの記憶〜涙の見る夢〜

第4章 境遇の支配  5.新種生命体

 母親と子供はともにプレイルームへと戻った。
 母親たちは定番のようにソファで交流を深めているなか、子供たちはほかに誰もいないプレイエリアの真ん中に陣取った。

「ユウシちゃん……ユウちゃん、でいい? いくつなの?」
「うん。四才。もうすぐ……八月で五才になるんだ」
 恭平はまたリモコンカーを動かし始めた。
 持て余している力は時折、発散しないと爆発しそうになる。
 雄士はじっと器用に動き回る車を追い続け、そして恭平に目を向ける。
「上手なんだね」
「ユウちゃんはできないの?」
 晃実が覗きこむようにして雄士に訊ねた。
「できるけど、こんなに上手に動かせないよ」
「じゃあ……?」
 恭平は足の上に置いたコントローラーから手を放した。それでも車は障害物にぶつかることもなくグルグルとプレイルームを走り回っている。
 雄士は目を(みは)った。
 恭平は晃実と目を合わせた。

―― ホントに同じなの?
―― うん、絶対! 気づいてないのかな。
―― だけど気づいてないなら、溜まった力はどうなるの?
―― わかんない。

 雄士は二人の間に通い合う異質の信号になんとなく気づいた。疎外感に反発する気持ちが雄士の中にこれまでに経験のない、ざわめき立つ感情、もしくは力を宿らせた。
「ね、アキミちゃん」
 雄士が訴えるような眼差しを晃実に向けた。
「なぁに?」
 晃実が雄士に向き直って首をかしげると、長くきれいな髪が揺れた。
 父親の病室で晃実と瞳が合ったとたん、雄士の中に湧きあがってきた衝動は、抑制するには幼すぎ、そして大きすぎた。

 雄士が不意に晃実へ向けた切羽(せっぱ)詰ったような様子を見た恭平は、それを止めなければならないと直感する。
 だが、防ぐことは不可能であることも同時に悟了(ごりょう)していた。
 病室で恭平が感じた雄士に対する不快感の根拠ははっきりしない。
 ただ、晃実と雄士の間に何かが潜んでいることは確信した。
 それは恭平の中に暗翳(あんえい)というイメージをもたらした。

 振り向いた瞳と瞳が重なったとたん、力が雄士の躰の中に溢れだす。
 理由などわかるはずもなく、ただ晃実の瞳が雄士に教えた。自分たちが同類であること、自分の中に巨大な力が眠っていること。
 (あずか)り知ることのなかった、長い間抑制されていたエネルギーが躰中を熱く駆け巡る。それとともに湧きあがる衝動はふくれるばかりで抑えきれない。

 晃実の中にも雄士の瞳が放つ衝動が入りこむ。洸己の病室ではじめて瞳を合わせたときと同じふわりとした感覚に包みこまれた。
 雄士の両手が無意識に晃実の顔に伸びる。
 その手が晃実の頬を(くる)むと同時に。
 ドッ――――――ンッ――――ッ!
 晃実と雄士の躰が轟音とともに衝撃に覆われた。
 あまりに莫大(ばくだい)すぎた轟音は人間の耳が(とら)える限度を通り超えた。恭平だけがその波動を現実とした。

 廊下の向こうのスタッフも、母親たちを振り返っても、何事もなかったように話している。
 恭平は時間が止まったような錯覚(さっかく)を受けた。
 目の前にある、雄士と晃実はまさにそういう状態だ。雄士が晃実に触れた状態で微動だにしない。
 どうしていいかもわからず、恭平自身も身動きすらできずにただ呆然と二人を見つめるしかなかった。


「ユウちゃん……あたしたち、どうなったの?」
 手に挟んだ晃実の顔から零れそうなくらいに瞳が大きく開いて雄士を見返す。
「……ぼくにもわからない……力が……溢れたんだ……」

 互いの瞳を透かして向こうには夜空が見えた。
 そこではじめて二人は躰を残してきたことに気づいた。
 互いの瞳を離れて見渡すと一面、夜の世界だ。遥か彼方に一際輝く(まぶ)しいほどの光、そして巨大に映る群青の星。

