Sugarcoat-シュガーコート- #158
Finale Bound It -latter-
蘇我邸を出たあとはそろって有吏館に戻った。誰もが昼食のお預けを食っていて、ヘルパーの鳥井と町田が作ってくれていたおにぎりで軽く空腹を満たした。
その後、主宰たちはまた会議に入った。結局は、今回の集結は今後についての議題に変わり、明日は平日というのに主宰たちは表の仕事そっちのけで今日も泊まりだという。
その会合の間、叶多は千里をはじめとした夫人たち、それに従姉妹たちと、“大丈夫”というやり取りを嫌というほど繰り返した。
頼、そして電話をした陽には散々叱られ……いや、罵倒され、ユナには大泣きされた。ユナが泣くことなんてめったになく、叶多は本当に後悔した。
てんでバラバラの髪は美咲によって修復された。ただし、散髪の出来は応急処置並みだ。耳下までという初ショートの自分を鏡で見た感想としては、一段と幼い、だ。どうみてもボブじゃなくおかっぱに見える。エレガントに、なんて少し期待しただけにがっかりした。
有吏館を出たのは五時。向かったのは那桜が入院している篤生会病院だ。
那桜は以前、深智が使っていたのと同じ部屋にいた。
一緒に来た拓斗が真っ先にベッドに向かう。那桜の額に手を当てたあと、起きあがろうとするのを手伝った。
「いいか?」
「退屈、かも」
拓斗を見上げた那桜は文句云いたげで、叶多が想像していたよりずっと普通に元気に見えた。
「叶多ちゃん、こっちいらっしゃい」
詩乃が物云いたげにしながら、入り口に突っ立った叶多を手招いた。
ベッドの上に座り直した那桜が叶多を向く。やっぱり目を丸くした。
「叶多ちゃん、髪切ったの?」
「あー……えっと」
「美咲の練習台になったらしい」
本当のことを打ち明けていいものか、叶多が戸惑っているうちに戒斗がかわって答えた。
「美咲ちゃん? 美容師になるの?」
戒斗は肩をすくめて問いをかわした。那桜はびっくり眼から可笑しそうな様に変わった。
「叶多ちゃんが失恋するわけないし。というより、戒兄が機嫌悪そう。叶多ちゃんの長い髪、お気に入りだったもんね」
那桜の勝手な解釈に救われ、叶多は安堵しつつ、それが本当だったらまた頑張って伸ばそうと思った。
「那桜ちゃんは……大丈夫?」
ためらいながら叶多が訊ねると、那桜は笑う。
「たぶん、ね」
返事も曖昧であれば、その笑い方も繕っているように見えなくもない。見た目はどこも悪くなさそうでも、療養というくらいだから精神的につらいのはたしかだ。
訊いたことを後悔した。叶多の場合、深智のときも今日も独りではなかった。そこに誰かいること、いないこと、その差はものすごく大きいはずだった。
よかったとも云えなくて、叶多はただうなずいた――と、そのとき。
「大丈夫だ」
那桜のかわりに断言したのは拓斗だった。那桜は拓斗を見上げて笑う。さっきとは違う、うれしいというよりは心底から安心したような笑い方だ。
「わたしと拓兄が帰ったら、しばらく大所帯だよね、お母さん」
「六人じゃ、大所帯って云うほどじゃないわ」
「でも賑やかになりそう」
「たまにはそうしてちょうだい」
詩乃は首をかしげてさりげなく強制した。
その後、那桜のところには長居することなく、詩乃を連れてお暇した。
病室を出たあと、いきなり診察室に連れていかれたときは驚いたものの、戒斗の気がすむならとおとなしく受けた。
叶多に付き添った詩乃は、事の次第を知っているらしく、無事でよかったわ、とため息を零した。加えて、美咲が切った髪に触れて、あとで私がそろえてあげるわ、と云いだす。
