Xの記憶〜涙の見る夢〜

第1章 契機  5.遭遇

 都心に高くそびえ建つビルの一つは、世界屈指の企業、海堂グループの総合ビルで、系列会社の中枢がすべてここに集まっている。
 午前九時を過ぎたビジネス街は、いくつものビルがそれぞれに属する人々を呑みこみ、(あわただ)しかった歩道も閑散(かんさん)とした。それはつかの間のことで、まもなくするとビルはまた人々を吐きだし、アスファルトは足音の大合唱を繰り広げる。
 ビジネスマンたちは無表情で戦闘服のごとく似通ったビジネススーツを着込み、これもまた戦闘地さながらの市場へと駆りだされていく。彼らにとっての仕事は、もはや生き甲斐ではなく、自分だけが生き残るための戦場と成り果てていた。
 仕事が生き甲斐となりえた時代の人々は社会の歯車の一つとなって、がむしゃらに明日へと向かっていた。歯車が古く()びついてきても破棄されることはなく、寿命の時をただ待てばよかった。
 それがサヴァイヴァルゲームとなった現在は、傷ついたら、傷つけられたら、二度と使い物にならないとばかりに吐き捨てられる。
 こんな(すさ)んだ世界で彼らは幸せを見失ってしまっていた。
 陰鬱(いんうつ)とした表情を見ていると苛立(いらだ)ちが募る。

「もうちょっと活気に満ちた表情できないのかな」
 海堂ビルへと向かいつつ、晃実は思ったままをポツリとつぶやいた。
 長い黒髪をまとめてアップにし、顔には化粧と、晃実は大人びた格好でビジネス街を歩いた。少しでもOLらしくと努力した跡が(うかが)える。極めつけはリクルートスーツだろう。
 晃実自身はけっこうその自分の姿に満足していた。
「無理だな。本当に自分がやるべきことをやってる奴なんて数えるほどしかいないさ」
 新入社員然として焦げ茶色のスーツを(まと)った恭平は、いつもはサラサラの髪を少し固めて幼さを隠していた。

「そろそろ行くか。重役出勤も間近だ」
「了解」
 入り口には両脇にガードマンが外を向いて立っている。
 二人は堂々と正面から乗りこんだ。
 受付の前をすり抜け、非常階段入り口へと進む。
 こういう場合、こそこそするほうがかえって目立つ。
 人の目がないことを確認し、晃実は恭平を先導して非常階段を転移していく。

 晃実は広範囲に(わた)り、赤外線的機能も備えて目的のものを見通せる。分厚いコンクリートや水、金属など一部の物質を苦手とはするものの、そのときは電磁場を利用して屈折させればその向こうも視界把握が可能だ。その“透視力”は恭平よりも格段得意だった。

 人の気配に注意しつつ移動する間、二人は言葉を交わした。といっても声に出すわけではなく、頭の中での会話だ。
 この異能力は意思をもって、相手が伝えようとする心の声を読み取り、または呼びかける、“呼応(こおう)力”というものだ。

―― 警備がすごいね。本部だから? 

 呆れ返るほどの赤外線機能付き監視カメラが、最上階まで不規則に設置されている。
 体内組織をどう変化させようが肉体には変わりなく、二人は赤外線を避けなければならない。

―― それもあるだろうけど、決して普通じゃないよ、ここのやり方は。
―― じゃあ、これだけしなければならないほどの極秘事項があるわけね。
―― そりゃそうだ。

 恭平は皮肉を込めてそう吐いた。

 二十九階まで到達すると、すぐ上のフロアの社長室の場所を確認する。
 ビルの建築物では当然のように用いられる苦手なコンクリートに鉄のドアだったが、分厚くはなく、力を調整して問題なくたどり着いた。
 廊下を挟んで両側にいくつかのドアが見受けられるが、ネームプレートがない部屋もある。社長室はほぼ中央の辺りにあった。
 そうしているうちにエレベーターが到着した。
 すぐに三十階の非常階段の踊り場へと転移する。
 非常階段横のエレベータードアの両脇には、恐ろしげに見える(やから)が二人陣取っている。その向こうで、このフロア専属の受付嬢が二人デスクについている。
 その四人ともが、ドアが開くなり、出てきた人物に丁重に挨拶をした。

 恭平に目をやると晃実に向かってうなずいて見せた。
 ここにきてようやく二人は悪の権化(ごんげ)を現実として目の前に捉えた。
 ここからは後ろ姿しか透視できないために顔の確認はできないが、出迎えの言葉からその人物が、海堂グループの総帥(そうすい)、海堂将史であることを恭平は確認した。

