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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第4章 スキャンダルキス
3.Xmasのヒーロー #3
*
「おまえ……おれが好きなのか?」
そんな権高な様で迫られて、何も答えられなかったのは図星だったからだ。
ううん、たぶん赤らんだ顔が答えになっていた。
「結礼、こっち来て」
ずっと“おまえ”だった結礼は、はじめて名を呼ばれて舞いあがった。
傍に行くのがなんのためかも察せられないほど幼くて。
おまえはおれのものだ。
そんな言葉にのぼせた。
それがちょうど六年前の今日、クリスマスイヴのこと。
よくわからないままメイドという立場で躰の関係を続けてきたけれど、この夏はかつてないことが起こり、もしかしたらふたりの関係も、心の持ち様というか、そんなものが少し変わったかもしれない。
――と思っていたけれど、さと美のことが片づいてから四カ月、すっかりもとに戻っている。
「健朗さま、まだ行かなくていいんですか」
「お、ま、え」
据わった低い声で一つ一つ区切られて、じろりと斜め目線が向くまで、結礼は自分がスイッチを入れたことに気づかなかった。
「あ、健朗さん――」
「もう遅い!」
健朗は持っていたコーヒーカップをダイニングテーブルに置き、椅子から立ちあがった。正面に座る結礼の傍に来たかと思うと、躰をすくわれる。
悲鳴をものともせず、健朗はベッドルーム連れていった。結礼は投げるようにベッドに放られる。
「健朗さまっ」
「充分、その気みたいだ」
「健朗さ、ま――じゃなくて健朗さんっ、ち、違います。癖が抜けないだけで……」
「だから、もう遅い」
「遅刻します!」
健朗は忠告に頓着せず、結礼の服を剥ぎとっていく。
「そうさせたくなければ、早く終わるようにおれを呼べ」
勝手なことをのたまって、とささやかな反抗心で結礼が逆らったのはつかの間、「いいな、結礼」と健朗は従順の暗示を吐いた。
だれもが普通に呼ぶ名は、健朗に限っては特別な言葉になる。オトナの時間の始まりだ。
「健朗さま」
「声、出して煽れよ」
にやりとした健朗のくちびるはいきなり胸もとにおりた。片側が熱く含まれるともう一方は手のひらがくるむ。そこから熱が生まれて体内を伝い、躰の中心へと波及していった。その伝導を感じとっているかのように、健朗は結礼の熱のあとを追う。
堪えていても飛びだしてしまう声と、「健朗さまっ」が入り混じり、それは健朗の希望どおり煽ることになっていて、性急に侵された。
「イケよ。おれも追うから」
いつ云われても従えるほど、結礼の躰はいつだって健朗に開いている。
息が詰まるような悲鳴の一瞬後、ひどい痙攣が結礼の躰中を走り抜けた。ぷるぷるとふるえる躰をぎゅっと抱きしめられ、「健朗さま」と呼びかける声はもう云うなとばかりに、柔く引き締まったくちびるにせきとめられる。いちばん結礼が好きな瞬間だ。くぐもった呻き声が口のなかに吐きだされて、同時に最奥で健朗の熱が迸った。
耳もとで荒い呼吸がこもる。時折ぴくっとしながら余韻を味わう結礼と違って、健朗は急速に冷却していって、まもなく息も整う。
躰が離れると、健朗は出かける恰好のままで、結礼は自分だけが裸だと気づいた。それはそのまま、ふたりの身分違いを示しているように思えた。
「今日のライヴ、ちゃんと来いよ。迎え寄越すから出るときは電話しろ」
健朗は服を整えると、結礼の躰にふとんをかけながら命令を下した。
今日は、FATEの恒例ともなりつつあるクリスマスライヴだ。
「でも……」
「おまえ、おれの機嫌取るより、自分の命が大事なのか?」
四カ月前は、結礼が結礼の躰を傷つけることも許さないと云っていたくせに、そのうえ大げさで散々な云い分だが、押しつけがましい主張ではない。
「そんなことありません」
「それでこそ、おれの専属メイドだ。来なかったら磔刑だ。そのまま、十四年前、おまえがギリセーフで逃れた誘拐監禁をおれが実行してやる」
