Xの記憶〜涙の見る夢〜

第3章 時の始動  8.BOM

 DAFは――海堂将史はあの“時”に、何も学ぶことはなかったのだ。
 奸計は終わることなく、形を変えて着々と進められていた。

 あの時の死は全部が無駄に終わった。
 なんのために死を急がなければならなかったのか。
 あの苦辛(くしん)のなかでも、まだ彼らの未来はゼロではなかったはず――。
 今なら、彼らを救えたかもしれないのに。

 わたしの力はいつもその時にまにあわない。
 わたしの力はいつもその時に役に立たない。


「ミームという遺伝子の存在は、異能力のなかで最も恐るべき力を生みだします。高度な技によっては人を望みどおりに動かすことができ、異能力者でさえ、その意思が弱ければ操られる。つまりは全世界の実権を握ることも可能ということです」
「そこまで扱える能力者がDAFにいるの?」
「いますよ、一人。いや、二人というべきなんでしょうか。会ったでしょう? シャイとグレイに」
「あの子たちが?!」
 晃実は驚きと困惑に、粋を鋭く見返した。

「そうです。『たち』というよりはシャイの力ですね。シャイの力は遠隔操作も可能なんです。ただ、DAFは使いきれていません。シャイ自体を完全にコントロールできないんですよ。無理強いすれば逆にコントロールされかねない。だから、シャイのミーム遺伝子とほかの異能力者の遺伝子を融合した、“血誓(けっせい)”をまず開発し、そしてコントロールするためのICチップとその血誓の結合に成功しました。その血誓媒体――() Medium(ミディアム) for(フォ) Bloody(ブラッディ) Oath(オース)、通称“BOM(ボム)”を躰に埋めこみ、無線でデータを飛ばすことによって操作が可能になったんです」

「開発は成功したってこと?」

「完璧とはいきませんが。簡単な作業はプログラム可能です。人間の習性は感情を加味すればさらに複雑になりますからね。データを集結するだけでコンピュータはクラッシュしますよ。だから簡易プログラミングしかできない。指示後はその時々の状況をやり取りしつつ、その都度データを送りなおしますから、若干(じゃっかん)のブレは出ますが問題ない程度まで修復は可能なところです。そして、シャイのミーム遺伝子を使ってる以上、シャイはその意思で遠隔操作を容易にできるわけです。今のところ、シャイにその気はないようですから、DAFはBOMを使うしかありません。とにかく細かい命令まではまず無理ということですが、それでもボクは自分の意思を無視されて遠隔操作されるような躰はごめんです」

「粋のクローンからそのBOMを取り外せば問題ないと思うけど?」
 粋は首を振って晃実の意見を打ち消した。
「BOMは一旦、躰に入ったら、その血誓遺伝子がすべての組織を巣食います。血誓は躰の拒絶反応を防ぐがために、その躰の遺伝子を使ってつくられるんです。もし外せるとしても、シャイの影響までは除けません」

 雄士の中に入っていたとき、グレイの云いかけた言葉が晃実の脳裡(のうり)をよぎる。
 恭平は……。
 晃実は強く目を(つむ)った。


 無法地帯に置き去りにされた子供のように感情がぶれ、心がざわめく。
 四方天地が無の空間に放りだされたように躰が(ろう)され、心が揺れる。
 制御不能に(おちい)る感覚。
 心の中に入りこんだのか、入りこまれたのか。

『あ・な・た・は・だ・れ・?』
 共鳴する声。
『あ・な・た・は・だ・れ・?』
 問い戻した声。
 果たしてどちらが“晃実”の声であったのか――。
『ど・こ・に・い・る・の――?』
 同時に発した声に感じたのは、不安なのか安心なのか。
 一つ、はっきりしているのは。
 その声の主とは必ず会える。否、廻り合わなくてはならない。


「粋はどうしてそこまで知ってるの?」

「ボクは身動きが取れませんから、DAFは油断したんですよ。異能力ゆえに脳は至って正常でした。というより、脳だけが人より異様発達しました。躰が機能ストレスを持っていただけに、トランス薬を使われることもなく、結果、少なくとも研究所内でやってることはすべてボクには筒抜けです。ボクに知恵があるとわかったときにはもう手遅れでした。トランス薬が使われるたびに“脱躰(だったい)”してましたから。DAFは乗っ取る躰がないと脱躰できないと思いこんでいるんです。それで、ボクにはトランス薬が効かないという、見当外れの結論を出しましたよ」

 粋は首をかしげてほくそ笑んだ。
「……脱躰って?」
「自分の躰を離れるんです。長時間は無理ですけど。幽体離脱って知ってますか」
「うん。いつかくだらないテレビ番組で見たことある」
「ボクはおもしろいと思いますけどね。それと似たようなものです」
 晃実がめずらしい人間でも見るようにまじまじと粋を見ると、彼はニッと笑い返した。
「わたしたち、テレビ番組の争奪戦やらないといけない?」
 そう云った晃実の顔は真剣だった。
 粋は半ば呆れたように顔をしかめて晃実を見返す。
「そんなことにはなりません。文明の利器をフルに活用すればなんてことない問題でしょう。話がずれましたよ」
「あぁ、ごめん。わたしの脳の浄化作用なの。重たい話ばっかりになってくると、集中力が途切れることがあって……というより逃げてるのかな」
「確かに、厳しい話ばかりですから」
 粋のなぐさめを拒否して、晃実は横に首を振った。
「そんなの云い訳にならないよ。同じ条件のはずの恭平はちゃんとしてた」
「そうすることで消化できれば、別に問題になるようなことではないでしょう」
「ありがとう」

 晃実の口もとが感情とは裏腹の微笑みを象る。
 晃実は闘えるのか?
 粋は強いて曖昧(あいまい)な言葉を使わず、厳しい現実を晃実に突きつける。

「この次、恭平と会うときは、もう晃実の知ってる恭平じゃないですよ」
「覚悟は……してる。でも最後には絶対に取り戻すの」
「最後?」
「そう。どんな形であれ、わたしはDAFを潰さなくちゃいけない。それを必ず見届ける。その過程で恭平と闘わないといけないのなら、恭平を倒さないといけないのなら、わたしがやる。そして、すべての(かた)が付いたら恭平を取り戻す」

「それはつまり――あとを追うと……?」
「そういうふうに聞こえた?」
 晃実は会話の内容に相応(ふさわ)しくない軽い口調で、粋の質問をはぐらかした。
「異能力者であることって……つらいかな……」
「便利ですよ」
「とってもね。でもね、母さまたちはわたしたちを怖がってた。異能力で人を(あや)めてしまったら……もしかしたら自分も殺されるかもしれない、自分の考えが読まれてるかもしれない、とか……怯えてるのが伝わってくるの」
 足の上で丸くなっていたブレスがニャンと鳴いて伸びあがり、子供が抱っこをねだるように晃実の首もとに絡みついてきた。
「ボクは晃実がくれた、母のやさしい想いしか知りませんからね」
 晃実はブレスを抱いて、その背を撫でた。

「やさしかったよ、すごく。わたしたちが間違った方向に進まないように必死になって育ててくれた。自分のことなんかそっちのけで……わたしは何も返してやれなかった」
「見返りなんか必要じゃないでしょう? それが親だとボクは認識してますが」
「……うん」
「泣かないでいいですよ」
 晃実は笑ってしまう。
「恭平も雄士も、それに粋までも、わたしに同じことを云ってる。泣いてなんかいないのに」

「表面上のことじゃない。気持ちのことを云ってるんだ」
 そう云ったのは粋ではなく、突然の来訪者だった。

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* 文中“血誓”は造語です。