NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第3章 想い想われ不離ふられ

2.都合のいいメイド   #1

「しばらく、おれが来いと云わないかぎりマンションには来るな」
 そんな電話がかかってきたのは翌々日の出発の日だ。健朗の声の背後に、空港内らしきアナウンスが流れていた。
 云われなくても五月の半ばからすでにそうなっているのに、わざわざ釘を刺すことの意味を考えた。返事をしていないと気づいたのは、「結礼」という、どこか云い聞かせるように呼ばれたときだ。
「……はい」
 ためらった返事をどう受けとったのか。
「おまえはでしゃばったことしないだろ」
「はい……」
 その返事はさすがに自分でも憂鬱そうに聞こえ、「メイドですから」と結礼は努めて平静な声を装った。
「そうだ。一生、逃れられないからな」
 そんな言葉で結礼と健朗の立場は決定づけられた。

 用事ができたと云って、健朗は渡航前日の荷造りを前倒ししたのは、さと美と会うためだった。
 パーティで会ったときは、どちらかといえば健朗はさと美をかわしていた気がするのに、マンションではご機嫌取りをしているみたいに見えて、甘い言葉さえ発して歓迎していた。
 パーティから一カ月余りの間にふたりの関係が変わったのであれば、なんらおかしいことでもない。その間に、結礼との関係も変わっていたから。
 健朗は結礼を抱かなくなって、それはさと美がいたからであり、渡航前は懐かしいとかいうちょっとした恋しさ紛れで、気分転換に結礼を抱いただけだと云われたなら、納得はできなくてももっともな云い分だと受け入れざるを得ない。

 それでも、どういうことなのか、まったくわからない。いや、それはわかろうとしないだけで、人から見れば特に至極簡単なことだ。
 結礼との躰の関係は気に入っているから続けるけれど、恋人なら――もしかしたらそれ以上に、結婚するならさと美だと、健朗は割りきっている。
 実際に、健朗は一生メイドだと結礼に通告した。
 健朗は結礼がメイドだから逆らわないと思っている。そのとおりだ。生まれながらにして、逆らうようにはプログラムされていない。健朗にとって、結礼ほど都合のいいセックス用のペットはいないだろう。

 あの日、健朗はさと美を泊まらせて、ともに時間をすごしたのだろうか。
 口を出す権利はない。もやもやした気分のまま結礼がきっぱりと結論を出すことはなく、ただし健朗から結論を出されっぱなしで、時間だけがすぎていた。
 アジア方面のライヴツアーは、香港など近場をまわって帰ってきたあと、日を空けて東南アジアに飛び、今日が最終日だ。明日には帰ってくるはずだが、これまで一向に連絡はなく、二十日間も会っていない。健朗が独立した年、盆供養からあのクリスマスの日までの期間に次ぐ最長記録だ。
 梅雨は明けてしまい、およその学校が夏休みに入ったいま、結礼の気持ちとは逆行して空は晴れ晴れとしている。

 すっかり日課となったアルバイトを終えて駅の自転車置き場に行くと、結礼は日焼け予防に帽子を被って手袋をした。仕事をする時間はもっと増やしていいかもしれない。むしろ、そのほうが健朗のことを思う時間がさえぎられていい。そんなことを考えていると、スマホの着信音が鳴り始めた。
 久しく聞かなかったメロディーで、結礼は慌てふためく。バッグからスマホをつかみだしたとたん、取り落としそうになった。しっかり握り直して、通話ボタンにタッチした。

「はい、結礼です」
『明日帰る。今日のうちに部屋の掃除をしててくれ。あと……』
「おにぎりとカップ麺ですか」
 結礼が勢いこんで云うと、健朗の吐息が聞こえた。呆れて笑っている、そんな気配を感じる。
「それだ。さすがに専属メイドだな。何か異変があったら連絡しろよ」
 異変とは例えば泥棒が入ったとか、そういうことなのか、健朗は用件だけすませてさっさと電話を切った。


 久しぶりに声が聞けたことがうれしくて、結礼は浮かれた気分で午後から健朗のマンションに行った。
 さきに炊飯の準備をしてから掃除に取りかかった。そうして結礼はふと気づいた。
 もしかしたら、さと美を呼ぶために自分は今部屋をきれいにしているのかもしれない。
 疑心暗鬼になって、ついさと美の痕跡を探してしまう。
 すると、見慣れないヘアピンを探し当てた。結礼のものではない。それならだれのもの? あまつさえ、それがあったのはリビングではなくベッドルームだ。
 結礼にそうするように、健朗はさと美のこともいきなりベッドに連れこむのだろうか。
 結礼は立ち尽くした。自分が何を考えているのかさえ訳がわからなくなってくる。見たくないものは見ないほうがいい。それ以上、チェックすることはやめた。

 炊飯が終わるまで、本当だったらベッドに独り埋もれているところなのに、今日はそうできない。かといってリビングでもくつろげず、結礼は必要のないところまで掃除に徹した。おにぎりを作って冷蔵庫に入れ、カップ麺をダイニングテーブルの上に置き、結礼はひととおりチェックしてから部屋を出た。
 いったんエレベーターで降りたのに、鍵を閉めたか気になってまた戻るという始末だ。
 再度エレベーターで降りて一階に出ると、結礼は立ち止まって大きくため息をついた。そうしてエントランスを通り抜ける。すると――
「結礼さん、ちょうどよかった!」
 いきなり呼びとめられた。軽やかな声の主は健朗が会わせたくないと思っていて、そして結礼が会いたくないと思っているさと美だった。

「……さと美さん、こんにちは」
 避けるわけにはいかず、結礼は内心では渋々と、表面上は微笑を取り繕って応じた。
「結礼さん、帰るの?」
「はい。終わったので……」
「ごめんなさい。戻ってもらっていいかな? このまえ来たとき忘れ物をしてるみたいで、ちょっと探したいの。健朗に連絡したら、結礼さんが来てるだろうって云うから来てみたんだけど」
 健朗は結礼とさと美を会わせたくなかったのではないのか。結礼はそんな疑問を持ちながらも――
「ヘアピンですか」
 と、さと美の探し物が何か、云い当ててみた。
 さと美はあからさまに目を輝かせてうれしそうにする。
「それ! あった? 撮影が終わってすぐ来たから、スタイリストに返し忘れてたの。いい?」
 さと美は上を指差した。

 一緒に十五階まで戻ると、結礼に続いて当然のようにさと美はなかに入りこんだ。慣れた様子だ。
 健朗は帰国するのを待たずに、結礼が来ていることをさと美に教えた。そうしたのは、結礼に立場をわきまえさせるため親密さを見せつける策略なのか。ソファのテーブルに置いたヘアピンをさと美に渡しながら勘繰り、結礼は自分で自分を追いこんだ。

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