NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第2章 メイド in confusion

3.迷走チュウ   #5

 ひととおり近況報告をし終えると、近い者同士で話すことから始まって、席を替わるなど思い思いに談笑してにぎわう。新たな環境になってプレッシャーやストレスがあるだろうに、だれもが楽しそうだ。もしくはここで発散しているのかもしれない。
「みんな、がんばってるな。おれはちょっと出遅れたけど」
 結礼の隣に来て座った蓮は、会社のリサーチ大会のような事態になっているお喋りを眺めた。結礼と蓮のほかは全員が就職組だ。

「出遅れてるのはわたし。なんの責任も持たないからラクで、ぶらぶらしてるのと一緒だから。滝沢くんは大学院で研究がんばってるんでしょ。出遅れてないよ」
「さすがに適当にはできないけど、みんなよりは気楽だよ。ていうより、楽しいかな。研究っていっても好きなことやってるわけだし」
「和佳に聞いたけど、バイトしてるんだよね? やっぱりすごいよ。わたし、外で働いたことないし、何かしなくちゃって思ってる。ちゃんと就活するべきだったって後悔してるかも」
 本気で深刻にそう思っているのだが、そう見えないよう結礼は冗談混じりに云って肩をすくめた。
「いまからでも遅くないと思うけど……ていうか、貴刀に入れるんじゃないの?」
「入れるかもしれないけど、それは無理」
「なんで?」
「和佳が云ったみたいに向上心あるんだったらいいけど……あ、ないわけじゃないんだけど、失敗したり足手まといになって、旦那さ……貴刀社長の顔を潰すようなことになったらって思うと怖くてだめ」

 蓮は奇異なことに遭遇したように目を丸くする。
「そこまで考えるって忠実だな。いまどき、使用人が一緒に住んでるっていうのもめずらしくない? おれの家は普通のサラリーマン一家だし、世界が違うからよくわからないけどさ……派遣を依頼するんじゃなくて専属だもんなぁ」
「それがあたりまえで来たからなんとも思わないけど、不思議がられることはよくある」
「あ、べつに悪く云ってるわけじゃないんだ」
「わかってるよ」
 結礼が笑ってうなずくと、蓮は首をかしげながら問うようにかすかに眉を動かした。

「夏生、とりあえずバイトしてみる気ない? おれのとこ、募集中だけど。店は朝六時から夜中の十二時までやってる。都合のいい時間帯を選べばいいしさ」
「ほんと? ちょっと考えてみる」
「じゃあコミュアプリ使ってるだろ。おれの、教えとくよ」
 蓮は手を伸ばして、斜め前の自分の席に置いていたスマホを取った。
 結礼もバッグからスマホを取りだし、まずメッセージをチェックしたが何も入っていない。心待ちにしているのは健朗からのメッセージだ。健朗が貴刀家に来て翌日、あっさりした肉じゃがを作りに行ったものの、お見合いを受けたのか否か話題にすることはなく不明のままだ。
 メッセージでそんなことを打ち明けてくるわけがない。けれど、ヒントくらいあるかもしれないと無駄な期待をしている。

「蓮くんて勉強できるだけじゃなくって、女子の扱いもうまいんだ。さすがイケメン」
 結礼と蓮が頭を寄せて登録し合っていると、和佳が覗きこんで揶揄した。それを蓮は失笑してあしらう。ガリ勉でも、和佳の云うとおり人付き合いも難なくこなすらしい。
「夏生が働いてみたいって云うから、バイトから始めたらいいんじゃないかって勧めたんだ。おれが行ってるとこ、万年募集中だし」
 和佳は意外そうに目を見開いて、結礼に視線を向けた。
「そうなの?」
「うん。宙ぶらりんだし、ちゃんとしなくちゃって、いま頃思ってる」
「そっかぁ……いいかもね」
 和佳は感慨深そうに同調したかと思うと、「蓮くん、ちゃんと結礼の面倒みるんだよ」というよけいなことを付け加えた。
 こういうところが、健朗から『老婆心』と云われてしまう原因だけれど、子供扱いをしたり悪気だったりではなく、純粋に結礼のことを心配しているのはわかっている。
「時間帯が一緒ならそうするよ」
 蓮は呆れたように首を振った。

