Xの記憶〜涙の見る夢〜

第4章 境遇の支配  2.原点

 結論が出たのは二カ月後。
 洸己と環の子、雄士が生まれてまもない頃だった。
 亨の専門分野である遺伝子から調べていった。
 まず洸己と環のものを。それから生まれてきた雄士のものを。
 結果――。

 洸己は亨の大学の研究室に呼びだされた。亨は立ち入り禁止の札をドアの外ノブにかけて洸己を中に導く。
 奥に縦長い部屋は両脇の壁に書棚がずらりと設置され、中央に長広いテーブルが二台並べられている。
「普通の人間にはないウィルス遺伝子の活動が検知された」
「それは……?」
 書類が散らばった会議用テーブルで二人は向かい合って座り、洸己は小難しそうに眉間にしわを寄せた亨を縋るように見た。

「順を追って簡単に説明する。DNA遺伝子が生物の世界を制するまえはRNA遺伝子の世界だったとされている。RNAは生物の世界がDNAに移行した時点でそれぞれ植物や動物の環境を選び、細胞の一つ一つの中に潜入して共存している。そのRNA遺伝子のなかにレトロウィルスと称されるウィルス遺伝子がある。インフルエンザウィルス、エイズウィルス、(がん)ウィルスなどがこれに入る。これらのウィルスは所謂(いわゆる)、体内の変化、例えば免疫(めんえき)力の低下によって突然にRNA遺伝子として活動を始める。今回検知されたウィルス遺伝子はまったく未知のものだ。普通の人間にない……というよりは、すべての人間が持っている眠ったウィルス遺伝子と云ったほうがいいだろう。だからこそ並だった躰が突然変異して異能力を持てたのではないか、と現段階では推測している」

「おれの中でどんな変化が起こったんだ?」
「そのウィルス遺伝子は光を帯びている。光を調べてみた。……放射能を持っている」
「……放射能……?」
 洸己は何かを悟ったようにつぶやいた。
「ウランだ」
 亨の断定が、その“何か”を確信に導いた。

「中性子もともにウランとある。つまり、細胞内で絶えずエネルギーを生みだす核分裂が起きてるんだ。結果、そのウィルス遺伝子は終始、形を変えている。そのエネルギーが未知のウィルス遺伝子と反応して異能力になると推論した。洸己、原発で放射線に汚染された可能性はないのか? おまえが云ってた頭痛がはじまった頃に限定したら……?」

 洸己は目を閉じてしばらくしてから、
「ある」
と答えた。
 しばらく二人ともに口を開くことすら忘れて呆然とした沈黙が室内に横たわった。クーラーのきいた室内が一層ひんやりとした気がする。
「異能力がそのせいだと断定はできないが、僕は九十九パーセントそう結論付けている」
「……警報機の誤作動ってことだったんだ。けど、そうじゃなかった……どこかで疑ってはいたんだ」

 あの時、放射線高レベル用の保護服を着たまま出てきた人間は明らかに慌てていた。
 それが何を意味するのか。
 事実は隠蔽(いんぺい)された。
 世論の批判を避けるために、原子力発電所にとっては隠してもいい程度のわずかな事故、世間にとっての大きな問題は極秘事項となったのだ。
 中枢へと通じるドアは開けっ放しだった。
『ずいぶん不用心だな』
 あの時、洸己は自らそう云った。
 すべての辻褄(つじつま)が合った。

「中性子線が散ったというのなら、おそらくは臨界事故だ。あの時、おれは放射線を浴びたんだろう。極微量だと思うが……。偶然、環も一緒にいた」
「おまえはまだ頭痛持ちなのか?」
「ああ。そしておれだけじゃない。云わなかったが同僚の加瀬も同じ状態なんだ」
 亨は先刻承知のようにうなずいた。
「当然だろう。原発には千人を超える従事者がいるはずだ。そのなかで放射線の奇跡の数値に襲われたウィルス遺伝子が覚醒した。それがおまえだけとは限らない」
「けど環は今、頭痛もないし、力もない」

