Xの記憶〜涙の見る夢〜

第4章 境遇の支配  4.巡り合い

 洸己と加瀬は顔を見合わせた。
「きみはどこから来たの?」

 云っていることが果たして通じるのかどうかも定かでないまま、洸己は問いかけた。
 女の子は驚くほどしっかりとした足取りで駆けるように近づいてくると、後ろに倒れるのではないかというくらい大きく首を()け反らせ、ベッドの上で躰を起こしていた洸己を見上げる。
「隣のお部屋。もうすぐ注射の時間なの。嫌だなって思ったら、ここに来ちゃった。おじさんたち……病気?」
 思いがけず、小さな女の子には似合わないきちんとした言葉が並ぶ。
「そうだよ。きみはいくつなのかな?」
「十二月で二才になるの」

 今は六月。ということは現在、女の子は一才半となる。
 その年齢ではとても考えられないほどの脳の発達だ。少なくとも言語学能力は小学低学年並ほどある。
 雄士の力を封じなければ今頃はどうなっていただろう。空恐ろしくなった。

「洸己……二才まえでこんなに喋れんのか?」
 加瀬が戸惑った様子で訊ねた。
 加瀬は結婚すらまだで、もちろん子供の成長ぶりは見当もつかないことだ。それでも尋常ではないと気づく。容姿と口振りはあまりにもかけ離れていて気味が悪いほどなのだ。
「まさか……その理由はわかるよな」
 洸己が確認を求めると加瀬は顔をしかめて、
「ああ」
と短く答えた。
 おそらく自分たちのどちらかがこの子の遺伝学上の父親なのだ。こうやって対面してみると、もどかしくやりきれない感情に(なぶ)られる。

「やっぱりヘンなのかな? 人の前でこんなふうにお話してると母さまに怒られちゃうの。だから入院してる。でもね、ヘンな注射をされるのは大っ嫌い。眠たくなるの、もう二度と起きれないって思うくらい……とても怖いの」
 洸己は女の子の頭にやさしく手を置いた。
「大丈夫だよ。すぐに終わるさ」
「ホント?」
 うつむいていた女の子の顔が上がって洸己を見つめた。
「そうだよ」
「じゃあ、キョウヘイちゃんにも教えてあげなくちゃ」
 女の子がとてもうれしそうにはしゃいだ。
「キョウヘイくんて誰なのかな」
「お友達。水野恭平ちゃん。同じ病気なの」
「きみの名前は?」
「アキミ、高城(たかしろ)晃実。おじさんたちは?」
 二人がそれぞれ名乗ると、女の子、晃実は脳裏に刻むように目を移してうなずいた。
「晃実ちゃんと恭平くんのほかに、同じ病気で入院している子はいるのかな」
「うん、今は四人。ちょっとまえまではあと二人いたんだけど死んじゃったの。きっと注射のせいだ。注射しないときはアキミたち、なんともないんだもん」

 一年と半年の間、自分たちの行動を怪しまれないために通院生活を続け、その裏で異能力を試行錯誤しながら力を操る方法を身につけていった。
 並行して誕生した異能力者を追跡した結果は、トランス剤の実験投与に因るのか、体外受精による異能力者は生物学的に育たなかったのか、すべて死亡という事実だった。
 現在、将史たちがやったことの付けとして海堂病院の不妊治療は、奇形児誕生の多さと出産後死亡率の高さによって悪質な噂が出回り、患者が減った結果、異能力者の“製造”は事実上、暗礁に乗りあげている。

 その残りわずかとなった犠牲者の一人と、決断をまえにして出会ってしまった。
 どうする?
 洸己と加瀬の中に同じためらいが宿った。

 そんな二人を余所(よそ)にして、部屋をものめずらしそうに見回していた晃実はふと、病室の窓辺にある小さな観葉植物に目を止めた。
 病院の観葉植物は業者任せであまり手間暇かけられた様子がなく、少し枯れかけた葉がある。
 晃実は近づいてその枯れた部分に手を当てると、まるで猫の頭を撫でるように葉に触れている。
 その様子を見守っていた洸己たちは、晃実が手を外したさきの現状を見て驚いた。枯れていたはずの葉は完全にあるべき形に戻り、生きた緑の葉となって甦った。
「病院の花とかってかわいそう」
「晃実ちゃんはすごくいいことができるんだね」
 加瀬が()めると晃実は振り向いて喜ぶどころか、年齢にそぐわないしかめ面になった。
「いつの間にかこんなことができるようになったんだけど、ホントはこうするのもダメって云われてるの。普通の人にはできないことだからって。アキミは普通じゃないのね。母さまと違う」
 晃実は洸己の正面に戻って不思議そうに見つめた。
「でも……おじさまたちは驚かないんだね」

