Sugarcoat-シュガーコート- #157

Finale Bound It -first-


 車は見知らぬ通りを走り抜ける。戒斗の肩越しに街並みを追っているけれど、叶多が馴染んだ場所には一向に届かない。
 不思議に思いだしてまもなく、反対車線の道沿いは高い塀ばかりになった。こんな住宅街に企業はないだろうし、これが一軒の敷地だとしたらかなり広いはずだ。もしかしたら有吏館よりも広いかもしれない。
「戒斗、帰ってる?」
「いや」
 戒斗は短く否定しただけでそのさきを云わない。叶多は顔を上げて躰を離した。
「どこ?」
「蘇我だ」
 戒斗は顎で塀のほうを示した。叶多は目を丸くして塀に目をやり、すぐに戒斗に戻した。
「……どういうこと?」
「わかるだろ。叶多が疑問に思っていたこと、もしくはそうあるべきと思っていたことだ。暗であることが守ることになると信じていた。けど、叶多が云うとおり、犠牲は違う形で誰かが被る。それなら、隠ぺいという小細工をするよりも、堂々と守るほうがいい。やり方を変えればいいだけだ」
「いつ……戒斗はいつそう考えるようになったの?」
「たぶん、叶多が疑問に思いだしたときからだ。那桜が犠牲になって、母さんがかつての犠牲者だと知ったとき。そうだろ?」
 叶多はびっくり眼で間近にある戒斗の瞳を見つめた。たしかにそうだけれど。
「戒斗には隠し事できなさそう」
「そうできるんならおれもラクだけどな。そうじゃなくて、考えられる範囲が広がっているんだと思ってる」
 意味がわからなくて叶多が首をかしげると、戒斗は可笑しそうにした。
「叶多のせいで、おれの中にまったく別の世界が(ひら)けてる」
「……いいこと?」
「それはこれから次第だ。責任は負うことになる」
 もっともに堅実な答えだ。不安に思わなくはないけれど、大事なことで考えが通じ合っているということはうれしい。
 そこまで考えて叶多ははたと表情を止めた。戒斗の考えがすでに叶多と同じだったとしたら。
「……もしかして今日のあたしの行動ってホントに無駄だったの……?」
 ためらうように問う。戒斗は叶多の瞳を捕えたまま、しばらく答えなかった。
「父さんを説得するまでの時間はかなり短縮された。けど、無駄じゃない、という答えは一生おれに期待するな」
 これもまた至極もっともだ。
「戒斗……」
「いまは泣くなよ」
 戒斗の声は脅迫じみている。示唆していることがなんとなく感じとれ、叶多は顔を見られないように抱きついた。すると笑ったんだろう、戒斗の躰が小さく揺れてちょっとほっとした。
「堂々あっぱれであれ」
 叶多はふと浮かんだままつぶやいた。
「なんだ?」
「さっき、堂々と守るほうがいいって戒斗が云ったから。そういうことかなって思って。貴仁さんが代々(あずか)っている言葉だって。(ひい)お祖父さんからって、貴仁さんが戒斗に云ってたことと同じだと思うけど?」
「……なるほど。そういうことか」
「何?」
「いや。あとではっきりするだろ」

 その言葉のすぐあと、塀が開けたかと思うと洋風の門が現れる。そこで車は歩道沿いにずらりと止まった。
 何をしているんだろうと思っているうちに、反対側の車線を来た車が門へと折れた。守衛と思しき人が出てきて車の中を覗きこんだ後、門が開けられる。そこへ誰かが道路を横切ってその車に歩み寄った。
 貴仁だ。身をかがめると車に乗った人と話しているようで、何度かうなずいて、それから背を伸ばした。誰に向かっているのか、叶多たちの場所よりも後方を向いて大きくうなずいている。招くように門の中へと手のひらをかざした。
「戒斗、行きますよ」
「ああ」
 どれくらい集まっているのかというほど車が次々に門を潜っていく。優に二〇台を超えた頃、タツオがようやく車を発進させた。
「戒斗、ここって孔明さんと美鈴さんが住んでるんだよね」
 叶多は戒斗の上からおりながら外を見渡した。
 まるでどこかの宮殿のような庭園の中を車は進む。迷うことはなくても歩くには家に着くまでにへとへとになりそうなほど遠い。車は邸宅に近づいたところでちょっと左に折れ、広々とした駐車スペースに集合した。
「叶多はここにいろ」
「外に出ててもいい?」
「……瀬尾とタツオから離れないと約束するなら」
「わかった」
「当てにはしてないけどな」
「酷い」
 戒斗は薄らと笑ったものの、ドアを開けて外の空気が入った瞬間に顎のラインが引き締まった。

