NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第4章 スキャンダルキス

2.ヒーローになれないヒーロー   #1

 誤解したまま、かわりの男をすぐ見つけられるような結礼に付き合う暇はないと云いながら、選べと云って、そのうえ自分を選ばなければ縛りつけるなんて、健朗は矛盾だらけだった。
 けれど、その矛盾が『待ってろ』という言葉と相まって、独占欲を丸出しにして好きだと云われているような気がした。
 結礼にしろ、どんなに好きという気持ちがあっても離れなくちゃいけないと思って、そんな葛藤とずっと闘っていた。いや、過去形ではなくて、いまもそうだ。
 悲しいと楽しいは一緒に感じられないけれど、好きという気持ちには怒ったり泣いたり、そしてうれしいとか、いろんな気持ちが同居している。

「結礼、なんかうれしそうだな」
 炎天下、結礼は長い階段をのぼりながら和佳の向こう側にいる蓮を見上げた。ちょうど蓮の頭辺りで太陽が見え隠れして、結礼は眩しさに顔をしかめた。
「うれしそうっていうより、幸せそうって感じだけど」
 蓮の言葉を次いだ和佳に視線を落とすと、結礼は隠すことなく顔を綻(ほころ)ばせた。
「どっちも合ってる」
「もしかしてプロポーズされたとか?」
 和佳は飛躍した質問を投げかけ、結礼は吹くように笑った。

「そんなんじゃないよ。それはやっぱりないと思う」
「ないことないでしょ」
「ううん。それは問題じゃなくって。腐れ縁っぽい感じで、ずっと一緒にいるうちに曖昧になったというか、流されているというか……んーっと、中途半端だったことが、はっきりした気がするの。曖昧でも流されているわけでもなくて、一緒にいるのがあたりまえなくらい必要とされてる感じ。それが、今度のことで確かめられた」
 あれから十日、健朗は特段やさしくなったわけでもないが、結礼は以前にも増して犬が尻尾を振っているかのごとく、スキップしてしまいそうなくらい浮かれている。

「なんだか、さり気なく当てられてない?」
 和佳は右手を団扇(うちわ)がわりにして顔を仰ぐ。
「よけいに暑いな」
 蓮が和佳に乗って結礼をからかった。
「当てられてるのはいつもわたしのほう。たまにはいいでしょ」
 結礼が云い返すと、和佳はごまかすように肩をすくめた。
「しっかし多いな」
 蓮は階段の前後を中心に辺りを見回して、呆れたようにつぶやいた。

 お盆をすぎた日曜日の今日、今夏、FATE単独で開催される国内唯一のライヴだ。座席指定であり、なお且つまだ時間に余裕があるのにもかかわらず、善は急げとばかりに大勢の人が階段をのぼる。夏休みだから地方からやってきたファンも多いのだろう、ちらほらと独特の話し言葉が耳に届く。

「ドームとかに比べたら極端に少ないよ。ワールドツアーってそういうとこであってるんでしょ? スカーラホールくらいの収容人数じゃあ物足りないってなんないのかな」
「こういうとこはこういうとこの良さがあるんだって。ドラムの航さんは歓声が身近に聞こえるから気分が盛りあがるって云ってた」
「へぇ。話すスケールが違うって感じだ」

 まもなく長い階段も終わりそうで、入り口の様子はどうだろうと結礼が顔を上げると、前を行く女性たちと目が合った。怪訝そうに結礼を見下ろした彼女たちはすぐ前に向き直った。
 一瞬の間に一人は以前に見た顔だと思った。記憶を巡らしていると、やがて結礼は一つのシーンに思い当たった。まえに行ったライヴで結礼に話しかけてきたファンの一人だった。いや、ただ話しかけられたのではなく質問攻めだった。健朗のことに限らず、メンバーのことをこういう場所で軽々しく話題にするのは間違いだ。結礼は自分を戒めた。

「手に入りにくいチケットなのにタダで見られちゃうなんて、結礼の友だちでよかった。申し訳ない感じするけど」
 結礼が自分を戒めている傍から、ファンに睨まれそうなことを和佳が口にした。そもそも、健朗を敵対視しているくせに現金な発言だ。
 結礼は彼女たちを直視はできなかったけれど、目の隅に視線を捉えた。
「和佳たちはいいの。わたしがダシに使っただけだし、ほんとに申し訳ないのはわたし。だから、そのことはここでは禁句」
 結礼が声を落として云うと、和佳は思い当たった顔になった。
「あ、ごめん。ファンに絡まれたって云ってたよね」
 和佳は声を落とし、手のひらを合わせて謝った。
「謝られるようなことじゃないよ」
「絡まれたって云えば、結礼、あのモデルはどうなんだ? モデルはノーコメント通してるし、報道は落ち着いたよな。おとなしく引き下がったんならいいけど」

