Xの記憶〜涙の見る夢〜

第3章 時の始動  10.因縁

 地下へ下りて管理室へ入ると、そこで通常業務を行っていた所員は手を止め、素早く立ちあがって恐縮したように一礼をした。
 それを無視し、右側へ進んで奥のドアを開けると、室内の両脇には病院にあるような鉄パイプのベッドが五台ずつ並んでいる。一台のベッドだけ空いて、あとのベッドには少年が一体ずつ横たわっている。
 ベッドのほかには何もなく、そう広くもないのだが、がら空きの倉庫のようにひんやりとした感触がある。
 彼らの躰には点滴用のチューブが繋がれていて、滴が定期的にゆっくりと落ちていた。それがなければ死体と見紛うほど肌の色はなく、身動き一つしない。

 ドアを閉めると奥へ進み、連れてきた物体と向き合った。
 目の前には明らかにほかとは異なる様をした子供がいる。
 子供たちと、いうべきか。
 けっして思いどおりには動かず、気紛れで私の意思に従う。
 こちらが手を出せないことを知悉(ちしつ)しているのか、その姿どおりに幼いだけなのか。

「あいつはおまえを裏切るぞ」
 そう云うと子供はたじろぎ、その真を問うように私を見上げた。

「どうする? 私に協力してくれるのであれば手を尽くそう」

 ならば、その気紛れを大いに利用してやろう。あれとこの子供にある因縁を利用しない手はあるまい。


   * * * *


 しばらくしてやっと晃実は顔を上げると、雄士の腕が緩み、互いの躰を離した。
 とたんに目の前にティッシュの箱が差しだされた。
「必要でしょう」
「気がきくなって云いたいところだが、それをどっから拝借(はいしゃく)してきたんだ」
 がらんどうの部屋を見回して雄士が粋を問い詰める。
「上の部屋です」
 …………。
 粋には少しも反省の色が見えず、平然と答えた。
 プッ。
 今まで泣いていたはずの晃実が吹きだした。
「粋っておっかしいの」
「晃実には云われたくありませんよ」
「あら、それどういう意味?」
「晃実の奇異な行動に比べたら、ボクは悪いとわかってるぶん、晃実よりマシです」
「悪いとわかってるのにそれをやってしまうほうが、よっぽど性質(たち)が悪い」
 雄士が口を挟む。
「そうよ。それに、わたしのどこがヘンだって云うの?」
 雄士と粋は疑うように晃実に目をやる。
「気づいてないのか?」
「やっぱり、全然わかってないんですね」
 雄士も粋もこの点では意見が一致しているようだ。

「……わかってないついでに、雄士、一つ訊いていい?」
 ()が悪くなった晃実は、逆にそれを利用した。
「なんだ?」
「DAFの稼動地点はあのスポーツスタジアムだけ?」
「……そうだ」
 わずかに顔をしかめて雄士が認めた。
「国の関与は?」
「質問は一つだけじゃなかったのか?」
 重大な質問を立て続けに受けて信じられないとばかりに、雄士はますますしかめ面になった。
 晃実はそれには頓着(とんちゃく)せず、どこにも属さないと云った雄士にどうしても訊きたい質問があった。

「ねぇ……DAFを存続させたい理由が雄士にはあるの?」
「……そんなことはどっちでもいい……」
 雄士の声にためらいを感じた。
 何――?
「あなたはだから中途半端なんですよ」
 粋がこれまでになく冷たい声で雄士をあしらった。その顔には侮蔑(ぶべつ)が表れている。
「粋?」
「けっして納得しているわけじゃないのに、反抗もせず、()いては情に(ほだ)されている。自由な躰を持っているにもかかわらず」
「情なんかない」
「父上に対してはそうでしょうが、では、シャイとグレイについてはそう云いきれますか」
 そう問われると同時に、雄士の顔に計り知れない迷いが生じた。
 めったに動かない雄士の表情がはじめて動揺を(あら)わにしたことに晃実は驚く。

「……なら、おまえに訊く。未知数の力を保持したシャイをどうやって抑える? シャイの力がどれほどのものか、グレイがどうして共に在るのか。そして、ふたりがDAF内に縛りつけられ、なぜ外に出ることができないのか。何もわかっていない状態で放置すればどういうことになるかわかるだろ。シャイはミーム一つの力で世界を変えられる」

「云い訳ですね。この地球がどうなろうと、どうでもいいことでしょう。いずれ滅びるんですから。それとも、地球を守ろうというヒーロー願望があるとでも? そんなはずはない。気侭と云ったあなたが。あなたはシャイとグレイを捨てられない。記憶を失ったあなたは父上を頼ることがかなわず、彼らに依存した。あなたは選べない」

