NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第2章 メイド in confusion

3.迷走チュウ   #1

 追いだされるように帰ったあと、まさに追いだされたのではないかと気づいたのはベッドに入ってからだ。
 結礼のかわりに、さと美が一緒に、そして同じ場所に健朗と帰ったのかもしれない。
 結礼はこの五年半、健朗のベッドですごすのは自分だけだと漠然と思っていた。
 おれが好きなのか。急所をつかれたすえ、そんな弱みに付け込まれて始まったわけだが、健朗が女性慣れしていることは、未経験の結礼にだってわかった。いや、未経験だったからこそわかる。健朗はリードする以上に気遣っていたから。
 これ以上の関係にはなれないと承知していながら、自分のほかに健朗のベッドで寄り添う人はいないと思いこんでいるなど自惚れすぎる。

 これまでだれもいなかったとして、いまだれかがいるとなっても――それがさと美であっても少しも不思議ではない。さと美は健朗が素直ではないと云ったけれど、そう理解できるほど親しいのだ。
 健朗自身の行動にそれらを裏付けるような、思い当たるふしはある。
 さと美からの着信音がいままで聞いたことのない曲に変わっていたこと。以降、健朗といるときにかかってくる電話は、耳に馴染む着信音ばかりだった。つまり、さと美に限った着信音があるという可能性。
 そして、相手がさと美だとわかっていながら結礼を電話に出させたこと。即ち、暗に結礼との関係を終わらせたいとほのめかしているのかもしれなかった。

 いつか来ると知っていたのに、いざ直面すると簡単には受け入れられない。
 結礼は不安に駆られながら、ミザロヂーでのシーンを思いだしたり想像したりしているうちに、ふと健朗とふたりだけの会話が甦った。
 健朗は、自分から目を逸らすなと云って、おれのものだと云って、それからあまり云いたくないと漏らした本音を語った。
 それに、健朗が結礼に対して、まわりくどく知らせるわけがない。もっとも、毒舌であろうが、健朗が配慮に欠けた人間ではなく、それゆえ、まわりくどくなったと考えることもできる。どっちだろう。
 違う。健朗はヒーローだ。卑怯なやり方はしない。

 結礼は前向きになったり後ろ向きになったり、行ったり来たりしながら眠ったようで眠れていない夜をすごした。


 翌日、予定どおりであれば泊まって健朗といるはずだったが、あらためて行く予定など入れてない。健朗の呼びだしもなく午前中はすぎた。
 昨夜、日付を超えて何時までパーティだったのか。ツアーが終わって疲れているのはわかっている。眠っているのに起こしてしまうのは忍びなく、結礼から連絡するのも控えた。
『今日の夕飯はどうされますか?』
 ようやく午後になって訊ねたメッセージに――
『いらない』
 たったひと言の返事ですまされ、昨夜のその後を想像できるヒントさえ何も得られなかった。
 もっとも、そんな返事しかもらえないような質問をしてしまったという、駆け引きスキルが圧倒的に不足している結礼自身のせいだ。
 ヒントがあったからといって、健朗が云う無駄な労力を使うだけでなんの利も生みださない。結礼は夏生家の仕事の手伝いをしながら、ため息ばかりついていた。


「結礼、呼びだし、鳴ってたわよ」
 庭園でマーガレットを切っていると、母の温子が結礼のスマホを持って現れた。
 エプロンのポケットを探ってみると確かにスマホはなく、持ち忘れたようだ。健朗から電話があるかもしれないのに、と、結礼は気もそぞろな自分に呆れた。
「ありがとう」
 受けとると、温子は地面に置いた花かごを見てため息をついた。
「結礼、こんなにいらないと思うけど。もったいないでしょ」
 温子が指を差したさきには、白いマーガレットが満杯になった花かごがある。昨日、さと美が持ってきた花束と同じくらいの量だ。外出している健朗の母、早苗から夕方になって急に、食卓にマーガレットを飾ってほしいと電話で頼まれたのだが、いくらなんでも切りすぎた。

「あ……ごめん」
「健朗さまと何かあったの? 昨日はてっきり泊まってくると思ってたのに」
 どういう意味で温子がそう口にしているのか、結礼にはよくわかっていない。泊まっても咎めることはなく、だとしたら、純粋に泊まっているだけと思って口を挟まないのか。常識的に考えて、男女ふたりきりの夜をすごして何もないはずがない。よほど草食系ならばともかく、健朗は容姿や表向きの性格と違って、獰猛すぎるほど肉食系だ。
「最近は予定どおりにいかないことが多いの。忙しいんだと思う。それだけ。べつに何もないよ。あるわけないし」
 二重に否定すると、温子は考えこむように眉をひそめた。

「本当にそう思ってるの?」
「……じゃあ、思っていないとしたら?」
 温子が困るであろう質問をなすと、案の定、渋面を見せた。
「貴刀家と夏生家の関係はそれ以上にもそれ以下にもなれないの……」
「わかってるってば。何もないのにお母さんがヘンな云い方するから、のってみただけ。何かしなくちゃってなんとなく考えてるだけ。電話したらすぐ戻るよ」
 納得したのか否か、温子は肩をそびやかして立ち去った。

 温子の云うとおり、結礼と健朗の間に何かあったら、両家の関係を壊してしまう。あらためて思い知らされると、取り繕うために云った『何かしなくちゃ』という言葉は自分にとってあながち間違っていないのかもしれず、現実を帯びた。
 スマホを見ると、電話は結礼の幼なじみであり、数少ない友人である大渕和佳(おおぶちわか)だった。五時すぎ、終業間際でまだ仕事中のはずだ。よほど急ぎの用事があるのか、結礼は念のため、メッセージを送ってみた。程なく電話する旨の返信が来て、そう待つこともなく電話がかかってきた。

「和佳、何かあった?」
『あ、ヘンに心配かけた?』
 慎重な結礼の声音に気づいた和佳はすまなさそうに訊ねた。
「ううん。仕事中だよね? 急用かなって思って」
『急用と云えば急用。今日の朝ね、通勤途中でドーナツ店に寄ったんだけど、そしたら滝沢蓮(たきざわれん)と会ったの。憶えてるでしょ?』
 結礼の脳裡に、がり勉でイケメンという先入観じみたイメージと顔が浮かびあがった。
「うん、憶えてるよ」
『大学院に行ってるらしいけど、ドーナツ店でバイトしてるんだって。それで、高三クラスのプチ同窓会しないかって話になったの。連絡つく人だけで集まらないかって。さっき蓮くんから電話があって、男女十人くらい集まりそうだって云うし、結礼も行かない? 善は急げで今度の金曜日』
 結礼は脳裡に健朗のスケジュール表を引っ張りだす。その日は打ち合わせで、その後はメンバーと飲み食いするとあった気がする。
「ほんと急だね。いまのところ予定ないと思うけど……」
『じゃあ、予定に入れておいて。こっちの約束が健朗さんよりさきだからね』

 和佳は耳にたこができるくらい、結礼の時間が健朗に束縛されすぎだと云う。だから、仕事中にも電話をかけてきたのだろう。結礼自身は束縛と思っていないが、付き合いが閉鎖的になっているのは自分でも感じる。
 何かしなくちゃ。ついさっき思ったことが甦った。
「わかった」
 結礼はいつの間にか返事をしていた。

NEXTBACKDOOR