 健朗がさと美に脅迫じみたことを云ったことも、スッポンやピラニアみたいだと称されたさと美の趣味が男狩りだということも、和佳たちには話していない。人気商売なだけに、口にしてしまえば大きな火種にならないとも限らず、和佳にも蓮にもにも云い触らすには気が咎めた。
 もっとも、和佳が云っていたように、一般人でも噂としてさと美の正体に気づいている人はいる。

「わたしも話を聞かないからわからないの」
「さと美はノーコメントって云うよりも何も云えないんじゃない? 自分が振ったことになってるわけだし、そんなことしてないって云ったら未練たらたら惨めになるだけでしょ。男たらしっていうくらいだからプライド高いだろうし。その点、自分が振られたことにするなんて、健朗さんてあざといよね」
 褒めてるのか貶しているのか、和佳は健朗と敵対している和佳らしく微妙な云いまわしをした。
「ヘンなプライド持ってる奴じゃなくて、そういう役回りできる人っていいじゃん」
 蓮は素直に尊敬している口ぶりだ。結礼は単純に、自分が褒められたようにうれしくなる。

「その点は認めてあげる」
 と、和佳は上から目線で健朗を認めた。
 蓮とふたり笑っていると、和佳はいきなり人だかりを指を差した。
「ね、フラッグ買いたいんだけど、グッズ販売を見てみない? チケット代が浮いたぶん貢献しなくちゃ」
「オッケー、おれ、Tシャツ欲しいんだよな」
「わたしは雑貨のほう行ってくる。和佳、フラッグ、わたしのも買っててくれる?」
「わかった、任しといて」
「じゃあ、買ったらさ、あのスタンドのとこで待ち合わせってことでいい?」
 大げさに張りきった和佳の返事に笑いながら、蓮はビッグサイズのスタンド看板を指差した。
「いいよ。じゃ、あとでね」
「うん」

 物品販売はどこのコーナーもファンでひしめき合っている。結礼はふたりと別れて最後尾に並んだ。順番を待つ間、暑い以上に熱気がこもって汗が流れ落ちそうだ。バッグからハンカチを取りだしかけていると、ちょうどスマホが振動した。
 見ると健朗だ。通話モードにしてスマホを耳に当てた。

「はい」
『どこにいる?』
「あ、グッズ販売のところにいます」
『そんなとこで何してるんだ』
 顔をしかめていそうな声だ。自分のバンドのことなのに、健朗が『そんなとこ』とくだらないとばかりに云ってしまうのもどうかと思うが。
「マグカップを買います」
 健朗がデザインした新しいマグカップを指名すると、ため息が聞こえた。
『買わなくても……』
「あの、マンションに置いてていいですか。……わたしの歯ブラシ入れにしようと思って」
 思いきって付け加えると、健朗はしばし沈黙したのち、『勝手にしろ』と笑ったような吐息を漏らした。
『変わったことないか』
「はい、ありません」
 結礼は至って普通に答えたが、それだけでは足りないような雰囲気を感じて、「大丈夫です」と付け加えた。
『ならいい』
 気をつけろよ、と続いた気遣いの言葉に意味があるのかないのか、健朗はぷっつりと通話を断った。

 スマホをバッグの中にしまっていると、ふいに背後から右肩を押された。よろけて前の人にぶつかる寸前で踏みとどまる。結礼は押されたというよりも体当たりされたような気がした。
「いい気になってないで、気をつけることね」
 体勢を整えている間に女性の声でほんの傍で囁かれ、結礼はぱっと振り向いた。
 女性はすでに背中を向けて遠ざかりかけていたが、結礼のしぐさに気づいたようにすぐに足を止めた。振り返った顔は、目深に被ったキャップとマスクが邪魔をしてだれだかよくわからない。背の高い彼女は首をひねってすき間から結礼を覗き見る。キャップもマスクもFATEのグッズで今日この場に限ってはまったく浮く恰好ではない。けれど、しぐさが――例えばすぐ後ろの子が不思議そうに首をかしげる様子とは全然違った。

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