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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第1章 ヒーローは紳士に非ず
2.ヒーロー誕生秘話 #1
おれのものだ――と、その言葉の真意がなんだったのか。
隣にという以上に、抱き枕になれ、と云って背中からぴたりと躰をくっつけてすごした、はじめての一夜。結礼はよく眠れないまま、いつの間にか眠っていた。その結果。
『おい、起きろ。メイドのくせに、主人(マスター)より起きるのが遅いってあり得ないな』
と、思いやりの欠片もなくふとんが剥ぎとられた。
健朗はといえば、育ちのいい坊ちゃまらしくきちんとした身形(みなり)で、結礼は相当に恥ずかしくばつの悪い思いをした。
以下はこうだ。
『冷えたメシを食う気ないからな、さっさと料理あっためてくれ』
『掃除したいんだけど疲れてんだよ。おまえ、ぬくぬくと泊まらせてもらっんだから、もちろんやるよな』
その二つはともかくとして。
『シーツの洗濯、忘れるなよ』
という、確かに赤い染みは結礼のものだが、デリカシーのない発言には恋心(ロマンス)の欠片もなかった。
結礼が孤軍奮闘してやっている間、ソファに座って眺めていた健朗は、あれこれと難癖を付けては指図をするという具合だ。終わってしまえば――
『昼メシつくれよ』
と、結礼のメイド力を健朗はどう評価しているのか。
料理は得意じゃないどころかできないのだと云えないまま、おそるおそる冷蔵庫を覗いて材料が何もなかったときはほっとした。すぐさま買いだしに行くよう命令が下るかと思うと不安になったが、健朗はそこまでは云わなかった。
メイド力についてもっと云えば、貴刀家が子供を働かせるわけはなく、夏休みなど長期休みのときに学校の課題として親の手伝いをするくらいで、結礼はまるっきりそのへんの女子高生と変わらない。
昼食を外で取るついでに車で貴刀家に送ってくれたのだが、車中、一泊したクリスマスの締め括りというべき命令が下った。
『週に一度はちゃんと掃除に来いよ。手始めに二十九日だ』
その日からちょうど五年、健朗がツアーで不在のときも最低一週間に一回というペースで、結礼は健朗の住み処に通った。
あのときの『おれのものだ』という言葉は、きっとメイドとして専属になれという意味だったのだ。
幻滅したかといえばそうでもない。そもそもが恋心については互いに対象外の相手であり、いくら世間知らずの結礼でも身の程はわきまえていて、実るとも思ったことがなければ期待していたわけでもなかった。
大人のスキンシップが漏れなく付随するのは、メイドという仕事にしては行きすぎだというのはわかっている。ただ、そのときだけは結礼が奉仕されて、特別になった気分でうれしくさせられる。そんな時間があるだけで、自分の気持ちが報われるのだ。
「結礼ちゃん」
飲み食いしたあと空になった容器を片づけていると、背後からぽんと肩を叩かれた。振り向くと、水納唯子(みずなゆいこ)が傍に来ていた。
「あ、何か足りないものありますか?」
室内をさっと見渡して問うと、唯子は呆れること半分、からかうように結礼を見て笑った。
健朗より一つ年上の唯子はFATEが所属する斉木(さいき)事務所に勤めていて、なお且つFATEのマネージャーだ。二十九歳という年齢にふさわしく、広い意味で身のこなしが様になっている。陰の仕事というのがもったいないほどの美人であり、気さくで頼れる人だ。
青南大学で始まったFATEだが、そのインディーズ時代も唯子はマネージャーとして活動をともにしていた。プロになってからはやり手のマネージャーがついていたが、その二年間のブランクを経て唯子が返り咲いた。
そうなるまでに何やら揉め事があったようだが、健朗はすぎたことだと訊ねても教えてくれない。たぶん、いちいち説明するのが面倒だというのが本音だろう。
「結礼ちゃんてほんとにメイド体質が染みついてるわね。スタッフが動くから結礼ちゃんはお客さんしてて。健朗に叱られるのはわたしよ」
「え……叱られるって……」
結礼のびっくり眼を見て、唯子はおかしそうに吹いた。
「やっぱり気づいてないか。健朗に対して結礼ちゃんがどこまでメイド業やってるのか知らないけど、自分に尽くすのはよくってもほかの人にはダメみたいよ。叱られるって云っても、あのとおりイイ子ちゃんだから怖いことないんだけど」
いまの『イイ子ちゃん』という云い方からすると、メンバーたちの間では健朗のイイ子ちゃんぶりが見抜かれているのだろう。
今日はスカーラホールで夕刻のクリスマスライヴがあり、その後の楽屋での打ち上げもそろそろお開きになる頃だ。健朗はFATE専属の作曲家、兼ピアニストの日高良哉とスタッフと話しこんでいるが、その表情には結礼には見せないやわらかさがある。
健朗とてイイ子じゃない部分を隠しているわけではなくて、結礼がメイド体質であるように、健朗はお坊ちゃま体質だということに尽きる。
「知りませんでした」
「あら、健朗の独占欲ぶりを喜ぶかと思ったのに……結礼ちゃんてふんわりして見えるけど意外に冷静に見てるよね」
「健朗さ……健朗さんは健朗さんです」
健朗さま≠ニいう呼び方は禁句だと云われてきて五年、いまだに癖は抜けきれず、結礼は云い直した。
唯子が結礼にまじまじと見入る。
「健朗も貴重なものを手に入れてるわね。わかってるから怒るんだろうけど」
「……え?」
「こっちの話。話が逸れちゃったけど、ついでにこっちの話≠してしまえば、今後のことを訊きたいのよね」
「今後のことってなんですか?」
「結礼ちゃん、今度、大学卒業でしょ。卒業したらやっぱり貴刀家のお仕事するの?」
唯子は首をかしげた。
結礼もまた、唯子と自分の今後がどう関係してくるのかわからなくて、無意識に首がかしいだ。
「あ、そうなります」
「そうなのね」
なんだ、とがっかりした意を含んでいそうな唯子の生返事だ。
「……唯子さん、何かあるんですか?」
「就活してるわけでもなさそうだし、健朗に訊いても知らないって云うし、もしかしたらいよいよかって思ったの」
「……いよいよ、って?」
「健朗はFATEの最後の独身者(バチェラー)よ。結婚するなら、それなりの対応しなくちゃいけないでしょ。だからどうなのかと思って」
「結婚? 健朗さまが?」
寝耳に水だ。結礼は混乱したまま、唯子が発した単語を繰り返した。
「結礼ちゃん、落ち着いて。勘違いしてるでしょ。わたしが云う健朗の結婚相手≠ヘ結礼ちゃんだから。自分のことって思わないのが不思議だわ」
それは自分がそうなるなどあり得ないことだからだ。結礼はひとまずほっとしたものの、ほっとしてもしかたがない。いつか、わかっていながら心からショックを受ける日が来るだろう。
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