失いたくない

第3章 アンバランスハート  2.あのひと

 

 翌日、亜夜は思いもしなかった人を見てしまった。思いもしないというより、会いたくなかった、といったほうが的を射ている。
 颯爽としたその姿は二年まえよりずっときれいに見えた。
 髪を後ろでひとつに結んで、長めの前髪は耳へと緩くカーブしてたおやかだ。春を意識した、ブルー系のパステルカラーのパンツスーツ。そんな大人の装いをした女性はほかならぬ岬圭子だった。
 カメラマンを伴って、聖央やほかの選手たちと親しげに話をしている。テレビで幾度となく彼女のインタビューシーンを目にした。
 じかにそのシーンを目にすると、亜夜は自分のなかで、いまだに何も決着していないことを思い知った。
 練習が終わるまで、あのひとがここにいるのなら。
 会いたくない。
 そう思ったとたんに躰までもが拒絶反応を示し、亜夜は無意識のうちに立ちあがった。黙って帰ってしまったら聖央は気にするだろう。かといって、グラウンドへ行く気にはさらさらなれない。
 どうしよう……メールで大丈夫かな……。
「亜夜ちゃん!」
 観客席から通路に入り、バッグのなかから携帯電話を取りだしたちょうどそのとき、亜夜は呼びとめられた。顔を上げると前方から歩いてくる健朗が見えた。
「あれ……S席で見学してたんじゃないんですか」
 健朗はどうみても一般スタンドから出てきた亜夜に訊ねた。
 亜夜は苦笑いをした。
「うん。健朗くんの言葉に甘えてたら、セーオーが嫌味云われちゃうし」
「……大の大人がしょうがないですね」
 健朗が呆れて天井を仰ぎ、亜夜はくすっと笑った。
「そういうこと、社会人になっても変わらなくてたいへんだって気がするけど。あの……ちょうどよかった。健朗くんにお願いがあるの」
「なんですか」
「セーオーに、今日は早く帰るって伝えてもらいたいの」
「具合悪いの?」
 健朗が心配そうな表情をした。
 まったく聖央といい、健朗といい、自分はそんなに頼りなさそうにしているのかと亜夜は思ってしまう。
「ううん。買い物したくなったの」
「なんなら、僕が付き合いましょうか」
「えっ、いい、いい。気遣い無用だよ」
 亜夜は慌てて断った。
 買い物が口実ではなくても遠慮したい。過去に一度、聖央の都合がつかなくて、健朗を亜夜の買い物に付き合わせたことがあった。かすかでも亜夜が欲しそうな様子を見せようものなら、健朗はすぐさま財布を取りだす始末だった。さすがの亜夜もそれには懲りた。
 経済観念がないということではないけれど、やはり一般人に比べれば、お金持ちゆえか健朗は少しお金の使い方に無頓着な気がする。
「わかりました。伝えますよ。あとで聖央から僕のビッグニュースを聞いてくださいね」
 亜夜をスタジアムの外まで見送った健朗は、意味不明なことを云い残してなかに戻っていった。

 健朗はグラウンドへ出たとたんに、なるほど、と納得した。
「聖央!」
 呼びかけると、岬と話していた聖央が健朗を認めて手を上げた。ひと足遅れて岬も振り向く。
「あら、健朗くん。久しぶりね。大学では何やってるの?」
「いろいろと。岬さんは?」
「わたしはこのとおり、相変わらずスポーツキャスターをやってるわ。わかってるでしょ? 今年はW杯の最終予選があるし、これから忙しくなるってところかしら。聖央の年になるわよ」
「岬さん、大げさだ」
 聖央は顔をしかめた。照れくさいのではなく、うんざりしているように見える。
「聖央、いま亜夜ちゃんとそこで会ったんですが、買い物があるからって早く帰るそうですよ」
 聖央が今度は明らかにしかめ面になった。
「買い物、だって?」
「はい」
「……具合悪そうにしてなかったか」
