Xの記憶〜涙の見る夢〜

第3章 時の始動  1.融合

 晃実の願いどおりにしなければ、恭平はらくになれない。
 恭平が抵抗をやめたならば、晃実たちが暮らしていたこの部屋はすぐに暴かれ、DAFがここへやってくることは間違いなかった。
 その変化はなく、それは恭平がまだ無理をしているということ。

 そうだよね。逆の立場だったら、きっとわたしも頑張ってる。
 こういう状況で待たされるのはつらい。
 あと一日、それ以上は待たないと決めた。
 その間にやるべきことがある。

 今回は危険を冒してもDAFに踏みこまなければならない。恭平が聞き入れないのなら、晃実が動くしかない。恭平が生存できる道はもうこの自分の手にかかっている。

 わたしはまた自分の無力さと対面する。異能力とはいかに無力なものかということを繰り返し示され、幾度も絶望を叩きつけられるのだ。



 晃実は再びDAFを見下ろせるビルの屋根に降り立った。
 やるべきことは決まっている。目的は二つ。一つは必ず果たす。
 恭平のことを考えると、迷っている時間など無意味であった。
 赤外線が比較的手薄なドームの屋根から内部に入り、あとは渡り廊下から堂々と研究所の中に入りこむだけだ。監視カメラなど造作もない。

 わたしを守って。

 六つの魂に呼びかけ、晃実が転移するまさにその瞬間、腕をつかまれ、彼女の意思とはまったく別のところへ連れて行かれた。頭と胴体が引きちぎられたような気分だ。同じ転移をするにしても、晃実の意思はあくまでこの場所ではない。

「悪かった。大丈夫か」

 それが誰であるか、彼を見知って以来いつもそうであるように、目を開けなくても、その声を聞くまえにわかっていた。
 こういうことをするのは、今は一人しかいない。

「大丈夫なわけないよ。わたし、こういうの、好きじゃない」
 めったに味わうことのない感覚は痛みすら伴っている。片手で額を支えてうつむいた晃実は、目を閉じたまま不機嫌に云った。
 雄士は声に出して笑う。
「おれも好きじゃない」
 雄士が笑いながら冗談ぽく応じたことに晃実は驚いた。気分の悪さも忘れて、目の前にかがみこんだ雄士の顔を見やった。
「あなたも笑うことあるんだ」
 失礼な云い方にもかかわらず、雄士は肩をすくめて流した。
「……どうしてここにいるの?」
「おまえが来ると思ってた」
「命令されたの?」
「まさか」
 雄士はそんなことはありえないといわんばかりだ。
 晃実は再びうつむいて額に手を置くと、まだ残る気分の悪さを払拭(ふっしょく)した。
 ようやくすっきりすると、辺りを見回す。人気のない駐車場で、晃実は低い車体に寄りかかっていた。

「彼はまだ何も自白しちゃいない」
 雄士はいきなり本題に触れた。
 晃実は目を逸らして、どうして、とため息と間違うほど小さく言葉を吐いた。
「おまえが逆の立場だったらそうするのか」
 晃実の言葉を聞き逃すことなく、雄士はその答えを知りながらも問いかけた。
 それは自分自身にも問いかけたこと。あらためて他人(ひと)の口から問われると、はっきりとした現実が迫り、心細さに襲われる。

「恭平と……会わせて……」
 晃実は自分で云ったというのに、その直後にその言葉の真の意味に気づいた。
「今の間違っ――」
「わかった」
 晃実が取り消そうと云いかけたのをさえぎって、雄士は了解した。
 その一言で、晃実のつぶやきは明確な依頼となった。意思が定かでないままに、雄士に主導権を握られたような気がした。

