Xの記憶〜涙の見る夢〜

第3章 時の始動  3.血の記憶

 二時間前と同じ場所に晃実は降り立った。
 目的の一つはすでに遂げた。恭平に伝えること。
 しかし、また一つ目的は増えた。この一回でその二つのことをやり終えなければ、二度とDAFのシステムはチャンスを与えてくれないだろう。

 ニャン。
 晃実の腕の中にいるブレスが短く鳴いた。
「利用しちゃうけど、ごめんね」
 晃実はスポーツスタジアム・カイドウの正面入り口からブレスを敷地内へと放った。
「ブレス、さあ行って」
 ブレスが敷地内の赤外線に触れると同時に、晃実は転移をした。
 玄関正面にある渡り廊下のガラス窓から研究所の中へ、そしていちばん奥にある階段の踊り場に入りこむ。すぐにコンピュータ管理室から一人が出てきて外へと向かった。しばらく様子を見たが、あとはなんら変わった行動は見られない。
 一度侵入されているというのに、この手薄な警戒は余裕の裏返しなのだろうか。それともここはダミーなのか。いずれにしろ、今回の目的はここですむ。

 よし、やれる。
 晃実はコントロール室の廊下まで移動すると、そのまま床を階下へと抜ける。
 この二日間、ただDAFが現れるのを待っていたわけではない。その成果はここにある。
 鉛混入の床を通り抜けても、体力の消耗と気分の悪さは感じるが、どうにか我慢できる程度までになった。
 一秒もかからずと恭平がいる地下へ降り立つ。
 横にいる少年が眠っていることを確認すると、晃実は鉛の蓋を開けて、三度(みたび)、衰弱した恭平と対面した。手に触れると、即、恭平が目を覚ました。

『……晃実……血の破約は……また晃実を苦しませる……けど……大きな賭けを……僕は……晃実を信じている……』
『わかった』

 恭平の手をベッドから()らした。
 やり方は“血の破約”という言葉を聞いたときに、その言葉の意味とともに思いだした。
 過去を(さかのぼ)る感覚は気分のいいものではなかった。
 今、またその感覚を強いられる。
 晃実はかまいたちのように恭平の手の甲に切り傷をいれた。そこから滲みでる血は驚くほどに薄い色をしている。恭平の蒼白いその姿は、まさに体内の血の色のせいだった。DAFは拷問(ごうもん)という手段を用いているのだ。
 晃実は血が滲むほどにくちびるをかみながら、自分の手の甲にも傷をいれた。細く滴る恭平の血をその自分の傷で受けた。
 恭平の血液が晃実の中に浸透していく。奇妙なほど現実味を帯びて体内で脈が打ち始める。血液が躰中を走り抜け、血管を破りそうな激しい感覚。
 ――――――。
 それとともに晃実の中に埋もれていた記憶が現れ、信じていた現実の構成の一部が偽りであったことを知る。
 あるいは、全部が嘘なのかもしれない。

『恭平……これは……どういうこと……?』
『晃実の中の記憶は……“血の封鎖(ふうさ)”を……何度やっても完全に消し去れない……求める心が強すぎて……わずかな心の動きから漏れだしてくる……僕は……あとは晃実の意思に……これ以上は任せるしかない……早く……』

 確認したいことも訊きたいことも山ほどある。
 その余裕がないほど血の破約は晃実を驚愕(きょうがく)、且つ動揺させた。
 実際、訊ねる時間はない。
 恭平と自分の傷をいったん再生力で修復した。晃実はありったけの冷静さと意思をかき集めた。再度、切り傷を入れると、今度は逆に晃実の血を恭平の傷口に流す。
『何を……?!』
 恭平の驚きと困惑が伝わってくる。
『こうしないと、恭平はわたしと闘えないから……ごめん。生きて会いたい……お願いだよ』
 恭平の躰が抵抗するように激しく()ねるのを晃実は押さえこむ。その苦しみはすぐに止んだ。血の封鎖によって、恭平の恭平としての意識は削除された。

