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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第1章 ヒーローは紳士に非ず
2.ヒーロー誕生秘話 #3
まもなく、クリスマスは特別な人とすごしたいだろうから、と揶揄した言葉を加えて唯子から散会が宣言された。
スタッフが持ったゴミ袋に紙皿を捨てるなど、ちょっとした片づけを手伝っていると――
「結礼ちゃん、英会話教室のスピーチ、準備できてる?」
日高鈴亜(ひだかれあ)が同じように紙コップをゴミ袋の中に捨てながら訊ねた。
「まだ。あと三週間あるからなんとかなるとは思うけど……鈴亜ちゃんは?」
「まだ無理。二分て意外に長いんだって知った感じ」
「うん、わかる。頭で英文を組み立てるうちはまだまだってことだし、あと半年しかないし、間に合うかな……」
「ふたりとも基本はできてるわけだし、現地に行けばなんとかなる。熱心なのはいいけど、生真面目すぎるなよ」
結礼と鈴亜の会話に入ってきたのは日高良哉だ。
良哉はたまにライヴ参加するくらいで露出度は少ないものの、作曲プロデューサーとしてFATEのメンバーに名を連ねる。本業は高校教師という、異色の人だ。バンド結成時からキーボードを担当したメンバーでありながら表に立つことを拒み、良哉に云わせれば、ギタリストが見つかるまでの代用でいたらしい。
健朗が見つかったあとも、結局はFATEから完全に抜けることはなく、健朗にとってはその役柄上、メンバーのなかではいちばんの相談相手になっている。
「なんとかなるくらいでは、健朗さんに迷惑かけます。一人で行動できるくらいにならないと……ちゃんとバンドに専念してほしいんです」
良哉は口を歪めて笑う。
「健朗は恵まれすぎだな」
「良哉はそうじゃないの?」
すかさず鈴亜が口を挟んだ。試すような眼差しが良哉を見上げている。良哉は降参だという素振りで両手を軽く肩まで上げた。
「おれと比べて云ったわけじゃない。世間一般から見てって話だ」
つまり、自分も恵まれていると弁解したのだろう。
鈴亜は良哉を見上げて、言葉にはせず、やはり挑発的な笑みを浮かべた。鈴亜は良哉の元生徒で、高校卒業後に結婚しているわけだが、良哉とは八つも離れているのにふたりは至って対等だ。
一方で、結礼は鈴亜より一つ年上であり、健朗との年の差も六つと縮まったところで、ふたりは対等な関係からかけ離れている。
ふと、いまになって結礼は唯子が結婚するのかと訊いてきた理由が思い当たった。
良哉たちは、鈴亜の卒業後すぐに結婚していて、だから結礼と健朗も結礼の卒業をきっかけにそうするかもしれないと考え至ったのだ。
「帰りますよ」
健朗の声が近くに聞こえたものの、良哉に声をかけたのだろうと思いって結礼はあと少し残った片づけを続ける。
「結礼」
ため息混じりで名を呼ばれる。結礼はパッと振り向いた。
「はい!」
さらに呆れたため息が降りかかる。かろうじて、健朗の表情は柔和だ。
「反応がオーバー、なお且つヘンですよ」
「気をつけます」
「そうしてください」
ふたりの会話を聞いていた良哉が揶揄した面持ちで笑った。
「おまえら、変わってるよな。何年たっても敬語で話してるカップルってほかに知らないな」
「僕たちの勝手ですよ。迷惑はかけていないはずだし、ほっといてください」
健朗は云いながら、手に持った結礼のコートを広げた。畏れ多いしぐさだが、逆らうのはもっと畏れ多い。結礼は袖に腕を通してコートを着ると、バッグを手渡された。
「結礼ちゃん、さっきの、できたら聞いてほしいんだけど、そのときは電話していい?」
「うん、わたしのほうもね」
鈴亜たちと別れたあとは、ほかのメンバーやスタッフに声をかけてから楽屋をあとにした。
外に出ると、天気予報どおり雪がちらついてクリスマスらしいが、結礼は冷えきった空気に身を縮めた。出口のすぐそこに、呼びつけていた貴刀家御用達のハイヤーが止まっていて、結礼はさきに乗せられた。車内の暖まった空気にほっと肩の力が抜ける。健朗が乗りこむと、行き先を告げるまでもなく発車した。
