Xの記憶〜涙の見る夢〜

第2章 宣戦布告  5.クローン

 見るともなく窓の外を眺めた。どんよりとした雲やベランダの手すりで(たわむ)れる(すずめ)が目に写りはしているが、意識がその景色を(とら)えることはない。
 晃実と恭平の様子が気がかりだった。

 晃実が恭平を抱きかかえるようにして、彼の目の前に帰ってきたのは二日前のことだ。
『先生、恭平が……突然倒れて……()てくれる?』
 いつも気丈にしている晃実が泣きそうな顔をしていた。
 晃実は目に見えて疲労していたが、恭平の具合がはっきりするまでは休もうとしなかった。恭平がただの睡眠状態であることを知り、何かあれば起こすことを約束すると、ようやく晃実は安心して深い眠りについた。
 晃実は丸一日、目を覚まさなかったが、結局さきに起きたのも晃実だった。
 彼は晃実が自分から話すのでない限り、あえて訊きだすつもりはない。
 ただ、訊かなくてもわかっていることが一つだけある。二日前の玉突き事故に二人が関わっているということだ。

 人々は『投げだされた奇跡』と呼んだ。
 神は現れたのか、現れなかったのか。
 目撃した人が説明した状況は、今までと不同だったために報道者もどこか半信半疑だ。
 救われた命もあれば、救われなかった命もある。それゆえに今回は十人十色の答えとなって、そこそこで内容が大きく違っていた。

 事故当事者の云うことをそのまま受け入れるならば、晃実と恭平はDAFの異能力者と遭遇したのだ。
 彼はどうすることもできない自分をもどかしく感じた。
 二人の闘いを止めることも、助力することもできない。
 母親たちを見殺しにしてしまった自分は、またその子供たちも同じ目に遭わせることになるのだろうか。
 そうならないことを祈るだけしかできないのか……。



 先生が案じる一方で、晃実は混乱していた。
 DAFの異能力者が現れることは予想していたこと。晃実と恭平がそう仕向けたのだから。
 その異能力者たちが恭平にそっくりだと誰が想像できるだろう。
 恭平もこれまでにないほど動転していた。だからこそ、あのクローン少年に手をかけてしまったのだと思う。それを晃実が止めようとするなかで、恭平は卒倒した。

 さらに海堂の身内であり、異能力者である雄士が、なぜに晃実を助けたのか。
 雄士はどの時点での異能力者なのか。見た目から判断すれば、晃実より早く生まれていることは確か。
 これまで海堂に近づくことは許されず、それ以前に、自分たちを追っている相手が『海堂』であることを恭平から知らされたのはごく最近、半年前のことだ。
 海堂に息子がいることを知ったのもその時のこと。恭平は彼が異能力者であることを知っているのだろうか。いや、知っているのなら海堂には近づかないはず。危険極まりないことだ。
 恭平はいつ海堂という存在を認識したのか、なぜ晃実は知らされなかったのか、もしくは隠さなければならない必要があったのかはわからない。今は、いくら考えても答えが出るはずのない疑問だ。
 晃実は今回のことで少しどころか、ほとんど自信をなくしかけていた。
 予想外の方面でDAFの計画は進んでいるのかもしれなかった。
 動揺していたとはいえ、操り人形でしかない人間を遠隔地から操る異能力者に対し、攻撃することはおろか、相手の力を避けることすら(かな)わなかった。
 訓練と実戦は違うのだということをまざまざと見せつけられた。

 晃実は恭平の傍に付き添いながら、何度も同じことを考える。
 堂々巡りと思われたその考えは、母たちのことに思い至ったとたん、ようやく決着をみた。
 やるしかないのだ、と。

「……晃実……」
 恭平が目覚めた。
「恭平……よかった。二日間も眠ってたんだよ」
 晃実は窓際の椅子から立ちあがって、恭平のベッドの横に(ひざまず)いた。
 恭平がゆっくりと躰を起こす。
「ごめんな」
「何が?」
「夢見てた。小さい頃の……母さんが怯えていた……それが晃実に変わって……泣いてた……ずっと泣いてた」
 晃実は笑った。
「泣いたりなんかしてないよ」
「そっか……」
「うん」
 晃実が否定しても恭平は容易に察することができる。
 たとえ表面には出さなくても、心の中では。
 僕がそうさせた……。
 恭平はベッドから降りて立ちあがった。
「大丈夫?」
「なんともない」
 覗きこむように見上げる晃実に、恭平は安心させるように笑ってみせた。
「とりあえず、調べたいことがある」
 起きて間もないというのに、恭平はとうとつに云いだし、その表情は打って変わって硬い。
「海堂の総合病院でしょ。わたしも行くよ」
 恭平は困った顔をして晃実を見る。
「晃実は……」
「待ってろ、なんてだめだからね」
 晃実は恭平の言葉をさえぎった。
「わかった。じゃ、一緒に」