 わたしの記憶は操作されている。恭平の意思によって。あるいはほかの意思ということもありえる。
 恭平に血の封鎖をした今、わたしが真実を知ることは永久にないのかもしれない。

 恭平が静かに眠りに入ると、数歩(へだ)てた隣のベッドに寝ている少年の横へと来た。
 透明のアクリルケースの中には、小さいままの恭平の兄と名乗る少年が入っている。見た目は幼稚園児か少学の低学年くらいの姿で、標準よりは痩せている。眠っているのか微動だにしない。かすかな胸の上下が生きていることを示している。繋がれたチューブを外してしまえば、この少年の命はないだろう。
 晃実は後ろを振り向いて、管理室の様子を窺った。彼らはまだ気づいていない。
 手緩(てぬる)い。もしかしたら、あれ以来、何も進展することはなかったのかもしれない。
 晃実は一瞬、甘い考えを持った。

 でも、それならあのグレイとシャイの存在は……。
 考え廻っても答えが出るはずはなく、今は今、やるべきことを。

 アクリルケースを粉と化した。少年の躰に繋がれた注射針や人工呼吸器やらを全部引き抜く。
 晃実は目を閉じて胸の前で手を合わせ、精神集中した。瞬間転移をするだけの力を残して、力を(たくわ)える。閉じていた目を見開き、力が宿った両手を前に突きだした。力が放出され、地下の天井から一階の壁へと斜めに抜ける。
 ドンッ。
 ものすごい轟音(ごうおん)とともに、一瞬にして吹き飛ばされた場所から青い空が覗いた。
 いくつもの叫び声が重なる。
 それを気に留めることなく、少年を抱きあげる。

―― な、何を……!

 手に抱いた少年が意識を取り戻して、驚愕の言葉を吐いた。いや、話すことのできない彼は、言葉にはせずにただ思ったのだ。
 ドアが激しく音をたてて開いた。
「何をしてるんだ!」
「坊やが死ぬわ!」
 スタッフが叫ぶ。

 晃実はかまわず門まで転移した。そこに待っていたブレスをすくって、残りの力をすべて転移に託す。
 フッ。
 消え失せると同時に小さな竜巻が起こり、そしてすぐに何事もなかったように風が静まった。


―― ボクは生きられない!

 マンションの空き室にたどり着いたとたん、少年は叫んだ。
「わかってる」
―― ボクを殺すんですか……息が……!
「わかってる。云ったでしょ。わたしなら治せるって」
―― 何が望みですか……?
「協力して」
―― 何を……?
「あなたはDAFのことをよくは思ってないよね。彼らは酷いことをやってる。それに恭平をDAFには渡したくないでしょう!」
―― ……わかりました……早く……息が!
「わかった。もうちょっと頑張って」

 晃実は目を閉じた。呼応力を一点に、一人に集中する力をかき集めた。

―― お願い、ここへ来て!

 瞬く間に、彼は晃実の呼応力を追って(かたわ)らに現れた。
「力を貸して」
 晃実は雄士を見上げて率直に頼んだ。
 雄士はこの部屋にいるもう一人の人物に気づくと、これまでにないほど顔を(いぶか)しく歪めた。
「いったいおまえは何をやってるんだ?」
 責めるような口調だ。
「いいから、力を貸して! 残った力じゃ足りないの。早くしないと死んじゃうわ。嫌なの?」
 雄士は、
「なんて奴だ」
とつぶやきながら、晃実の額に自分のそれを重ねた。
 晃実の内部に力が満ちてくる。
「下手したら自殺行為だぞ」
 雄士は晃実がしようとしていることを察して云った。
「大丈夫。きっとそんなことにはならない」
 晃実は笑って断言した。
「補佐してくれる?」
 雄士は呆れたように首を横に振りながらも、了承したように片手を挙げた。

