Xの記憶〜涙の見る夢〜
第3章 時の始動 9.敵と御方の狭間
「おやおや、御大のご登場ですか」
粋が嫌味たっぷりにそう云った。
雄士は粋を睨みつける。
「おまえ、離れろ。まだ信用したわけじゃない」
「あなたに信用されようがされまいが、ボクと晃実には関係ないことです」
仲が悪いとは聞いていたものの、誰が見ても気づくほど二人は険悪な様子だ。
「関係ない、だと?」
恐ろしく低い声で雄士が威圧する。
しかし、粋には通じない。
「そうですよ。ボクは晃実の御方だけど、あなたはそうではない。はっきり云って、あなたは敵です」
「御方、か……」
「そうです」
「おれは敵じゃない」
「御方でもない」
しばし、雄士と粋の間で沈黙の闘いとなったあと、雄士はそれを否定しないまま話題を変える。
「おまえ、晃実が眠っている間にどこで何をしてた」
「ふーん、ボクがいない間に来たわけですか」
晃実の存在を忘れているかのような二人は、剣の応酬をやっているように殺伐とした雰囲気を纏っている。
「何をしてた?」
繰り返された問いに粋は肩をすくめる。
幼い姿のせいで、傍から見るとそれは生意気なしぐさであった。
「買い物ですよ」
「買い物?」
「ボクだっておなかが減るんですよ」
晃実は起きたときから気になっていた疑問を思いだした。
「あ、粋、お金はどうしたの?」
「持ってませんよ」
…………。
刹那、三人の時間が止まる。
「それって……」
「泥棒だ」
晃実のあとを引き継いで、雄士が判決を下した。
「おまけに異能力の乱用」
まさに、ああ云えばこう云う、状態の粋に、だんだんと苛立ちを隠せなくなってきていた雄士はここぞとばかりに責める。
「あとからお金は持っていくつもりでした」
「今更の云い訳だな」
「本当ですよ。晃実が眠りを必要としてるときに途中で起こしてしまうのは忍びなかったんです」
粋は文句があるなら云ってみろと云わんばかりだ。
「おまえの減らず口には閉口するよ」
なんと云われようがどこ吹く風という様子で、粋はまた首をかしげた。今度は粋の報復が始まる。
「ボクがいないときに来て、まさか晃実に手を出したりしてないですよね」
「おれは寝込みを襲うほど卑怯じゃない。ましてや子供に手を出したりするほど不自由もしていない」
どういう意味かわからず、ただ『子供』という言葉に晃実は顔をしかめた。
「ふーん」
「何が云いたいんだ」
粋の思わせぶりな納得に、雄士が剣を含んだ声で問いかけた。
「別に」
粋は惚ける。
「おまえ、その口を閉じる方法を身につけろ。命取りだ」
「おや、御大がボクの心配をされるんですか。感謝しなくてはいけませんね」
晃実にでさえ、雄士の発言が心配ではないとわかるほどの嫌味なのだが、粋は平然と云い返した。
もちろん、粋の口調には感謝の気持ちなどない。
「粋も雄士も、それ以上、云い合ったって不毛なだけだよ」
晃実がついに口を挟む。
それで口は閉じられたものの、今度は睨み合いがはじまった二人を晃実は見比べた。
「あ……二人とも顔に傷があるよ。どうしたの?」
互いに頬に薄っすらと一筋の傷を持った二人は睨み合ったまま、訳を話そうとするそぶりも見せない。
すると晃実はパンッと手を叩き、
「あ、そっか」
と独りで納得した。
「なんだ?」
「二人して同じとこを怪我するなんて、実はけっこう仲良かったりするんだ。ケンカ友だちなんだね」
あまりに実際とかけ離れた突飛な晃実の発言に、粋と雄士は唖然として、次には二人同時に言葉を吐く。
「まさか!」
「まさかですよ」
晃実は笑う。
「ほら、ちゃんと気があってるじゃない。照れなくてもいいのに」
「晃実、浮世離れしすぎです」
粋はなんとか晃実の思考回路に追いつこうとそう応じたが、雄士は言葉を失うほど呆れ返っている。
「冗談よ」
そう云っても、雄士が立ち直るには時間を要した。
その間、晃実と粋は悪行の解決策について、明らかに楽しげに話し合っていた。
「どうやってお金を返しにいく?」
「……お金を返す方法なんて、異能力を使えば何も問題ないだろ。わざわざ盗んだぶんのお金だって云う必要ない」
「雄士、やっと起きてくれたんだね」
「おれは眠ってない」
「そうだったんですか。ボクはてっきり、あなたが目を開けたまま、しかも立ったままで眠れる特技を持っているんだと尊敬してたのに」
一触即発のムードが漂う。
「いい加減にしろよ」
雄士は顔にも声にも凄みをきかせて云った。
「そうだよ。粋、もう雄士をからかっちゃだめだよ」
「おまえもだ、晃実」
「……はい」
雄士の迫力をもってした咎めに、晃実は小さい声で返事した。
「でも、それって八つ当たりだよ……」
晃実はあくまで反抗的だ。
「ったく、おまえらガキは何考えてんだよ。遊んでる場合じゃないだろ。今どういう状況にあるのかわかってるのか」
晃実と粋は顔を見合わせた。
「雄士が来たってことは何か用事があるってことだよね」
「ようやく気づいたか」
いつもの尊大さを取り戻して雄士は本題に入った。
「ようやく、じゃない。はじめからちゃんとわかってる。用事もないのに、雄士がここに来るわけないから。何か動きがあったってことだよね……恭平のこと?」
先刻までとは打って変わって、晃実は真剣な顔になった。
「それで?」
粋が催促する。
「懐柔を任された」
