NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第2章 メイド in confusion

1.禁句   #3

 スキンシップの余韻はあまり満喫できないまま、食事もそこそこに帰り支度をした。チェックアウトは十一時だが、そのまえにレンタカーを頼んでいたせいだ。
「なんで予定外のことさせられるんだ」
 スーツケースを閉じながら健朗はぶつぶつと独り言で結礼のせいにする。
 また失言したすえ何か触発することになったらたまらない。結礼は聞こえないふりに徹した。

 部屋を出るとエレベーターに乗りこみ、一つ下のフロアでいったん降りた。
 このフロアはFATEが貸し切っている。結礼はスタッフでも奥さんでもなく、公私混同をしないように上の階に健朗の名義で部屋を取っていた。健朗は打ち上げのあと、そのまま結礼の部屋に来て泊まった。事務所に対してのささやかな体裁はついた。
 エレベーターの前には付き人がガードマンのごとく待機していた。スーツケースを預けているとき、唯子がやってきた。

「おはようございます」
「結礼ちゃん、おはよう」
 唯子はにっこりした笑みを結礼に向け、そうして健朗へと目を転じるうちに真顔になった。「健朗、ドライブって大丈夫なんでしょうね」と、保護者然としてわずかにしかめた声が問いかける。
「気をつけますよ。慣れてますから大丈夫です」
「ドライバースキルの話じゃなくてスクープの話よ。五年も一緒にいて、ファンは薄々感づいてるのにマスコミにバレてないほうがおかしいんだから」
「べつに疾しいことをしてるわけでもないし、どう書かれようが一向にかまいませんけどね……」
 唯子に睨みつけられ、健朗はため息をついて肩をそびやかし、「わかりました。そっちも気をつけますよ」と続けた。
「高弥と良哉が立て続けに結婚したとき、付け回されてるって辟易してたこと思いだすべきね。二月にDEEPBLUEの真柴(ましば)くんが結婚したせいで、健朗への関心が再燃してるんだから。いい? 報告はだれよりもまずファンに。それがFATEの鉄則」

 DEEPBLUEというのは事務所の後輩バンドだ。ボーカルの真柴が結婚したときは、結礼も内輪のお祝いパーティに参加した。それが健朗に影響してくるとは思ってもいない。結礼もまた、普段からファンやマスコミの目に気をつけているが、健朗から付け回されているなど聞かされたことはなかった。
「重々承知してますよ。逆に、バレなかったことがそれを証明しているでしょう」
 まだ何か文句があるのか、と云いたげに健朗は首をひねった。
 唯子は呆れて首を横に振りつつ、ため息をついた。

「じゃあ唯子さん、五時に空港で」
 健朗は強引に会話を終わらせ、結礼の背中に手を当ててエレベーターのほうへと方向転換させた。
「おかしなマネはしないでよ」
「品行方正が歩いてるって云われる僕ですよ、おかしなマネなんてできた試しがありませんね」
 健朗は背中を向けたまま、軽く手を上げて往なした。


 レンタカーの手続きを終えたあと、ふたりはオープンカーに乗って街に出た。
 左ハンドルのオープンカーというだけでも目立っているのに、車体は赤みがかったグレーで猫目石のような光沢を放ち、結礼たちがホテルを出て近づく間にも色が変化して文字どおり異色を放っていた。太陽光のもとに出たいまは、もっと人目を引くのではないかと思う。
 赤信号で止まって何気なく歩道を見ればちらほら視線が向くし、隣を見ればすぐ横に止まった車の中の人と目が合う。そのばつの悪さをごまかすように、結礼は運転席に目を向けた。

「オープンカーって云っただけでこんなふうに贅沢なのが来るとは思ってませんでした。わたし、云い方を間違ってました?」
 健朗はわずかに顔を横向けて流し目で結礼を見やった。変装用の太い黒縁の眼鏡はちょっと大きめで、何かを研究している好学の人のように映る。
「べつに普通だろ。おまえの部屋はおれの名で取ってたし、ホテル側がおれのステータスをわかっていてこの車だと判断した。いつものことだ。何がまずいんだ?」
「さっき唯子さんが気をつけてって云ってました。それなのに、この車じゃ目立ちすぎます」
「単純すぎだ。車が目立とうが乗ってる奴がFATEのメンバーだとかわかるわけないだろ。しかも、ここは東京じゃなくて福岡だ。だいたいが唯子さんに云ったとおり、おまえといても疾しくない」
「はい。わたしはメイドですから。勘違いされても調べてもらったらすぐわかりますね」
 そう答えると、健朗は流し目ではなく首をまわして結礼を見つめた。その目が睨みつけているかのように狭まった。

