せめてそのくちびるに幸せが集うまで

おかえり
祐真 age20 昂月 age16


「祐真兄――」
「おかえり」
 祐真の部屋のドアを開けるなり、ただいまと云いかけた昂月を待たずに祐真が答えた。
「また先越されちゃった。どうして?!」
 昂月は顔をしかめて真剣に抗議した。
 ベッドにもたれている祐真は、ドアの前に突っ立ったままの昂月を見上げて笑う。
「昂月の足音はすぐわかるし、おまえ、最初に必ず『祐真兄』って口癖あるだろ」
「祐真兄、ずるい」
「んなこと、勝負してどうすんだよ? ていうか、また云ってる」
「祐真兄、云ってることとやってることが違うよ。あたしに譲ってくれてもいいと思う」
「いつになったら気づくんだろうって思ってただけさ」
「バカにしてる!」
「可愛いって思ってる」
 祐真はからかうように昂月を見上げている。
「やっぱりバカにしてる。仕返し!」

 昂月はいきなり祐真の前に跪くと、抵抗されるまえに祐真に絡みついてその肩に顔を埋めた。
「昂月!」
 叱責(しっせき)する声と裏腹に、祐真の手が昂月の背に回る。
「昂月……早く大人になれよ。おまえ、男を知らなさすぎる」
「……知ってるよ。どうして待たなくちゃならないの?」
「迷ってる」
 祐真が云ったとたん、昂月は躰を放した。昂月の瞳が(うる)んでいく。
「そうじゃない。逆だよ。昂月にとっておれでいいのかってこと」
「祐真兄じゃなかったら、だれがいるの?」
「いまはいなくてもずっとさきに廻り合うかもしれない」
「…そしたら、あたしのことをあきらめるの?」
 祐真は瞳を()らし、そしてフッと可笑しそうに笑い声を漏らした。
「いや、だれにも渡さない」
 そう云って昂月に戻った瞳が深く(けぶ)る。
「だったら……」
「それとこれとは別。昂月と違っておれは考える人間なんだ」
「またバカにしてる!」
「待ってるって云っただろ。おれは昂月に忠実でありたいだけだよ。大事にしたい」
「キスくらい……」
「頼むから挑発するな。途中でやめられるほどおれは大人じゃない」
「普段、大人ぶってるくせに」
 祐真はむくれた昂月の頬をつねる。
「早く着替えてきて。新しい曲を聴かせてやるから」
「お兄さまの云うとおりに!」
 口を尖らせてそう云うと、祐真の笑い声を背後に聞きながら、昂月は隣にある自分の部屋へと行った。

 昂月は急いで着替え、不機嫌なまま再び祐真の部屋に入る。
 ベッドに上がって壁にもたれると、ふくれ面の昂月を見てまた祐真が笑う。
「ちゃんと聴いてろよ」
 祐真は念を押して新しい音を奏でていく。伴って昂月の表情も緩んでいった。

「どう?」
 新しく曲ができるたびに祐真は昂月に聴かせ、それとなく意見を云わせる。
「……うん……」
「やっぱり、いまいちだよな」
 昂月が曖昧な返事をすると、祐真は先刻承知だったようにつぶやいた。
「あたし、専門家じゃないから……だれかはこのままで好きかもしれない」
「けど、おれ専属の批評家だよ」
「そ?」
「そうだよ。頑張ってくれなくちゃ、おれがホカされる」
「じゃ、頑張る」
「ぷっ。単純な奴」
「祐真兄、酷い!」
「じゃあ、機嫌直しにもう一曲、新しいのを」

 祐真はギターを弾きながら、今度は声も重ねた。
 祐真の音はデビュー当初に比べるとだんだんと優しくなっている。
 いま奏でられているラヴバラッドもやさしく澄んだ音だ。綴られた“うた”に切実な感情が見える。

「……すごくいい感じ」
 歌が終わったあと、昂月はしばらくしてつぶやいた。云い方は控えめでもうっとりとした声で、祐真はニヤつくように口の端を上げた。
「気に入った?」
「うん、なんて曲?」
「まだ決めてない」
 昂月は可笑しそうに首をかしげた。
「祐真兄、また歌って」


 アンコールを要請されるまま、祐真が何回も繰り返して歌っているうちに、昂月はいつのまにかベッドに転がって眠りこんでいた。
「昂月?」
 祐真はギターを脇に置いて立ちあがると、ベッドの端に腰かけて昂月を見下ろした。
「“Rising Moon”――昂月の歌だ」
 祐真は独りつぶやいた。

 ()がる月。(たか)ぶる衝動。こっちの気も知らないで。
「襲うぞ、こら」
 無分別な衝動を抑えるように祐真はふざけて囁いた。
 昂月の髪に手を滑らせる。
 横を向いた頬にそっとくちびるをつけた。
Many thanks for reading. |BACKDOOR
* 文中【Rising Moon】は+menu+の【Poetry-うた-】に収録