美咲といい詩乃といい、叶多の髪を物欲しげに――いや、手出ししたそうに弄られると、このふたりにもペット扱いされているんじゃないかと疑った。
すぐに終わった診察の結果、少しの打ち身はあるけれど異常はない。そんな診断が出たにもかかわらず、戒斗は安心したふうでも気にしたふうでもなかった。
* * * *
それから詩乃を有吏館に送っていき、叶多と戒斗が有吏家に帰ったのは六時を過ぎていた。隼斗と詩乃はそのままは有吏館に残るという。
結果、今夜はふたりきりでうれしいかもしれない。ううん、“かもしれない”は不要だ。
帰るなり叶多は浴室に行った。有吏家に入るとほっとして泣きそうになって、尚且つ、乱暴に扱われたことを思いだして気色悪くなったのだ。
頭を洗っていると、短い髪がポロポロと落ちた。悲しいのか怖さを思いだしたのか判別はつかないけれど――それよりは、やっぱり安心からだろう、涙が滲む。
戒斗が入ってきたときはびっくりして、一瞬後には条件反射でパッと目を逸らした。
浴槽は絶対に二人用だと思うくらい余裕があるのに、一緒にお風呂というのが意味ないくらい隅っこに逃げていると戒斗は可笑しそうに含み笑う。
そのすぐあと、無理やり引き寄せられて抱きしめられた。
泣いていい。
それはまるで呪文のようで、叶多の気を一気に緩ませた。
いろんなことがありすぎて、今日一日で何日分もすごした気がしている。思いだしたくないくらい気が張ることもあって、なんとなくそわそわと落ち着かなかった。
戒斗の呪文で思いっきり泣いたこと。そうできたことで日常に戻ったと実感した。
さきに浴室を出てリビングにいくとコーヒーを淹れた。その香りだけで叶多は幸せな気分になれる。
食器棚からコーヒーカップを取りだしてカウンターに置いたところで、戒斗が声をかけることもなく入口にいることに気づいた。足音がしないのはいつものことだけれど、叶多は目を丸くして見つめる。
「部屋に持ってきてくれ」
「二階に?」
「ああ」
その短い返事をするときはもう背中を向けていた。
なんとなく、戒斗の気分が浮き沈みしているんじゃないかと思えた。叶多がついさっきまで普通ではなかったように。
ともかく、二人分を用意して、零さないように気をつけながら階段を上り、左に折れて戒斗の部屋のドアを開けた。
「戒斗、持ってきたよ」
「ああ。机の上に置いてくれ」
コーヒーカップに集中したまま部屋の中に進み、トレイを机の上に置いた。声がしたベッドを振り向くと、けっして戒斗が“大丈夫”じゃないことを知らされた。
ベッドをつけた壁に背中をもたれ、投げだした脚がベッドからはみ出している。脚の上にある手は力尽きたような様だ。
その姿はあの日を思いだす。驚くよりは、今日何度目だろう、後悔した。
戒斗は見つめるだけで何も云わない。
叶多はベッドに這いあがって戒斗の手を退けながら脚の上に跨った。戒斗の腰に手を回して肩に頭を預ける。戒斗の腕は反応しない。それでも叶多は長くそのままでいた。
ゆるやかに動く船の上は心地いい。が、不意にそこから落ちそうになって躰がピクリと跳ね、叶多はパッと目を開けた。薄らと眠っていたようだ。
無意識に躰を起こそうとすると、だらりとしていた戒斗の手が叶多の腰に回った。直後、躰をひねるようにしてベッドに倒され、目も完全に覚めた。
「戒斗?」
「反省してるか」
据えた声が叶多の顔のすぐ真上で問いかける。
「してる」
即座に応えると、疑っているかのように戒斗が首をひねる。
悪いことをした。その気持ちはずっと消えない気がするくらい、心底から反省している。
「なら逃げるな」
「逃げるって? 戒斗から逃げるわけないよ」
そう宣言したとたん、
「念のためだ」