「そうだよ。じゃあ、秘密にしてくれるならいいことを教えてあげるよ」
 そう云うと今度は幼い子らしく、
「うん!」
とわくわくした様子で晃実は勢いよく返事をし、その“秘密”の暴露(ばくろ)を待った。
「ボクたちも晃実ちゃんと同じようなことができるんだ」
 キラキラした目が驚きに変わって、次には心底からうれしそうにまた輝いた。
「ホント?! よかった! アキミがヘンな力を使うと母さまが大きくなれないって云うから怖かったの。でもおじさまたちは大きいし、アキミも大きくなれるよね?!」
 期待を込めた眼差しが洸己たちにかわるがわる注がれる。
「お母さんが云ってるのは……そうだな……自然ってわかるかな?」
 晃実は首をかしげた。
「じゃあ、お母さんは晃実ちゃんにやさしいかな。お母さんのこと好き?」
「うん。ヘンなことすると怒るけどすごくやさしいの。母さまはアキミのことをすごく心配してるみたい」
「そっか。じゃあ、お母さんのお願いをきかないとね。晃実ちゃんがさっきやったこと。例えば、花はいつまでもきれいじゃない。どうなる?」
「枯れちゃう」
「そう。枯れた花はきれいじゃなくなっても土の栄養になる」
「えいよう?」
「ごはん、て云ったらいいかな」
「土のごはん?」
 何を想像したのか、晃実は目をくるくるさせて笑った。
「そうだよ。栄養いっぱいになった土には、またいつか花が咲く。土からいっぱい栄養をもらってね。それが自然ということだよ。だから、晃実ちゃんが花をきれいにするのを繰り返すたびに、土はどんどん栄養を花に取られるんだ。そしたら――」
「土が痩せちゃう?」
 晃実がさえぎって答えると、洸己はうなずいた。
「そうなった花は?」
「お花も痩せちゃう」
「そう。力を使うと自然を傷つけることがあるんだ」
 洸己たちは、困ったように首をかしげて晃実が考えているのを見守った。
「自分ができることをやっちゃだめなの?」
 納得のいかない無邪気な晃実の質問に洸己は笑みを浮かべた。
「自然を大事にしたい気持ちがわかるまではだめだよ。いいことなのか悪いことなのか、使うまえによく考えて、悪いことにはもちろん使っちゃだめだし、どっちかわからないときも使っちゃいけない」
「悪いことって……母さまや父さまに心配かけること?」
「そうだよ」
 二人ともの心に、晃実に対するなんらかの感情が生まれた。
 もしかしたら自分の子であるような錯覚(さっかく)。無論、誰かにとってはこれが事実だ。

「ゲームをしようか」
「ゲーム?」
「そう。お母さんに心配かけたら負けなんだ」
「泣かせたらだめってこと? わかった!」
 晃実は素直に大きくうなずいた。

 そして晃実はなんの変哲(へんてつ)もない壁を見つめる。
「看護婦さんがアキミを探してる……ホントに注射はしなくていいようになる?」
「ああ。だから頑張れ」
「うん……また来ていい? キョウヘイちゃんと一緒に来ていい?」
「いいよ。一緒においで」
「うん!」
 晃実はうれしそうに返事をすると背伸びをしてやっと届くドアノブを回し、今度は正当にドアから部屋を出ていった。


 地の底に沈められたような深い闇からゆっくりと意識が浮上していく。
 何年も何百年も経ったような感覚からの目覚めは、常に孤独を連れ添っている。
 泣きだしたくなるような孤独。すべてを壊したくなるような孤独。
 薬が抜ける寸前の恐れはまだ幼いからこそ単純で、余計に恐怖を増す。

「晃実、大丈夫よ」
 その恐怖から救ってくれる唯一の声。その声に引きずられるようにして意識は一気に晃実の躰と融合した。
「……母さま」
 目を開けると、母、香恵(かえ)の少し悲しみを残した微笑みが見えた。

「あのね……アキミ、隣のお部屋のおじさまたちとお友だちになったの!」
「晃実?!」
 香恵の声が(しか)る準備をしている。
「キョウヘイちゃんと一緒に遊びにいくって約束したの。ね、いいでしょ? おじさまたちはきっと秘密にしてくれるよ?」

 香恵は叱りつけたい気持ちと、他人と触れ合うことのできない不憫(ふびん)さが入り混じった表情で晃実を見つめた。
 晃実が祈るように香恵を見ている。
 不思議な力はともかく、せめて姿と中身がつり合っていたらと思わずにはいられない。逆に精神的成長が著しいからこそ通じ合うことができ、世間を騒がせる事態を防ぐことができているのかもしれないのだが。
 これまでの経緯を考えると、担当医からは晃実の寿命は長くてあと半年と聞かされている。それならもうここにいる限り、自由と楽しみを与えてもいいのではないかと思った。