「……群青(あお)い星、きれい……」
「たぶん……あれは地球……ぼくたちが住んでるところ……」
「じゃあ……あっちは……お日さま……?」
「うん」
「……お散歩したいな」
「じゃあ、やってみようか?」
 雄士が応えると、晃実は首が折れそうなくらいに大きくうなずいてワクワクした笑みを向けた。
 実体はないのに不思議と感触のある手を繋いで晃実を引き連れ、雄士は思うままに自分の中に現れた巨大な力を操って無限の空間を飛び回った。
 空間に散らばる岩石を避けてカーブするたびに晃実が笑い零れる。
 それがうれしくて、雄士はわざとぶつかる限界まで待って方向転換したり蹴散(けち)らしたりして、晃実を楽しませた。
「ユウちゃん、すごい!」
「楽しい?」
 賞賛の声に思わず雄士は振り向いて訊ねた。
 とたん。
「あっ!!」
 晃実が叫び声をあげると同時に、計り知れないスピードで移動していた二人の躰は向かい合った状態で、折り重なるように前方をふさぐ岩石にぶつかった。
 ともに息を止めた刹那、その衝撃は確かにあったが、勢いのままに岩石の中を通り抜けた。

『……ユウちゃん……なんだかヘン』
 その言葉は声として耳に入るのではなく脳裡に響く。
『……うん……くっついちゃった』
 どちらが自分のものかわからないほどに鼓動が重なる。さながら、箱の中に詰めこんだ異種の気体がシェイクされたような感覚だった。
『なんだか……あったかい』
『アキミちゃんもあったかいよ』
 クスクスと互いの笑い声が互いを揺する。
 無限の空間は止まることを知らずに意識躰を浮遊させ、二人は漂うままにしばらく身を任せた。
『ねむたい……』
 無音の中で鼓動が子守唄になり、晃実はぼんやりとつぶやいた。

『……帰らなくちゃ……』
『……うん……でも、どうしよう……力を使ったから母さまに怒られちゃう』
『帰る』という言葉が発せられると、晃実の中は心地よさから一転して不安に染まった。
 その不安によって鼓動が乱れた瞬間に互いが分離された。
 雄士は手を伸ばし、晃実の頬に触れる。

「大丈夫だよ。僕のせいだから、ね? 力を使ったのは僕なんだ」
「……うん」
 晃実はホッとしたように笑んだ。
「あの群青(あお)い星に帰るの?」
「そう……場所、わかるかな……」
 雄士が戸惑ったように顔をしかめた。
「アキミ、キョウヘイちゃんを探してみる!」
「……できるの?」
「わかんない」
 雄士の問いに自信なさそうに答えた晃実だったが、次の瞬間には通信を開始した。

―― キョウヘイちゃん、聴こえる?
 …………。
―― キョウヘイちゃんっ?!
―― ……アキミちゃん?
「ユウちゃん、届いたよ!」
 晃実は興奮した声で叫んだ。
―― キョウヘイちゃん、今から帰るからずっとお話してて。キョウヘイちゃんの声がないと帰れないの。

 今度は晃実が雄士の手を引いて群青の星へ向かった。

―― わかった。今、どこにいるの?
―― おそら。とーっても広いんだよ。
―― ……ふーん。

恭平はどこか怒っているような口ぶりだ。

―― 母さま……怒ってる?
―― まだ気づいてないよ。
―― よかった! あのね、すごくおもしろかったんだよ……。

 どちらかというと晃実のほうがお喋りをしていたが、それでも恭平が晃実の声を聴き取っている限り、その気配を追うことは簡単だった。
 恭平のバイオフォトンを近くに感じると同時に、晃実と雄士は意識せずとも吸い寄せられるように躰に戻った。自分の躰なのに戻ってみると少し重たく感じる。

「キョウヘイちゃん、ありがと」

 そう云ったあと、晃実は不安そうな面持ちで頭を廻らして母親たちの様子を窺った。母親たちは何事もなかったように楽しそうに話しこんでいる。

「よかった。母さまたちは気づいてないんだね」
 昂月はホッとして恭平に視線を戻した。
 恭平は不機嫌そうに晃実を見返す。
「まだ少ししか経ってないよ」
「ホントに? すっごく長くいた気がするけど。ね?」
 晃実は雄士を向くと同意を求めて首をかしげる。
「うん。いっぱい遊んだんだ」
 雄士が応じると恭平はますます機嫌が悪そうに顔をしかめた。

