NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第4章 スキャンダルキス

2.ヒーローになれないヒーロー   #3

 マグカップの破片を箱の中にしまいながら、結礼はもう一度、行列に並んで買うことも考えたが、和佳からメッセージが入ってあきらめた。
 並んでいるときさと美は背後にいて、結礼が電話で話しているのを盗み聞きしていたのかもしれない。相手が健朗だと見当をつけて、マグカップをなんのために買ったかをわかって壊した。
 ファンの子たちを嗾けたのはさと美で、彼女たちが結礼に危害を加えるつもりではなかったのは、転んだときの対応を見ればわかる。
 だからファンを不安視することはなくて、気をつけるべきなのはさと美のことだ。

「ごめん、けっこう待った?」
 結礼が待ち合わせの場所に行くと、すでに蓮もいた。
「ううん、蓮もさっき来たばかり。ほら、これ、ちゃんと買ったよ」
 和佳はフラッグを掲げた。
「ありがとう。いくらだった?」
「五百円。わたしはあとマフラータオルとパンフレットを買ってきたんだけど、サイン欲しくない?」
 和佳らしい云い回しに結礼は吹くように笑う。さっきは笑みを浮かべるのにも努力が必要だったけれど、さすがに和佳だ。長い付き合いだけに、無意識のうちにここは元気づけるべきときだという勘が働くのかもしれない。結礼は自然と笑えたことで、少し気分が晴れた。
「じゃあ、おれもついでに」
 蓮が乗っかるとは思わなくて、結礼はびっくり眼を向けながらも笑ってうなずいた。
「わかった。メンバーのぶんまで健朗さんに頼んでおく」
「やったぁ! じゃ、帰りに預ける」
 和佳は子供っぽく云いながらフラッグを差しだした。

「はい、五百円ね」
「うん……結礼、手はどうしたの? 擦りむいてない?」
 互いに手渡していると、和佳が結礼の手のひらに目を留めた。親指の付け根辺りにできた擦り傷に気づいたらしい。
「あ、これ? 人が多くて避けようとしたら、ちょっとつまずいて転んじゃったの」
 話す途中から和佳は怪訝そうに首をかしげた。
「ほんとに?」
「またファンに絡まれたんじゃないよな?」
 和佳と蓮は付き合い始めて、気持ちも連動しているらしい。
「ふたり、息がぴったりだよ。ファンのことは心配ないから。ファンなら女性問題が気になるのはあたりまえでしょ。FATEはファンを大事にしているし、大事にされてるファンが危害まで加えるわけないよ。おかしな人だったら別の話だけど」
「まあねぇ……ほんとに大丈夫?」
「全然平気」
「なら、もうなかに入れるみたいだし、行かないか?」
 蓮が指差した方向を見ると、会場の入り口はなかへと人が流れ始めている。
「あ、ほんと」
「わたし、始まるまえの雰囲気も好きなんだよね」
「うん、わたしも」
 和佳に賛同すると、じゃあ早く行っちゃお、と彼女の言葉を合図に入り口に向かった。


 ライヴはFATEもファンも、欲求不満を解消するためにライヴが催されているんじゃないかと思うほど盛りあがって、アンコール三回で幕を閉じた。
 結礼もフラッグを振ったり踊ったり、さと美のことはすっかり忘れてライヴに没頭していた。その後、健朗に云われたとおりに、和佳たちと居酒屋に寄って別れたあとはタクシーでマンションに帰ったのだが、壊れたマグカップを広げたとたんライヴの余韻まで壊されて憂うつになった。

 シャワーを浴びてみると、膝にも擦り傷があった。いま頃になってそこが疼くのは、気分が落ちこんでいるせいなのか。ライヴのまえに持ってきていた荷物から新しい歯ブラシを出すと、結礼はため息をついた。
 FATEはまだ打ち上げをやっているはずで、健朗は何時に帰ってくるだろう。
 明日の朝ごはんの準備と、バイトにすぐ行けるよう準備をしてから、結礼はベッドルームに入った。
 健朗のベッドにあがり、横向きに寝転がった。枕に埋もれるように頭が沈むと、健朗の薫りをほのかに感じられてなぐさめられる。今度は満ち足りたような吐息を漏らして、結礼は、少しだけ、と目を閉じた。

    *

 ライヴのあとミザロヂーに立ち寄り、反省会の名のもとちょっとした打ち上げをやるのはいつものことだ。まもなく十時半になる。
「健朗、和佳ちゃんから電話入ってるの。話したいって」
 着信音が鳴って席を立っていた唯子は戻ってくるなり、自分のスマホを健朗に差しだした。
「和佳さんから?」
 和佳は結礼と一緒に何度かFATEの飲み会に来たことがある。いつの間に唯子と連絡先を交換するほど親しくなっていたのか。それはともかく、和佳が結礼ではなく唯子を使い、健朗に連絡を取りたがっているのは、即ち結礼に関する何かがあったからに違いない。

「かわりました、健朗です。和佳さん、何か?」
 席を外してスマホを耳に当てるか当てないかのうちに、健朗は訊ねた。声の抑制はできても、内心では焦るような気持ちに煽られている。
『大したことじゃないかもしれないけど、ちょっと気になることがあって』
「どうぞ。聞きますよ」
『今日のライヴ、グッズ販売で三人バラバラに並んでたんです。結礼、そのときに転んだみたいで。自分でつまずいたんだって云ってたけど、まえのライヴのとき、ファンに絡まれたって云ってたから気になって。結礼は、FATEから大事にされてるファンがそんなことするわけないって云ってて……でも念のため、健朗さんには知らせておいたほうがいい気がして』
「ありがとうございます。助かりますよ」
 健朗がそう応じると、ため息が届いた。

『有能な乳母でしょ』
 憂慮していた声音からがらりと変わり、このまえ会ったときの会話を引き合いにして、和佳は押しつけがましく得意げに云う。
 呆れて鼻先で笑ってやった――つもりが、いつものようにはうまくいかず、そうして、和佳の話を聞かされている間、顔をこわばらせていたことを知るという始末に、健朗は内心で舌打ちをした。
「やっと及第点に到達したというところでしょうか」
『じゃあ、合格祝いにサインお願いします。結礼に頼んでるから。今日はありがとうございました!』
 和佳はすっかりいつもの調子で、健朗の返事も待たずに電話を切った。

 健朗に話したことで和佳はほっとしたのかもしれない。それは、結礼に関して拭い去れない懸念があるという裏付けにもなる。
「どうかした?」
 スマホを返すと受けとった唯子は首をかしげた。
「四六時中は一緒にいられない。それでもヒロインのピンチには必ず現れるヒーローに、どうやったらなれると思いますか」
 唯子は目を丸くして、次には呆れたように失笑した。
「泣き言?」
「まさか。客観的な意見を聞きたいだけです」
 即座に否定したものの、唯子の云うとおりかもしれない。
 唯子はからかった面持ちで、それほど切羽詰まってるって聞こえるけど、と鋭く突き――
「そうね……ヒロインにはヒーローがついてるって周知徹底させるという手もあるけど」
 と、健朗の遠回しの質問に、唯子は頭の良さを発揮して求めた答えを出す。
「なるほど。今日はさきに帰らせてもらいます」
「あんまりむちゃはやらないでよ」
 唯子が席に戻っていくと、健朗は自分のスマホを取って操作したのち耳に当てた。

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