NEXTBACKDOOR|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜

第1章 ヒーローは紳士に非ず

1.獣に変身   #3

「あの、健朗さまにクリスマスのお食事をと思って……」
 云っているうちに健朗はわずかに顔をしかめた。
 エントランスのドアを解除したのは、料理だけ置いて帰れという意味にすぎなかったのか、結礼は首をかしげて、「入ってもいいですか」とためらいがちに訊ねた。
 ますます不機嫌そうになった健朗だったが。
「勝手にしろ」
「はい!」
 結礼は張りきることでもないのに勇んでブーツを脱いだ。

 玄関からほぼまっすぐ正面に二つ並んだドアが見えるが、健朗はその部屋ではなく右に折れて突き当たりのLDKの部屋に入っていく。
 結礼がここに来たのは引っ越しの手伝いをしたとき以来のことだ。手伝いというのは名ばかりで、その実、健朗の住み処を見にきたにすぎなかった。
 もともと、健朗が家にいることは少なかった。在宅していても、習い事だったり部屋にこもっていたりで、ましてや結礼はまだ子供だったから貴刀の家に入ることも少なく、めったに会うことができなかった。
 それでも、姫良に打ち明けたとおり、すぐそこに行けば会えるという距離と、いまの状況はまったく気分が違う。
 貴刀家であれば、何かと別のところに理由をつけて顔を見にいけるのに、ここに来るには健朗に限定してれっきとした理由がなければならない。健朗には結礼を受け入れる義理も謂(いわ)れもないのだ。
 むしろ、結礼は嫌われているのだと感じる。結礼が知っているかぎり、健朗は品行方正、言葉遣いはだれに対しても丁寧語だ。露骨にぶっきらぼうなのは結礼の前でだけだ。徹底的に邪険にするわけではなく、いまのように仕方なくながらも受け入れるときもある。それだけで充分だ。

 健朗についてリビングに入ると、何もないと云っていいほど整然としていた。
 テレビは床に置かれ、家具はダイニングテーブルと、ローソファのセットという必要最低限しかない。唯一、個性が表れているのは、男一人の住み処にはあまり見かけないだろう、アップライトピアノとステージピアノがあるところだ。それがあっても一人で住むには広すぎるから、よけいに殺風景に感じる。おまけに静かだ。
 テレビもついていなくて、音楽が流れるわけでもない。健朗は何をしていたのだろう。

 結礼はコートを脱いでから、ソファ付きのテーブルに料理を広げていく。すると、健朗の気を逸らすものがほかになく、必然的に結礼に神経が集まっているんじゃないかと気づいた。自意識過剰ですめばいいけれど、結礼はどうにも無視できない。
 ただ並べるだけのことに手際よくとはいかず、けっしてよくない結礼の評価がまた下がりそうな気配だ。
「おまえ、おれがいなかったらこれどうしたんだ?」
 出し抜けに健朗が云い、ただでさえ落ち着きなくそわそわしていた結礼は驚いたあまり、一瞬、思考停止に陥り、それから意味を考えこむ。
「えっと……姫良お姉ちゃんからいるって聞きました。お料理は姫良お姉ちゃんから届けてほしいって……」
 云っている間に健朗は眉をひそめた。

 姫良の名を口にしたり、姫良と一緒にいたりすると、健朗は気に喰わなさそうな面持ちになる。その理由はなんとなくわかっている。
 今日の昼間のように、子供を連れて遊びにくるくらい、姫良は気安く貴刀家を訪れるが、以前はなかなか寄りつくことがなかった。義母となった早苗とうまくいかなかったせいだと聞いたのは、結礼が中学生を卒業する頃だ。
 ずっと子供の頃は、姫良が来るたびに結礼はうれしくて遊んでもらった憶えがある。結礼と名付けたのが姫良であったから、親しみ以上に本当の姉のように身近に感じていた。
 けれど、それは結礼の特権ではなく、異母弟という健朗は結礼以上に姉を慕う権利がある。結礼が独り占めしているように見えたかもしれない。
 姫良はだれにでも好かれる。一時はすれ違っていた早苗もそうだ。いつまでも結婚しそうにない哲もそうだし、健朗が姫良を大好きだというのは、子供でも見ていればわかった。

「外食ばかりじゃ躰に悪いから、たまには家庭料理がいいんじゃないかって……聞いてませんでしたか?」と云いながら結礼は思いだした。
「あ、そういえば姫良お姉ちゃんから預かり物が……」
 結礼は脇に置いたバッグを開けて、なかから封筒を取りだした。
 健朗に差しだすとさっそく封を開けて、クリスマスカードを眺めている。光沢のあるクリスマスツリーは照明に当たってきらきらと輝いている。
 結礼はカードを裏返しにした健朗を見守った。

 姫良からのメッセージは何が書いてあるのか、うれしそうな気配はなく、逆に怪訝そうになっていく。
 そして、唐突に顔を上げると、健朗はまっすぐ結礼を見つめてきた。
 二重だがぱっちりではなく、やさしくも鋭くもなる瞳は結礼の瞳から逸れると、顔を縁取るくせっ毛をさまよい、肩先まで伸びた黒い髪に移る。それから赤いワンピースにおりていった。

「おまえ……」
 健朗の視線に釣られて目を伏せていた結礼は、顔を上げて首をかしげる。
「おれが好きなのか?」
 パニックに陥るまでのわずか、言葉がまるで理解できなかった。それが英語で云われたとしても、普通レベルの高校生なら簡単に把握できる程度の言葉だ。
 頬がかっと火照る。
「結礼、こっち来て」
 結礼はびっくり眼で健朗を見つめた。答えないですんだことにほっとする余裕はなく、結礼の動揺は『結礼』と呼ばれたことで最大値に達する。
 健朗が名を呼んだのは、記憶にあるかぎりはじめてのことだった。
 それは催眠術にかける合言葉であるかのように、結礼は無意識に立ちあがるとテーブルをまわった。訳がわからず健朗を見下ろして立ち尽くす。
 健朗のくちびるがにやりと歪む。
 健朗の手が胸もとに伸びてくると、ファスナートップが摘ままれてスライダーがおりていく。
「もらったプレゼントは開けないと失礼だよな」
 健朗はまたもや意味のわからない言葉を吐いた。

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