せめてそのくちびるに幸せが集うまで

おかえり
祐真 age19 昂月 age15


「……のマンションを借りてそこに住まわせるつもりです。そうするほうが仕事に関しては都合がいいので。……費用はもちろん会社側で負担します」
 昂月はリビングのドアの外に立ち、“ユーマ”のマネージャーである石井と両親、そして祐真の会話を盗み聞きした。
 祐真はソングアーティストとしてデビューしてからまもなく二年がたつ。テレビに出演することはなかったが、それでもユーマの歌は徐々に、そして確実に支持されつつあった。

 出ていっちゃうんだ。そっか……。
 昂月は足音を忍ばせて二階の自分の部屋へ入った。すとんと床に座りこんでベッドに寄りかかると、抱えこんだ膝に顎を載せて下唇をかみしめた。
 石井が訪ねてきたときから嫌な予感がしていた。だからこそ盗み聞きなんてことをしてしまった。
 聞きたくなんてなかったのに。
 見事的中だよ。

 従兄である祐真がいつか出て行くだろうことは理由がなんであろうと、この家で一緒に暮らすようになったときからわかっていた。祐真の中には家族になりきれない一線が見える。
 怖かったのは兄妹ではないからこそ、そのときが永遠の別れのような気がすること。理由を作らなければ会えない気がした。
 膝に一滴の涙が落ちたとき、昂月は自分が泣いていることに気づく。

 トン、トン、トン……。
 ゆっくりと階段を上ってくる足音が聞こえた。
 溢れる涙をパジャマの袖でゴシゴシと乱暴に拭き、立ちあがって急いで机に向かうと、昂月は勉強しているふりをした。
 その足音は昂月の部屋の前で止む。

「入るよ」
「勉強してるの!」
 つまりは入るなと拒絶したはずが、それを無視して祐真はドアを開けた。
「勉強してるって云ってるでしょ! 向こうへ行って」
 昂月は泣いていたことを悟られまいと、祐真に背中を向けたまま刺々(とげとげ)しく云った。
「昂月が泣いている気がした」
 祐真の声は、昂月のいまの心境にはおよそそぐわない、可笑しそうな口調だ。
 「……泣く理由なんてない」
 昂月が精一杯の意地を張って云うと、祐真は小さくため息をついた。
「聞いたんだろう、家を出る話? 昂月の足音が聞こえた」
 その見透かした余裕が昂月の張りつめた糸を切る。
「そんなの、あたしには関係ない。勝手に出てっちゃえ。もともと祐真兄はいなかったんだし。出てけ、出てけっ」
 昂月は椅子に座ったまま叫ぶと、手当たりしだいに机に飾ったぬいぐるみやら本やらを祐真へ投げつけた。
 昂月の瞳からはポタポタと涙が落ちている。
「昂月! 落ちついて」
 祐真は投げられた物を器用に受けとめながら昂月に近づいた。投げつける手をつかみ、そして椅子を回して昂月を正面に向けると、祐真はその目の前に(ひざまず)いた。
「おれ、出ていかないよ。ずっとここにいるから。だから泣くな」
 祐真の手から逃れようともがいていた昂月はぴたっと動きを止めた。祐真の目を探るように見つめた。
「だって――」
「決まったことじゃない。石井さんから云われて、いろいろ考えて出ていくほうがいいと思った。けど、昂月が泣くのは……さみしい思いをさせるのはやっぱりできない。だから、おれはここにいる。出ていかない」
 それを聞き終わる頃には、昂月はしゃくりあげるほど泣いていた。
 まるで幼い子供みたいに。

 祐真の手が昂月を引き寄せる。
 祐真の腕が昂月を抱く。
 “兄妹”とは程遠いしぐさで。

「そんなに泣くほど、昂月は石井さんを嫌いだったっけ」
 わざと的外れな解釈で祐真が訊いた。
「……石井さんのほうが……あたしを嫌いなんだよ。祐真兄に……わがまま云って……自由にしないから……」
「おれは昂月から自由になりたいなんて思ってないよ」
「……。祐真兄、ずっとこうやってていい?」
 昂月は自分を抱く腕に応えて、祐真の背中に手を回した。
「自由にしないのはたぶんおれのほうだ」
「それでいい」
「おれの立場も少しは考えろよ?」
 触れた躰から祐真の笑みが伝わってきた。
「いつまで?」
「三年後」
「祐真兄、長いよ」
「待ってる」

 強く縛られる痛みが心地いい。
 昂月にとってはじめての確かな居場所。
 それは祐真の腕。
 そう信じた。
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