「人の中に入った経験は?」
 ……?
「やったことがないのか?」
 晃実はうなずいた。
「なら、手っ取り早くいちばん簡単な方法でいく」
 雄士はアスファルトに(ひざまず)き、晃実に手を伸ばした。
「怒るなよ」
 そう云って、いきなり雄士は晃実を抱き取った。
「何――?!」
「黙れ。おれと呼吸を合わせるんだ」
 もがく晃実をしっかりと縛ったまま、雄士は静かに云った。
「おれの中に入って行けば、誰も怪しまない。今、おまえをどうこうする気はないし、下手すればおれのほうがリスクが大きいはずだ」
「……わかった」
 なぜ、自分の中にこんなに雄士を信じる気持ちが生まれるのかわからない。ただ、晃実は自分を信じた。

「まず呼吸を合わせる…………次は鼓動を合わせる…………」
 互いの意思が通じあうと同時に、努力が必要ないほど簡単に呼吸が重なり、鼓動が重なる。二つの躰が融合したような感覚に襲われた。自分の実体がなくなり、意識が浮くと、雄士の意識と晃実の意識が(じか)に触れあう。
「意識の力を抜いたら、おれが引く……今だ……おれの中に……」
 その瞬間、ふっと意識が遠のき、一瞬後にはまた鮮明になる。
「どうだ?」
『……わたしが……見える……?』
 不思議な感覚だった。自分の心が自分ではない躰に宿っている。
『人の中に入るって意外に簡単なのね?』
「……」
『……何?』
「……簡単なはずは……いや……」
 雄士は云いかけてやめた。
 実際のところ、互いにしっかりした意識があるわりにあまりにも容易すぎた。晃実がそれほどの能力を持っているということなのか。

「じゃ、行くぞ」
 雄士は晃実の躰が見えにくいように、スポーツカーの狭い後部座席に寝かせた。
 まもなく車はDAFの通りへと入った。
 DAFの門の横には二十四時間常駐の警備室があったが、車は止められることもなく敷地内へと進み、雄士は十台ほど止まっている車の横に乗りつけた。
 建物の中に入っていく雄士の目を通して、晃実は辺りの様子を(うかが)う。

『ヘンな感じ。二人羽織(ににんばおり)みたい』
「うるさい。気が散るから、おれの中にいるときは静かにしてろ」
『それって外から見たら独り言だよ』
 渡り廊下の玄関を入って、研究所のほうへ折れると、中へ通じるドアのすぐ手前にも警備室がある。ちょうどそこを通るところで、その警備員が戸惑った様子で挨拶(あいさつ)をした。
『ほらね』
 晃実はクスクスと笑った。
 雄士は少し不機嫌な顔を見せながらも、頭をかすかに動かして挨拶を返した。

 今日は部外者の出入りがないためか、DAFのほうへと行く入り口はシャッターが下りていない。雄士がドア横の柱にある暗証キーを押すとドアが開き、踊り場を進んですぐの短い階段を上った。その正面に部屋があり、考えるまでもなく透視をした。寝泊りできる部屋のようだ。六畳ほどの部屋に二段ベッドが二つある。その横の部屋も同じだで、今は誰もいない。

『おまえ、おれの中にいるときに透視をするな。こっちは現実に歩いてるんだ。ここが知らない場所だったら、おれは壁にぶつかってる』
 二人は同じ躰にいるのだから、当然同じものを見ていることになる。晃実が透視力を使っているということは、実際に目の前にある壁などは通り越し、つまりは目に入っていない。
 雄士がぶつかるはずのない壁に体当たりしている姿を想像するだけで笑いそうだ。普段の彼は、そんなことを絶対にやりそうにない。
 晃実は透視力を閉じた。
『気をつけろ。同じ躰に共存している限り、おまえの感情はお見通しだ。度を越したときにはおまえを還さないからな』
 雄士が云うとおり、彼が不機嫌であることは自分の感情であるようにすぐに察知できた。
『脅迫してるの? いいよ。そのときはめいいっぱい悪戯(いたずら)してあげるから』
 絶句の気配。(なぐ)るか何かしたい気分だろうが、生憎(あいにく)と今は同居中だ。