 恭平が使った“聴音力”は、かなりの距離があっても音を聴き取ることのできる力だ。
 もちろん晃実もできるが、彼女の場合は目的以外の雑音を気にしすぎて、恭平のようにうまくいかない。
 逆に恭平は遠近感がめちゃくちゃで透視力をうまく使えない。
 二人は自然と得意分野と不得意分野を分担して使うようになった。

 これらの異能力を身に宿していることでよかったと思ったことはない。ともするとコントロールが必要になる力を(わずら)わしく思う。

 こうしたのはここにいる海堂将史だ。

 彼は社長室へと入った。
 社長に付き添ってきた、(いか)つい顔のボディガードたちはそのまま社長室のドアの横に立つ。
 日本在住の警備にしてはやりすぎに思えた。
 海堂がデスクについたとき、晃実は透視を使い、はじめてその実物を正面から見た。
 新聞記事などで目にしたとおり、一見するとやさしそうなおじさまといった感じを受ける。それと同時に、堂々としてほかを威圧する雰囲気も充分に備えている。大企業の社長たるもの、こうあるべきだといわんばかりの精悍(せいかん)風貌(ふうぼう)
 しかし、その裏に大きな野望と暗黒面を宿していること、そして人を人と思わない悪であることを、二人は嫌というほど知っている。

―― このフロアには何人いる? 

 恭平の問いに、晃実は彼の手を握ると、呼応力を使うように示唆(しさ)した。

 呼応力による意識の接触、または躰の接触によって、一方が感じ取っているものを相手にもそのまま伝えることができる。呼応力の応用編だ。

 晃実は一つ一つの部屋をチェックしていく。
 ボディガード四人、受付嬢二人、そして秘書が十人。

―― 無人の部屋は会議室と資料室……ほかにあと一つあるんだけど、明らかに常に人が使っている気配がするの。誰の部屋だろう。

―― 先生がくれた資料にそれらしき人物はいなかったな。不特定の人間が使ってるってことは?
―― うーん……それにしては残留意識が独特なの。

 晃実は考えこんだ。

『私だ』

 不意に、声が耳に入った。
 恭平が聴音力を使い、海堂の声を聞き取った。

『昨日の事件をどう思うかね』
『異能力者の存在かと』
『やはり、そうか。突然変異か……それともあの女たちの?』
『それはなんとも……』
『まあいい。しばらく様子を見よう』
 はっきりしない返答に、海堂将史は苛立った様子をかいま見せた。

 相手が誰なのか、そしてどこへ繋がっているのか、電話の会話から把握(はあく)することはできなかった。
 おそらくは組織、能力開発局(Development Agency of Faculty)、通称DAF(ダフ)だ。
 それだけ慎重にやっているということだろう。

―― 帰るよ。今回はここまでで充分だ。

 帰りは各フロアの状態を確認しつつ、階下へ降りていく。別段、変わったところはなく、やがて非常口の前へと降り立った。
 脇にはお決まりのように背の高い観葉植物があった。
 二人はその陰でしばらく人の出入りを(なが)める。

 不意に、晃実は何か異質な気配を感覚の片隅に見出した。それは徐々に大きく胸裡を占めていく。
 突き止めるべく、視線を移した。
 無意識のうちに透視力を使って、障害となる観葉植物を通り越し、その正体を見た。
 そして、驚愕(きょうがく)する。

 その瞳と晃実の視線が重なり合った。

 その瞳は障害物が邪魔(じゃま)して見えないはずの、晃実の姿をしっかりと見据(みす)えた。
 晃実が気配を感じ取ったように、彼もまた同様の見逃せない気配を感じ取ったのかもしれない。

 その人物は、あらゆる意味で異彩を放っていた。端整すぎる容姿もさることながら内部に宿る力、異能力をもその手中に握っているのだ。

 瞳が重なった瞬間、ほかの一切のものが存在感をなくし、晃実は『彼』から瞳を()らすことができないでいた。
 晃実とその彼しか存在しない。
 その感覚は彼も同様なのか、正面玄関の入り口で微動だにしない。
 晃実にとって、それは長い時間だった。
 実際は(またた)く間の出来事。

 恭平もまた彼に気づいた。その正体にも。
 恭平は異常さを自認せざるをえず、晃実の肩に手を添えると彼女を率いて転移した。
 海堂ビルから消える寸前に恭平の耳に届いたのは、受付嬢たちの彼の名を呼ぶ(ささや)きだった。


   * * * *


 少女が消えた瞬間、彼――雄士も我に返った。
 雄士は少女の瞳に(とら)われた。幻想かと思うくらいの、刹那(せつな)の出来事だ。

 しかし(まぎ)れもない事実であることを、雄士が現実として受け止めるのは容易なことだ。
 少女と、その(かたわ)らに立っていた少年。どんな格好をしていようが、幼さとわかる(けが)れを知らないような澄んだ瞳をしていた彼らは、自分と同じ異能力者なのだ。

