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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第2章 メイド in confusion
2.悩んでも悩まなくても #2
店内のなか、ふたりは隅のほうにあるカウンターの傍にいるが、目立たない場所とはいえ近くに人はいる。結礼は反射的に顔を引いた。
「なかなか思考力あるな。答えにたどりつけない中途半端ぶりがおまえらしいけど」
ドアップでもまったくそつなく堪えられる健朗と違い、結礼の顔立ちが劣るのは云うまでもなくメイクまで崩れかかっているんじゃないかと心配になる。いや、本当に心配するべきことはそこじゃない。
「み、見られてます!」
「自意識過剰だ」
「唯子さんに叱られます!」
「仲間内だ。おかしなマネをしたところでなんの問題がある。おれは、これでもいま怒ってるんだ。おまえが音楽を否定するようなことを云うから」
健朗は睨めつけるような眼差しで結礼の瞳を射貫く。結礼は驚いて目を見開いた。
「そんなつもりで云ってません!」
「じゃあ、どんなつもりだ」
健朗は結礼が答えにくい質問をする。ファンを大事にしているFATEに――いや、そもそもファンがいないと仕事にならないアーティストなのであって、そのファンの存在を不安視したり、いなかったらと思ったり、それは健朗が云ったとおり、バンドマンであることを否定したことになる。もっと突き詰めれば、悩んだところで結礼の立場はそうするに値しない。
「……説明できません。でも、違うんです」
結礼は答えられず、それどころか後ろめたささえ感じて目を伏せた。
「イラつく」
「……すみません。健朗さんの音が好きなのは本当です」
「おれを見て云え。嘘じゃないならな。目を逸らすとかなんだ」
健朗は吐き捨てるように云い、結礼はハッと目を上げた。
「嘘じゃありま――!」
慌てつつ再び否定しかけた言葉は健朗の口にふさがれた。乱暴すぎてまるでお仕置きだ。くちびる越しに歯と歯がぶつかって痛い。結礼がキスだと認識するまえに健朗は顔を上げた。何事もなかったように結礼の手にカクテルが戻された。
「おまえはおれを見てることしかできてない。それまで放棄してどうするつもりだ? おれから目を逸らすな」
横暴さには慣れてしまったけれど、腹立ち紛れに放たれた言葉はどう捉えればいいのだろう。
「……放棄してません」
「あたりまえだ」
健朗はぶっきらぼうに吐く。
「健朗さんのギターもFATEもすごく好きです。チケットを買わないでライヴに行けるのが申し訳ないくらい大好きですから」
ひたすらすぎたのか、健朗は何か気にかかったように眉をひそめる。
「おまえはおれのものだって云っただろ。忘れたのか。いくらおれでも自分で自分に金を払わせるほど自惚(うぬぼ)れてない」
それはふたりが一体不離だと云っているのだろうか。
福岡に滞在したとき、『よく飽きないな』と云ったように、健朗は五年半前と変わらない気持ちでいる。結礼がどうかと云えば、一緒にいる時間のぶんだけ好きな気持ちが積み重なっている、そんな気分だ。
「健朗さんも不安なことありますか?」
健朗ならむしろ自惚れてもいいくらいだと思っている。それなのに否定するのは、自信満々に振る舞っていても、その実、ちゃんと自分が見えているからこそなのか。裏を返せば、不安とまではいかなくてもそれに近いものを抱えていると白状しているようなものだ。
健朗は反論するだろうと思ったのに、その予想は外れ、くちびるをわずかに歪めて鼻先で笑った。
「不安じゃなくて迷ってた部分はある」
「……健朗さんが?」
自分が訊ねたくせにいざそんな答えが返ってくると、結礼は目を丸くして問い返した。
健朗はため息をつき、呆れ果てた様子で一度、首を横に振った。
「おれをなんだと思ってるんだ」
「……ヒーローです」
「はっ。のんきな奴。さっきの話……おれが貴刀の後継者って道を避けたのは姫良がいたからだ」
「姫良お姉ちゃん?」
「紘斗さんは後継者候補として申し分ない。哲ちゃんという補佐もいる。おれが出る幕はない」
それが将来、姫良に気を遣わせないための選択だったとしたら、健朗は結礼が認識している以上によほど姫良のことが好きなのだ。
「健朗さんはやっぱりヒーローです」
「おまえはやっぱりのんきだ。プロサッカーの道を選ばなかったことも、父さんや母さんの意向を蹴って後継者を選択しなかったことも、取りようによっては逃げたことになる」
「そんなことあり――」
「最後まで聞け。あんまり云いたいことじゃない。素面で云えるかって話だ」
健朗はじろりと睨んでさえぎり、結礼はこっくりとうなずいた。
「青南大に入ったときはすでに二つの選択を除外してたけど、かといって具体的に何をやりたいかなんて決まってなかった。FATEのメンバー募集の掲示板を見なきゃ、おれはここにいなかったかもしれない。控えめに云うなら音楽は嫌いじゃなかった。ギターは特に弾くことに快感あったし、だからおもしろそうだなって軽い気持ちでFATEを訪ねた。戒斗に弾いてみろって楽譜を渡されて、イントロ弾いたとたんオッケーだってさえぎられて、あっさりメンバーに決まった」
「戒斗さん、すごいですね。見る目あると思います」
「おバカ発言だな。恥ずかしくないのか。人前でそういうこと云ったら磔刑(たっけい)だからな」
親ばか並みの発言だったことは否めない。
「はい。云いません」
と、結礼はうなずいて二つ返事をした
「戒斗に見る目があるのは、いまさらおまえが云うまでもない。みんな知ってる。現に、おれはこうしてここに立つ覚悟をはっきり決めた。そうできたのは五年半前だ」
奇しくも結礼と健朗の関係が変わった頃だ。何があったんだろう。結礼が首をかしげると、健朗はだれに向けたのか嘲るような笑い方をした。
「バンドをやるからにはやる。ギターを弾くのに手加減したことはない。ただ、気持ち的に曖昧にやっていた時期があるのは事実だ。さっき、おまえに音楽を否定してるって責めたのは、おれの疾しさの裏返しだ。戒斗が本気でプロを目指しているって知ったときは驚いたし、その頃は、貴刀の名を借りずに自分の力を試したいとか、いま思うときれい事を云ってた。実際は、いちばんになれないことに足掻いて逃げてたんだ」
健朗は、「FATEに入る動機はいいかげんだった。がっかりしたか」と皮肉っぽく笑った。
「そんなことありません。健朗さんが云ったとおり、結果がいまの健朗さんなら全然間違ってません」
「五年半以前もまあ……いろいろあって考えさせられてたけど……」
健朗は過去を覗くような気配で宙に目をやり、また結礼に戻した。
「まだ結果じゃない」
「はい。そう云われるとわくわくしてきます」
いまでも充分だと思っているのに、まだ限界ではないのだ。健朗は結礼の期待に満ちた瞳を見て、どうしようもないといったふうに嘆息しながら肩をそびやかす。
「いまのおまえ、命令を待ってる犬みたいだな」
「いつも――」
――そうです、と続けるはずの言葉は途中で途切れた。
「健朗、こんばんは」
カラフルなチューリップが思い浮かぶような、明るくて軽やかな声が健朗を呼んだ。
無意識に声のしたほうを振り向くと、結礼より少し年上だろうか、背後に女性が立っていた。きれいさと可愛さで比べるなら、可愛さが勝っている。
「こんばんは、さと美さん」
オーラが違うと思った第一印象は、健朗の口から出た名によって納得させられた。
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