NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第4章 スキャンダルキス

1.腹黒?すっぴんなヒーロー   #1

 そのとき、結礼は打撃を受けるよりも呆気に取られていたかもしれない。
 容赦なく結礼を扱きおろしても、どんなに毒舌を駆使しても、健朗が怒ることなどなかった。
 怒りに触れるほどの何を自分がなしたのか、結礼にはまるで見当がつかない。

 電話をすぐにしなかったこと? バイトを始めたって云わなかったこと?

 結礼からすれば重要なことには思えなかった。けれど。
『おれはいろいろ考えてやってる』
 その言葉のとおり健朗は常に気を配っているし、あのときも何かしらを繋いで結果を導きだして怒りのスイッチを押すことになったのだ。

 でも『信用してない』って……わたしが健朗さまのことを?

 そんなことない――と打ち消しかけて、違う、とまたそれを打ち消した。
 結礼が健朗を疑っているとしたら、さと美とのことだ。
 健朗が考えているいろんなこととはなんだろう。
 抜けた言葉を都合よく考えて、それが結礼のためだとしたら。
 いま、健朗が結礼のためにしていることとはなんだろう。
 離れ離れみたいな状況なのに。


『熱愛発覚! FATEのギタリストKENROと人気モデル永倉さと美 海外ツアーに同行!?』

 そんな見出しで始まった週刊誌のスクープ記事が、発売と同時に芸能ニュースに取りあげられたのは、FATEがフランスから帰ってロックフェスに出演する当日だった。
 果たして『関係者』とはだれなのか、その人物による話としてふたりの関係が事細かに載っていた。仕事の送迎だったり、互いのマンションに通っていたり、見出しのツアー同行の様子だったり。
 ツアー同行は知らないことでも、あとはさと美が結礼に云ったことを裏付けるような内容だ。

「結礼、大丈夫?」
 正面に座った和佳が眉をひそめて心配そうに覗きこむ。
 結礼は小さくため息をついて、笑みを浮かべた。せめてこれくらい笑っていないと、ただでさえ気落ちして這いあがれないのだから、もっとどん底に落ちて力尽きそうだった。
「そうでもない」
「そうでもないってくらいじゃすまないだろ」
 和佳の隣に座った蓮は、自分のことのように不満そうな面持ちだ。

 ふたりともスクープを知り、急きょ会おうということになってお昼すぎ、半ば強引に結礼を誘った。
 あの日、健朗を怒らせたままで、結礼からは連絡できずに、そして健朗からも呼びだしはなく、云うなら断絶状態だ。
 バイトに行くのが精いっぱいで、出かけるのも億劫になるほど沈んでいる。せっかくふたりが連れだしてくれたのに、美味しいという評判のふんわりパンケーキも味がよくわからなくて機械的に口に運んでいるという具合だ。

「永倉さと美ってあんまり興味なかったから知らなかったけど、会社で話してたらわりと男との噂が多いって話。嫌いな人が云うには女たらしならぬ、男たらし、だって。健朗さんて腹黒で嫌味な仮面男だし、そういう女に騙されるとは思えないんだよね」
「貴刀さんが腹黒で嫌味な人だって?」
 仮面男ではなくて、結礼には何も隠さないすっぴんヒーローだ、と結礼が内心で訂正するなか、蓮は吹くように笑った。
 和佳は文句をつけたそうに口をわずかに尖らせる。

「見た目と振る舞いは品行方正な坊ちゃんしてるけど、それは仮面だよ。そうじゃなきゃ、結礼を自分の都合よく束縛して、挙句の果て、別れるとも結婚するとも云わなくて中途半端に放置するってないでしょ」
「確かにおれさ、このまえのバイト帰り、そうされる身に覚えないのに威嚇された気がするもんな。バイトしてることも云ってなかったみたいだし……結礼のことを全部知ってないと気がすまないって感じで気に喰わなかったのかな」
「何それ、独占欲丸出し。健朗の奴! だったらはっきりすればいいのに!」
 和佳はテーブル返ししそうにヒートアップしている。結礼は慌てて、しっ! と人差し指を口もとに立ててカノジョを諌めた。

「和佳、聞こえるから。それに……結婚なんてわたしと健朗さんには当てはまらないよ」
「何云ってるの? 煮えきらない坊ちゃんが悪いんだから。どうしてやろうかな」
 何かしら、よからぬことを企んでいるように和佳は腕を組んで宙を睨みつける。
「和佳は、これがいい機会だって云って、健朗さんから離れるべきだって云うかと思った」
「まえはね、そう云ってたかもしれない。でも……」
 と中途半端に言葉を切って、和佳は蓮に目を向けた。思わせぶりな視線に、なんだよ、とつぶやく蓮を見て、和佳はふふっとからかうような笑みを漏らす。
 こんな状況下でも結礼を気にしたすえ、蓮とうまくいっていることを隠し立てするような和佳ではない。自分との恋愛格差にさみしいような落ちこむような、結礼はそんな感傷を覚えるけれど、気を遣われればそれ以上に惨めになりそうだ。

 和佳は結礼に目を戻した。
「好きっていう気持ちに区切りをつけるってたいへんなんだってわかった気がする。望みがないんだったら、離れたほうがいいって勧めるけど……蓮はどう思う?」
「少なくとも、使用人に対する態度には感じないな」
「つまり結礼、決着はまだってことだよ」
 決着をつけるべきか否か、それさえ定かではないけれど、このままにしたくない気持ちは結礼にもある。

「うん、ありがとう……」
 うなずいていると――
「ねぇ、見て。もうすぐよ、KENROに突撃インタビューって!」
 という、声がどこからか届いた。
 びくっと反応した結礼の鼓動と同じようにざわめき立っているそこへ目を向ける。女同士でスマホを覗きこんでいた。
「もしかしてワイドショーでやってるとか? ロックフェス始まるしな、そのまえに捕まえる気かも……」
 蓮は云いながらタブレットを取りだした。いくつか操作をしたあと、テーブルの真ん中にタブレットを置いて三人は頭を寄せた。
 半分は見たくない気持ちが占めているのに、きれいに半分ではなくて、ほんの一パーセント分だけ知りたいという気持ちが勝っている。

「来た」
 見ていればわかることを蓮がつぶやく。
 ごちゃごちゃした取材陣の前にFATEのメンバーが連なって現れ、やがて健朗の姿が映る。
『KENROさん、記事は事実ですか!?』
『結婚という話もあがってますが!』
 一度に何人もの声が飛び交った。
 健朗は応じずに素通りすると思いきや。
『ひと言お願いします!』
 その言葉に反応したように健朗の目がカメラを捕らえた。
 結礼は自分がその瞳に捕まったように感じて、破裂しそうなくらいに心音が高鳴る。
『振られましたよ』
 健朗は微笑を浮かべ、まさにひと言だけ云って通りすぎた。

 近くで歓声が上がるのは、振られたという健朗にとっての悲劇とはそぐわないが、ファンにとっては大歓迎だろう。
 結礼たち三人は単純にそうはいかない。結礼に限っては、よかったという安堵よりも、ひどいどきどき感が相まって頭の中はぐちゃぐちゃに混乱している。
「振られた、って……」
「――感じじゃないよな。清々してるって感じだ」
 和佳のあとを蓮が引き継いだ。
 大方の人の目にはどう映っているのか、蓮の云うとおり、ファンに限らず健朗にとっても悲劇には見えなかった。
 すると、ふいに突拍子もない推論――いや、希望が結礼の中に浮かんできた。

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