「いいえ。それは大丈夫ですよ」
 健朗がそう受け合っても聖央の表情は晴れず、何かを考えこんでいるようだ。
「今日は練習を見ていきますから」
 健朗はコーチのほうへ向かった。
「おまえ、暇そうだな」
 その言葉に健朗が振り返ると、聖央はにやりとした。
 聖央のその様子は、亜夜が帰ってくるまえとは――まだそうなって一週間しかたっていないが、見違えるほど生気が感じられた。完璧ではなかったが。
「聞き捨てならないですね。忙しい合間を縫ってきてるんですよ。話があります。あとで驚かないでくださいよ」
 そう云い残して健朗は背を向けた。
「亜夜ちゃん――て、あの……幼なじみの亜夜ちゃん?」
 背後から、どことなくきつい岬の声がした。
「あ? ああ」
「仲直りしたの?」
 聖央の返事はない。おそらく、肩をすくめるなどしたのだろう、岬はさらに質問を続けた。
「どうして教えてくれなかったの?」
「どうしてって……岬さんになんか関係あんの?」
 聖央の無頓着な云い方に、健朗は独りそっと笑った。さり気なく振り返ると、聖央はフィールドに出ようとしていた。
 岬は、と目を移すとその表情は冷たく無表情だ。
 ずっとふたりはこのままでいるのだろう――そう思っていた聖央と亜夜が隔たってしまったのは、けっして、なるべくして、ではない。
 あの人の人間性はどうもつかみにくい。
 健朗は眉をひそめた。

 夜になって聖央が来た。予想していたことで、亜夜は驚かなかった。
「買い物に行ったって?」
 長居するのか、聖央はテーブルの横に座りこんだ。
「うん。大学生になると制服じゃなくなるし、服が買いたかったの」
「もう少し待ってれば、おれが一緒に行けただろ」
「えーっ、まえは退屈だって云って、全然乗り気じゃなかったくせに!」
 亜夜は大げさに驚いてみせて、聖央をわざと責めた。
 そんなやさしさはいらない。少し悲しい。
「そうだっけ」
「そうだよ」
「昨日はそんなこと云ってなかっただろ。調子がよくないのかって思ったんだよ」
「あたしはいつも気まぐれです!」
 云い訳が通用したのか、聖央が笑った。
 またふたりでいるようになって、最初は笑った顔を見せることすらぎこちなかったのに、いまはそんなこともなく本気で笑っている。
 なんだか安心した。

「ごめんね」
「何が?」
 イベント会場のスカーラホールへと続く階段をのぼりながら、亜夜は聖央に謝った。
「あたし、遅いから……」
「んなの気にすることねぇよ」
 聖央は乱暴に云ってのけた。
 行き交う人から注目されている。ちびな亜夜は背の高い聖央の腕を杖がわりにして、どう見てもぶらさがるような恰好で足を引きずりながらゆっくりと歩いていた。それだけで人目を引いてしまう。
 追い越しがてら、ほとんどの人が振り返ってふたりを見ていく。若い子たちばかりで遠慮の欠片もなく、しかたないと思うように努めた。なかにはじろじろと眺める人もいて、あきらめてはいるものの、やはりこういう状況にはいつまでたっても慣れることができない。
「でも、見られるのは嫌じゃない?」
「んなこと気にしてて、プロをやってけると思うか?」
 聖央は呆れて問い返した。
 確かに愚かな質問だ。亜夜は困ってかすかに口を尖らせた。
「おれがカッコいいから見惚れてんだよ。花が似合う男ってそういないぜ」
 預けた大きな花束を掲げて聖央は亜夜を見下ろし、自信たっぷりに笑ってみせた。ずうずうしい発言に亜夜は首を小さくひねった。
 すまして自惚れた聖央のことをそのとおりだとは認めるけれど。
「すっごいナルシスト!」
「モテる幼なじみを持って、おまえもたいへんだよな」
「知らない!」
 亜夜はぷいと反対を向くと、聖央の笑い声がした。
