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|オトナのスイッチ〜デュアルヒーローvs.専属メイドのスキンシップ〜
第1章 ヒーローは紳士に非ず
1.獣に変身 #2
*
姫良から連絡が入ったのは、すっかり夜になってしまった八時だった。健朗は九時頃には帰るだろうと云う。
「結礼、健朗さまに失礼のないように。わかってるわね?」
「わかってる」
母、温子(あつこ)の忠告に結礼はこっくりとうなずいた。
「失礼っていうより、粗相をしないようにって云うべきだな。おれ、ついてってもいいけど」
「いいよ。届けるだけなんだから」
大智は厭味や意地悪で云っているのではない。頼りない姉を持った弟はやけにしっかりして、おまけに姉に関するかぎり心配性だ。
「夜道だ、気をつけるんだぞ。帰りは……」
「帰りはタクシーだよね。わかってる」
祖父、泰生(やすお)の言葉を先回りして云うと、結礼は麻美子に向き直った。
「じゃあ、おばあちゃん、あったかいうちに届けてくるね」
「久しぶりだから健朗坊ちゃまの口に合うか心配だけど、頼むわね」
「健朗さまは喜ぶに決まってる」
結礼は断言すると夏生家を出て、貴刀家の広大な敷地内を門扉のほうへと向かった。
夏生家は代々貴刀家に仕えていて、戦後の苦境も陰になりながら共に寄り添っていた。密接な信頼関係があり、それを裏付けるように夏生家は貴刀家の敷地内にある。同じ建物内に住んでもいいんじゃないかというほど貴刀の邸宅は大きいが、それでは家族間の会話でも気を遣うだろうと別に設けられている。
そんな配慮を惜しみなくできる主だからこそ、さっきの会話に表れているように夏生家は何を置いても貴刀家なのだ。
邸宅の正面エントランスまで来ると、チャコールグレーの車がちょうど入ってきた。外灯に照らされて、満遍(まんべん)なく塗装されたメタリックがきらきらと反射している。
エントランスから出てきた父、智也が目に入ったのと同時に車は止まり、運転席のドアが開いた。結礼が来たことにいち早く気づいたらしく、ドライバーは後ろを振り向いた。
「哲ちゃん!」
「よお」
すっかりスーツ姿が板についた哲(てつ)こと織志維哲(おりしいさと)は、姫良の長年の友人であり、姫良の夫、紘斗の仕事上のパートナー兼友人だ。紘斗は貴刀グループの後継者として期待されていて、つまり、哲と貴刀家は親しい間柄だ。
哲とはじめて会ったのは、姫良と紘斗がここで内々の結婚式を挙げた七年前のことだ。顔立ちはいいのにどことなく強面で、けれど軽く顎をしゃくるしぐさはざっくばらんで、気取らない挨拶はまったく変わらない。
「わざわざすまないね」
智也が哲に呼びかける。
「いいえ、ちょうど仕事帰りです。こんな時間だ、姫良には依頼した責任があります。おれに頼むのがいちばん安全だって知ってますから」
「そこは私も信用してるよ。愛車をぶっ壊したくはないだろうからね」
智也が揶揄すると、哲は可笑しそうに笑い声を立てた。
哲が二十歳前に中古で買ったというセルシオは、乗り続けて十三年、前の持ち主とトータルすれば二十年は動いている。改造されたり修復を重ねたり、そこまでするほど哲にとっての愛車だ。
うっかりバッグをぶつけて車体に傷をつけるのも怖く、乗るとき結礼はいつも緊張する。智也が開けてくれた後部座席のドアからおそるおそる荷物を載せた。哲がそんな結礼の様子を見て忍び笑うのもいつものことだ。
助手席に乗ると、迷惑をかけるんじゃないぞ、という智也の決まり文句に送られて貴刀家をあとにした。
「なんか、すげぇクリスマスカラーだな」
少し乱暴な言葉遣いをして、ちらりと助手席を見た哲は噴きだしそうな様子だ。
グリーンのダッフルコートに中身は赤いミニ丈ワンピースという、結礼の服装は、確かに目がチカチカしそうな配色だった。ワンピースは前面がジップアップになっていて、ちょっと大人びた可愛い感じが気に入っている。
「ワンピースは姫良お姉ちゃんからのクリスマスプレゼント。今日、一緒に選びました。大人っぽいのを着たい年だよねって姫良お姉ちゃんは云ってたけど……やっぱり似合いませんか?」
「いんや。一線、超えやすいんじゃないかって思っただけだ」
「一線て?」
「こっちの話だ。それで、肝心の健朗は元気なのか? ……って、テレビで見るかぎりじゃあ元気そうだけど、あいつ、自分で自分の首を絞めてるよな」
結礼の疑問の解決をしようという気はないらしく、哲はさっさと話題を変えた。
「わたしもテレビでしか見てないから……」
「んじゃあ、会うの半年ぶりってことか?」
