Xの記憶〜涙の見る夢〜

第2章 宣戦布告  4.気紛れ

「はじめまして。あなたが誰なのかは不明なところですが、そのうち判ることでしょう」
 言葉自体は丁重だが、云い方は小ばかにしたような、そして挑戦が(うかが)えた。
「あなたは誰……DAFにいるの?」
「ボクに名前はありませんよ。DAFにいるかという質問に関しては愚問(ぐもん)としか云いようがないですね。あなたがその存在を知っているのなら」
 少年はあっさりとDAFの存在を認めた。
「あなたの本当の姿もそうなの?」
 晃実が少年自身を指差すと、少年はうなずいた。その返事は真実ではないのだろうか、わずかなためらいが見えた。
「利用されてることをわかってるの?」
「さぁね。でも、ボクはDAFを裏切るつもりはないですよ。今のところは……ね」
 恭平に似た少年は肯定も否定もせず含みを持たせた。
「あなたもDAFに来ませんか。なかなか快適ですよ」
「冗談! そのDAFのために何人の人が犠牲になったと思うの! わたしたちはDAFを潰すためにこれまでやってきた。それを無駄にするつもりも撤回するつもりも更々ない」
「残念ですね。では、あなたとボクは当面、敵ということですか」
 名もない少年はその姿にそぐわない冷たい微笑を浮かべた。
「わたしたちの敵はあなたたち、異能力者なんかじゃない。DAFの存在よ」
「甘いですね。DAFを敵に回すということは、異能力者が敵ということですよ」

 少年がそう云いながら手をかざした。
 その意図を察知したが、今までよりは遥かに速いスピードで少年は力を放ち、晃実は瞬間転移するにも間に合わず、再び吹き飛ばされる。
 ドン――ッ。
 車の側面に全身でぶつかった。転移をする刹那(せつな)だったため、少年の力に対する防御は(すき)だらけで、まともに力を受けた。これまで手加減をしていたのか、四人に力が分散されていたためか、その力自体も強烈だった。
 躰がバラバラになったような感覚と、頭を打った衝撃で目がかすむ。
 それでも少年の淡々とした声ははっきりと頭に入ってきた。
「あなたをお連れしましょう」
 少年が手のひらに渦巻く風を宿した。

 切り刻む気……? ……終われない……こんなところで……。

 その判断はついたのに、晃実の脳は命令を下すことを忘れている。
 少年が風を放った瞬間、風と晃実の間は壁にさえぎられた。
 いや、それは壁ではなく人の背中だ。

 恭平……?
 違う、恭平は倒れている。

「今日はここまでだ」
 それははじめて耳にする男の声。
 どこまでも冷然としていて傲慢(ごうまん)な口ぶりだ。
 晃実の前に立ちはだかった男は、あの風を受け止めたのだろうか。
「あなたは……」
 少年の驚いたような口調から、男とは顔見知りだとわかった。
「おれのことは忘れるんだな」
 そう云いつつ、男は少年に歩み寄るとポンとその肩を押す。すると、少年もほかの少年もすべてが消え去った。

 その男はゆっくりと晃実を振り向いた。
 かすむ意識の中でも、その男が誰であるかを晃実はわかっていた気がした。
 海堂ビルで会った彼。
 どうして助けてくれたのだろう。いや、果たして“助けてくれた”のだろうか。紛れもなく敵である彼が助けるはずはない。
 海堂ビルの最上階にあった名札のない部屋。その独特な雰囲気がこの彼のバイオフォトン――生命の光だったと今はわかる。
 ぼんやりとしたなかで、ゆっくりゆっくりと思考を繰り返す。

 彼は焦点の定まらない晃実をじっと見下ろした。
 どれくらいの時間が流れたのだろう。
 晃実は頭の中のもやをはらおうと首を振った。

 このもや、どうしたら……。痛みだ……新たな痛みがあれば、頭もはっきりしてくるかもしれない。
 命令を神経回路に乗せると、かすかだがやっとのことで手が動いた。動き始めると思いのほか簡単に操ることができた。右手を左腕へと持っていき、爪で皮膚を切り裂く。生暖かい液体が腕を滑り落ち、右手の指先に伝ったのを感じた。
 ……イタイ……いたい……痛い……。
 細胞組織がそれぞれ目覚めていく。やがて鮮明な感覚が戻るとともに全身が悲鳴を上げた。
 ツッ――――。
 呼び起こされた躰の痛みから少しでも逃れようと、晃実は膝に顔を伏せる。
 痛みを無視して内部からの治療を試みようとしたとき、肩に人の手が触れた。とたんに、急速に痛みが薄れていく。
 晃実は躰を起こして彼を見上げた。
 その顔にはなんの感情も表れてはいないが、間近で見た瞳は冷たいながらも驚くほどに澄んでいた。

「どうして……?」
 晃実の疑問は知らないうちに言葉となって口から発せられた。
「意味はない。ただ……」
 ただ?
「興味がある。それだけだ」
 彼は自嘲するように短く笑った。
「……あなたは誰?」
 その質問に彼は少しためらいを見せた。が、その答えを口にしたときには迷いの欠片もなかった。
「雄士、海堂雄士だ」

 海堂……雄士……海堂将史の息子……?