 一時間後、晃実と恭平は海堂総合病院の地下にある資料室に降り立った。病院特有の消毒液の臭いがここまでかすかに漂ってくる。

「嫌な臭い」
 晃実がつぶやくと恭平も同意してわずかに顔をしかめた。
「僕が生まれたときの書類を捜してほしい」
 晃実は恭平のやろうとしていることを察していたが、実際にそう云われるとやはり驚いた。
「眠っている間、記憶の深層に入った。僕は双子だったらしい」
「……でもおばさまは……それにあの少年たちはわたしたちより幼いよ」
 恭平は横に首を振った。
「結論から云うと、あれはクローンだ。僕の兄弟じゃない。兄は別にいる。それに……母は知らなかったのかもしれない」

 そんなことが?
 しかし、非人道的なことを平気でやってのける海堂のことだ。考えられないことではない。
 果たして、その証拠書類となるカルテがここに残っているのか。ただでさえ十五年以上も前のカルテということで、すでに破棄されている可能性は百パーセントに近い。それにも増して、秘密事項になっているに違いない事実なのだ。
 二人は手分けをして資料を探し始めた。
 晃実は透視しながら、積み重なるダンボール箱に記された年代を確認していく。それは途方もないほど多数に及ぶ資料だった。
 実際は広いスペースなのだが、多くの資料に埋め尽くされて窮屈(きゅうくつ)に感じられる。これくらいの大きな病院となると当然のことだろう。
 いらないのは処分すればいいのに。
 そう思ったが、未処分だからこそ残っている可能性がある。

 やがて晃実は目的とするものを探し当てた。
「あったよ。恭平」
 恭平は邪魔になる箱を動可力ですべて移動させた。
『一九○○年』と書かれた目的の箱を開け、中身のファイルを取りだした。もろにかび臭さを感じて喚起(かんき)したいほどだ。
 紙を(めく)る音が一頻(ひとしき)り、しんとした地下室に響き、やがて恭平の手が止まる。
「見つかった?」
 恭平がうなずくと、晃実は横からカルテを覗きこんで資料を読み取った。
『カルテNO.○○−〇八七一 水野舞子 一九○○年九月五日 午後七時十七分 男児 二五三〇グラム』
 特に変わったところはない。
「何も問題ないよね」
「そうだな」
 恭平は次のページを捲った。
 !?
 これは……!
 晃実も恭平も息を呑む。
『カルテNO.○○−〇八七二 水野舞子 一九○○年九月五日 午後七時二十五分 男児 八〇五グラム 仮死状態 午後八時二分死亡』
 二人とも驚くことばかりだ。
 晃実には疑問ばかりが渦巻き、恭平は遠い過去へと想いを()せ、しばらく沈黙に支配された。

 恭平を包んだ想い。けっして言葉になることはなかった想い。

  二人は生きれない……頑張れ。
  悲しむことはない……二人で一人なんだ。
  いつまでも……いつも一人じゃない。
  忘れないで。覚えていて。
  二人だったことを忘れないで……。

 深い眠りの中でその想いがずっと繰り返された。まやかしなのか、確かな記憶なのかはわからない。
「僕はそれを忘れてしまってた……」
 恭平は内心をそのまま声にした。
 恭平のその後悔の念があまりに強いがために、晃実にも伝わった。ずっとともにいた晃実だからこそ、感じ取ることができたのかもしれない。
「でも恭平がさっき云ったように、このことは舞子ママも知らないことだったんだよ。たぶん、自分のおなかに二人いたことも……」
 晃実はそっと恭平の腕に手を置いた。
「信じられないけど、海堂はどんなことだってするんだよ。双子だって事実を舞子ママには徹底的に隠していたに違いないの。舞子ママが知ってたとしたら、わたしたちに黙ったまま死んでったと思う? 恭平を守るために命を投げだした舞子ママが、兄さまの遺骨も持っていないなんてありえないよ」

 …………。
 晃実が云ったことを恭平は考える。
「それで、兄は生きていると?」
 恭平は晃実に問いかけた。
「そうかもしれないし、ただ恭平を……わたしたちを罠にはめるために、誰かがなりすまして生きているふりをしているのかもしれない。どっちにしてもこれ以上の資料はここにはない」

 晃実はふと、恭平が気分悪そうにしていることに気づいた。
「どうしたの?」
「……ちょっと頭が痛いんだ……寝過ぎかな」
 晃実を心配させまいとして、恭平は冗談を飛ばした。
 晃実は笑った。
「丸二日も寝ちゃってるんだもん。寝る子は育つって云うけど、もう時効よ」
「けど、晃実の時効はまだ成立してないよな」
「ひっどーい。そんな子供じゃないよ!」
 晃実はからかった恭平を睨みつけて抗議した。
 ハハ……。
 今度は声を上げて恭平が笑った。
「冗談だ。晃実の云うとおり、ここにはもう用はない。帰ろう」

