Xの記憶〜涙の見る夢〜

第4章 境遇の支配  3.暴かれた奸計

 環の告白で異能力の存在を知った将史は、彼女を助けるためだと父親を説き伏せて異能力の研究費を出資させた。
 洸己が恐れていたことは現実となる。
 漏洩(ろうえい)を恐れ、少数精鋭ではじまった特別神経内科はまもなく異能力の起因を突き止め、善意を纏った能力開発局(DAF)の発足の場となり、洸己は同じ症状を抱えた同僚の加瀬とともにまさにモルモットであった。
 その事実に気づかないままに入退院を繰り返すが、洸己たちの容態は少しも改善に向かうことなく、そして環の全快するまで入院しようという提案に、彼女と雄士のためにもと洸己は仕事を休職してそれに従った。
 それは特別神経内科ができてから一年後、雄士が二才になる年だった。
 奸計のときは続く。


「私はどうしたらいい?」
 めったに弱音を吐かない環が、泣きそうな様子で亨に訊ねた。
 亨は亨で、今聞かされた話に呆然とした。絶対にあってはならない、恐れていた重大事についに直面した。
「兄さんがこんなことをするなんて……」

 今更ながらに洸己が強く主張したとおり、雄士を守るために異能力が宿った時期をごまかしたことと、それに伴って亨が実情を知っていることを隠したことが正しかったと認めざるを得ない。


   * * * *


 環は今日もいつものように洸己の見舞いに海堂総合病院へ行った。
 その帰り、兄の将史のところへ顔を出してから帰ろうというただの気紛れが、環の様相を一変させることになった。

 将史専用の事務室のドアをノックしようとした環の手がふと止まった。少し興奮した声がドア越しに聞こえる。
 それは将史のものではなく、室内にはほかに誰かがいるようだ。
 環の中に虫の知らせとでもいおうか、その会話を聞けという別の自分の声がした。

『……の体外受精は成功ですよ! あとは誕生を待つばかりです』
 再び誰かの声が大きく響いた。
『誰の子だ』
『加瀬真也です』

 加瀬さん……? 体外受精って……どういうこと……?
 環には話の筋がさっぱりわからない。独身である加瀬と体外受精という言葉が結びつかない。

『ほかはどうだ?』
『はい、ぼちぼちと……』
『不妊クリニックの適性患者数はどんな具合だ?』
『大部分の費用をこちらで負担すると伝えれば大方の患者は乗ってきますよ。あとは夫の子と思わせて、彼らの精子と受精させれば間違いなく……』
『混血ではなく……純血種が欲しいな』
 将史の声が冷たく響く。
『そうですね。しかし、これまでの受精卵に放射線を浴びせる方法ではリスクが大きすぎました。被爆させた卵子と彼らの精子を使う方法でも同じことですよ』
『いずれにしろ、犠牲者は子供一人ですむことだ。あとは我々の知ったことではない』

 いくら根っからのお嬢さまだとしても洸己と出会って以後、少しずつ世間の認識を積み重ねてきた環は、この中で()されている会話が善意のものではないということくらいわかる。
 紛れもない奸計だった。

『金で子供を生んでくれる女がいれば敢行(かんこう)できるんですが、口外されるリスクを考えるとそうそう都合よくはいきませんね』
『……都合よく金で子供を生む女か……そうだな……』

 環は呆然としたまま、じわじわと後退りして将史の事務室を離れ、身を翻して足早に病院を出た。


   * * * *


 その後も会話は続けられる。
「まあいい。純血種を誕生させる方法がある。それによって更なる純血種を望めるかもしれない」
「それは?!」
 特別神経内科部長の井上は期待を寄せて将史の回答を待った。
「いろいろと経緯を追ってみた。そこで時間のズレが判明した」
「なんの話ですか?」
 将史が意味ありげに口の端をつり上げた。
「純血種自体はすでにいる、ということだ」
「どういうことですか?!」
「まあ、待っておけ。今はガードが固いがいずれ……純血は手に入れる。とにかく、そっちはトランス剤の開発を早めてくれ。せっかくの純血種が生まれても操縦できなければ何もならないからな」
 将史は口を歪めて冷笑を浮かべた。


   * * * *


 なんと表現していいかわからない感情が環の頭の中を渦巻く。これまでに経験のない感情だった。
 恐怖、不安、憤怒、悲哀、もどかしさ。幸せという言葉を欠いたあらゆる感情が入り乱れた。
 その足で環は亨のいる大学の研究室を訪ねた。

「洸己さんがこれを知ったら……海堂に云ったのは間違いだった。私は洸己さんに……加瀬さんになんて謝ったらいいの?」
「落ち着いてゆっくり考えよう。まずは洸己たちを退院させるべきだ」


 結局、洸己たちが退院したのはそれから半年を過ぎた頃になった。入院を続けたのは彼らの意向であった。
 事実を知った直後、自力の回復に任せると担当医に告げて睡眠薬などほとんどの薬を断ちきった。研究の実態を把握すべく我慢できないほどの頭痛と闘いながら遅々(ちち)と病院内を探った。

 半年後に()の当たりにした驚愕の現実。
 洸己たちの精子――治療法模索の一環と称して採取したものと、微量の放射線を浴びせた不妊治療患者の卵子を受精させるという方法により、異能力を持った子供を“製造”していたのだ。
 この半年足らずで彼らは奇跡の数値に近い値を手に入れた。『近い』数値では足りないのだろう。
 より確実に異能力者を誕生させるために不妊治療患者の夫の精子は使わず、洸己たちの凍結精子を利用していることが奸計の残酷さを物語る。

 異能力をなんのために利用するのか。それが悪ではなく善のためであろうが、すべての異能力者がそうなる保証はどこにもない。
 誰しもが持つ心は遺伝子の中には組みこまれない。洸己たちが持つ真の心は、誰も受け継ぐことはないのだ。
 人間は生活環境のなかでその性格を形成していく。
 異能力者として生まれた子供たちのなかに、悪に身を置くものは百パーセントに限りなく近い確率で現れるだろう。未来は間違いなく暗に支配される。
 その暗に導くものは洸己たちどちらかの子孫なのだ。彼らにとって当然、それは望むところではない。あってはならないことだ。

 その意思ひとつに()り、洸己、加瀬、亨、環、そして後にはDAFの犠牲者たちによる、世代を超えた闘いの火蓋(ひぶた)が切って落とされたことになる。

 洸己たちは一蓮托生(いちれんたくしょう)を誓い、廓清(かくせい)への道を歩き始めた。
 これらの偶然が因縁と思えるような邂逅(かいこう)のなか、唯一救いとなったのは、異能力を持ってしまった二人がともに同士となれたこと。
 事実をまざまざと見せつけられた瞬間、彼らに宿った絶望は計り知れない。


 奸計の発覚から二年半。
 決意とともに、再び洸己たちは入院した。

 フ――ッ。

 突然の侵入者に洸己と加瀬は驚きを隠せなかった。
 予告なく現れたのは小さな小さな女の子だった。
 小さな子供が自分たちの病室に来たからといって、総合病院であるゆえにそれほどに驚く必要はないのだが、その登場の仕方が尋常ではなかった。
 女の子は自分がどうやってここへ来たのかもわからないようで、片手は癖なのか、腰まで届きそうな長い髪を戸惑ったように握りしめ、きょろきょろと室内を見回している。

 女の子は明らかに瞬間転移をしてきたのだ。しかも無自覚に。

 女の子は洸己たちに気づくと、なんの屈託(くったく)もなくニコッと微笑んだ。

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