 しばらくして、聖央が階段の途中でありながらも、突然立ち止まった。
「急ぐなよ」
「え?」
 亜夜は聖央を見上げた。
「息切れしてる」
「……! そんな年寄りじゃない」
 亜夜の不愉快そうな様子に、聖央はふっと笑みを漏らす。
「おまえ、昔っから体力ないからな」
「そのわりにやさしくない」
「おれはおまえのために鍛えてやってんの」
「よけいなお世話だよ」
 拗ねた亜夜を連れて、聖央はさっきまでよりもゆっくりしたペースで歩き始めた。
 混雑するまえにと早めに出てきたので、まだ人は多くない。亜夜は焦ることなく、ようやく上までたどり着いた。山の頂上まで登りきったときのように、亜夜はひとつ深呼吸をしてから周囲を見渡した。
 入り口の近辺では整列するでもなく、小さな集団がいくつもたむろしている。女の子のほうが多いようで、聖央のナルシストな発言もまんざら嘘ではなかったらしいと、亜夜は考え直した。
 中学校に入学してすぐの頃、聖央のファンが多いことに気づいた。そのときはじめて聖央が周りのどの男の子よりも抜きんでていることを認識した。
 当の本人はと云えば、それを知ってか知らずか、表立って女の子に関心を示したこともなく、ひたすらサッカーだけに集中していた。
 高校に入ってもそれは同じで、亜夜は幼なじみという特権を利用して、校外ではもちろんのこと、重なる一年をくっついてまわった。ほかの女の子たちは邪険に扱われたり追い払われたりしていたけれど、亜夜にそうすることはなかった。
 亜夜の立場はいつも特別で、けれどそれは、幼なじみの域を超える特別≠ノはけっしてなれなかった。
 その引導を渡されたのはあの事故の日だ。
「あの……ブレイズの弥永さんですよね」
 勇気のある女性が二人、亜夜と聖央の正面に現れて行く手をふさぐように立った。
 隣に腕を組んだ亜夜がいるのだから、普通ならカノジョだと思って遠慮するだろう。それでもかまうことのない彼女たちの図太さをへんに感心した。
 それとも、亜夜はカノジョだと思えないくらい、聖央にはアンバランスに見えるのだろうか。
「ああ、そうだけど」
 聖央は尊大に返事した。
 まんざらどころか、聖央が云ったとおり、大半は亜夜のどうしようもない足より、やはり有名人である聖央のほうが注目を集めていたのかもしれない。
「いつも見てます。サインしてもらえませんか」
 彼女たちが差しだした手帳とペンを、聖央は片手で制した。
「悪いけどおれ、こういうのはやらないことにしてる。ファンならサッカー見にきて応援してくれよ。そっちのほうがうれしいから」
 聖央は「行こう」と亜夜を促した。
「評判どおり、冷たいね」
 彼女たちと少し距離ができたところで亜夜がからかうと、聖央は鼻で笑った。
「アイドルじゃあるまいし、サインとかなんなんだよ。いちいち応じてたらキリねぇ」
 冷たく拒絶されたというのに、「カッコいいね」と彼女たちが騒いでいる声が背後から聞こえた。
「女の子に興味ないの? 云い寄ってくる人はよりどりみどりでしょ。それとも、もうカノジョがいるとか?」
 聖央を見上げて、あくまで軽い調子で亜夜は窺った。
 聖央はすぐには答えなかった。
「……いたら、こうやっておまえといるかよ」
「だけど……あたしは特別だから……」
 いろんな意味で。
「忙しくて、そんな暇ねぇよ」
 ずるいよ、セーオー。まだ……答えはくれないんだね。
 亜夜はつかの間、途方にくれた。そして、いまの自分の特別な立場を最大限に利用して、聖央の腕にしがみついた。
「なんだよ」
 離したくない。できるなら、ずっとこの腕をつかんでいたい。
 ずるいのは、何も告げていない自分も同じだった。
「なんでもない」
 岬さんとは?