「宇宙の軸はズレがあるから、地球上の感覚と違うんだ。時空が歪んでるんだよ。だから時間の長さが違う」
「……ジクって……ジクウって……何?」

「簡単に云えば、宇宙には……地球も入るけど、“星”っていう“物質”がある。その物質があることで“重力”が変わってくるんだ。その重力で“時間”と“空間”が歪む」

「……よくわかんないけど……キョウヘイちゃんはどうしてそんなこと知ってるの?」
 晃実は戸惑いと驚きに目を大きく開き、難しいことをあたりまえのように説明した恭平を見つめる。
「わかったんだ。アキミちゃんたちが宇宙(そら)に行ったとき、ぼくの中に知識が溢れた」
「チシキ?」
「そう。いろんなこと。たぶん、アキミちゃんたちが道をつくったんだ。その道からいろんなことがぼくの中に入ってきた」
「ふーん」
 晃実はよくわからないまま返事をした。
「今度はキョウヘイちゃんも一緒に行こうよ。キョウヘイちゃん、いろんなことを知ってそうだし、ぼくも知りたい」
 雄士は興味津々で恭平を見つめている。
 雄士の声の中に驚嘆を感じ取った恭平は、満更でもない顔になって不機嫌な様が消えた。
「キョウヘイ、でいいよ。『ちゃん』て子供みたいで嫌いだ」
「じゃあ、ぼくもユウシでいいよ」
「子供みたいって子供でしょ、あたしたち? 『ちゃん』て呼んじゃいけないの?」
「アキミちゃんは特別だからいいんだ」
 そう云われても、恭平の言葉は自分だけが仲間外れにされたようで晃実は気に入らない。
「いいよね。キョウヘイちゃんは男の子のお友だちができて。あたしも女の子のお友だちが欲しい」
「アキミちゃん、ちゃんと一緒に遊べるよ。大丈夫。また宇宙(そら)に行こう。ね?」
 口を尖らせている晃実に雄士は微笑みかけた。
 完全に不満が消えたわけではないが、晃実は『そら』という言葉に惹かれて大きくうなずいた。
「ユウちゃん、どうやって行けるかわかるの?」
 晃実が訊ねながら期待の眼差しを向けると、雄士は困ったように眉をひそめた。
「えっと……わからないや」
 晃実はがっかりしたようにため息を吐いた。
「さっき宇宙に行けたのはユウシの溜まっていた力のせいだよ」

 それが全部ではないけれど。
 恭平はそっと胸の中でつぶやいた。
 宇宙から降ってきた知識は恭平に二つの未来をイメージさせた。
 破壊への孤独と蘇生への眠り。
 いずれにしろ、人類の未来は “ 0/0(ゼロぶんのゼロ) ”、つまり “ (くう)÷空=ERROR(エラー) ”。
 そう導くのは……そして鍵を握るのは――。

「ユウシはどうして力が使えなかったの?」
「父さんが閉じこめたんだ。一才になるまえだと思う」
 雄士は宙を見つめてゆっくりと思いだすように云った。
「どうして?」
「そこまではわからないよ」
「じゃあ、ヘンな力が使えるようになったこと、母さまたちには知られちゃいけないのね?」
「うん、たぶん」
「ユウシ、力の使い方はわかるの?」
 雄士は曖昧に首をかしげた。
「簡単だよ。これ、持って」
 恭平はリモコンを雄士に手渡した。
「動かそうって思うだけでいいんだ。やってみて」
 雄士は半信半疑でリモコンカーをじっと見つめる。

―― 動けっ。

 強く思うと同時に赤い車は動きだした。と、勢い余って窓際のソファの脚もとにぶつかってひっくり返ってしまう。
 晃実と恭平がケラケラと笑うと、雄士も一緒になって笑いだした。

「あら、もう仲良くなったのね」
 環がうれしそうな顔で近づいてくる。
 三人は顔を見合わせた。

―― 秘密だよ。
―― 秘密だね。
―― 秘密!

「環おばちゃま、またユウちゃん、連れて来てね!」

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* 文中“時空の歪み”について … アインシュタインの『相対性理論』参考
  観測者の立場によって見え方が異なる、ということから時間のズレについては都合よく解釈
  参考までにこの理論によると、多大な重力が考えられるブラックホールの入り口付近は、
  離れた観測者から見ると時間はほぼ止まっているように見えると考えられています。
(例) 観測者の立場の違い
  電車の中でボール遊び。動く電車に乗っている人がボールを上に投げてそれを自ら受ける。
  電車に乗っている人からすれば上下の運動。
  一方で外から電車を見ている人がそのボールの動きを追うとすると、放物線を描いているように見える。