 ねぇ、恭平、もう次の段階は始まってるみたい。
 もしかしたら、わたしたちは……。
 晃実は最悪の事態を予感した。



 家に戻ると、先生は心配のあまり書斎の中をうろうろしていた。
「……なんということだ」
 高速道路事故当時の状況と病院で調べた結果を話すと、先生はショックを隠しきれずにつぶやき、片手で目を覆った。
 先生が事実を受け入れて考えをまとめるまで、書斎は長い間沈黙に制された。

「クローンは大まかに二つの方法で形成することができる。一つは受精後の細胞分裂の段階で細胞を分割する方法だ。一卵性の双子ができる過程と同じ仕組みだ。もう一つは体細胞を、核を除去した卵子の中に移植する方法だ。いずれにしてもそのあとは母体を必要とする。だが前者はともかくとして、後者はまだここ最近の動物実験によって確立されつつある方法だ。当時は世界的にも動物による研究段階でしかなかった」
 机の周囲を行ったり来たりしていた足を止め、信じられないとばかりに先生は首を振った。

 晃実はその非情に怒りしか覚えない。
「DAFはそれを人間で実験してるってこと? 自分の利になるなら、なんでも躊躇(ちゅうちょ)なくやってしまう人間の集団だってはっきりしたわけだよね」
「先生……兄は生きていると思う?」
 恭平は晃実にした質問をそのまま先生にも向けた。
 晃実は、恭平の心情を察して胸が痛むと同時にその(こだわ)りを危惧(きぐ)した。
「体重が八〇〇グラムでは当時の生きる確率はたかが知れている。だが、海堂の医療技術は普通以上だったとも考えられる」
 そう聞いても、恭平は自分が安心しているのか不安に感じているのかわからない。

「先生、クローンはどっちの方法で作られたと思うの?」
「いくら技術が進んでいたとしても、後者は特殊すぎる。おそらく前者だろう。体外受精で誕生した命は自然の力で二つに分かれた。試験としてその一方を分裂段階で、今度は人為的に個別化する」
「その一方っていうのが恭平のお兄さま?」

「そうだ。恭平と個別化された一つは母親の胎内へ同時に宿され、残った一つは冷凍保存された。もしくはそのとき、すでに数個に個別化されていたのかもしれない。現状でも個別化は育つ条件として分裂限度がある。クローンが意思を持たない欠陥人間である理由は、その分裂限度を超えたことにあるのかもしれない。恭平は自然の分裂だったからこそ普通に成長した。これが私の考えだ。そして恭平の兄が生きているとしよう。その身はDAFの手の中にある。コンタクトを取るにはあまりに危険すぎる」

 恭平はそれらを静かに聴いていた。そしてようやく口を開く。
「けど、うまくいけばDAFの場所を突き止められる」
「それはだめよ。相手は専門の訓練を受けている身。下手したら()われてしまう。だから基礎を組み直して、機会を見て兄さまは助けだそう?」
 恭平はしばらく考え、晃実の言葉にやがてうなずいて了解した。



 晃実は部屋に戻るとベッドの端に座ってうつむくと、深いため息を吐いた。
 これといって説明のできない、漠然(ばくぜん)とした不安が押し寄せる。
 恭平の兄のことはもちろん、云いだせなかった海堂将史の息子、雄士との遭遇。
 報告すべきことなのに、自分の中の薄っすらとした記憶、もしくは想いが晃実を引き止めた。


   * * * *


「それでなんと云っている?」
『二人のうち一方は自分とそっくりの少年だった、と。ただクローン、A2の一体が消失しました』
「やはり、な」

 海堂将史は葉巻を吸いながら、無表情な顔と同じくして、感情の見えない口調で電話の相手の言葉に相づちをうった。
 失ったクローンのことなどどうでもいい。
 あれさえ手に入れば一対となり、無限の可能性が広がる。
 もちろん危うさも相対する。が、いずれにしろ……。

「今後はどうするつもりだ?」
『はい、もう次の段階へ動いてますから、結果はまもなく』

 親も子もそろって(おろ)かな奴らだ。
 将史は歪んだ笑みを浮かべた。


   * * * *


  ボクを捜してる。ボクはどこにいる?
  ボクを助けて。
  ずっと待ってた。ずっと捜してた。
  覚えてるよね、ボクたちが一つだったこと。
  会いたい。急いで。早くしないと手遅れになってしまう。
  お願いだ。答えて……。

 やめろっ!

 恭平は(たま)らず、心の中で叫んだ。
 ずっと呼びかける声が頭の中に届いていた。
 声にならない拒否の言葉を発したのが間違いだったとすぐに気づいた。いや、拒否に限らず、その誘いに応えたこと自体が間違いだったのだ。

―― ああ、ここにいたんですね。

 その言葉と同時に、恭平は自分の意識が呑みこまれていくのを感じた。
 それがわかっても、止める手立てを何も見出せなかった。

 晃実が泣いている。

 そう思ったのが最後だった。

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