狼少年のようにお馴染みになった脅し文句を残して、健朗は出ていった。
それが脅迫に聞こえないとしたら、傍からすれば結礼は愚かに見えるだろうか。
誘拐事件には二度と遭遇したくないし、思いだすとぞっとするけれど、健朗がそれを引き合いに出すのは嫌じゃない。むしろ、結礼のそんな体験を共有している健朗が出しに使うからこそ、大したことなかったんだというふうにあのときの恐怖は薄れている。
ここまでくると、いっそのこと健朗に誘拐監禁されたら幸せかもと思う。
立場の差はどうやっても縮まらないし、結礼はだれよりも健朗の身近にいるのにそれは無意味な有利点にしかならない。ただ、根が品行方正で、その殻を破れない健朗が誘拐監禁などという罪を犯せば、一生責任を取ってくれる気もする。
そんなばかげたことを考えながら、夕方近くになって結礼はマンションを出た。エントランス前の歩道沿いに、健朗が呼んでいたハイヤーが止まっている。
去年、唯子から聞かされてはじめて思い至ったけれど、クリスマスのトラウマを持っているのは健朗もそうなのだ。だから、クリスマスにライヴがあるときは、今日みたいに公共機関ではなくタクシーという確実な方法を使わせる。
今年はトラウマのことにとどまらず、ファンに絡まれた経緯もある。夏以来、久しぶりのライヴで、結礼を誘いだすため脅したのも、きっと結礼がファンに遠慮しているとわかっているからだ。
「いま出ました」
結礼が約束となっている無事報告をすると、何か云うよりも早くため息が届いた。
「大丈夫か」
「はい。健朗さん……」
結礼は呼びかけておきながらためらって口を噤んだ。
「なんだ」
電話の向こうはざわついた感じはあるけれど、すぐ周りには人がいないのか問う声は至って普通にぶっきらぼうだ。それにめげることはなくても、云おうと思っていることは、不安を伴ってためらってしまう。
「あの……」
四カ月前に云われたことはほかにもあった。ずっとその言葉の意味を考えてきたけれどいまだにわからない。結礼は思いきって続きを口にした。
「健朗さんから待ってろって云われました。わたし、ずっと待つことにします。そしたら、ずっと傍にいられますよね? だから、何を待ってるかわからなくても答えはいらなくて、健朗さんが結婚するとしても……」
「するとしても? 仮定じゃない。おれはするつもりだ」
結礼をさえぎったその発言は息が痞えるほど衝撃的だった。一成の意向は立ち消えたわけではなかったのだ。
「……はい……」
だれと? そんな疑問が渦巻くなか、なんとか返事だけはした。
「おまえ、おれにバカげたことさせるなよ。とにかくファンが立ちはだかっても来い」
電話はぷっつりと切れた。
バカげたこと、って? 別れをわざわざ云わせるなということ? 黙って悟れということ?
違う。抱くのは待たない、とあの日に云って、今朝も健朗はそうした。
いくら考えても健朗の思考が読めるはずもなく、とにかく来い、という言葉に従うことしか結礼は選べない。ため息をついて、うだうだしそうな気分を払った。
FATEお馴染みのスカーラホールは、開場を待ってファンが行列をつくっている。時間までもう少し、かなりの長さだ。寒さをそっちのけにして、わくわくした気配から熱気が感じとれる。
結礼の場合、いまは素直にわくわくとはいかない。複雑な気分で列に並ぶとまもなく、ふと影が差した。
「やっぱり来てる」
果たして、いきなり現れたのはあのファンの彼女だった。外灯が逆光になって瞳だけが光って見える。
「こ、こんばんは」
「さと美はKENROのまえから消えてくれちゃったけど……あなたはまだいるよね」
「……まだいます」
返事が思いつかず、おうむ返しで答えると、彼女は取り巻きと顔を見合わせる。そして一斉に結礼へと目を戻したとき――
「はいはい。FATEが好きなら、FATEの気持ちも尊重してね」
割りこんできたのは興じた声で、振り向くと唯子がいた。
「唯子さん」
「こんばんは。こっち来て。別口から案内するから」