「おまえ……」
 据わった声で乱暴に呼ばれると、つい身構えて結礼は躰を引く。といってもシートベルトに阻まれて、距離を取るには有効に働かない。そのかわりに車が動きだして、健朗は話を中断せざるを得なくなった。
 オープンカーは話しながらドライブするにはちょっと不向きだ。かといって、信号機で止まっても会話することはなく、健朗はナビに従って目的地の志賀島(しかのしま)へと車を走らせた。もともとふたりの間に会話という会話は成立しない。ドライブのために健朗と車に乗るのははじめてで、無言なのは気にならず、用事があるわけでもなんでもない時間を一緒にすごすということに結礼は浮き浮きしていた。

 ビルの多い街を見下ろしながら都市高速を通り抜け、アイランドシティから海の中道という直線コースに入った。ゴールデンウィークさなかの五月初日、平日ではあるものの、途中、公園や水族館があったりして渋滞したところもある。それでも都市部からはそう時間もかからず、海の中の一本道に差しかかった。両側に海という爽快なドライブだ。
「健朗さま、すごいですね!」
「いくつのガキだ」
 はしゃいだ結礼に水を差すようなひと言が降りかかる。ただ、速度が少し緩くなって、結礼は独り笑みを浮かべた。歪んでいても健朗は健朗らしさで結礼を気遣っている。

 結礼は身を乗りだすようにして海を眺めた。潮風が加わって、風の香りが違うと思うのは気のせいか。あまり出かけることのない結礼にとっては――ましてや砂浜のある海など片手に足りるほどしか見た憶えはなく、子供みたいにわくわくした。ガキだと云われても反論はできない。
 すぐ島に入ると海岸沿いの道を進んでいく。渋滞することもなく、穏やかな晴天に恵まれた海の景色は、このまま永遠に走り続けられたらと思うほど心地よかった。その最大の要因は探すまでもなく健朗とふたりだからだ。

 人がちらほらといる広い砂浜が見えると、健朗はスピードを落とした。駐車スペースまですぐそこというときに音楽が鳴る。健朗のスマホの着信音だろう。“だろう”というのは、音を変えたのか、聞いたことのない曲だったからだ。
「結礼、電話に出ろ。すぐ車は止める」
 代理で電話に出たことは何度かあり、結礼は戸惑うことなくコンソールボックスからスマホを取りだした。画面を見ると『永倉』と表示されている。
 永倉? どこかで聞いた……と思いかけたとたん、結礼は女優だと察した。
「健朗さん、永倉さんみたいですけど、本名じゃなくてステージネームで出ますか?」
「どっちでもいい」
 健朗は、丁寧な喋り方から噂ではどこかの坊ちゃんだとされているが、はっきり貴刀グループの御曹司であることは公表していない。どっちでもいいということは、ごく親しい人にしか知らされていないことを永倉さと美も知っているのだ。
 結礼はうなずいて通話モードにした。

「はい。貴刀の電話です」
『……だれ?』
 怪訝そうな声はテレビで見る声とは少し違って聞こえた。
「夏生と云います。健朗さんは運転中なので代理で出ました。もうしばらく待っていただけたら……」
『そうじゃなくて、わたしが訊いているのは……』
 さと美が云いかけているとき、車は止まり、結礼の手からスマホは取りあげられた。
「健朗です。どうしたんですか」
 健朗はシートベルトを外しながらゆったりと応対した。
「……ええ、まだ福岡ですよ。僕、云いませんでしたか。良哉と航の出身地ですから、福岡の滞在はいつも長くなるんです。……十四日の八周年ライヴまで、ちょっと空きませんね。……そうですね。みんなにも伝えておきます。では失礼します」