 晃実は心のどこかでやはりという思いがありながらも、その目は驚きに見開かれた。
 それが事実なら、彼の目的は決まっている。互いの立場からして御方(みかた)ではありえない。
 なのに……。
「どうして……?」
 晃実は同じ疑問を口にする。
「それはさっき答えたはずだ」
 雄士はまた口の端で笑みをかたどった。そして、訊ねる。
「おまえは?」
「え?」
「おまえの名前だ」
 敵であるはずの雄士に名を教えてもなんの得もない。逆に隠す必要もない。
「……晃実」
 雄士がわずかに顔をしかめる。
 それが何を意味しているのか、晃実はすぐに察した。
「わたし、姓はないから……籍はどこにもない」
 だから名を告げたからといって探すつてなどどこにもない。
 雄士は目を細めて(いぶか)しく晃実を見つめる。
 すると、何かに気を取られたようで、瞬後には無表情に変わった。

「緊急車両が到着する。被害者も正気を取り戻しているようだ。おまえたちはこの場からすぐに立ち去るべきだ」
 晃実はその言葉を受けて周囲を見回した。透視で、何台ものパトカー、救急車、そして消防車が見えた。
 それは同時に、晃実たちがこの現場に来てからほんの少しの時間しか経過していないことを示している。少なくとも晃実にとっては長い時間に感じられた。

「ありがとう」
 晃実は雄士に礼を伝えた。
 敵とはいっても助けてくれたのは事実だ。

「礼は不要だ。いずれ、おれ自身がおまえを手にかけるかもしれない。油断はするな」
 晃実は非情な言葉のなかにも何かを……何か別の想いを感じたが、それがなんなのかはわからなかった。
 晃実はかすかに首をかしげた。
 恭平の傍に行って額に触れる。そこに目覚めた意識はない。
 この場を去るまえにあと一つだけ、なすべきことがあった。
 先刻からずっと鼻を突くこの異臭。放っておいていいものではないとわかっている。異能力者である自分には無力な薬品でも、普通の人間にとっては命取りになることもある。
 晃実は立ちあがって、タンクローリーのほうへと歩いた。

「何をしてる?」
 とうに消え去ったと思った雄士が、晃実の行く手をふさぐ。
「わたしたちのせいだから、これ以上、犠牲は出せない」
 晃実は雄士を避けて進み、タンクローリーに触れて動可力で起こした。流れだしている足もとの液体に手を触れると、液体はタンクの中へと戻っていく。
 背後で人の驚いた声がいくつか届いてきた。
 早くしなくちゃ。
 力を増幅させる。
 一滴残らず回収が終わると、背後にいる雄士の存在を気に留める余裕もないほど、精神的にも肉体的にも疲れが出てきた。
 晃実は大きく深呼吸をして息を整える。
 タンクの破れた箇所から液体の淀みが見えた。飛行機事故のときと同じように、今度は再生力で閉じていく。これで少なくとも薬品の被害だけは防いだ。

「一人で行けるか」
 晃実が恭平のほうへ歩いていこうとすると、雄士が引き止めて訊ねた。
 晃実は疲れから無になった表情でうなずいた。
 伸びてきた手の目的を知る間もなく、雄士が晃実の顔を両手ですくうように支えた。
 その瞬間、二人の躰に電流に触れたような、ピリピリと痛みとさえ思える感覚が走った。
 晃実は驚いたように瞳を見開いて雄士を見返し、雄士は思わず放した自分の手を見下ろした。
 雄士はもう一度、晃実の頬に手を伸ばしてみる。今度は気のせいだったかのように何も起きることはない。
 雄士は長身の躰を折って自分の額を晃実の額に重ねた。
 雄士は力を晃実に注ぐ。力を貸すのではなく、分け与える。彼はそういう異能力を持っていると知った。
 なぜここまでしてくれるのだろう。
 その答えが聞けないことはわかっている。

 雄士は手を離し、晃実の存在を刻みつけるようにつかの間見つめ、そしてふっと目の前から消え失せた。

 晃実も恭平のもとへ戻って彼の頭を抱えこむと、その姿勢のままで転移を繰り返して帰途に着いた。

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