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DOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
顔を洗って歯をみがいて、そして着替えをすませ、ちょうどパウダールームを出たところでノック音が響いた。ドアアイを覗くとホテルマンの姿が視界に入る。結礼は施錠を解いてドアを開けた。
朝の九時、おはようございます、と声をかけた給仕役のホテルマンは押してきたワゴンごとなかに入り、窓際の空いたスペースまで来て止まった。ワゴンは羽を広げるようにして丸いテーブルに様変わりする。配膳を整えて、ごゆっくり、とホテルマンは出ていった。
その間、二つあるうちの片側に寝そべった躰はびくとも動かなかった。ふと、もう一つのベッドが使われないまま整然と整っているのを見て、結礼はいまさらになって赤面する。
ホテルマンがどう判断したかは考えるまでもない。もっとも、仕事柄、慣れた光景かもしれなかった。せめてふとんの下が真っ裸とわからないのは救いだ。
結礼はベッドに近づいた。
起こしていいか迷ったけれど、朝食の時間を決めてルームサービスを頼んだのは健朗だ。
「健朗さ……健朗さん」
健朗さまと云いかけて結礼はハッとして口を噤み、云い直した。云ってしまったところで健朗に聞こえるかどうかは疑問だが、用心するに越したことはない。
ちょっと待ってみたがうんともすんとも反応がない。
「健朗さん、朝食が来ました。まだあとにしますか」
ん、とくぐもった声がして、健朗はわずかに身動きをした。結礼の枕がわりに伸ばしていた腕がふとんから出ると、頭の天辺に手を置いて髪をつかむようなしぐさをする。
昔のストレートとは違い、少しカールさせた前髪が額にかかっている。こてこてではなくとも軽くビジュアル系のバンドマンだからか、ある程度アレンジできるように髪はいつも長めだ。
目を開けたときに入らないよう、結礼はかがんで健朗の額に手を伸ばした。髪を払った直後、不意打ちで手首がつかまれる。
「何時だ」
顔をしかめて瞬きをしながら健朗はつぶやいた。
「九時になりました。朝食、来てますよ」
健朗は一つ深呼吸をすると結礼の手を放し、勢いよくふとんを剥いで起きあがった。
結礼は裸体を前にして目を伏せるよりも、見惚れてしまう。たまにスポーツジムに通うだけでこうまで鍛えられるのだろうかと不思議なほど、健朗の躰は筋力がくっきりと窺え、引き締まっている。
楓ケ丘(かえでがおか)高校時代、サッカー部のゴールキーパーだった健朗は、主力選手として夏のインターハイでも冬の国立でも大会優勝という経験がある。小学生の頃からサッカーチームに所属していて、サッカーをやるために入ったというくらい楓ケ丘は高校サッカーの名門校だ。相応の厳しい練習があってそれに耐えられたくらいだから、体力的には鍛えられている。
ただし、健朗も今年は二十九歳になるから十年以上もまえの話だ。それでも維持できているのは、結礼と健朗はそもそも躰のつくりが違うのかもしれない。もとい、男と女という時点で違う。
ライヴは体力を使うというし、だから昨夜あったライヴの疲労によって健朗は結礼が起こすまで熟睡していたのだろうが、それでも、疲れているからスキンシップで解消すると訳のわからない理屈で襲ってくるあたり、体力の差は歴然だ。
健朗は床に落ちたガウンを拾って羽織ると、横目で結礼を見下ろす。にたりと口角が上がり、結礼は身構えた。
「昨日のじゃ足りないみたいだな」
明らかに結礼に見られているとわかっていた発言だ。
「ち、違います」
昨夜は最初に独りだけ果てに送られて、二回めはほぼ同時にたどり着いて、それから一緒に心地よく眠りについた。普段は健朗が果てるまでに力尽きるほど独り快楽を得ていることが多い。それに比べて昨夜が足りないと云うには少し違う。
一緒にいられて、抱きしめ合えているならそれ以上の至福はない。足りないのではなくて、不可能だといういつも不安みたいなものが付き纏っているだけだ。健朗が立つゴールの前には越えられない壁がそびえて、結礼はシュートすることさえできない。
「腹減ってるだろうし、食べさせてやろうか」
健朗は躰を折ってぐっと顔を近づけてきた。
何を食べさせてやる気か、会話の流れからすれば自ずと特定できる。嫌いじゃないけれど、なぜかそうしているのを見られていることが恥ずかしい。反対に、結礼が食べられているときも結礼のほうが恥ずかしいというのは、どちらが優位か、という関係性が生じさせるのか。
「い、いまはだめです! チェックアウトしなくちゃいけませんし……」
健朗は目を細めてじっと結礼を見つめ、それからふっと小馬鹿にした様子で笑う。
「万全な抜け道、思いついたな」
躰を起こした健朗はパウダールームに向かった。
「どこか行きたいとこあるなら連れてく」
背中越しの声はもしかしたら聞き間違いか。
「え?」
と、間の抜けた一語で問うと、健朗は立ち止まってゆっくり振り向いた。
「こっち来るまえ、旅行サイト見てただろ」
「……海を見ながら一周ドライブできる島があって、気持ちよさそうだなって思って見てただけです。福岡、はじめてだし……」
「じゃ、レンタカーだな」
「え、でも、疲れて……」
「二晩続けてライヴやることもある。今回は一晩だし……。それともおまえ、おれを年寄り扱いする気か?」
健朗はさえぎり、年寄りの風格ではなく、独裁の王様のような横柄さで首をひねった。
「そうじゃありません。あまり時間がないし、帰るのにばたばたするからって思ってしまいました。明日も仕事ですよね? みんなと……」
「行きたくないのか」
さえぎった声は、しかめ面と同等の気に喰わない口調だ。
「そんなことありません。……行きたいです!」
健朗からじろりと睨まれて、結礼は素直な希望を明確に云い直した。
「フロントに電話してオープンカーのレンタルを頼んでくれ。一時間後だ」
「はい」
うなずくのと一緒に返事をした。満面で笑っているかもしれない。健朗は顔をしかめた跡見をひるがえしてパウダールームに消えた。
いままでライヴに同行したときは、大抵がライヴを見て、食事を兼ねた打ち上げをして、ホテルにこもっていた。出かけるとしてもお土産を買うついでで、近くに観光地があれば立ち寄るという程度で終わる。
東京でも、どこかに出かけるということはあまりない。買い物か食事くらいだ。健朗がFATEのKENROだとばれる確率が大きいこともあるだろうし、それ以前に、ふたりは一緒に出かける関係ではない気もする。
結礼はフロントと話しながら、考えこんだものの、これが初デートになろうが、最初で最後のデートになろうが、健朗が結礼を気にかけていることを教えられた。でなければ、結礼が黙々と旅行サイトを見ていたことを知るわけがない。知っていても、連れていくなどと云いださない。
ちょうどフロントと話が付いて受話器を置いたところへ健朗が戻ってきた。
「予約、取れたのか」
「はい、大丈夫でした」
着替えをベッドに放り、健朗はガウンの紐をほどきながら結礼を見やる。
「社会人になっても鬱陶しいな」
全開に綻んだ結礼の顔を見て呆れたようにつぶやく。つれなくても、けっして情の無い健朗ではない。結礼に対しては素を隠さないぶんだけ特別だと云われている気もする。
「健朗さま、ありがとうございます」
ほぼ無自覚に発した言葉は――
「やっぱ、足りなかったんだな」
と、健朗のやる気を引きだした。