 品行方正ぶりは顔にも表れていて、それが本心なのか仮面なのか、結礼にはよくわからない。会話はどう感じながらなされていたのか、さっぱりだ。少なくとも、さと美のほうは仕事が用件というわけではなさそうだった。
 健朗が貴刀だと知っていても、結礼が通いメイドだということは知らなかったようだし、用件が仕事なら結礼がだれであろうとこれまで気にした人はいなかった。もっとも、健朗が貴刀だと知っているくらい親しいのだから、仕事の話ではなくても不思議ではない。
 健朗には結礼の知らない時間があることを、当然なことなのにあらためて知らされた。自分はどうだろう、と反対の立場になってみると、そう付き合いには幅がなく謎めいたことなど一つもない。そのまえに健朗はそこまで結礼に関心がないかもしれない。

「さっきまでガキみたいだったのになんだ、その鬱陶しい顔は」
 ハッとして健朗を振り向くと、まともに目が合った。じっと見られていたとわかると、頬が火照る。
「すみません。永倉さと美さんとお喋りしたなんて考えられなくて……」
「そのわりにおれとは平然と喋る」
 おかしな云い分に結礼は目を丸くする。
「健朗さ……ん、は有名人になるまえから知っていましたから、永倉さんと同じには考えられません」
「妙に冷静だよな、おまえ」

 突き放すように云い、健朗は車のドアを開けて降りた。結礼も慌てて続く。さっさと海岸に向かう健朗のあとを追った。
 結礼を振り向きもせず、健朗は砂地に入っても安定した足取りでずんずんと進んでいく。一方で、結礼は追いつこうにも砂に足を取られてしまって距離を縮められない。自分たちの関係を知らしめているかのようだ。平行線なのは織り込みずみのはずが、やはり不安になった。
 スキンシップは逸脱していても、一定の関係のもと、つかず離れずでいる。その構図が壊れるなど想像もしたくない。

 砂地の半分くらいまで来ると片方のパンプスが脱げそうになり、それを避けようとしたとたん、結礼はバランスをくずした。
「あっ」
 結礼の躰がかしいだ。きっと転んでも砂地だから、そうダメージはないはずだ。一瞬のうちにそう覚悟したが、結局は覚悟は不要だった。結礼の小さな悲鳴にすかさず気づいた健朗が反応した。
 宙に泳いだ腕を捕まれ、次には腰が支えられた。
「ありがとうございます」
 結礼は健朗のがっしりした腕をつかんで平衡感覚を取り戻す。
「マスターもなかなか忠実だろ」
 結礼を支えたまま健朗は放す気配がない。
「……忠実って意味はあまりわかりません。でも、いろいろ考えてもらってることはわかります。こんなふうに海のドライブに連れてきてもらったこともそうです」
「考える? ……確かにそうだが……おまえ、おれが好きなんだろ」

 露骨に訊ねられると答えにくい。健朗は眉をひそめて険悪さを丸出しにする。
「どうなんだ。それとも、そのへんの女と同じで、好きとか嫌いとかどうでもよくなったのか」
 なぜそんな思考になるのかまるでわからず、結礼は激しく首を横に振った。
「どうでもよくありません」
「で?」
 健朗は一語で促した。もう隠しようのない明け透けな気持ちでも、一方通行で口にするには勇気がいる。
「……き、です」
 ぼそっとつぶやくと。
「そんなもんか、おまえの気持ちって」
 逃れられない突っこみが入る。
 なぜ結礼の告白が必要なのかはわからないが、結礼が口にするまで容赦する気はないのだ。

「健朗さまはわたしのヒーローです。ずっと。だから……好きだってこともずっと変わりません」
「ヒーローなんて鬱陶しいし、白けるからやめろ」
 告白を受けたからといってさしてうれしそうでもなく、むしろひどい言葉を浴びせながら健朗は身をかがめた。その目的はすぐさま感知する。
「あ、あの……っ」
「車の中で一回、いま一回、よっぽどおれが好きで、襲われたいらしいな」
 気づかないうちに結礼はまた禁句を発していたらしい。
「だめです、きっと見られてます!」
 周囲を見回す勇気はなく、ただ健朗を見上げて訴えた。
「見られても減るもんじゃないし、だれが一般人じゃないって気づくんだ」
「でも……」
「でもじゃない。もうこのへんでいいだろ。早く解放されたいしな」

 意味がわからないまま、目の前で笑みに歪んだくちびるが開き、結礼は目を見開く。呼吸が結礼のくちびるに触れた直後、健朗はしないと約束したはずの“おかしなマネ”を堂々と人前でやってのけた。

NEXTBACKDOOR