 玄関から右に行くと、雄士はいちばん奥にある階段のすぐ手前まで来て立ち止まった。透視できず、ドアは分厚そうだ。
 ここにもまた、ドア横の壁に暗証キーがあり、入力するとその下から引き出しのように何かが出てきた。タッチパネルだ。
 雄士は備え付けのタッチペンを取り、画面に自分の名前を書きこんだ。
『サイバーサインだ。個人識別システムで、登録者しか入れない。おまえが今やってるように、例えばDAFにいる人間を乗っ取っても、そいつの意識がなければ、筆跡はおまえのもの。つまりは侵入許可されない。念のため、云っておく。暗証キーも不定期に変わる。例えば十分で変わったり、一時間で変わったり。その都度メールとか、なんらかの方法で連絡が来る』
 晃実の疑問を感じ取って雄士が答えた。

 まもなくドアが開いたとたん、雄士が小さく舌打ちをした。
『力は使うな』
「雄士!」
 雄士が晃実に忠告すると同時に、飛んでやってきたのは赤黒い物体だった。

 ?!
 文字どおり、“それ”は男の子らしき声とともにどこからともなく飛んできたのだ。
 “それ”は雄士の目の前に降り立つ。
 象形は人間の様を表している。五才くらいの背丈だろうか。その躰の色素はまるで血液のように赤黒く、顔はのっぺらぼうのように輪郭(りんかく)が曖昧だ。

「おまえが出迎えるとはめずらしいな、グレイ。シャイはどうした?」
 雄士が訊ねると、曖昧だった輪郭がうごめいて凹凸(おうとつ)が少しはっきりと現れる。
「最近、おまえがかまわないから怒ってるんだ。昨日も来なかったっだろ。暴れるし、うるさくてしょうがない。どうにかしてくれ」
 グレイと呼ばれたその、おそらく男の子は、その体格とは似合わないような尊大な物云いで雄士に迫った。
 さながら透明人間がマスクを(かぶ)って(しゃべ)っているような印象を受ける。
「それをなだめるのがおまえの役目だろ。それとも、力量不足と認めるのか?」
 すると、グレイは顔を引っこめつつ、ぷいと顔を背ける。

「雄士さん、グレイがかわいそうですよ。シャイが手をつけられないくらい気性の激しい子だってことはご存知でしょう?」
 パソコンに向かっていた男が振り向き、グレイの援護をした。

 広い部屋の中は、それぞれ持ち場で自分の仕事をしている男女が合わせて六人いる。
 四方の壁の上部には多くのモニター画面があって、敷地内や建物内、そして各々の部屋の様子も映しだされていた。下部はずらりと、まるで宇宙センターか何かの重要施設のコントロール部のように、コンピュータやスィッチだらけである。中央は、コの字型と逆コの字型の間に通り道のぶんを空けてデスクが設置され、ノートパソコンが載っている。
 彼らはその中で動き回ったり、パソコンをいじったりと忙しそうな様子だ。

 グレイに遠慮していたのか、その眼鏡をかけた男が口を挟んだとたん、彼らは雄士に挨拶の声をかけた。スタッフよりもやはり立場は上にあるらしく、雄士はそれとわからないくらい軽くうなずいて返した。

「オレが抑えてるから何も起こらないんだろ? 抑制しなきゃ、今頃は全部めちゃくちゃになってるぞ」
 スタッフの援護を受けて、グレイは再び、にゅうっと顔を出す。
 そこには怒った表情が、わずかにだが見て取れた。
「そう、グレイのおかげですよ」
 眼鏡の男の再度のフォローにグレイの顔が和らぐ。

 なんなの、この人間みたいな物体? シャイって誰?

 晃実は雄士の目を通してまじまじとグレイに見入った。
 ――と、その躰が雄士の顔の高さまで浮いた。そして、今度こそ、その顔がくっきりと形成される。やはり、その声と同じくして幼い少年の顔になった。
 誰かと似ている気がした。

「雄士、おまえは今、“誰”といる?」

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