「雄士が……?」
雄士がうなずくと晃実は、
「そう」
と、ため息を吐くように云った。
「BOMは使わないの?」
晃実が問うと、雄士は責め立てるような眼差しを粋に向けた。
「BOMを使えば、最終的にはシャイの思うままにされますから、それを使わないですむならそれに越したことはない、ということですよ」
粋は当然のことながら動じることもなく、理路整然とした説明をした。
「そのまえに連れだしてもいい」
雄士が再び晃実に目を向けて申しでたが、彼女は横に首を振った。
「なぜだ。助けたいんだろ」
「恭平、死んじゃうから」
「晃実の再生力があれば、何も問題ないでしょう」
粋の言葉に晃実は自分を責めるように笑った。
「わたしの力には欠点があるの」
「おまえのエネルギー量が誰より劣っているのは知ってる。それはフォローすればすむことだろ?」
「違う。それとは別に……わたし……粋も雄士も知ってるように、感情をうまく制御できない。再生力って特に集中力を必要とする異能力だってわかるよね? 怒りや憎しみの感情はもともと外に向かうものだから、意外と簡単に精神集中して放つことができる。でも、泣きたくなるような恐怖は自分の中にこもってしまって、その感情をセーブできなくて再生力が使えない精神状態になるの」
雄士はもの問いたげに、粋は承知しているようにうなずいて晃実を見つめた。
「自分で自分がわからなくなるくらい、わたしの中は錯乱状態になる。それと、人が生まれながらにして授かってる、寿命や運命に手を出しちゃいけないっていう気持ちもある」
「けど、おまえは手を出しただろ」
「あれは、仕方なくだよ。DAFの場所がつかめなかったから、誘いだすためにしたの。わたしも恭平も相当の覚悟をしてた」
「作戦自体は成功したわけですね」
「そう。でも、気づいてた?」
晃実が二人に問いかけると、逆に問うように彼女を見返した。
「列車事故の乗客数と、飛行機事故に遭遇した人の数、それに自動車事故に巻きこまれた人の数が酷似していること」
雄士と粋は息を呑む。
「偶然……か」
「三度もですか。それも二カ月の間に、関東近郊に集中して……?」
…………。
「そういうのって考えだしたらすごく怖い。結局、誰かの命を救ったとしても、ほかの誰かが身代わりで死んでしまうかもしれない」
「そんなことを気にする必要はないだろ。おまえの意思しだいでいいんだ」
「けれど、ボクたちが及びもつかないほど、とてつもなく大きな意思がこの宇宙に存在するのかもしれません」
「うん」
「余計なことを」
沈んだ晃実の返事と同時に雄士は舌打ちし、粋を睨みつけた。
「……今、恭平はぼろぼろの状態だから、連れだしてる途中できっと死んじゃう。わたしが無理にそんなことをして恭平が死んだときに、それを運命になんてしたくない。それ以前に、助けられないかもしれないって怖さがわたしの力を無力にする。再生力が使えたとしても、自分の代わりに誰かが死んだって知ったら、恭平はきっと自分を許さない」
晃実は自身の救いがたい精神的弱さも非力さも知り尽くしている。
それを助勢してきた恭平がいない今、彼を助けだすという意思だけが晃実を支え、目的を果たそうとひたすらになっている。独りになろうが、どんな手段を使ってでも終わらせる。
それが恭平との約束。
「どちらにしろ、わたしの異能力は肝心なときにはなんの役にも立たない。恭平と粋の母さまが亡くなったときは、わたしの再生力はすでに完璧だった。でも舞子ママの想いが伝わってきて、わたしの中で感情が共鳴して、力に集中することが全然できないままに見殺しにした」
晃実は膝を抱えて顔を埋めた。涙を堪えているせいで喉に熱い塊が絡み、焼けつくように痛む。
ブレスがうろうろと纏わりついた。
「晃実のせいじゃないですよ」
「……恭平も全然わたしを責めなかった。それってすごくつらくて……わたしが大切に想う人をわたしは救えない。こんなどうにもならない異能力なんて要らないのに……」
膝に顔を埋めているせいでくぐもった晃実の声は、余計に悲愴さを映しだす。
雄士は晃実の正面にかがみこむと、晃実の頭を両手で挟んで顔を上げさせた。
「おまえが云ってることは矛盾してる。人の死の時期はおまえが決めることじゃないと、今、おまえ自身が云っただろ。助けたい命を救えなかったからって自分を責める必要はない。おまえのせいじゃないだろうが」
「じゃあ、わたしはなんのために在るの?」
晃実は答えを見出そうと、目の前の雄士の瞳を縋るように覗いた。
「それはこれから探していけばいい」
「そうです。ボクも一緒に探しますよ」
雄士が晃実の顔から手を放した。
「粋……ありがと……」
「どういたしまして」
「雄士……」
「なんだ」
晃実は雄士に向かって手を伸ばし、その首に回して引き寄せた。
思ってもみなかった突然の晃実のしぐさに、雄士は戸惑いを隠せない。その腕は憶えのない懐かしさを感じさせた。
「どうした」
「恭平を……恭平を海堂にあげる。そうしたら恭平は元気になるでしょ……だから、恭平をあげる」
「それでいいんだな」
「うん」
「……泣けよ」
雄士も晃実に手を回すと、そうつぶやいた。
「このまえは、泣くなって云ったよ?」
晃実は雄士の首もとに顔を埋めて、クスクスと笑う。
それは次第に小さな泣き声に変わっていった。