 まったく、誰に協力を頼んでると思ってるんだ。おれは御方(みかた)じゃないんだ。
 内心で愚痴(ぐち)じみた言葉を吐きながらも、晃実の力に興味を覚えた。

 雄士が晃実の肩に手を添え、晃実は少年の額に手を置いた。その手に再生の力を集中させる。触れたところから少年の躰に再生の力を浸透させていく。成長を(つかさど)る遺伝子に働きかけ、人間が自力で生するための最低条件である、呼吸器官とすべての臓器の自主性を完璧にするための再生力を尽くした。

 恭平は恭平、あなたはあなた。
 恭平の母さまはあなたのことを知らなかった。母さまたちは、わたしたちのことを守るために自分の命を捨てた。だから、あなたのことを知ってたら、捨て身であなたのことを助けだしたはず。母さまの恭平に対する想いは、あなたに対するものでもあるんだよ。わたしの中にある、あなたの母さまの想いをあげる。
 母さまたちの想いはわたしたちの力となる。わたしたちの想いはわたしたちの力となる。
 母さまたちの願いは一つ。
 背負わなければならなかった哀しみを、もう誰にも背負ってほしくない。
 わたしたちは間違った道を選択してはならない。
 あなたを受け入れようとした恭平のやさしさは、あなたの母さまのやさしさだから。間違ってはだめなんだよ。

 これからさきは、少年の選択。精神だけが成長したぶん、少年の異能力は脅威(きょうい)となるだろう。異能力は精神の集中によってはじめて発揮される力だから。
 これは()けだ。少年が、晃実の側につくのか、DAFの側につくのか、もしくは我が道を選ぶのか。
 選択によっては、晃実を危険に導く。それでも、あのままにしているわけにはいかなかった。少年に恭平を乗っ取らせてはならなかった。()いては少年のためにも。

 蒼白かった少年の顔にわずかに紅が差し、呼吸もほかの臓器にも自発性が出てきた。
 これで大丈夫。
 晃実は緊張状態を解いて音を立ててながら息を吐くと、隅に移動して壁にもたれかかった。

「ありがとう。あとは大丈夫だから」
「このガキがいるというのに、このまま帰れというのか」
 不機嫌なままの雄士が、かわらず責めるような口調で云った。
「そう。まずいんでしょ、お互いに?」
「それでなくても、このガキとは折り合いが悪いんだ。今更、おれたちの関係は良くも悪くもならないさ」
「……あなた、気づいてる?」
「雄士、だ」
 晃実が笑う。
「おれが何に気づいてないんだ?」
「仲間でもなんでもない雄士が、わたしの心配をしてること。それって、もう気紛れの域を超えてるよ」
 クスクスクス……。
 雄士のめったに動かない、整いすぎた顔がはっきりとしかめ面になった。
 それが可笑しくて、気だるさのせいか、晃実の笑いが止まらない。
「その笑い、止めてほしいか」
 怒気を含んだ声で雄士が云った。異能力を使って痛めつけてやろうか、と云っているのだ。
「だめだよ。抵抗する力なんて持ち合わせていないから」
 雄士がどんなに(すご)みを効かせても、今の晃実にとってはまったくの効力なしだった。
 …………。
 雄士は大きく息を吐いて、短い声だが心底から可笑しそうに笑った。
「おまえは甘いよ」
「わかってる。でも、道は間違ってないつもり」
 晃実は緩慢(かんまん)に笑った。再生力を使ったあとの特有の睡魔が晃実を襲いつつあった。

「けど、あなたはやっぱり甘すぎますよ。ボクを助けるなんてね」

 幼い少年が、突然にムクッと起きだしてそう告げた。
 晃実と雄士が驚きから覚めきらないうちに、少年は立ちあがって晃実の正面に歩いてくると、彼女の額に手を置いた。
 少年がニヤリと笑う。

「あなたの…………」
「何を……!」

 晃実の言葉に重ねるように雄士が云いかけた言葉を最後に、彼女の意識はぷっつりと途絶えた。

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