と、わけのわからないことをつぶやいた戒斗はベッドからおりた。
クローゼットを開けたかと思うと戻ってくる。その手にネクタイがあるのを見て、嫌な予感が走った。
「戒斗……何?」
おそるおそる訊ねてみても、戒斗は極々真剣な顔で、ニヤリともしない。
「カタルシスだ。どれだけ男に触らせた?」
「……不可抗力」
「いや」
いちおう弁解したけれど、たった一言で却下される。いかにも不穏で、叶多は戒斗だけ避けながら目を部屋中にさまよわせた。理不尽というよりも、償いたい気持ちのほうが大きい。
「……今日は……が、頑張る」
「そうするほうが叶多のためだ」
温情措置もなく、目一杯の脅しをこめて警告すると、戒斗は叶多のパジャマを脱がせ始めた。隠したくなるのをどうにか堪える。
裸になると右手を取られ、右足首が取られる。
「か、戒斗、だから逃げるつもりないんだけど」
「無駄口はいらない」
にべもなく一蹴された。
叶多は眉間にしわが寄るくらいしっかりと目を閉じて逆らわないことにした。
いつかのように右は右、左は左同士で手と足首、そして太腿までも括られた。腰の下に枕を潜らせられると、なるべく閉じようとしていた力も無効にされる。自分の格好は想像しなくても恥ずかしい。
耐えられず呻いた。その口がふさがれてまた呻く。ゆっくりと段階を踏んでという気持ちは更々ないようで舌が強引に割りこんだ。絡んで這いずって、吸いついて咬みつく。息もままならず、口端からはふたりの液が零れだした。
本当に息が詰まる。そんな怖さを覚えたとき、戒斗が叶多を解放した。
ふはっ――んっ、んあっ。
息が整わないうちに胸に手が触れて、同時に脚の間は喰いつかれた。二つの弱点を攻められて躰に衝撃が走る。舌がズルリと襞を這い、条件反射でピクリと腰が跳ねそうになるけれど、戒斗が顔を押しつけていてそうはならなかった。そのぶん与えられる感覚がこもって、緩和する術がない。
胸先は指の腹で撫で回されて、その反応がおなかの奥に伝わっていく。
「ふあっ……戒斗っ」
叫んでみても、戒斗は顔を上げずに一方的に攻め立てた。不変の動きが確実に快楽の度合いを上昇させていく。
あっあ、あ、ぅあ――。
喘ぐ声が途切れたあと、沈むような感覚。戒斗がつまむようにしながら胸先を離した直後、叶多の太腿が押さえつけられるのと快楽が弾けるのは同時だった。躰が跳ねるという条件反射は無理やり制御された。そのせいか、漏れるような感覚が生まれる。
戒斗の口はまだ躰の中心を捕えたまま動き続けている。
「あくっ、戒斗っ、出ちゃいそうなのっ」
注意のつもりが戒斗はかまわず、逆に増長するように強く吸いついた。
「あっ、やだっ……い、ゃあああ――っ」
脚の間は、濡れているのではなくて零れている感触がある。戒斗の口がその快楽の印を絞りとっていく。さらに、そうした行為がイクという感覚の中に叶多を閉じこめて、躰がぐったりと開いた。ピクリとも動けなくなると、ようやく戒斗が顔を上げた。
ようやくといってもまだそんなに時間は立っていないはず。
「戒……斗」
恥ずかしいのをごまかすように呼びかけても答えはなく、戒斗は服を脱いでいく。上半身まではうっとりするまま見惚れていたけれど、膝立ちして下半身に及ぶと目を閉じた。
いつものように戒斗が笑うことはなくて、布の擦れる音だけが聞こえた。
枕を取り除いたかわりに戒斗の両手が腰を支える。互いの中心が触れた。
う、あ……く……っ。
抉じ開けるようにずんと奥まで貫かれ、躰が自由にならないなか、かろうじて動く首を反らした。叶多が慣れるのを待つでもなく、戒斗はすぐ動きだした。抜けだすぎりぎりのところまで引かれればプルプルと腰が痙攣し、これ以上は無理というくらい奥まで届くとお尻が跳ねあがる。
