NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第3章 想い想われ不離ふられ

1.不離ふられ   #1

 店の裏口から出ると、駅構内のなか人が絶えることはないが朝の九時をすぎて、溢れるようだった人波は落ち着いた。
「結礼、もう大丈夫そうだな」
 隣を並んで歩く蓮が結礼を見下ろして首をかしげる。
「うん。もう紹介してくれた蓮くんの顔は潰さなくてすみそう」
 すっかり、名前で呼ぶくらい近しくなった蓮は居酒屋での会話を思いだしたのか、可笑しそうにした。

 朝の五時すぎに家を出て、六時からドーナツ店“メープルフィル”で売り子をして九時に終わって帰る。そんな生活がパターン化して一カ月をすぎたところだ。
 短時間のアルバイトとはいえ、結礼にとってははじめての仕事と云える仕事だ。何種類あるのだろうというドーナツの名前、客が買ったドーナツの詰め方やレジの扱い方など憶えることはたくさんあって、戸惑いと不安だらけだったが、なんとか様になってきた。出勤の時間帯、客の対応は急がなければならず、焦ってかえってうまくいかないということもなくなった。
 肝心の接客は家柄のせいかなんの問題もなく、それどころか店長に褒めそやされて素直にうれしかった。健朗がああいう性格ゆえ、ちゃんとやったところで褒められず、とどのつまり、めったに褒められないだけに単純にやる気が出る。
 蓮がいま云ってくれたとおり、もうほかの人の手を煩わせることも少なくなって、仕事をしているという充実感を覚えているところだ。

「結礼はけっこうどこでも勤まるんじゃないかと思う。年下のバイトに教えてもらうのも全然平気だろ。ヘンにプライド持ってると扱いにくいけど、結礼は素直だからいいって店長が云ってた」
「素直? バカって云われることはあるけど」
 結礼が意外そうに云うと、蓮は吹くように笑った。
「バカって云われんの? だれに?」
「あ……えっと、身内とか」
 健朗だと云うわけにはいかず、結礼は曖昧に濁す。
 すると、「なんか変わってるよなぁ」と蓮は不思議そうに結礼を見下ろした。
「主従っていう、はっきり対等じゃないのに家同士の関係が悪くないのは知ってる。けど、年がわりと離れているのに結礼を見かけて声をかけるって、自然な流れってよりはやっぱり“わざわざ”だ。しっかり目立つようなことやってるし……隠さないっていうよりも自己主張って感じだった」
 目立つようなこととは、気取(けど)る間もなかったキスのことだろう。内心で焦ったり慌てたりしながら結礼は云い訳を探す。

「……それはわたしが頼りないから、ほんとに心配してくれただけ」
「頼りない? 貴刀さんにそう云われるわけ? おれは思わないけどな。……なんとなくわかってきた」
 蓮はしたり顔で独りうなずいている。
「なんのこと?」
「あのとき貴刀さん、チラッとだけどおれらの面子(めんつ)を確認してた気がするんだよ。それと、和佳が喋ってたことを噛み合わせると答えは自ずと算出される」
 蓮はコンピューター頭脳を持ったキャラクターを演じるような様で云った。
 プチ同窓会のとき、和佳は酔い任せで云ったわけではなく真面目に蓮を狙っているようで、それから結礼を含めて二回、食事と飲み会と三人でやった。いまの蓮の発言があれば、和佳が結礼の話題を出しに使ったのは云うまでもない。

「……どんな答え?」
 結礼がおそるおそる問うと――
「それは結礼自身のことだから自分でわかるべきだな」
 蓮はからかうだけで、「じゃあおれ、教授と待ち合わせてるからまたな。お疲れ!」と手を上げて出口へと去っていった。
 自分のことだから見えないということのほうが多い気がするのに。
 結礼はちょっとだけ蓮の後ろ姿を見送ったあと、ため息をついてホームに向かった。


