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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第3章 想い想われ不離ふられ
1.不離ふられ #2
健朗の要望どおり、好きそうなカップ麺をいくつか買ってマンションに行った。
エントランスでインターホンを鳴らすと面倒くさがられるから、すっかり結礼用となった鍵を使い、連絡することなくエレベーターに乗った。
十五階にたどり着き、部屋の前に行くと念のためドアホンを鳴らしてから鍵を開ける。すると、いきなりギターの音が聞こえてきた。防音材は行き届いている。そんな詰まらないことに感心して、結礼は足音を立てないようにしながらリビングに向かった。
ギター音を聞き留めていると、はじめて耳にする曲に感じた。作曲でもしているのか、若干、音階を変えて短いフレーズを何度も弾き直している。
結礼はリビングに行き、邪魔をしないようにしばらく突っ立ったまま健朗を見守った。ソファに座り、ギターを扱う横顔は真剣そのものだ。ギタリストになる覚悟を決めるまで、そんな気持ちの変化を打ち明けられたが、そのときの健朗の生真面目な顔と重なる。
音楽は好きという以上に、いまや健朗にとってなくてはならないものになっているのだろう。いつの間にか、アレンジをする以上に、作曲や作詞まで手がけるようになった。
いま弾いている曲はバラードのように緩やかだが、完成すればハードな曲に様変わりする。防音が効いているから外に音が漏れる心配はないだろうに、作曲中か否かにかかわらず家で弾くときは緩い。
最初、結礼はバラードを作曲してるのだと思っていた。けれど、できた、と云って完成した曲の音源をスマホに落としてもらい、聴いてみてびっくりしたものだ。ただし、テンポが速く音が激しくなっても耳に馴染む。
一時期はピアニストを目指していた良哉と同様に、ピアノを長年、習っていたせいか、健朗が作るメロディラインは耳に心地よく自然と口ずさんでしまう。そんなベースがあるからハードになってもうるさくないのだ。
結礼はそっとキッチンのほうに向かった。まずはご飯を炊く準備から始める。
あさってから海外ツアーがスタートして、初っ端はアジア方面を巡り、香港がファーストステージとなる。ライヴに限らずレコーディングなど海外に出るとき、健朗は出発前にやたらとおにぎりやカップ麺という素朴なものを食べたがる。
明日死ぬと通告されたときに健朗が最後に食べるのは、きっとおにぎりとカップ麺なのだろう。
それを食べる健朗を眺めながら、食に困らない健朗も一般庶民の結礼と変わらないのだと独りでしみじみする。
一時間半後に炊きあがるように炊飯器をセットして、塩と梅干しと海苔を用意しておく。リビングに戻ると、隅っこにあるスーツケースが目についた。空いたスペースまで転がして広げたところで、ギターの音色がやんだ。
ソファのほうを振り向くと、健朗は立ちあがってギタースタンドにギターを置いている。
「いい曲ですね」
「あたりまえだ」
褒めているというよりは思っていることが口を出たのだが、健朗は喜ぶでもなくくだらないとばかりにはね除けた。
「はい。替えの下着なんですけど、このまえ来たときに新しいのが三セットだけあって、とりあえず下洗いはしてましたけど足りますか」
「三日分あれば充分だ。現地でクリーニングを頼む」
「服は選ばれてますか」
「ああ。ベッドに出してる」
「じゃあ用意しますね」
結礼は早速、取りかかった。
手伝ってくれ、と呼びだしたのに健朗が荷造りをすることはなく、結礼が独りでやるというのはいつものことだ。
その間、健朗はソファに座って、ほかに何かをするわけでもなく眺めている。ベッドルームに服を取りにいって戻れば目が合うし、シューズボックスから予備で持っていく靴を取ってくれば目が合う。
こういうとき、結礼は本当にペットになった気分になる。好き勝手に遊びまわる猫を見て楽しんでいる。そんな感じだろうか。