結礼は手首を捕まれるとぐいっと引っ張られた。
「あの、唯子さん、わたし帰ったほうがいいですか。やっぱりファンに悪い気がして……」
「んー、結礼ちゃんが帰ったら、わたし、健朗からこてんぱんにやられるわね。せっかくの美貌がぐちゃぐちゃになりそう。それでもいいの?」
唯子は立ち止まってぐっと顔を突きだしてきた。
「いえ。わたしのせいなんてそれは困ります」
健朗が少なくとも女性に手を出すとは思えないが――いや、暴力的にという意味であって、性的な意味では充分に手を出しているけれど。
それはともかく、唯子が健朗から頼まれているとしたら無下にはできない。
唯子に連れられて『関係者以外立ち入り禁止』という場所から席に案内されると、そこにはメンバーの奥さんたちが顔をそろえていた。何かあったときに独りでファンに立ち向かわなくてすむと思うと少しほっとした。
「みんながそろうなんて、めずらしいですね」
挨拶を交わしたあと不思議そうにした結礼を見て、彼女たちは一様に可笑しそうにした。
「今日しか見られないことがあるらしいから」
「そうなんですか」
その今日しかない特別がなんにしろ、だから健朗はしきりに来いと云ったのだろうと、結礼は納得した。
端の席に座り、隣の鈴亜から海外ツアーのおこぼれ話を聞きだしているうちに照明が落ちていった。
重低音が鳴り響くと同時にライヴがスタートを告げる。わくわく感は、FATEの姿が見えたとたん、楽しい、とそんな気持ちで占められていく。
健朗のギターを弾く指先が妖しく色っぽく見えてしまうのは結礼だけなのか、と思っていると、前から五列めに座った結礼は健朗の瞳にばっちり捕らえられた。見透かされているみたいで、顔を赤らめてしまう。色の違うライトが様々に点滅するなか、気づかれてはいないだろうけれど恥ずかしい。
結礼に応えた健朗の微笑は、端整な顔立ちだからこそあざとく見えた。
FATEのライヴはいつも全速力で、だから知らず知らずのうちに乗せられている。乗車拒否したら損だ。そう思うくらい、ライヴが終わっても高揚感はますます上昇していく。
アンコールのさなか、結礼はふと“今日しかない特別”のことを思いだした。なんだったのだろうとライヴの時間を反すうしてみる。それが見つけられないうちに、会場は再び暗くなり、FATEが薄明かりのなかを舞台に戻ってきた。盛大なクラップが湧く。
「結礼」
だれもに倣って立ちあがりかけた矢先、ほんの近くに聞こえた声に結礼はびくっとして背筋を伸ばした。
ぱっと首をまわすと、通路から伸しかかるようにした大きな影が視界に入った。影はすぐ傍でかがむ。
「け、健朗さ――」
「しっ」
ギターの弦を扱うせいで太く硬くなった指が、結礼のくちびるに押しつけられた。
健朗が欠けたまま、ステージでは演奏が始まる。
「待たせたな。来い」
健朗は結礼の手を取った。
「えっ……」
結礼が思わず手を引くと、じろりとした目で射貫かれた。
「結礼、おれに逆らう気か。どんだけ守ってきてやったと思ってるんだ。今日はファンからも守ってやる」
云い方は恩着せがましくても『どんだけ』という言葉は、健朗がずっと気にかけてくれていたのだと結礼に実感させた。
「行くぞ」
どこに連れていかれるのかわからないまま、立ちあがったそのとき。
「KENROはどこー!?」
会場から演奏に負けないほどの声が張りあげられた。釣られてあちこちからKENROと呼ぶ声が広がる。自ずと、結礼の傍では悲鳴混じりでざわつき始めた。
会場側には照明はまったく当たっていないが、ステージの灯りが漏れて、光沢のあるエンジ色のシャツを着た健朗を隠しきれない。
「その子だれー!?」
ほんの近くからそんな叫び声があがる。
縮こまった結礼の手を引いて健朗は足早に階段をおりていく。下にたどり着くと、ステージへと上がる階段があって、健朗は結礼のペースに合わせつつ駆けあがった。急な階段で足がもつれて、黒光りする革の細身パンツに顔がぶつかりそうになる。寸前で、振り向いた健朗に腋を支えられつつ躰をすくわれた。
