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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第2章 メイド in confusion
2.悩んでも悩まなくても #3
健朗に名を呼ばれ、さと美の顔が晴れやかに輝く。手に抱えた大きな花束と相まって、そこだけスポットが当たっているように華やかに見えた。
背中を向けているのは失礼だろうと、結礼が躰の向きを変えると、空いたスペースを埋めるようにさと美は健朗に近づいた。人が多いから必然的にそうなるのかもしれないが、結礼が退くのを待っていたと云わんばかりに素早く感じた。
「健朗、デビュー八周年とライヴの成功おめでとう」
健朗は微笑を浮かべ、返礼の言葉を云いながら花束を受けとった。赤い薔薇と白い百合を中心にした、派手な花束を持っても不恰好ではなく、むしろ洗練されて見えるところがいかにも健朗だ。
「間に合わないかと思った。行ったとたん終わるんだったらどうしようって心配しちゃったけど……まだまだみたい」
そう云った永倉さと美は、さっと店内を見回してから健朗へと視線を戻すと、おどけた様子で肩をすくめた。結礼では様にならない可愛いしぐさだ。
さと美は雑誌モデルで、一五六センチの結礼よりも十センチは背が高い。彼女が掲載されている雑誌は又貸しで見るくらいで、結礼が顔を憶えるほどまでに人気を得、メディアに露出してきたのはここ一年だ。
女優業もやっていて――どちらかというと結礼は女優というイメージのほうが強いのだが、画面を通して見る彼女と目の前のさと美は雰囲気が違う。だから、ひと目見ただけではぴんと来なかったのだ。
画面のなかでは、くっきりしたメイクのせいで小悪魔のように見えるのに、いまは至ってナチュラルメイクで無邪気に見える。胸もとが開いた薄手のノースリーブニットは躰にフィットしていて、逆にふわりとふくらんだフレアスカートはハイウエストでキュートだ。ショートボブの結礼と違って、栗色よりも若干ピンク色がかったさと美の髪は長く、毛先がカールしている。恰好をトータルすれば、ただでさえスタイルがいいのにいっそう華奢に見えた。似合っているというよりは着こなしがうまく、モデルだけに何を着ても違和感なく栄える人なのだろう。
結礼は、すとんとしたミニワンピースにカーディガンを羽織るという、自分のオーソドックスな恰好に密かに幻滅した。
いや、張り合うほうがどうかしている。勝てることなどないとわかっていてもつい比べてしまった。
「まだまだでしょうね。少なくとも今日中には終わらないと思いますよ」
「じゃあ、今日はゆっくり話せるでしょ? 仕事ですれ違いばっかりなんだから」
「僕たちの世界は忙しいときが華でしょう。全力疾走するべきです。もちろん躰に気をつけながら」
「心配してくれてるってこと?」
「どうでしょう」
健朗が肩をそびやかして答えると、さと美はくすっと笑った。いちいちしぐさだったり表情だったりが凝(こ)っていて、それをテレビで見ているとしたら“可愛い”と口にしていたかもしれない。さと美は結礼より三つ年上のはずだが、結礼のほうが年上に感じてしまう。
「健朗って物腰はやわらかいけど、素直じゃないところあるよね」
「それは気づきませんでした」
健朗はすまして応じた。
素直じゃないどころか横暴で、親切心はおそらくまわりくどい。少なくとも結礼に対してははっきりそうだ。
「でも、そういうところ、わたし好きよ」
さと美は細い首をかしげ、にっこりとくちびるに完璧な弧を描いて見せた。
その言葉に驚いたのは結礼だけで、健朗は驚きもしない。二週間前にわざわざ結礼に告白させた言葉は、健朗にとって日常茶飯事の言葉なのだろう。あのとき、喜ぶために云わされたのではなく、なぜ結礼は云わないのか、健朗はそんな不服のもと云わせたにすぎない。
「光栄です……というべきなんでしょうね」
「ほら、やっぱり素直じゃないよ」
完全に結礼をそっちのけにした会話は、なんとなく邪魔者だと感じさせる。所在なく、離れるべきかどうかも判断がつかない。健朗が追い払いたがっているとしたら、そう事が運ぶようにするだろうし、そうしないということは逆にここにいるべきだと示しているに違いない。結礼は長年かけて培ってきた自分の勘を頼った。