 怖くてできなかった質問が、頭のなかでぐるぐると廻っている。

 ふたりはホールの裏口にまわって『関係者以外立入禁止』と掲示されたドアから、聖央の顔パスでなかに入った。廊下を奥のほうへ進み、聖央は『FATE様』と表示されたドアのまえで立ち止まる。
 聖央がノックするとなかから、「どうぞ」と声がかかり、ドアを開けた聖央のあとに続いて亜夜は部屋に入った。
 なかでは、スーツを着込んだ五人の男性と一人の女性が中央に、ほかにスタッフらしきラフな恰好をした人が数人、忙しそうに行ったり来たりしている。
「や! 来てくれたんですね」
 健朗がいつもよりハイテンションでふたりを歓迎した。健朗の見慣れないスーツ姿に亜夜は驚く。
「てめぇが来いって強制したんだろうが。やっとやりたいことを見つけたらしいから、祝いくらいしてやる」
 聖央はぶっきらぼうながらも、健朗の門出を喜んでいるのは間違いない。
 亜夜は花束を渡した。
「おめでとう、健朗くん。大学入ってバンドをやっていたの?」
「サンクス。若干一年ですけどね」
 健朗が活動しているバンド、FATEは三カ月後にメジャーデビューすることが決まっている。今日はその前祝いとして、このスカーラホールでライヴが行われるのだ。
 昨日、会ったときに健朗が亜夜にそれとなく告げたビッグニュースは、その言葉どおり本当にビッグニュースだった。亜夜は想像だにせず、夜の窓越し会話で聖央から聞かされたときは唯々驚いた。
 そしていま、FATEのメンバーを目のまえにして健朗から紹介を受けるなか、亜夜は驚きを通り越しておののいた。
 ちょっと……気後れしそう。
 亜夜は出そうになったため息のかわりに独り言をこぼした。聖央と互角に張り合えるほど、全員が超を付け加えて当然なほどの見映えのいい人ばかりで圧倒されてしまう。
 こうも超越した人間が集まると迫力がありすぎて、近寄りがたい雰囲気だ。思わず亜夜は、一歩、といわず何歩でも引きそうになった。もっとも、自己紹介を銘々やってくれた彼らは、とても気さくで親しみやすかった。
 すぐに聖央は打ち解けて、初対面とは思えないくらいの気安さを見せ、メンバーのなかに加わって談笑し始めた。
 その横で会話を聞いていた亜夜は、健朗が輪から離れて手招きしていることに気づいた。
「びっくりしました?」
 健朗は亜夜の反応をおもしろがっていた。
「そんな言葉じゃ全然足りないよ。あたし、セーオーにも健朗くんにも、もうついていけない」
「そういう亜夜ちゃんだって、青南大の社会福祉課程を選んだってことは、目指してるものがあるってことでしょう」
「でも次元が違うよ」
「いいえ。土俵は違っても、亜夜ちゃんは亜夜ちゃんで、聖央は聖央で、僕は僕。同じ世界に在ることに変わりはないですよ」
 健朗が断言した。
 亜夜はそう思えるほど、自信も強さも自分のなかに持ち合わせていない。ましてや、この足で出遅れもいいところ。追いつくどころか後退してしまって、置いてけぼりを喰らった気がしている。
「それにしても、だよ。健朗くんが小さい頃からピアノをやってたのは知ってたけど、バンドをやりたいとか聞いたことなかった」
「そうですね。僕も驚いてますよ」
 目を丸くしている亜夜を見て、健朗は笑った。
「自分がやるべきことを探していたとき、たまたま『メンバー募集』の張り紙が目について、これに懸けようと思ったんです。ピアノとギターはずっと趣味でやってましたからね。運よく、彼らの基準に合格したわけです」
 その基準というものが、純粋に音楽の面に限られたものだろうか、と亜夜はふとどきにも独り思った。
「健朗くんはお父さんの会社を継ぐんだって思ってた」
「母もそれを期待して散々反対されましたけど、いまは理解してくれています。会社には義兄がいるし、彼はこれ以上にないだれもが認める後継者ですよ。あえて僕のなかでいちばんの理由を云うなら、父とは畑違いで力を試したかった、とでも云いましょうか」