「わたしは大丈夫だよ。ありがと、和佳」
「煮えきらない健朗さんに見切りをつけるいい機会かもね。蓮くん……」
「和佳」
 健朗の名を出すのはいろんな意味で弊害がある。結礼は慌ててさえぎった。和佳は、あ、と思い当たった顔をした。
「ごめん」
「いいよ。煮えきらないのはわたしも一緒。だから、わたしが決めるよ」
 結礼と健朗がどこまでの関係か、それをはっきり云ったことはないけれど――親友だろうと、わざわざ打ち明けることではないと思うが、結礼が健朗を好きだというのは云わずもがな、幼稚舎から一緒という和佳は知っている。
 それ以上に関係が進展することはなく、健朗の云いなりという結礼を何年も見てきた和佳は、その状況から脱出させたがっている。あえて抜けださない選択をしているのは結礼自身だ。

「健朗って貴刀健朗さんのこと?」
 頭のいい蓮が重要ポイントを聞き逃すはずもなく問いかけた。KENROのほうではなくて、せめてよかったのか。
「そう……」
「ね、蓮くんてカノジョいるの?」
 結礼が曖昧にうなずいていると、和佳は助け舟を出したのか、唐突に訊ねた。
「いないけど……」
「“けど”って好きな子がいるの?」
 和佳がさえぎるように質問を重ねると蓮は苦笑いをした。
「研究とバイトに精いっぱいだな。女にかまってる余裕がない」
「もったいない」
「なんだよ、それ」
「ここにわりとまともな女子がふたりいるから憶えていて」
 和佳は結礼と自分を交互に指さして、勝手に結礼を巻きこんだ。


 プチ同窓会は盛り下がる間もなく勢いづく。二次会はカラオケだといって、居酒屋を出たのは十一時だった。
 道路を横切って、ぞろぞろと駅の方角に向かう。先頭を行く蓮たちのグループは早くもミザロヂーの前を歩いている。カラオケ店はその向こうの角を曲がってしばらく行ったところにあるらしい。

「和佳、もしかして蓮くん狙ってる?」
 結礼は最後尾で和佳と並んで歩きながら、声を潜めて訊ねてみた。和佳はびっくりしたようにパッと結礼を振り向いた。驚いた顔はまもなく惚けた様子に変わる。
「条件としては文句なしでしょ? だから、結礼にはぜひともバイトしてほしいんだけど」
「バイト? まだわからないよ。家に帰って相談しないと……」
「まさか健朗さんにもお伺い立てる気?」
 健朗がそこまで結礼に関心があるのかは不明だ。呼ばれたときに行きさえすればいい。健朗が非常識な時間に呼びださないことを思うと、早朝のバイトだったら差し支えなく、できるかもしれない。
「そこまでは必要ないと思う。それより和佳、わたしにバイトしてほしいて、どうして?」
「口実にできそうじゃない」
 なるほどという返事が速攻で来た。

 結礼は笑いながら、慣れ親しんだ場所まで来たことを確認する。やはり、健朗がいないだろうかと考えてしまった。ミザロヂーのメニューボードの前を通ると、すぐ横にタクシーが止まり、そのタイミングに合わせたようにミザロヂーのドアが内側から開いた。
 ドアの向こうは客が目につかないように仕切りがあるとわかっていながら、結礼はちらりとなかを覗いた。そうして結礼は目を見開く。
 覗くまでもなく、結礼の探し人は自ら姿を現した。その隣にいるのはンバーでもなく、メンバーの身内でもなく、スタッフでもなかった。
 眼鏡をして帽子を目深にかぶっているが、足もとを見るというちょっとしたしぐさから、結礼はその女性がさと美だと察した。衝撃は空気の波動をも変えたのか、異変を感じたように健朗の目が辺りをさまよう。結礼を認めるまでそう時間はかからなかった。
 眼鏡越しに目と目が合ったのはつかの間、わずかに眉をひそめた健朗はそっぽを向いた。声をかけるな、という意思表示に違いなかった。
 人目を気にしているのかうつむきがちだったさと美は結礼に気づかず、和佳も健朗に気づいていない。結礼はあとからメンバーたちが出てくるのを期待したが、ドアは締めきられたまま開くこともない。
 一瞬の出来事に整理がつくはずもなく、結礼は通りすぎたところで振り向きたい衝動と闘った。