「わかったわ。恭平くんと一緒なら」
「母さま、ありがとう!」
「でも……」
『ヘンなことはしないこと!』
 香恵と、香恵の口調を真似た晃実の声が重なった。
 あはは……。
 病室に一頻(ひとしき)り笑みが満ちた。

 薬が完全に切れて歩けるまでに体調を回復した晃実は、午後遅くになってから特別神経内科のプレイルームへ行った。
 廊下を挟んで向かいにはナースステーションがあり、少人数のスタッフが出たり入ったりしている。
 十畳ほどのプレイマットを敷き詰めた部屋の中央に、コントローラーを持つ恭平が座りこみ、わざと置いた障害物の周りを赤いリモコンカーが自由気ままに動き回っている。巧みに動く車はコントローラーによって操作されているわけではなく、当然のごとく恭平の異能力によるものだった。
 晃実は恭平のすぐ隣にちょこんと座る。
 香恵はプレイルームの窓側にある長いソファに座った恭平の母親、舞子の隣に腰をおろして話を始めた。
 不妊治療の過程でこの病院で知り合い、今や親友という関係を築いている母親たちの影響で、晃実と恭平は必然的に兄妹みたいに仲良くなった。

「キョウヘイちゃん、アキミの隣のお部屋へ遊びにいかない?」
「だけどお母さんたちが……」
「母さまはキョウヘイちゃんと一緒ならいいって」
 晃実は片手を伸ばして恭平の手に触れた。

―― アキミたちと同じ力があるんだって。

 洸己たちの病室での記憶映像を送ると、恭平は驚いたように晃実を見つめた。リモコンカーが止まる。

―― それにね、すごいことができたの! 壁を通り抜けちゃった!
―― 怒られるよ。
―― 云ってないもん。

 恭平はつかの間考えこみ、そして勢いよく立ちあがった。
「お母さん、アキミちゃんとおじちゃんたちのところで遊んできていい?」
 香恵と、彼女から話を聞いた舞子は顔を見合わせる。
「いいわよ。お母さんたちも一緒に挨拶(あいさつ)に行くわ」
 晃実は恭平の手を引いて洸己たちの病室へと案内した。
 三カ月だけ早く生まれた恭平は男の子ということもあってか、晃実よりはらくにドアを開けた。
「おじさま、キョウヘイちゃんを連れて来たよ!」

 中に入ったとたん、二人の目を()いたのは洸己のベッドにいる男の子の存在だった。
 二人より少し大きな男の子は、いきなり入ってきた小さな侵入者をびっくり(まなこ)で迎えた。
 晃実は不思議そうに男の子を見つめた。
 男の子の視線が恭平から晃実へと移る。
 瞳と瞳が合った瞬間に、意識が晃実の躰を抜けてふわりと浮いたような気がした。
 男の子の瞳にも激しいなんらかの感情が刹那だけ浮かんで消えた。

―― ユウシ。

 繋いだ手から晃実の心のつぶやきが恭平に流れてきた。

―― アキミちゃん?

 晃実は恭平を向いた。

―― あのお兄ちゃん、あたしたちと同じ。
―― ほんとに?
―― うん……わかる。

 洸己は二人が呼応力を使って会話していることを悟った。
 コントロールする方法を模索しなければならなかった自分たちと比べて、二人は欲求の(おもむ)くままに異能力を使うことができるという事実に恐怖しか覚えない。

「すみません。いきなりお邪魔してしまって」
「ご迷惑かとは思ったんですが、子供たちが……」
「いえ、いいんですよ。退屈してますからアキミちゃんたちがいてくれると楽しいんです」
 晃実たちのあとから入ってきた香恵と舞子の不安を打ち消すように、洸己が歓迎の意を表すと、二人はホッと微笑みを浮かべた。
 そこへ、環が部屋へ戻ってきた。
「あら。可愛いお客さまね」
 そこで大人同士の自己紹介が一通り交わされた。

「あの……この子たちのこと……ヘンに思われるでしょうけど脳の発達が普通より早い病気なんです」
 香恵が説明すると、洸己たちは複雑な心境のなか安心させるようにうなずいた。
「大丈夫ですよ。むしろ、話ができてうれしいくらいです」

 環が晃実と恭平の前にかがみこむ。
「お名前は?」
 そう訊ねると、つい先刻、洸己からは聞かされていたものの、そのはっきりした返答は、環の中に驚愕と悔恨をあらためて刻んだ。
「晃実ちゃん、恭平くん、うちの子と仲良くしてくれる?」
 環は雄士を手招きした。

 環の端麗な顔立ちを受け継いだ雄士が少し緊張した面持ちで近づいてくる。
「神河雄士って云うの。よろしくね」
「うん!」
「……いいよ」
 晃実の素直な返事とは違い、恭平は少し間を置いて答えた。

 雄士が喰い入るように晃実を見ている。
 晃実は戸惑って見返した。

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