ちょうど赤信号で車は止まり、結礼を見やった哲は眉を跳ねあげて驚いた顔をしている。
「うん」
二年半前、大学生だった健朗は休学して、バンド“FATE”のギタリスト兼キーボーディストとしてプロデビューした。活動も安定して健朗が独立するべく家を出たのは半年前だ。
「そりゃあ……いい刺激剤だな」
「……哲ちゃん、さっきから云ってることがわかりません」
「十七歳じゃあ、わかんねぇだろうな。健朗がどう出るか、楽しみだ」
結礼が十七歳であることと、刺激剤と、半年ぶりに会うことがどう繋がって、どう健朗に影響を及ぼすのか見当もつかない。車内は、哲が独りでにやにやしていて、外のイルミネーションと相まってクリスマスっぽく浮かれた雰囲気が漂う。
「哲ちゃん、健朗さまが自分で自分の首を絞めるってどういうこと?」
「ただでさえ、いいとこの坊ちゃんらしくしてたのにさ、ますますその殻から抜けだせないとこに自分を置いてるからさ。戒斗から聞いた話じゃ、バンド仲間の間でも“坊ちゃん”してるらしいぜ」
不思議な縁だが、FATEのリーダーである戒斗と哲は知り合いらしい。いまだにぴんと来ない関係だ。
結礼は哲を覗きこむ。
「もしかして……健朗さまのこと知ってるんですか?」
「おれだけじゃない。姫良は知ってるし、紘斗も気づいてる。健朗が猫被ってるってことならな。おもしろい奴だ」
親しいほど健朗の本質に気づくのかもしれないが、哲の発言は健朗のことを思うといただけない感想だ。
「おもしろくないですよ。健朗さまはきっとたいへんなんです。父が云ってました。親に立場があると、子供も振る舞いに気をつけなくちゃいけないって。お金があると不自由なさそうだけど、自由でもないんですね」
「確かに」
にやついたままだが、哲は理解しているふうにうなずいた。
やがて、健朗が住むマンションのまえに車は止まった。ちゃんと健朗がいることを確かめないと帰れないと云って、哲はエントランスまでついてきた。
結礼は姫良の依頼を引き受けて以降、健朗と半年ぶりに会うことにどきどきしていた。哲と話している間、おさまっていた緊張が一気に押し寄せてくる。セキュリティボードの前に立って、深呼吸をした。哲がいなかったら引き返したかもしれないとも思う。
結礼はかすかにふるう指先で部屋番号を押した。
『……はい』
健朗の返事は一瞬、間が空いたように感じた。声は確かに健朗のものだ。
「健朗さま、結礼です」
云ってみたものの、結礼の声は小さすぎて聞こえなかったのか、うんともすんとも返事が来ない。
「あの……憶えてませんか? 夏生家の……」
ためらいがちに云ってみると、反応したのは背後で吹きだした哲だ。
『記憶力は明らかにおまえよりもおれが上だ』
いつもの素っ気ない云い方にほっとするのは、結礼の感覚がおかしいのだろうか。
「あの! 部屋に伺ってもいいですか。お料理持ってきました」
へんな自信が出て、結礼は押しきってみた。
ため息が聞こえたかと思うと。
『キー、解除した』
返事のあとはぷつりと通話は途絶えた。
「大丈夫でした」
哲に向き直るとからかった面持ちに合う。
「やっぱ、おもしれぇ。立ち会ってみたいが、邪魔者は消えるとするか」
「哲ちゃん、クリスマスはだれかとすごすの?」
「姫良と紘斗んとこだ。邪魔だろうって思うけどな、あいつらはトナカイが必要らしい。結礼、おまえもめげずにがんばれよ。じゃあな」
サンタじゃなくてなぜトナカイなのか、結礼は何をがんばるべきなのか、哲はやはりちんぷんかんぷんな言葉を残して帰っていった。
哲から受けとったバスケットを持ち直すと、さらにマンションのなかに入ってエレベーターに乗った。十五階まであっという間に上昇してしまう。
健朗の部屋の前に立つと、会いたい気持ちと引き返したい気持ちがせめぎ合う。引き返したいという気持ちも、結局は会いたい気持ちの裏返しにすぎない。
もう来ていることは伝わっているのだから逃れようがないのだ。
結礼はそう自分に云い聞かせた。
ドアチャイムを鳴らそうと手を伸ばしかけたとき、なかから不意打ちでドアが開けられた。
びっくりした結礼と違い、健朗は至って冷静そうに――もしくは怪訝そうに結礼をひととおり眺めると顔をしかめた。
「なんだよ」
云い方はぶっきらぼうでも、結礼の頬が緩んでしまう。
さっき、素っ気なさに安心したのではなかった。半年前と少しも変わらない健朗の態度がこのうえなくうれしかった。
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(C)純愛ジュール