Xの記憶〜涙の見る夢〜

第1章 契機  2.奇跡

 二週間後、それは起こった。
 二人で夕食の準備をするために食器棚からお皿を出していたところ、恭平が突然に切りだした。
「晃実、行くよ」
 恭平の掛け声で二人は瞬間転移を開始した。

 晃実は恭平を見失わないよう、その気配に集中しながら転移を繰り返していく。

 到着した先に見たものは、無残に土に埋もれ、横たわる電車の姿だった。昨日までの二、三日に降り続いた雨で地すべりが起こったのだ。
 夏の夕刻はまだ明るい。異能力を使わなくともはっきりとそれらが見て取れた。

「自然の怒りね」
 山の斜面に立って電車を見下ろしながら晃実はつぶやいた。
「そうだな。人間の欲望は厄介なもんだよ。後先を考えない自己中心的な生き物、つまりは自然の天敵でしかない」
「だから考えてしまう。わたしたちは本当に自然に逆らっていいのか」
「やめる?」
 晃実は即答せず、土の下敷きになっているだろう人々に意識を集中させた。

 助けて……誰か……。
 う……息……息ができない…………。
 暗い……どいて……私の上から……どいて!

 誰にともなく向けられた苦しみによる心の叫びが、地獄からの声のように聞こえる。
 今からすることは、明らかに自然に、あるいは神という存在があるとするならば、その神に対する冒涜(ぼうとく)だ。畏怖(いふ)の念を抱かずにはいられない。
 人の死を尊重するならば、二人がその時間を決めるべきものではない。だからこそ、これまで助けようとしなかった。

 しかし、もう限界だ。機は熟した。
 嘆き哀しみながら消えていった六つの魂は、二人にとってあまりにも重い。

 晃実は首を横に振った。
「自然からの断罪は受ける覚悟ができてるつもり」
「僕らは自然界を敵に回すかもしれない。けど、奴らは僕ら以上のことを犯し続けている。そして逃げ回るのも、もうたくさんだ」

 これはまだほんの序の段階だ。
 迷いがあってはならない。
 それを肝に銘じながら、二人は突き進む。有り余る傷を負うことを覚悟で。
 今までもそうだ。
 幼い頃からずっと心の傷は消えることなく、異能力者ゆえにいつまでもはっきりと記憶に残っている。
 それに押し潰されまいと、繊細(せんさい)なはずの心を無理やりに強くしてきた二人はそうならなければ狂っていた。休息の場などどこにもなかった。
 この時期(とき)を乗り越えれば、その時期をうまく利用すれば、あるいは自由を得ることができるかもしれない。
 一つだけ確かなことは、何もしなければ何も変わらないというあたりまえのことだけだ。

「なら、早く助けてあげましょ」
「ああ。いいか?」
 問いかけではなく、実行の合図となる確認の言葉に晃実はうなずく。
「晃実は僕を補足する程度の力を貸してくれればいい。あとの“再生”を任せるよ」
「わかった」

 二人は線路脇に降り立つと、恭平は積もった土に手を置き、晃実は恭平の肩に手を添えた。
 十車両のうち先頭の一両目から二両目までは完全に土砂の中だった。
 サラリーマンやOLたちの帰宅時刻に重なり、たくさんの乗客たちが乗り合わせていた。自力で脱出している人も出始めている。
 彼らは横倒しになった車両から()いでることに必死で、晃実と恭平にはまだ気づいていない。

 二人は精神を集中した。
 意思をもって物を動かす力、“動可力”で、自分自身の“瞬間転移”にも繋がる力を使う。
 土砂が動きだした。
 二人の動可力が重なり合い、力を増していく。噴水の水がそうなったように、土砂も意思があるかのごとく噴きだしていく。

 力を加減して使っている晃実は周囲の動揺を感じた。
 あれはいったい……?
 何が起こってるんだ……?
 ヘリコプターが上空を旋回(せんかい)し、泥土(でいど)が積もっていく場所の、隣の水田に着陸した。
 当然、搭乗員の驚愕(きょうがく)が感じ取れる。

 あとを恭平に任せ、晃実は埋もれていた車両の横に立った。横倒しになった車両の天井を、晃実は粉と化して除去する。
「自力で動ける人は早く出て!」
 晃実の強い口調に幾人かが反応を示し、よろけながらも躰を起こして自力で外へと脱出した。
 はじめて目の当たりにする被害者たちはあまりにも無残だ。それでも躊躇(ちゅうちょ)はしていられない。

 晃実と恭平はともに、まず心臓の動いていない、つまりは死者の再生に当たる。
 死者はほとんどが窒息(ちっそく)死だ。
 晃実の能力をもってしても死者の蘇生(そせい)は心停止後、その体力によって三十分前後までに限られる。早いほど簡単にすみ、限時間を過ぎると蘇生はまず不可能だ。
 恭平がふさがれた気道を確保する一方で、晃実は死者の心臓部分に手を当て、心臓マッサージに当たる再生治療を施す。