とたん、空気さえもつんざくくらいの金切り声が会場内に立ちこめた。
まさかステージに上がるとは思わなくて、結礼は当てもないまま本能的に逃げようとした。その躰を健朗が抱きすくめる。再び耳をふさぎたくなる絶叫が会場を満杯にした。
サンクス、というだれに向けたのか健朗の声が聞こえたと同時に片手だけ離れた。逃げようと思えば逃げられるかもしれないが、観客席から顔を見られないいまのほうが無難な気もした。
それ以前に、怖さと不安で脚がふるえだしている。少し緩和してくれたのが健朗から漂うちょっとした汗臭さだった。結礼にとっては酔いそうな芳香で、躰に纏わりついて場所を取り違えそうになる。スキンシップのあとを彷彿とさせるのは、この腕のきつさもそうだ。
健朗の胸につけた額から鼓動がしっかりと感じとれる。そして。
「聞いてください」
声は結礼の額を振動させた。
ヘビーな音を出す人には似合わなくても、健朗はファンに対してもこんな喋り方をする。例外は、結礼に対しては云わずもがな、怒りまくっているときだ――というのは、健朗の親友である聖央から聞かされた。
「僕はこの子と結婚します。噂どおり“いいとこのお坊ちゃん”で育ってきて、どうしてもこの殻だけは破れない。ただ、彼女の前では素になれる。理解してくれませんか」
しんと静まったなか、漠然と耳にしていた結礼はやがてその意味が思考に浸透すると目を丸くした。
健朗の腕のなかでもがいたがびくともせず、結礼は顔を上げて訴えることしかかなわない。
健朗はマイクを持った手をおろす。
「お父さんたちがそんなこと許して……」
「いまどき身分差とかあってたまるか。だめだとは云わせない。第一、おれんとこに外泊して、それで何も咎めないってことは認めてるってことだ。少なくともおれの親は。四カ月前、父さんが云っただろ。押しても動かないって。結婚しろってせっついたのは、おまえとのことをはっきりしろって意味だ」
結礼はびっくり眼で健朗を見つめる。
「で、でも」
無自覚に意味もなく口にした反論は、「云っとくけど」とすぐさま健朗がさえぎった。「おれ」と続くさなか、結礼の目の端に何かが侵入した。すると――
「今日は避妊してないからな」
それはマイクを通して盛大に会場に響いた。結礼の躰がすくむ。
すぐ傍では航が高笑いして、それもマイクが拾った。
次には、悲鳴なのか怒号なのか歓声なのか、区別のつかないどよめきが空気を揺らした。
見つめている瞳は悪態をつきそうな雰囲気だったが、どう消化したのか健朗はやがてこれまでになくくちびるを歪めた。
「おまえは、六年前におれが姫良からもらったクリスマスプレゼントだ」
あの日のことを健朗はそんなふうに捉えていたんだろうか。
「のこのこやってきたのはおまえだ。捨てる気も譲る気もない。おれから逃げられると思うな」
「ほんとに……?」
逃げる気などない。ただ、信じられなくて思わず訊いてしまうと不機嫌になるかと思ったのに、最大級の“結礼殺し”みたいな笑みが返ってきた。
「ここで宣言したのはなんのためだと思ってる。公にすれば、身分なんて関係ないって、おれが本気だとわかるだろ。ファンからは公認をもらう。おまえのクリスマスイヴ、おれは嫌な記憶を消せたか?」
そのために今日を選んだのなら、やっぱり健朗は結礼のヒーロー以外の何者でもない。
「健朗さま」
自分の失言にも気づかず、結礼は健朗を見上げる。その目は睨みつけるように細くなった。
「お、ま、え、バカか」
公然と吐き捨てられ、次には咬みつくようなキスに襲われた。
悲鳴に紛れ、おめでとうと叫ぶ声は耳を素通りしていく。
「返事は?」
健朗はくちびるを放し、発熱したように潤んだ結礼の瞳を見下ろして訊ねる。
「はい、健朗さま」
結礼のクリスマスにやってくるのはサンタではなくヒーロー。ヒーローはメイドに受難を注ぐ。もしくは、受難を呼ぶのはメイド自身かもしれず。
「続きはあとだ」
酸素が不足して喘ぐような声だった。
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