健朗を見上げると視線がおりてきたが、目を合わせたか否かのうちに結礼を通り越してしまう。軽く手を上げるというスマートなしぐさで給仕を呼びとめた。それからさと美に向かって、問うように首を傾けた。
「何を飲みますか」
「お祝いだし、シャンパンって云いたいところだけど」
さと美はトレイにのったグラスを眺めながら、「ないみたいだから……」と迷っている素振りをする。
「遠慮なく。シャンパン、頼みますよ」
「ほんとに? ありがとう」
さと美はうれしそうにして首をすくめた。
健朗は給仕に注文するのかと思いきや――
「ちょっと待っててください。ついでに花束を預けてきます」
と、自ら持ってくるつもりのようで場を離れかけた。
「健朗さん、花束はわたしが……」
メイドとは名ばかりでまったく気が利かないと自分に呆れながら、結礼は慌てて申しでたが。
「いいですよ」
と、健朗は断りながら、それとわからないくらいのつかの間、結礼をじっと見下ろすと離れていった。
紹介をされることもなく、結礼はさと美と残されて居心地が悪いことこの上ない。
「もしかして、あなた夏生さん?」
注意深く結礼を見つめながら、さと美は首をかしげた。
「はい。夏生結礼です」
夏生とだけ云うとファーストネームだと思われることが多く、結礼はフルネームで名乗った。
「健朗とはどういう関係なの?」
質問は直球で来た。
電話で話したときに結礼が悟ったとおり、さと美は健朗に好意を寄せているのだ。さっきの『好き』という言葉には思いのほか、気持ちが込められていたのかもしれない。
「メイド……通いの家政婦です」
「家政婦? こんなところまで来ちゃうの? 福岡のライヴ、泊まりで同行したんでしょ?」
さと美はめずらしい生き物を見るように目を丸くした。
「あの……わたしの家は昔から貴刀家の使用人で、だから、ちょっとずうずうしく云えば幼なじみみたいなものなんです。健朗さんが招待してくれるので甘えてます」
「じゃあ……健朗のカノジョってだれか知ってる?」
「え……?」
「ファンの間ではカノジョがいるって噂だけど?」
「さあ……わたしのことを勘違いされてるかもしれません」
結礼が曖昧に応じると、さと美はにっこりと笑った。
「健朗のマンションに出入りしているんだよね? 家政婦のあなたが気づかないってことは、ただの噂か、それとも……カノジョってわたしだってこと、あるのかな?」
今度は結礼がびっくり眼になった。見返してくる大きな瞳は試すような気配を滲ませている。
「……わたしにはわかりません」
「そうだよね。家政婦なんだから迂闊なこと云えないだろうし。ね、結礼さん、わたしのことはさと美でいいから、これからよろしくね」
そう云ったさと美は、いきなり小悪魔の役に様変わりした。
結礼の思いすごしだろうか。まもなく健朗がシャンパンを片手に戻ってくると、さと美は無邪気な顔で受けとった。
さと美はひと口、含んで味を確かめる。
「美味しい」
浮かれた音符がつきそうなひと言の返事に、健朗は可笑しそうにしてうなずく。それから結礼へと目を転じた。
「タクシーが来ました。外まで送りますよ」
予定外の、まったくもって唐突な言葉だった。言葉の意味が思考回路に浸透する間もなく、健朗の手が結礼の背中を押した。さと美に断りを入れ、ドアのところまで来ると、給仕が来て結礼のバッグが手渡された。
歩道に沿って止まったタクシーの近くに来たところで、結礼は健朗を振り向いた。
「健朗さん?」
「おれは遅くなるし、無駄に待たれるのは面倒だ。夏生家に戻れ」
普段なら帰る時間も一緒であれば、帰る場所も健朗のマンションと一緒だ。理由も何も告げられないまま結礼はタクシーに乗せられ、運転手には健朗が行き先を知らせた。
そうして身をかがめたまま、結礼を見据え――
「おまえ、また彼女に会うことがあっても、よけいなこと喋るなよ」
と、健朗はわざわざ警告した。
「……はい」
返事は自分でもかぼそく聞こえて、結礼は再び、はい、と云い直した。
何か云いたそうに見えたのは勘違いか、健朗は吐息を漏らしたあと、無言で躰を起こして後ずさった。
タクシーが走りだして結礼は後ろを振り向く。それを見計らったように健朗は背中を向けた。ミザロヂーのなかに健朗の姿が消えるのと、タクシーが角を曲がるのと、どちらが早かったのか。
彼女、と健朗が暗黙の了解みたいに呼ぶことが、彼女は特別だと知らしめているように感じた。
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(C)純愛ジュール