「夏生、おれが行ってるとこ、ここのチェーン店だよ」
 突然、さきを行く蓮が呼びかけたかと思うとビルの一階を指さした。
「……わかってる。和佳が教えてくれたから」
 痛いほど心音が高鳴って、結礼は言葉に詰まってしまう。冷や汗を掻きながら、ありふれた名前だと自分をなぐさめつつ、さと美が結礼のファーストネームなど憶えていないように願った。
「乗っててください」
 どきどきした鼓動が静まらないうちに、健朗の声が背後から聞こえてきた。
 直後には足音が近づいてきて、不意打ちで腕をつかまれた。

「偶然ですね」
 悲鳴をあげなかったのは、呼吸が止まりそうに驚いたからだ。腕がぐいっと引かれ、強引に振り向かされた。
 振り向いたのは結礼だけでなく、和佳もそうだ。
「健朗さん!?」
 息を呑んだ結礼と反対に、和佳は叫ぶように名を口にした。
「ここはライヴ会場ではありませんよ。正体をばらさないでください」
 健朗がたしなめると嫌味を感じとったのか、とたんに和佳は不機嫌になる。
「べつに健朗さんのファンじゃありません」
「それは光栄です」
 ふたりの会話にはいつもひやひやしてしまう。あまつさえ、和佳に対する遠回しな嫌味が、のちに結礼に直球で向かってくることもある。
 健朗はすっと結礼に目を戻して、案の定、脅すように瞳をきらりとさせた。ただの街灯の反射であるように願いながら、結礼は健朗を見上げる。
「こんなところで何をしてるんですか」
 至って穏やかな声で云いながら、健朗は首を傾けた。

「高等部のプチ同窓会です。いまから二次会で……」
 最後まで云わないうちに、健朗が身をかがめて顔をぐっと近づけた。
「おれの行動範囲内をうろうろするのは禁止だ。台無しになる」
 声は囁くようだったが、低くてぶっきらぼうで不快さが滲んでいる。意味がわからなかった。
「……はい」
 健朗の邪険な云い方には慣れているはずが、健朗と目を合わせているのがつらい。そう感じるのは二度めだ。結礼は目を伏せる。すると、くちびるの上を何かがかすめ、ハッとして目を開けていくにつれ、健朗の顔が離れていった。
「乳母がいるようですから心配はいらないでしょう? 和佳さん、ではよろしく」
 健朗は結礼から和佳へ、そして結礼を一瞥したあと背を向けた。
「人を乳母呼ばわりして……」
 健朗は、愚かな真似はするなと、結礼への警告も兼ねて乳母などと口にしたのだろうが、和佳は自分への皮肉としか受けとっていない。それももっともで、けれど不満は最後まで言葉にならず――
「結礼、いまのだれ!?」
「いまのってキス!?」
 という甲高い声にさえぎられた。

 キス、って……。
 くちびるにやわらかく触れたものは健朗のくちびるだったのだ。
 やっぱり意味がわからない。
 動揺するよりも、どこを進んでいるのかもわからず迷走している心もとなさがある。

「いまのは貴刀健朗さん。ほら、カノジョと一緒なのにキスするわけないよ。ちょっと家のことで内緒話しただけ」
 結礼が指を差すと、悲鳴じみた声は聞こえただろうに健朗は素知らぬふりでタクシーに乗りこむところだった。
「そうなんだぁ。ちゃんと見たかったなぁ」
「ていうかさぁ、貴刀健朗とFATEのKENROって同一人物じゃないのか?」
「おれたちが大学に入ったとき復帰してたっていう?」
「おれ、学部おんなじだし何回か見たけど雰囲気が似てんだよなぁ。いまは眼鏡してたからはっきりはしないけど」
「そういうことは結礼がいるんだから結礼に聞くべき。で、結礼、どうなのよ」
「ちが……」
「大正解!」
 結礼の否定をさえぎって和佳が答えた。甲高い悲鳴があがる。
「和佳……」
「わざわざやってきて目立つことをしたのは健朗さんでしょ」
 と、和佳は曝露を正当化したが、その実、乳母呼ばわりした健朗への仕返しだろう。

 その後、カラオケはそっちのけで結礼と和佳は質問攻めに遭った。おかげでふさぎそうになる気持ちは紛れた。ただし、それは深夜、家に帰って独りになるまでだった。
 一向に眠れない。口撃とキスというちぐはぐさから健朗の答えを見いだそうとしても、たどりつくことはできなかった。

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