Xの記憶〜涙の見る夢〜

第3章 時の始動  7.meme

「ミームって?」

「思考を操る力ですよ。人間はミームという、脳から脳へとコピーを繰り返すマインドウィルスを持っています。いちばんわかりやすい例えは“神”という名の存在です。実際に神と会った、話した、という人はいません。どこから神が現れたのか 。遙か昔、人間は“天”に興味を持ち、流れる“時”に気づきました。過去を(おぼ)え、未来に()せる思いは、死を(とうと)び、歴史を計算し始めます。“宇宙”という手に取れないもの、“時間”という目に見えないものを説明するために“神話”は生まれたんです。これは太古(たいこ)の昔から人間という限られた生物の中に引き継がれてきた、ミームにほかなりません。国も人種も問わず、その考えこそ違いはありますが、“信仰(しんこう)”というものが“神の教え”として存在している、ということがミーム実在の(あかし)です。大抵の人間はそれを操るよりは操られる側ですが、(まれ)新興(しんこう)宗教の教祖のように操る力を持つ人間がいます。異能力者となれば、そのミームを操る能力を備えているということです」

「脳から脳へ伝えるってことは、それはつまり、呼応力もそのミームの一種ってことね?」

「はい。DAFの研究結果、異能力者はマインドコントロールとしてのミームではなく、形のあるミームと呼べるウィルスを保有しているということがわかりました。光速に近い速さでミームウィルスが放たれることにより、呼応力は発揮される。バイオフォトンを追っての一点集中して放つことはもちろん、あらゆる方面への放出も可能。もちろん、受け手がミームをキャッチする呼応力を持っていればの話。異能力者は云うに及ばず、人間の中にも受け取れる者がいるかもしれません」

 粋は驚くべきことを説明した。DAFは思いのほか、多種に及ぶ方面で研究を進めているのだ。
「さっき粋は『わたしも使える』って云ったけど、使えない異能力者もいるの?」
「呼応力程度は意識せずとも、異能力者なら普通に“使える”でしょう。ボクが云ったのは高度な()、ミームを“利用する”ということです。晃実は形あるミームを使って、恭平の記憶を“操作した”んでしょう?」

「わたしと恭平の使い方は血を使ったやり方なの。血を介した催眠術みたいなもの。ただ願うの。それって、ミームっていう遺伝子ウィルスで意識、もしくは記憶を生成してることになるのかな。そしたら血を使うやり方は、さっきの粋の説明からすれば、ミームというウィルスが実際に躰に入って意識を侵食するということだから、いちばん効力のある使い方になるよね。でもこれは……わたしは、自分がそのミームを利用できるっていうこと、昨日まで……恭平が『血の破約』という言葉を口にするまで知らなかった。というよりは……封印されていたの」

 粋は探るように晃実を見返した。
「どういうことですか?」
「わたしも記憶を操作されてるってこと」
「誰に?」

「それがはっきりするならミームの効能はないってことだよ? 恭平に操作されていたことは確か。でも、恭平はそのミームを解いたの。解いたはずなのに、新たな記憶の部分と逆に記憶が欠如(けつじょ)した部分がある。欠如したというよりはあやふやになったというほうが合ってるかもしれない。恭平はミームの利用方法を知っていた。もちろん、記憶を操作されるまえのわたしも。恭平が一部分の記憶を解除せずにミームを解いたってことがあり得る?」

「恭平については……なんとも云えません」
 それは粋らしくない曖昧な発言だ。
「どうしたの?」
「いえ、晃実は恭平の特殊な力についてどこまで知ってるんですか?」
「特殊な力って……予知力のこと?」
「そうです」
「どこまでって……」
「ボクは恭平を乗っ取ろうとしたんですが……結局は実現できませんでした。あきらめざるをえなかったんです」
「どういうこと?」
 今度は晃実が(いぶか)るように粋に問いかけた。
「恭平の“予知力”は所謂(いわゆる)、仮想話に出てくるような予知ではありませんよ。すべて“計算”です」
「計算?」
 晃実は目を見開いて確認を求め、それを受けた粋はうなずき返す。

「恭平の頭の中は情報だらけです。大気、生態系の状況、歴史、各人種の習性と感性、それら地球上のことを、地上から、そして宇宙空間から降り注ぐ永久的な宇宙線と光の中の記憶を受け取って、常に情報を収集している。スーパーコンピュータをどれだけ合わせても足りないくらいの情報を、恭平は常時、計算処理しているんです」

「その計算結果が予知?」
「そうです。恭平はそれらの情報をすべて噛み合わせたうえで計算しながら、同時にその結果を削除するということを繰り返している。その中で強烈な計算結果だけが予知として残るんです」

「でも飛行機事故と、DAFが……えっと粋がやったことになる? あの高速道路の大事故は予知できなかった」

「ボクが起こした事故については異能力者が絡んでいるからですよ。わかりませんか? 異能力者は、現時代(いま)、新しく誕生したんです。歴史上に存在はなく、よって計算の基礎となるデータがほとんどゼロなんです。例えばロボットについてなら、どんなに機能が発達しても動きは所詮データであって読むことは可能ですが、感情を持った人間が異質の能力を持ったときにどう行動するのかは、複雑すぎて計算がずれてくるんだと思います」

「異能力者が絡んだものは予知不可能ということ?」
「ボクはそう思っています」
「でも恭平は、予知できなかった、って云ったんだよ? その計算を恭平は意識してないってこと?」
「おそらく。飛行機事故については、データは存在しても、計算結果を予知として残せなかったのかもしれない。意識下で計算をやっているとしたら、たぶんほかのことは何も手につかない。恭平の思考回路は異質すぎて、完全に乗っ取りはできないとボクは判断しました。乗っ取っても、長期になれば集中不可能です」