 健朗がただのお坊ちゃん≠ナはけっしてなく、しっかりと自立心を秘めた大人なのだとあらためて認識する。尊敬せずにはいられない。一般人の自分のほうがより甘ちゃん≠セ。
「指、ケガなくてよかったね」
「キーパーやってたわりには、突き指なんかも大したことありませんでしたね。ラッキーでした。彼が……FATEの表から抜けることも」
 健朗はダークパープルのスーツを着た、確か良哉という人を指した。
「デビューするっていうときに、やめちゃうの?」
「良哉は最初から、プロとして音楽をやっていくつもりはなかったんです。作曲専門で、FATEについてはくれますけどね。人には諸般の事情がそれぞれあるもの。そういうことじゃないですか」
 亜夜はうなずいて健朗に賛同した。ストレートな人生などあり得ない。
「大学はどうするの? 入学できたら、いっぱい甘えようかなって思ってたのに」
「ちゃんと卒業しますよ」
「忙しくなるよね?」
「留年は覚悟のうえです。もしかしたら、亜夜ちゃんと一緒に卒業、ということもあり得ますね」
「すごいね」
 亜夜はため息混じりにつぶやいた。
「亜夜ちゃん」
 健朗がふいに声を潜めた。
「人が多いんですけど、大丈夫ですか」
「セーオーがいるから……たぶん……」
 亜夜はあやふやに答えた。
「本当を云うと、誘うのをちょっと迷ったんです」
「誘ってくれなかったら、怒っちゃうよ」
「それは怖いですね」
 健朗はおどけた。そして、真顔に戻ると、いちだんと声を潜めて、いきなり話題を変える。
「岬さんのことは心配ないですよ」
 亜夜は驚いて健朗を見上げる。
「昨日、早く帰ったのはそういうことでしょう?」
「健朗くんて……察しがいい。セーオーは全然気づいてないと思うけど」
「そうじゃない、と少なくとも僕は思ってますけどね。ただ、僕は傍からずっとふたりを見てきたわけですから、気づかないほうがどうかしてますよ。これはカンですが……二年まえ、聖央と決別したことに、岬さんが関係してるんじゃないですか」
 亜夜は瞬間、言葉に詰まって、すぐには否定ができなかった。
「……そんなこと……ない……とは云えないけど、決めたのはあたしだから……。あのひととは関係ない」
 健朗がめったに見せることのない、怖い顔をした。
「亜夜ちゃんがそう云うのなら、僕は口を挟めないけど、岬さんの行動には気をつけるんですよ。いい意味でも悪い意味でも、聖央は亜夜ちゃんのことしか眼中にないから、岬さんを警戒するところまでは頭がまわっていないかもしれない。よけいなことをするなって怒鳴られることを覚悟で、それとなく云ってはみますけどね」
「健朗くん、それは必要ない」
 亜夜はきっぱりと断った。
「え? どうして?」
「あたし、セーオーに面倒かけるために仲直りしたんじゃないから」
「亜夜ちゃんがそうでも、聖央は――」
 亜夜は首を振って、またも健朗の言葉をさえぎった。
「……セーオーはあのとき……否定しなかった。岬さんのこと好きなのって訊いたのに、違うって云ってくれなかった。あたし、邪魔したくない。セーオーを縛りたくない」
 心もとなくつぶやくと、健朗は励ますように亜夜の背中をぽんと叩いた。
「そんなことを思ってるのは亜夜ちゃんだけですよ。二年まえのように、独りで勝手な結論を出して、道を間違えないように」
「……勝手だった?」
「たぶん。でも、ある意味では正しかったのかもしれません」
 謎めいた答えだった。
「聖央への忠告はひとまず保留しておきますけど、とにかく、詰まらないことに惑わされることはありません」

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