「聞いてほしいって鈴亜ちゃん、何かあったのか」
気にかけた声だ。こんなふうに、メンバーのみならず、その奥さんのことまで気にかけるファミリー感はFATE特有じゃないかと思う。みんながみんな、FATEを愛している。そんな雰囲気がある。
結礼もまたそのファミリーの一人だが、特に健朗にとっては恋人をスルーして、家族にすぎないのではないかと感じる。ただのメイドなら、唯子が云うとおりにFATEという場所に連れていくはずがないし、かといって、良哉が変わっていると云ったように、けっして恋人でもない。
「あ、それは英会話教室のスピーチの話です。練習相手になります」
「おまえ、大学行ってるんだから鈴亜ちゃんよりできなかったら最悪だな」
結礼が気にしているところを健朗はずばりとつついてくる。鈴亜は青南の短大出で、普通に考えるなら、結礼のほうができなくては面目が立たない。とはいえ、結礼にプライドはないといっていいくらい、こだわりがない。
そもそもが鈴亜が英会話教室に通うと知って、わたしも、と結礼は乗っかったほうだ。来年の夏、FATEは海外ツアーを予定しているのだが、良哉が一部ライヴに参加するのに合わせて鈴亜も同行するらしい。
国内ツアーでは旅行がてら結礼もたまに同行することがある。万が一、健朗がついて来いと云った場合に備えて準備しているというわけだ。健朗も結礼の意は察しているはずで、無駄だとは云わないから、半分くらいは同行する気でいるのだろうと思う。
「でも、鈴亜ちゃんはもともと頭がいいです」
「おまえと違って?」
意地悪にも健朗はわざわざ付け加えた。
「わかってます」
結礼が応じると健朗は薄く笑った。「大学に入ったときは健朗さまがいてくれて助かりました」と続けながら、結礼は三年前のことを思い巡らせた。
結礼が大学入学した年にFATEは二年間の活動休止に入った。それを機に、健朗は卒業まで二年を残して休学していた青南大学に復帰した。一緒に大学生活を送れるとは思ってもいなくて、結礼は一緒にキャンパスを歩きながら一人感動していたものだ。
「健朗さまがFATEにいてよかったです。そうじゃなかったら……」
云いながら隣を何気なく見ると、ともすれば殺気立ったような気配に合う。結礼の声はだんだんと小さくなり、曖昧に途切れる。「健朗さま?」と問いかけたとたん、健朗の目が狭まり、同時にその理由に思い至る。
「け、?健朗さん?でした!」
「手遅れだな」
険悪につぶやいて、健朗は躰を起こして顔を近づけてくる。結礼は目を丸くして無意識に顔を引いた。それでも近づいてきて、今度は強く目をつむる。
すると、振動音が聞こえた。
目を開けると、健朗は離れていきながら、コートのポケットからスマホを取りだしていた。電話のようで、画面を確認して指でタッチすると耳に当てた。
「はい、健朗です。……ええ、べつに僕に合わせる必要はありませんよ。さと美さんの都合でやってください。……いいですよ、わかりました。ではまた」
一方的な返答は当然ながら、なんのことだかさっぱりわからない。表情を宿すことなく応対していた健朗は電話を切ると吐息を漏らした。
「さと美さんてだれですか?」
「おまえ、新曲のPV見てないのか」
しかめっ面と連動した声が呆れて響く。
結礼は「見ました」と答えながら、さと美がだれか、その答えを見つけだした。
「あ、女優さん! 永倉(えいくら)さと美さんですか? 仲いいんですか?」
「付き合いだ」
健朗はひと言であしらう。「それよりもおまえ」と続けた健朗は口を歪めて結礼を脅(おびや)かした。
スイッチが入るも電話で気が逸れたかと思っていたのに、健朗が忘れるわけはなかった。
「覚悟しとけよ」
脅し文句を放ち、帰った直後、否応なしに大人のスキンシップが強行された。
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