荷造りといっても、結礼が旅行に行くのと違って、健朗の荷物はそう多くない。今回は香港から韓国、そして台湾への移動を一週間ですませるというハードスケジュールだ。それが三日間でも十日間でも荷物の多さは変わらない。もっとも、仕事という以上、個人的にこだわりのないものや共用できるものは事務所側が用意している。
結礼は、贅沢なホテルにあるような広いパウダールームに行くと、洗面道具をチェックした。日常で使うものとはべつに外泊用で常に予備を置いているが、一つ足りないものに気づいた。
「健朗さん、シェイビングクリームの予備がないので買ってきます」
ダイニングの椅子に置いたバッグを取りにいきかけると――
「おれが行ってくる」
と、唐突に健朗が立ちあがった。「あと不足はないな」
もちろん、身のまわりの世話を一から十まで結礼にやらせているわけではなく、健朗は自分で買い物もする。けれど、結礼がいるのに自ら行くというのはめずらしい。
「はい」
結礼が行くと云い張ることでもなく、うなずく。
健朗は無造作に髪を乱して眼鏡をかけて出ていった。
荷造りも終わり、結礼はお掃除ロボットを起動させた。パウダールームの洗濯機を見れば、洗い終わった洗濯物が入っていて、浴室のなかに干して乾燥モードにした。
次はベッドに行き、起きたままくしゃくしゃになったタオルケットを取って、枕カバーとシーツを剥ぐ。そこに何か異変がないかとつい探してしまうのは、メイドとしてあるまじき干渉だ。
結礼とは違う、カールした長い髪は一本も見当たらないし、リップが付いた形跡もない。この一カ月、健朗のところに来るたびにそうわかってほっとする。無論、健朗か、もしくはさと美がきれいに後始末をしている可能性もある。ただ、そうは考えたくない。
八周年のパーティから変わらず通っているけれど、違っていることもある。快楽の時間がなくなったことだ。与えられると同時に健朗にとっても快楽の時間のはずだ。そんな結礼との時間がいまはもう必要でなくなったのかもしれない。
それを裏付けるように、ツアーに連れていくというひと言は今日までかすりもしない。いつも連れていってもらえるわけではないのだから、と自分をなぐさめなければならなかった。
夜ここに泊まることはなくなって、だからアルバイトも健朗に知られることなくできるのだ。健朗に知られてはまずいことをやっているわけではないが、なんとなくためらっているうちに云うタイミングを逃してしまった。
結礼は古いのを洗濯機に入れて、新しい枕カバーとシーツを整えると、ちょっとだけ、とベッドに横たわってみた。取り替えて香りなどしないはずが、目を閉じてみるとなんとなく気配を感じた。結礼のくちびるからため息が漏れる。
国内のツアーなら地方へ行っても五日と空けずに帰ってくる。レコーディングは長く行くこともあるが、今回みたいに一度に海外を何カ所もまわるツアーははじめてだ。
この頃、はじめてのことばかりでいつも不安に晒されている。
割りきって健朗の世話ができるようになるべきなのだ。わかっている。自立しなければならなくて、だから何か見いだせればと思ってアルバイトも始めた。
「結礼」
そう、こんなふうに、結礼と呼ばれて世話ができることだけでうれしかったのに、健朗がほかの人と、と考えるだけで苦しくてさみしい。そんな感情が芽生えるほど、知らないうちに欲張りになっていたのだろう。
ため息をこぼすと、ふいに躰が跳ねるように揺れた。
「結礼」
ほんの耳もとで囁いた声に躰がぞくりとする。直後、不自然な恰好から仰向けに躰を転がされて、結礼はパッと目を開けた。
「主の意向をお見通しらしい。さすがおれの専属メイドだ」
いつの間に帰ったのか――ということは、いつの間にか結礼は眠っていたようだ。
「健朗さま」
云ったとたん、結礼は失言に気づいた。
「いい覚悟だ」
健朗は、ともすれば睨めつけるように瞳をきらりと光らせ、最大にくちびるを歪めた。
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