「今回の検査では環ちゃんからはウィルス遺伝子は検出されなかった。そのかわり、子供はDNA自体が変異を起こしている。まったくの放射体質だ。よく聴いてくれ。人間の躰は約六十兆個の細胞で形成されている。おまえの場合はウィルス遺伝子がその個々の細胞内に存在するということだが、子供の場合、細胞内の核にプログラムとしてあるDNA自体に、そのウィルス遺伝子が組みこまれている」

「つまり……新種の生命体、異能力者として生まれたということか?」
「そうだ。妊娠の過程で環ちゃんのウィルス遺伝子は子供にすべて吸収されたと想像している」
「なんてことだ」
 洸己は吐き捨て、絶句した。
 洸己と亨だけではとても手に負えそうもない問題だ。
「どうすりゃいいんだ……雄士が……雄士をどうやって守ればいいんだ」
 洸己が絶望的な声で力なく叫んだ。
「……洸己、僕は解析を進める。おまえは子供から目を放すなよ。できるならウィルス遺伝子の活動を封じる方法、もしくはそういう力がないか模索(もさく)するべきだ」
 洸己は亨の言葉を頭の中で何度も繰り返した。
「……わかった。やってみる」
 立ちあがって部屋を出ていく洸己の足取りはとても重いものだった。


 翌年の春、洸己の頭痛は薬を常用しなければならいほど酷くなっていた。
 生まれて八カ月を数える雄士は想像以上に急成長をした。体系は通常と変わらないが、脳の発達に関しては明らかに尋常ではない。もう言葉を覚え始めてそれを口にする。
 最悪の事態は無意識のなかで異能力を使って物を飛ばしたりして遊んでいることだ。
 恐れていたことは現実となった。
 それを見た瞬間に亨の云ったとおり、雄士の異能力を封じなければと思った。
 やり方などわかるはずもない。雄士を抱いて無垢(むく)な瞳を見つめて洸己はただ願った。
 異能力をもたらしているであろうウィルスに、眠りについてくれ、と。せめて、本当に言葉を理解し、その意味が通じ、物事の良し悪しの判断がつくようになるまでは、と。

 それは当時、まだその実態さえつかめていなかったミームの原点であったのだろう。
 その時から、雄士が異能力を使うところを見たことはない。
 それと引き換えにしたように、洸己は耐えきれない頭痛に襲われるようになった。雄士のウィルス遺伝子を封じた力が、予想以上に突然変異を遂げた躰には負担となったのかもしれない。

「洸己さん、病院へ行きましょう?」
 見かねた環が云った。
「……こんな力を持ったおれを受け入れてくれると思うか? それでなくても悪用されかねない。やたらとわけのわからない薬を投与されて研究材料にはされたくないんだ」
「でも頭痛薬を一日に何回も飲んでいて躰にいいはずないじゃない? そのうち薬も効かなくなるわ」
「モルモットにはなりたくない」
 洸己は首を振りながら強く云った。
「……海堂は?」
 環はためらいながら、ここのところずっと考えて出した結論を口にする。
「雄士が生まれてからは父も私たちのことを許してくれたし、父が経営している病院なら私も安心できるわ。洸己さんを見てると私もつらいの。海堂は信頼できない?」
 薄暗くした寝室のベッドに横たわったまま洸己はしばらく考えた。
「……環の云うとおりにしよう」
「よかった。じゃあ、父に話すわ」
「雄士のことは……」
「わかってる。云わないわ」

 その直後に海堂総合病院に特別神経内科が設けられ、洸己は入院することになった。


 当時、環の兄、海堂将史は海堂グループの後継者として、系列会社の研修巡りの最中にいた。
 ちょうどその時期、将史は海堂総合病院でその経営に(たずさ)わっていたのだ。


 事の起こり。
 それらはすべて偶偶(たまたま)だったのか、運命だったのか。
 神の試しの場、あるいは悪戯(いたずら)と疑うような廻り合わせであった。

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