 電車を降りて住宅街に向かう結礼は、大方の人の流れとは逆行している。九時半をすぎて、通勤や通学の時間ほど人や車が多いわけでもない。そう周りを気にすることなく自転車はスムーズに進んでいく。
 蓮との今日の会話は、結礼にとっては煮えきれずに終わったが、そのうち吹っきれた。大したこともやっていないのに、やり遂げたような清々しさが手伝って、ペダルを漕ぐ足も軽やかだ。
 駅から十分くらい走ると、大きめの石を積み重ねてわざとでこぼこさせた塀に沿いだす。高さ一メートルの塀の上には、蔦を連想させるようなアイアンワークを施した錬鉄の柵がのっている。
 広大な貴刀家の敷地は柵から丸見えで、奥にある豪邸までもが覗ける。無防備にも見えるが、見通しがいいということは侵入しても見つかりやすいということであり、柵は足が引っかからないようにデザインされ、いちばん上は錬鉄が外巻きになっていて侵入はたやすくない。門先には二十四時間、交代で警備会社から派遣された守衛がいる。

 正門まで来ると、結礼はいったん自転車を降りた。
「お疲れさまです」
「お疲れさん」
「はい、ミニドーナツの詰め合わせ」
「お、甘いものは疲れが取れるんだよ。結礼さん、いつもありがとう」
「どういたしまして」
 守衛たちへの些細な差し入れは一週間に一度の恒例となった。仕事をしてその報酬で買ったものをプレゼントするという、結礼にとってそれは自己満足だが楽しみになっている。

 結礼は再び自転車に乗って夏生家を目指した。車庫に自転車を止めると、玄関ではなくすぐ傍の勝手口から家に入った。
「ただいま」
「姉ちゃん、おかえり」
 間を置くことなく顔を出して応じたのは大智だ。
「大智の好きなメープルビスケット買ってきたよ。あと、ビターチョコドーナツも」
「サンキュー」
 大智はドーナツの入った袋を取りにきて、よほど食べたかったのか、さっさとリビングに持っていった。
「おばあちゃんたちの、ちゃんと取っておいてね!」
「わかってるって」
 喜んでくれるのはうれしいが、結礼は念のため釘を刺した。
 あとを追ってリビングに入れば、コーヒーの香りが漂うなか、すでに大智は一口頬張っている。

「朝ごはん、食べてないの?」
「今日の講義は二限めからだから間に合うと思って待ってたんだ」
 こういうところは二十一歳になっても子供っぽい。結礼はくすっと笑って、バッグをダイニングの椅子に置くと対面式のキッチンに向かった。
「コーヒー、余ってる?」
「あるよ」
 結礼はカウンターの上に置いたコーヒーメーカーからガラスジャグを引っ張りだした。カウンターの下の棚からコーヒーカップを取りだす。注ぐ間際、スマホの着信音が鳴りだす。
 画面を見なくても着信の曲を聴けば健朗だとわかる。結礼はガラスジャグを置いてテーブルに戻り、バッグからスマホを取りだした。

「はい、結礼です」
『荷造りやるから手伝ってくれ』
「え……明日じゃなかったんですか」
『用事ができた。来れないのか』
 健朗は怪訝そうに訊ねた。もしくは素直に行くとは云わなかったから不快に思ったのか。
「いえ、大丈夫です。すぐ行きます」
『昼はカップ麺でいい』
「はい、買っていきます」

 電話を切ると、結礼はふと大智の視線を感じた。見ると、何か云いたそうな目と合った。
「どうかした?」
「どうするんだろうって思ってさ」
「……何が?」
「健朗さんがお見合いを拒絶したって聞いたから……正確に云うと、盗み聞きだからだれにも云うなよ」
 結礼が驚いているうちに大智は秘密を強要した。
「どうするんだろうって……健朗さまがどうするつもりかってこと?」
「健朗さん、一生結婚しないのか、それとも結婚する覚悟を決めたのか、どっちだろうな。どっちかじゃなきゃ、結果はどうなるとしても健朗さんの性格上、親の顔を立ててお見合いまではするだろ?」
 大智の云うとおりだ。
 お見合いをしないと知って安堵したのはつかの間、結礼の脳裡にさと美がよぎった。
「わたしたちがとやかく云うことじゃないよ。行ってくる」
 大智の問うような眼差しは同情のようにも見える。結礼は、「お母さんに健朗さんのところだって云っといて」と再びバッグを持ってリビングを出た。

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