 粋は幼い頃と変わらない嘲弄した視線を雄士に放った。

 失った記憶……。
 晃実は雄士の様子をつぶさに見守った。

「ボクたちはもう動きますよ。待つ理由はありません。そうでしょう、晃実?」
 晃実はうなずく。
 できれば、恭平が体力を取り戻し、(こま)として使われるまえに終わらせる。それが恭平を生きて取り戻す、最善の道のように思えた。
「あなたが父上に逆らえないのなら、ボクたちはあなたとも闘うしかない」

 雄士は微動だにせず、粋を凝視する。その手が固く握り締められた。
 そして晃実へと視線が動く。
 出会ったのではなく、再会(であ)ったという認識が自分の中にある今、晃実に問いかけたことを自分にも問う。
 おれは闘えるのか。

 そうです。
 究極となるかもしれない選択をできるのか。失くしたという記憶を想いだす意思があるのか。そのすべてはあなた次第なんですよ。
 粋は何一つ看過すまいと雄士を(かん)じた。
 なぜ、雄士が異能力を保持しているにもかかわらず、父親とはいえ、力を持たない将史に束縛されているのか。
 絶大なるエネルギー量は、なぜ雄士しか持ち得ないのか。
 幼い時代から絶えずあったその疑問が、この闘いでやっと明らかになる。
 この挑発で雄士はどう動くのか。
 まったく興味深い。おもしろい事この上ない。

 粋が悪趣味ともいえる一計に興じている間、晃実はまったく別のことを考えていた。

 ねぇ、恭平――。
 恭平が解いたミームはわたしにも選択を迫ってる。恭平は今までのこと、すべてを知ってたんだよね。
 わたしの記憶を曖昧にしたのはなぜ? 
 わたし“たち”はどうして記憶を操作される必要があったの? 
 事実って何?
 固く守られていた晃実の記憶の一部は、雄士に関して驚くべき、ある事実を一本に繋いだ。
 粋の云い方から聞き取れる違和感。
 もしかして、この二人もまた事実の一つをまったく誤解している?

「……あの……」
 晃実の躊躇した呼びかけに、二人は我に返る。
「えっと、粋が云う……雄士の父さまって……その……誰のこと?」
 粋と雄士は呆気(あっけ)にとられた。
「晃実、知らないんですか」
「おれの父親は海堂将史だ」
「そんなことも知らないでDAFに乗りこむなんて、恭平も晃実もいったいどういう神経してるんですか」
「そうじゃなくて……雄士が海堂将史の血族だってことは知ってる。粋には云ったけど、わたしは恭平からミームで記憶操作されていて、実際、わたしも雄士の父さまが海堂将史だって、そう認識してた。でも……違ってた。雄士の本当の父さまは十四年前に亡くなったの……」

 雄士の顔がかすかに蒼ざめたような気がした。
「……雄士もやっぱり知らなかったの……? ど、どうしよう、粋……わたし、バカなこと云っちゃった?」
 晃実は思わず粋に助けを求める。
 その粋もまだ驚きから()めやらぬ状態だ。
「だって……雄士は海堂を名乗ってたから、海堂将史は雄士を養子にしたんだって思い直したんだけど……戸籍を見ればわかるよね?」
「そんなものが必要だったことなんてない」

 ましてや将史を恐れ、雄士が勘違いしていることを知ったとしても、その勘違いを進言するものなどいない。
 そして幼かった雄士自身も畏れを抱き、何一つ訊くことはかなわず、今に至ったのだ。

 きっぱりと云いきられたその言葉で、雄士が知らなかったことがはっきりすると、晃実は混乱して黙りこんでしまった。
 海堂将史はなんのために自分が父親であると思わせたのか。ただ単に従わせるためなのか。
「……なるほどな……晃実、おまえが知ってることを全部話してもらおうか」
 やがて、雄士は目を()えて、これまでにないほど冷酷な声で説明を要求した。
 その冷酷さはここにいる者に向けられたものではない。それは晃実も粋も承知している。
「え……でも……」
 晃実はためらった。
「ボクも知りたいです」
 粋が真剣な顔で催促した。

「いいから話せ。おれは何を聞かされようが取り乱したりしないし、そんなガキでもない。おれに関することだ。知る権利はあるだろ」
 先刻よりは柔らかい声だった。

「……わかった。わたしの知っている限りの記憶をあげる」
 三人は手を重ね合わせ、晃実が目を閉じると同時に呼応力を全開にした。


 滞っていた(いにしえ)は現下へと形を織り成し、時は終焉(しゅうえん)へと動き始める。

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