NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第3章 想い想われ不離ふられ

2.都合のいいメイド   #4

    *

 ――見るのもだめですか。
 そんな言葉が耳に残響している。会わないのではなく会えないというなか、結礼の気持ちがストレートに見えて健朗を安堵させ、一方でいままでの努力を無駄にするような誘惑を芽生えさせられて苛立つ。
 だれのためにやってると思ってるんだ。片づいたら見てろ。
 けっして結礼のせいではないのに、少年っぽく健朗は内心で毒づいた。

「健朗、あのストーカー女とはどうなんだ?」
 イギリスに発つまえ、ロックフェスの打ち合わせが一段落して、航はさと美のことを明け透けに揶揄した。
「どうにもなるわけないですよ」
「人気モデルだろ。女のなりてぇ顔ナンバーワンらしいし、もったいなくねぇか」
「冗談でしょう」
 航のからかいには乗る気にもなれない。それだけ余裕をなくしているのか。

「あの子、にっこりすれば男はみんな自分に夢中になるって思ってるわ。単なる噂じゃなかったわね。FATEのメンバーに、勘違いの性悪女に夢中になるような男がいなくてほっとしたわ」
「唯子さん、辛口だな」
「唯子さんが美人じゃなきゃ、ジェラシーだって片づけられるところだ」
 高弥に続いて戒斗が云うと、唯子は、ありがとう、とにっこりした。
「だって、結礼ちゃんがいくら家政婦だって主張しても、福岡に同行したり、あのパーティでのキスシーンを見たら、普通は健朗のカノジョだって思うでしょ。結礼ちゃんにヘンなプレッシャーかけて追い払おうなんて、性悪以外のなんでもないわ」

 カノジョがいようと結婚していようとあの手この手で男を手に入れたがるという、さと美のよからぬ噂を聞いたのはミュージックビデオの撮影後、しばらくたってからだった。そのくせ、手に入れたという感触を得ればあっけらかんとその男を振って、次の男に白羽の矢を立てる。
 そんな噂があろうとなかろうと、健朗から手を出す気はさらさらなかった。
 八周年のパーティにさと美が来ることはわかっていた。結礼とふたりきりになったときさと美がどう出るのか、予め唯子を通して偵察要員を傍に置いたのだ。福岡ではわざと結礼を電話に出させたのだが、健朗にはすでに女がいるとあきらめるかと思いきや、その偵察でまったく効果がなかったとわかった。
 “あの手この手”が結礼に及ばないよう、やっている。結礼は知らないだろうが。

「あの女、健朗とできてるって云い触らしてるらしいぜ」
「そう努めてますから」
 うんざりとして応じると、唯子は懸念した面持ちで健朗を見やった。
「でも、今回はいつものパターンとはちょっと事情が違うんじゃない?」
「……どういうことです?」
「健朗のバックよ。貴刀の名って最高のステータスじゃない? あの子、男ならだれでもってわけじゃなくて、人気度とかIT企業の社長とかステータスでターゲットを選んでるでしょ」
 そこは健朗も危ぶんでいるところだ。セックスシーンに及ぶも、童貞とは云わないまでも経験が浅く緊張して機能を果たせないと、それほど夢中だと見せかけている。手に入れたと勘違いさせ、飽きてくれればいいと思っていたが、さと美は一向に健朗を足蹴にすることなく、逆にしつこく絡んでくる。
「一理あるな。本気で手に入れる気かもしれない。健朗、守りに入ってるばかりじゃ埒が明かないんじゃないか」

 健朗が守りに入るのは、理不尽な狂気に晒された幼なじみたち、聖央と亜夜の前例があるからだ。一時期はそのせいで離れたふたりだったが、その過程の苦辛を知っているだけに、同じ思いを結礼に押しつけたくはない。
 ただ、良哉の言葉に気づかされた。いま離れている時点で、健朗はもうそんなつらさを押しつけている。
 結礼はつらいとは云わない。そもそも健朗にはあらゆる自己主張をしない。それは習性にすぎず、何も感じていないわけではけっしてない。

「唯子さん、チケットありますか」
「結礼ちゃんのぶん? ちゃんと取ってるわよ」
 唯子心得顔で健朗が云いもしないことを云い当て、横に置いたバッグを探りだした。用意していたように、「はい」と手渡される。
 健朗は立ちあがって窓際に寄った。外はまだ明るいが太陽は地平線へと近づいているのだろう。ビルの影がやたらと長く伸びている。
 景色を眺めていた健朗は、スマホを耳に当てたまま眉をひそめた。呼び出し音が何回鳴ったのか、いつもなら数える間もなく通話モードになるはずが、意識して数え始めてから五回、通じる気配がない。いったん呼びだしを切断してスマホの画面を見た。相手は結礼で間違いなく、再度、通話ボタンを押してみた。

『はい、結礼です。すみません、健朗さま、すぐに取れなくって』
 慌てたのは口振りからだけではなく、健朗さまという呼び方からもわかる。耳もとで呼ばれると、躰がよけいに疼く。この条件反射はもうれっきとした病だ。健朗はメンバーの手前、舌打ちするのをどうにか堪えた。
「結礼、いまからうちに……」
 来てくれませんか、と云いかけているとき――
『結礼、こっちだ』
 男の声がして健朗は口を噤んだ。
『あ、うん、わかった』
 それは明らかに健朗に応えているものではない。
『健朗さま、いま手が離せなくて、あとでいいですか。すみません、電話します』
 電話はぷっつりと切られた。

