NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第4章 スキャンダルキス

2.ヒーローになれないヒーロー   #2

 目が合った瞬間、警告を発するかのように彼女の瞳がきらりと光って見えた。そっぽを向くように前に向き直った彼女は行列の間を抜けていく。
 半ば呆然と彼女の後ろ姿を見送っていると、進んでますよ、という言葉をかけられて結礼は慌てて前に進んだ。

 ひょっとしなくてもさっきの彼女は永倉さと美だ。
 健朗のことをあきらめきれていないのかもしれない。いや、それよりも黙って引き下がるには、気がおさまりきれないのかもしれない。
 健朗や和佳から聞いた評判で、結礼は勝手にさと美のことを男たらしだと決めつけているだけで、本当は――本当にさと美が健朗のことを好きだとしたら?
 気をつけることね――と、その言葉に意味はあるのか。

 そもそも、健朗がさと美を振るのにまわりくどく振られる側にまわった理由はなんだろう。結礼に誤解させてまで守るというまどろっこしさに意味が見いだせない。迫ってくる女性と付き合えないのなら、でたらめでもカノジョがいるとか云えばすむことなのに。
 そこまでは考えられたが、それ以上は健朗にしかわからないことだ。
 変わったことないか、と電話で訊ねられたことを思いだす。大丈夫、と付け加えなければならなかったことを考えれば、健朗は何かを懸念しているのかもしれない。今日はライヴが終わったあと、健朗のマンションに行くことになっている。そのときに知らせて、あわよくばさと美に“振られた”理由を訊こう。

 整理がつくと少し気分もらくになって、結礼は順番を待ってマグカップを手に入れた。和佳と蓮ももう買えただろうか。そう思いながら行列を離れた。
「ちょっといい?」
 そんな高飛車な声はだれに向けられたものか。果たして、その人は結礼の正面に立って、疑問に思うまでもなく結礼に向けたものでしかなかった。さっきの――つまり、五月のライヴのときに質問攻めにした彼女だ。一人ではなく、結礼は逃げ道をふさがれるように四人に囲まれた。そのうち、もう一人も見覚えがある。

「あの、何か……」
「このまえはうまく逃げられたけど、今日ははっきりしてもらいたいんだよね。来て」
 正面に立った彼女はくるりと後ろを向いてさっさと歩きだした。
「早くしないと始まっちゃうでしょ」
 という斜め後ろからの声に急かされ、背中を小突かれて結礼は否応なく歩かされた。
 健朗には云いだせないままファンに絡まれたことをすっかり忘れていたけれど、せめてどう対応すればいいかだけでも確かめておくべきだった。
 結礼は後悔しながらついていく。
 彼女たちはこれまでのライヴを話題にして楽しそうにしているから、傍から見れば結礼もグループの一員と思われるだろう。
 やがて、人気の少ない建物の陰まで来て再び取り囲まれた。


「あなた、KENROのなんなの?」
 このまえのようなFATEの関係者かという曖昧な質問ではなく、直球だった。
「なんでもありません」
 迷って云うのも怪しまれると思い、きっぱりと発してみたが彼女には通じていない。ますます顔が険しくなる。
「嘘ついても無駄だよ。ほら」
 別の彼女が結礼のほうにスマホを向けた。

 見ると、どこか入り口の階段をおりている女性が映り、その手前に車がある。入り口はマンションのエントランスに似ているし、車は健朗の所有車に似ていた。フリックされた画面にはクローズアップされた同じシーンがあって、車に人が乗っていることもくっきりとわかった。拡大されたぶん少しぼやけているが、結礼には、“似ている”のではなく、まさに結礼と健朗だとわかった。
 いつの写真だろう。違うと云い張るべきなのかどうか判断がつかない。

「永倉さと美がKENROのまわりをうろうろし始めて、問いつめたんだよね」
「あの女、だから何って感じだったけど」
「さと美はわざと見られるようにやってたんだよ」
「うん。KENROを振って破局なんてバカだって思ってたのに……」
 彼女たちは身内で云い合ったあと、一斉に結礼に目を向けた。
「さっき、さと美が教えてくれたんだよね。自分はあなたとKENROの関係をカムフラージュするためだったって」
「どうなのよ」
 彼女たちはそれぞれに結礼に詰め寄った。
「そんなこと頼んでません!」

 まるで事実と違うことであり、健朗がそんな卑怯な疑いをかけられるなどあってはならないと、結礼はとっさにかばった。
 それで納得させられたかというと、睨めつけるようにじっと見られてまだ逃れられそうにない。訝った気配で正面の彼女は首をひねった。その口が開いていくのを見つめながら、結礼は完全に失言していたと気づく。

「頼んでないって、つまり認めてるのよね」
 案の定、彼女は脅迫じみた口調で追及する。
「そういうことじゃありません」
「じゃあ、どういうことよ」
「それは……健朗さ……」
 結礼はいつもの癖で呼んでしまいそうになり、いったん口を噤んだ。そうして――
「わたしもKENROのファンです。KENROがそんな卑怯なことをするはずがないと思います! 違いますか? ファンならわかりますよね!?」
 逆に彼女たちに詰め寄った。

 彼女たちは驚いた顔を見合わせ、それから戸惑ったように結礼に目を戻す。
「そりゃまあ……」
「じゃあ、これで失礼します!」
 ――と、勢いこんでくるりと方向転換して彼女たちの間から抜けだしたとたん、緊張していたのだろう、足がもつれてつまずいた。
 あっ。
 体勢を持ち直すことはかなわず、結礼は転んでしまう。反射的に手をついた拍子に、さっき買ったばかりの袋が手を離れてアスファルトの上で跳ねた。

「ちょっと、何してるの!」
「わたしたち、何もしてないからね!」
 結礼を無理やり呼びだした後ろめたさでもあるのか、彼女たちはさきに自分たちの無罪を主張して、それからストローハットとマグカップの入った袋を取ってくれたり、腕を取って結礼が立つのを手伝ったりした。
「ありがとう」
「もう、気をつけてよね!」
 そんな文句を付けながら、彼女たちは関わりたくないとばかりに足早に立ち去った。

 しばし、結礼は現況に対応しきれず呆然と立ち尽くしていたが、彼女たちがそんなに悪い人ではないとわかったし、とりあえず切り抜けられたようだ。結礼はほっとして膝が疼くのもあまり気にならなかった。
 躰の向きを変えると――
「たいへんね」
 と、目の前にさと美が現れ、しみじみと芝居がかった口調で云った。
「いつ助けに出ようかと迷ってたんだけど……」
 視線を落としながら、それ、大丈夫だった? と続けたさと美は、結礼の手から袋を奪った。

 なんとなく怖さもあって結礼がすくんでいるうちに、さと美は中身を取りだして、さらにその箱を開けた。
 出てきたマグカップは、さっきの衝撃でも割れることなく無事だった。結礼はさと美のずうずうしさを批難するよりもさきに安堵した。
 本当に大丈夫かどうか確かめたかっただけなのか、真意を読めないまま、さと美はマグカップを裸のまま袋に入れたかと思うと結礼に差しだした。そうして結礼が手を伸ばした刹那、さと美の手から袋は滑り落ちる。
 直後、陶器の割れたとしか思えない音がした。

「結礼さん、だめじゃない。ちゃんと渡してあげたのに」
 さと美は結礼のせいにして腰をかがめて袋を取りあげ、もはや意味のなくなった箱を放りこんでから、押しつけるように結礼に手渡した。
「気をつけてよね」
 ふふっと、彼女たちと同じ言葉を残してさと美は立ち去った。

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