 昨日のリポーターたちの言葉を思いだす。
 少年と少女。
 それは、今、この目で見た二人だろう。

 どうであれ、おれに(かな)うものがいるとは思えないが。
 (おそ)れなどないが、興味はある。
 あの二人がどこから生まれたのか、どの程度の異能力者か。

 チン。
 三十階に到着してエレベーターのドアが開いた。
 社員たちの挨拶(あいさつ)を尻目に、社長室へノックもせずに入っていく。
「なんの用ですか。父さん」
 将史は顔を上げて、いきなり入ってきた雄士を見ると、(とが)めるようにわずかに顔をしかめた。
「昨日のことだが……」
「気にかかることでも?」
 やはり事故のことかと思いながら、雄士はいったん言葉を切った将史を促した。
 将史は、わかっているだろうと云うように眉をつり上げた。

 海堂グループを背負って立つ将史は、息子である雄士にさえ心の内を明かすことがない。総帥としての教育を幼いころから受けてきたためだろうか。
 雄士もまた、いつも親子としての感情は存在しないかのように淡々と応じている。
「今度、また同じようなことが起きる可能性は(いな)めない。そうしたらおまえはすぐその場所に行ってくれないか。事実を見てきてほしい」
 将史がこう云った場合、それは依頼ではなく命令だった。
 内心穏やかではないものの、云われなくてもそのつもりだった雄士はうなずいた。
「そのように。では」
 よく見ていないとわからない程度に頭を下げて、速やかにその場をあとにした。

 先に起きた遭遇はなぜか報告する気になれなかった。
 そのいちばんの理由は、自分の知らない事実が将史の中にあるということを知ったためであろう。
 今でなくともいずれ二人の存在は知れることだ。
 将史が動くまえに隠された事実をつかみたい。
 自分に関することも含めて。

 おれはどこから来たのか――。


   * * * *


 事故から三週間、晃実と恭平は何事もなかったときのように平穏に過ごした。
 とはいえ、あの日、海堂ビルから帰ったあと、晃実の機嫌は最悪だった。
 恭平にあの場を無理やり転移で連れ去られ、気分の悪さといったらなかった。
 しばらくは喧嘩(けんか)中だったものの、互いが生活の大部分を占めているため、長くは続かない。

 本来ならば高校生のはずの二人は、生まれてからこれまで普通の生活とはまったく無縁であった。恋だの友情だのと、ありふれた同じ年代の子たちの日常をうらやましく思う。
 せめてもの救いは、晃実には恭平が、恭平には晃実がいる。兄弟よりも、親友よりも、もっと深い絆が二人の間には存在する。
 それは、共通の想い、共通の夢。

 そういうなかで、晃実の中に侵入者が現れた。
 海堂ビルで会った彼。
 間に立ちはだかった障害物を通り越えて交じり合った視線は、幻想でもなんでもなく、確かに存在した。明らかな異能の力を使って。
 晃実の瞳を捕らえて放さなかった彼は、気高い(ひょう)のように研ぎすまされた瞳をしていて、それは心の内にあるものも同じだろう。
 恭平に連れていかれるまで幻想に取り()かれた。幻想で終わらず、あれ以来、心には彼が存在する。

 恭平のほかにはじめて遭遇した異能力者。
 不思議な感覚だった。
 もう一人の自分を探し当てたような。
 しかし、それらの感情こそが幻想に過ぎない。
 彼は同じ人種であっても同士ではない。
 それだけが今の事実。

 海堂の人間であることは間違いない。
 異能力者はやはり海堂の中に存在し、さも同じ人間であるかのように生活に溶けこんでいる。ほかにも存在するのか。


 そして、恭平もまた彼のことを考えた。

 晃実には彼が“誰”であるのか教えていない。告げるべきかを迷っている。
 実際に目にしたあとでは、彼がどういう存在であるか、告げることをためらわずにはいられなかった。あの冷えきった眼差しは人のものとは思えない。

 はっきりしているのは、これからの闘いにおいて、鍵なる人物の一人であること。

 恭平の予知力から通じる勘と、何よりも過去の記憶がそう告げている。
 海堂ビルへの侵入にあたって素直に連れて行こうとしなかった理由。やはり、同行させるべきではなかったかもしれない。
 昔から途切れることのない自分の勘の良さにいつも舌打ちしたくなる。
 晃実が動揺していることは明らかだ。
 おそらくはまた……。
 だからこそ、ためらわれた。
 彼は晃実の意思も想いも変えうる存在なのだ。
 良くも悪くも……そして逆もまた――。

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