 健朗からの電話に喜ぶわけでもなく、むしろ迷惑だと云われたのとかわらない。
 こんなのははじめてだ。なんなんだ。いまの男はだれだ?
 健朗は内心で毒づいた――と思っていたが。
「男って、結礼ちゃん、ついに煮えきらない坊ちゃんに愛想を尽かしたとか?」
 しっかりと声に出していたらしく、航は素早く頭を働かしてここぞとばかりに揶揄した。
 航の大笑いが笑いを誘うなか――
「結礼、憶えてろよ」
 健朗はつぶやいて、ここにはいない結礼に責任を転嫁した。

    *

「今日はたいへんだったな」
 着替えてから待ち合わせた店の出口まで来ると、蓮がため息混じりでこぼす。
 今日一日中てんてこ舞いしたバイトは、六時に交代してやっと終えた。メープルフィルとはまったく関連のない会社が、ドーナツ割引券プレゼントという企画をしたおかげで、今日は緊急招集がかかったのだ。休憩のとき以外はずっと立ちっぱなしで脚がこわばっている。
「ほんと、こんなに忙しくなるとは思わなかった。レジがめんどくさかったし」
 結礼は首をすくめた。
「よその会社のキャンペーンに付き合わされるのも今回きりにしてほしいよ」
「時給が高くなるわけじゃないしね」
「ほんとだ」
 蓮は可笑しそうに相づちを打つと、帰ろうか、とさきにドアから出ていった。開けたままドアを支えて、結礼が通るのを待っている。
「ありがとう」
 すると、蓮が結礼を見て笑みを浮かべた。

「何?」
「ここんとこ元気なかったし、忙しいほうがいいみたいだなって思ってさ」
 と、その言葉で結礼は健朗から電話をもらっていたことを思いだした。自分でも忘れていたことに驚く。
「蓮くんの云うとおりかも」
「貴刀さんとまだ会えないまんま?」
 蓮は心配そうに訊ねた。ライヴのチケットはどうにかすると結礼が申し出て、和佳はともかく蓮のほうが気の毒そうにしたから、健朗と会う口実にしたいのだと、ちょっとした事情と経緯を交えて結礼は打ち明けていた。
「うん。でも、今日は仕事中に電話あったよ」
「あ、袋を探してたときの?」
「そう。あとで電話してみる」
 蓮は、よかった、と云うかわりに二度うなずいた。

「芸能界の付き合いはよくわからないからさぁ安易になぐさめることもできないし、力になれなくて悪いな。最初のおれの読みが間違ってるとは思ってないけど」
「蓮くんが謝ることじゃないよ」
「っていうか謝るのには訳がある」
「え、何?」
「和佳とさ、個人的に付き合おうかって思ってる。いや……なんか研究に手いっぱいでほかのことはめんどくさいって思ってたけど、和佳はなんていうか気取ってないし、ざっくばらんだし……とにかくめんどくさくないんだ。まだ告ってないし、結礼がうまくいってないときに云うのはどうかと思ってたけど」
 それは思いがけない告白だった。びっくり眼になったのはつかの間、結礼はとたんに満面の笑みを浮かべて蓮を見上げた。
「云ってくれないほうがよけいに傷つく。うまくいくといいね」
 和佳の気持ちは知っているが、そこは結礼が口を出すことではない。

「サンキュ」
「わたしのほうは……」
「結礼」
 ふいに結礼をさえぎったのは蓮の声ではなかった。結礼はパッと声のしたほうを見る。
 すると、いつからそこにいたのだろう、駅構内の大きな柱に健朗が寄りかかっていた。上体を起こして、ゆっくりと長躯(ちょうく)を伸ばした。
 なぜ健朗がこんなところにいるのか、結礼にはさっぱりわからない。会うのを避けられているいま、偶然、結礼を見かけたとしても、声をかけられることが不思議だった。眼鏡をかけて帽子を被っているから、もしかしたら自分の希望が健朗だと見せているだけで、勘違いかもしれない。
 けれど、その人は近づいてくる。
 そうして目の前で立ち止まったのは健朗に違いなかった。

「チケットです」
 健朗は封筒を差しだした。封筒には唯子の字で結礼の名前が書いてある。健朗が持ってくるとは思いもしなかった。どういう経緯かはわからないが、わざわざここで結礼を待っていたことに鑑みれば、ライヴに行くことは許可してくれたのだろう。
「健朗さん、ありがとうございます」
「電話を待っていたんですけどね……バイトやっているとは知りませんでした」
 健朗は至って穏やかな物言いだが厭味に聞こえなくもなく、結礼は不穏さを感じる。
「あ……云おうと思って後回しになってました。のんびりしてるままじゃだめだって……自立しなくちゃと思って……」
「自立、ですか」
 淡々とした云い方は明らかに健朗の意に沿っていないことを示している。

 結礼が戸惑っていると、それを察した蓮は助け船を出すべく一歩前に出た。
「貴刀さん、結礼の同級生で滝沢蓮と云います」
 健朗はゆっくりと連へと目を転じた。それがまるで威嚇に見えるのは気のせいか。じっと連の顔に目を留める。
「ああ……プチ同窓会でしたっけ……そのときにいた?」
「はい。僕がバイトを紹介したんです。ライヴのチケット、無理に頼んですみません。ありがとうございました。今日は手持ちがないので、あとでチケット代は結礼に渡しておきます。じゃあ、僕はこれで失礼します」
 蓮は深く一礼すると、じゃあな、と結礼に向かって軽く手を上げると走り去った。

 残ったのはいままでに感じたことのない気まずさだ。
「おれはいろいろ考えてやってる。おまえは好きってわりにおれを全然信用してないって、いまわかった」
 結礼が口を開く間もなく、健朗は背中を向けて立ち去った。

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