 晃実は顔をしかめて考えこんだ。
 予知力が計算としても疑問が一つ残っている。数字の一致は何を意味するのか。
 恭平は晃実が関知しないところで、いろいろな事実を知り、あるいは計算し、何かをつかんでいたのかもしれない。
 今となっては……いつか……訊けることがあるのだろうか――。
 わたしが恭平に記憶を操作された理由はなんだったのか。
 わたしが幼き“彼”の記憶を消した理由はなんなのか。
 恭平はあとを任せる、と晃実に託した。
 わたしのこれからの判断一つで、未来が果たして違ってくるというのか。
 わたしの記憶にある過去の事実は、果たして、真実でありえるのか――。
 閉じても閉じても溢れだすわたしが求める心とは何か。
 疑問は不安を呼び、不安は恐れを呼び、恐れは絶望を心に募らせる。

「粋はなぜ、恭平の躰を乗っ取ろうとしたの?」
「自由な躰を手に入れたかったんですよ」
「でもそれは、例えば粋のクローン、よね? それでもいいはずでしょ?」
「普通の人間を乗っ取っても能力が使えない。クローンについては、自分の意思を無効にされるような躰はボクの望むところではありませんから」
「意思を無効にって?」
「順を追って説明します。まず、DAFの異能力者は自分の意思を持っていない」
「どうして?」
「考えてみてください。ノーマルな人間の命令を異能力者がいつまでもおとなしく従うと思いますか? DAFは異能力者を製造したんです。飼い犬に手を噛まれるようなことがあってはならない。DAFはボクらを生みだすと同時に意思を奪う薬の開発を進めたんです。意思がなくなれば催眠によって操ることができるんです」
 過去が不意に甦る。
「……異能力を病気だと云われて入院させられてた頃は……同じ病棟にいた子たちが次々に亡くなっていってた……」

 いつかはわたしが――。
 幼くてもそう察することはでき、晃実は終始それに怯えていた。怯えていたという言葉では足りないほどの思いだしたくない過去は深層に沈めていた。
 それが甦ったとともに曖昧な部分がまた増える。


 ポタッ…………ポタン…………ッ。
 手に持った(うつわ)の中に滴が垂れる……。
 誰にも見られたくなかったのに。

 ねぇ、何やってるの?
 その声にビクリとして器が手から(すべ)り落ちる。
 あっ――!


「晃実、どうしたんですか」

 それが床に当たり、割れる瞬間、粋の声が晃実を現実に戻した。
 晃実は目を(しばたた)いてリアルな残像を消し去った。
 何を見られたくなくて、それを誰に見られたのか。その部分が思いだせない。それとも思いだしたくないのか。

「ううん……わたしたちはほんとに実験台だったんだなって思って。あの頃、何人の子が死んでいったんだろう……」
「確かに薬の実験台にはなりましたが、晃実が思っているほど、そのせいで死んだ子供はいませんよ」
「どういうこと?」
「DAFにいる異能力者はその当時の『死んだことにされた』者ばかりですよ。ボクのクローン以外は」
 晃実の瞳があまりの驚愕に大きく見開かれる。
「だって、あの子たちのお母さんは泣いてた……」
 冷たくなった子供に泣き(すが)る母親たちの姿が演技だったとは思えない。能力ゆえに壁をいくつ(へだ)てていてもその声や姿は晃実や恭平に届いていた。
 だからこそ、自分のばんを恐れて、待って、いたのだ。だいいち、なんのために演技をする必要があるのか。
「仮死状態をつくって、すり替えたんです」
「そんな……」

「トランス薬剤はすぐに開発されたんです。それを使って、仮死状態を自らに施すという暗示をかけます。日本の火葬という風習は便利ですよ。骨なんて簡単にすり替えられます。実際に遺族が火葬されている瞬間を見ることはないでしょう?  海堂がやることです。その実権さえ握っておけば、問題ないことですよ。ただ、それらの死について不審を招くわけにはいかないから、まとめてやらなかっただけのこと。晃実にも恭平にも順番は回ってきたはずです。ある日を境にぷっつりと途絶えましたけどね。そのあとに生まれた異能力者はボクのクローンだけです」

「なぜDAFは今、異能力者を生みだしてないの?」
「造らないんじゃなくて造れないんですよ。十四年前、海堂総合病院である事件がありました」
「爆破事件のこと?」
 晃実の瞳が心痛にかげる。
「詳細は知りませんが、当時は国からかなり追及を受けたようです。大事にならず、処理はできたようですが、慎重にやらざるをえなくなったんです。異能力者の種もなくなり、何よりも生みだすには母体が必要でしょう。いくらお金を出して納得させても、秘密保持の補償はどこにもない。そういう状況下でなんとか生みだしたボクのクローンは失敗作だった。だから今は、製造自体はやめているんです。クローンの研究は進めているようですが」

「クローンについては何を失敗したの?」

「クローンは意思どころか、感覚神経の発達が皆無。人形と変わらない。思考回路がないから暗示自体に意味がありません。彼らを使うにはロボットを動かすように、あらゆるパターンを考えたデータのインプットが必要なんです。そこでDAFは遠隔操作を可能にする血誓(けっせい)媒体を開発し始めた」

「そんなことが可能なの?」
「話を戻しましょう。ミームです。DAFはミームを利用したんです」

BACKNEXTDOOR
* 文中“meme(ミーム)”とは …
  文化的遺伝子のこと。心の遺伝子。マインドウィルス(例:流行や宗教など)
  リチャード・ドーキンスの著書「利己的な遺伝子」により名称が確立
  専門職の立場によって定義が異なる。DNAという遺伝子とは違い、実態はない。
  物語では、これを実態ある遺伝子としています。呼応力(テレパシー)もミームとの位置づけです。