抵抗する力もなければ術もない。規則的な律動を受け入れるしかなくて、どうなってもいいという脳内麻薬に満たされた。
自分のあげる声さえだんだんと遠くなる。そして、不意打ちで躰全体が痙攣に襲われた。
う、んぁあ――っ。
戒斗が呻いた気がしたけれど定かではない。
ピクピクした躰がふわりと浮いて、戒斗の胸に抱き寄せられた。
収縮がまだはっきり残っているのに、背中と腰を支えられ不安定に躰を預けたまま、戒斗が下から突いてくる。ただ押しつけられる快楽はつらくて怖い気がした。脳内が霞んで意識が不透明になっていく。目を開けているはずが、見上げた戒斗の顔もぼやけた。
「戒……斗……助け……て……っぁああ――」
*
プツンと嬌声が途切れた直後、不安を感じるほど叶多の躰が激しく身震いした。体内ではきついほどの収縮が戒斗を襲う。堪えることはかなわず、戒斗は呻きながら叶多の中に慾を吐きだした。
出しきったあと、躰の位置を変えて壁にもたれると、荒く息を吐きながら叶多の躰を強く抱く。
「叶多」
呻くように口にし、天井を仰ぎ、そして腕に眠る顔を見つめる。
ぐったりした躰はまるで魂を失ったようで。
けっして望まない怖さを疑似の中で自分に刻みつける。
どこにいても迎えにいく。
目を覚ませ。
生きていることをおれに教えろ。
*
叶多。
戒斗が叶多を呼ぶ。耳からではなくて胸の中で響いている感じだ。
ゆっくりと目を開ける。薄らとした影がはっきりしていくにつれ、自分が戒斗の腕に納まっていることを知った。何度か瞬くうちに記憶が戻る。横抱きにされた手足は自由になっている。
裸のままであることに気づいて叶多が身を縮めると、頭上で短い笑い声がした。
それでまた見上げた。
「戒斗、大丈夫?」
叶多が訊ねると、戒斗は口を歪めた。
「ああ。最高の気分だ」
「……って?」
戒斗は首をひねって惚けた。そして、戒斗の手が胸のふくらみの間に触れた。何かを確かめるようにじっとしていた戒斗は不意にその動きを変えた。胸先が摘まれる。
「んっ」
躰を起こそうともがいたとたん、体内からトクンと温かい粘液がおりてくる。
「戒斗、零れちゃうっ」
「どうせなら溺れるのもいい」
「……おなか減ってる気がする」
その言葉を合図にしたようにおなかが鳴った。
戒斗は呆れたように肩をそびやかし、叶多をベッドに倒した。悲鳴を無視して、戒斗は覗きこみながら強引に脚の間をきれいにしていく。
「いま何時?」
羞恥心から自分の気を逸らそうと訊ねた。先刻承知の戒斗は含み笑う。
「一時」
「夜中の?」
「ああ」
戒斗は眠らずにずっと叶多が起きるのを待っていたんだろうか。
叶多は戒斗に手を取られながら躰を起こした。
そのときまたおなかが鳴る音がした。
「あたしじゃないよ!」
わかりきった主張をした。
「なら、おれだ」
戒斗がニヤリと返す。
「即席でいい?」
「かまわない」
「なんだか、今日、食べる時間がめちゃくちゃ」
「誰のせいだ」
「戒斗」
「なんだって?」
「あたしのせいってことは戒斗のせいってことだよ。有吏一族にとったら、たぶんね」
「なるほど。連帯責任てやつか」
「そう!」
叶多の端的、尚且つ強引な主張に戒斗が笑いだした。それを見た叶多のくちびるも笑みに広がる。
「大丈夫だよね?」
「ああ。ありがとう、叶多」
「お返し」
いま目の前に見える戒斗。
あたしもいま最高の気分だから。
そこにいるのは、最高の保証をくれたあの日と同じ顔で笑う少年だった。
* The story will be continued in the last time‘Glass Tear’. *