 そうしている間に、救急車などのサイレンが近づいた。
 二人が極めて早く対処したために思いのほか、蘇生が必要なのは五人程度の少ない人数ですんだ。
「恭平、こっちはもう大丈夫だから怪我してる人を。止血程度でいいけど、重体の人はわたしに教えて」
「わかった。救急隊への指示は僕が引き受ける」
 恭平の背を見送り、晃実は蘇生した人の補強に当たった。

 絶対に死者を出すわけにはいかなかった。“奇跡”という現実が必要なのだ。

 恭平は立ちあがって現場を見渡した。乗客とともに、到着したばかりの救援者や報道者たちまでもが茫然自失としている。

 予測どおりの反応だな。

 衝撃的な事件を数多く見てきたはずの記者たちは、その職務を完全に忘れていた。カメラやマイクなどの機材はその目的を果たしそびれている。
 いずれにしろ、二人は被写体にはならないよう、体内組織をコントロールしていて写るはずもない。
 そういう能力を身につけざるをえなかった。

 ほかの救出に当たるが、命にかかわるほどの怪我をしている人はそう多くはない。
 恭平は出血の激しい怪我人に簡単な治癒(ちゆ)をすると、死者たちの再生が終わったのを見計らって晃実を呼んだ。
 晃実はその重体者の傷を分析したあと、傷口に手をかざし、切れた血管細胞を慎重に再生していく。

 この“再生力”は晃実特有だ。人も物も再生できる。
 それと相反する力、何ものでも粉塵とできる“壊破力”も持ち合わせている。先刻の鉄の天井を粉と化した力はこの力を利用したものだ。
 人を生かすも殺すも、晃実の手中にあるといっても過言ではない。

 恭平が処置を見守るなか、やがて晃実は息を吐いた。終わりの合図だ。
「これで充分だろう」
 晃実と恭平は立ちあがった。
 二人が為した救急行為は周囲からすればわずかな時間だ。
「ある程度の治療はすみました。あとはよろしく!」
 事故現場を取り巻く、放心状態の人々に向かって、恭平は印象づけるように口調を強めた。

 人々はすぐさま我に返ったが、カメラを向けたとき、すでに二人は背を向けていた。
 二人は駆けだし、現場からある程度の距離を隔てたところで、彼らの前から消え失せる。文字どおり、消えた、のだった。
 その後、人々はいわずとパニックに陥った。

 神かっ――?!

 誰かが叫ぶ。
 名状しがたい事実を、リポーターたちは支離滅裂な言葉を羅列して語りだす。

 ばかなっ!
 どうした?
 出血の(あと)は確かにあるのに傷がない!

 救急隊員の叫び声。
 その非常に、その奇跡に、驚異を感じない者はいなかった。

 晃実と恭平はそれを遠目に見ながら、安全を確信すると帰途に着いた。
「大丈夫か」
 恭平は晃実の疲れに目敏(めざと)く気づく。
「恭平こそ大丈夫?」
「僕は大したことやってないさ。今回はどうしても晃実の能力が大幅に必要だった」
 晃実はどうということはないと肩をすくめる。
「思った以上にしんどかったけど、これくらいでへばってられない。いい実戦になった」

 ソファの背にもたれて、晃実は大きなため息を一つ吐きだした。
 このシンプルにまとめられた晃実の部屋は、マンションの一室にあった。隣に恭平の部屋がある。
 しかし、ここは二人にとって家ではない。それどころか、二人にとっての安住の地(いえ)などどこにも存在しない。

「訓練は十二分にやってきたつもりだけど、実戦となると想像以上に精神力が必要みたい」
「人間の蘇生ははじめてだし、一人だけってわけでもなかったからな」

 それに加えて、晃実のエネルギー量は少なすぎる。

「そうね。それより、あんなに傷ついた人たちを一度に見たのははじめてだから、ちょっとショックっていうか……正直云って気分悪くなっちゃった」
 晃実の顔は確かにかすかにだが(あお)ざめている。
 恭平は晃実に近づいて、彼女の額に手をかざす。
 晃実は気だるくなっていく。
「あと一度だよ。それでたぶん、奴らは乗ってくる」
 恭平の気遣いが晃実の心に浸透していく。
「うん……恭平は小さいころからあんな光景を数えきれないほど見てきたんだよね。あの悲惨な声とか……恭平はほんとすごいね」
「そうでもないさ」

 晃実がいたから、“約束”があったから強くなれた。

「さあ、もう眠っていいから」
「うん」
 晃実は目を閉じて、回復への眠りについた。

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