 戒斗に続いて車から降りてみると、いまここにいることの意味がどういうことかをあらためて叶多は知らされた。
 戒斗が拓斗と並び、そこに隼斗が合流して主宰たちが取り囲む。それだけじゃない。離れたところでは、貴仁と則友を囲むようにして知らない顔が集っている。もしかしないでも蘇我一族だ。そして、千重家の旺介と車椅子に乗った伶介が有吏家のもとへと行く。
 哲の『あとでな』がこの場所でとは思いもしなかった。哲は叶多を見ると、安堵から驚き、そしてしかめた表情へと変えた。それからうなずいて見せ、隣にいる衛守主宰と話しだした。
 叶多が戒斗のほうへと視線を移していると途中で隼斗と目が合った。一瞬だけ固まったように目を止めたあと、隼斗もまたうなずいた。
「叶多さん、大丈……その髪――」
 呼びかけて途切れさせて、柄にもなく絶句したのは和久井だった。そういえば、和久井はあの場にいなかった。それにさっきの哲と隼斗の普通じゃない反応の理由もわかった。
 瀬尾の陰にいたからよく見えずに結んでいるとでも思ったのか。ということはそれほど短く見えるのか、いまさらでどれくらい切られたんだろうかと触ってみた。手が、おそるおそる、になってしまったのは刈り上げとか、とんでもなく短くなっているんじゃないだろうかという不安のせいだ。触れたかぎりでは耳の下までちゃんと髪はあって、差し当たりほっとした。
「和久井さん、大丈夫です。助けられるって信じてたから」
「すみませんでした。千重家のことでは余計な気苦労をさせてしまいました」
 和久井は深々と頭を下げる。
「和久井さんっ、そんなことしないでください! あたしが勝手にしたことだから!」
「いいえ。主の意に思慮を欠いてしまうことは従者として失格です。私が叶多さんを理解し、懇意にさせていただいているということは否定なさらないでください」
「……そんなこと云われたら何も云えなくなります」
「それでいいんです」
 和久井が叶多の行動をかばおうとしていることはわかる。どうしてここまで忠実になれるんだろう。
「和久井さん、ありがとう」
 和久井は笑みを浮かべてうなずいた。
「和久井さん、千重家の人は……」
「立ち会っていただきます。首領の計らいです」
 そのこともまた、いまが枢要な(みぎり)であることを示している。

「始末をつける」
 車を降りて五分もたっただろうか。不意に隼斗が発した。重低音の声は周りをしんとさせるような響きを持っている。
 主宰たちの中から抜けだし、本家の三人が邸宅へと歩いていく。
 それを待っていたかのように、洋館の観音開きの玄関ドアが開かれた。
「なんの騒ぎだ」
 しゃがれた声は太く(とどろ)いた。蘇我唐琢に違いない。すぐ後ろに控えるのは聡明だろう。そしてその背後から孔明が出てきた。
 数段高い場所から、唐琢の目がじろりと前に出た有吏本家を向く。
「誰だ」
「我々をお探しのようだ。丁重な招待の印、(しか)と返礼させてもらう」
 皮肉であり、しかもそれと見せない隼斗の口調は息を呑むほど威光を放つ。
 唐琢は見極めようとするかのように目を細める。その目が鋭く孔明を向いた。
「……有吏、がそうだと?」
「そうですよ、父上」
「私をご存知のようで何よりだ。話が早い。唐琢頭領、蘇我では内乱があると聞く。有吏はどちらと対すればよい? 分家も集結されているようだ。ここで決着をつけられたらいかがか」
 落ち着きはらった隼斗の声は誇れるほど揺るぎない。
 一方で唐琢は苦々しく顔を歪め、いったん隼斗に戻していた目を孔明に戻すと睨めつけた。

「おまえは知っていてわしに黙っていたのか」
「父上が相対する一族に何を望まれるのか、それがわかっていながら見す見すと打ち明けるわけにはいきません」
「蘇我でありながら何を抜かしておる」
「頭領、お言葉ですが、孔明が黙っていたのはすべて蘇我のためですぞ」
 数歩前に進み、孔明をかばったのは誰だろう。唐琢の威圧感とは違い、毅然とした風格がある。対して玄関先では聡明が前へ出る。
「なんだと。蘇我一族を二分しようと画策に走っているのは誰だ。孔明の伯父であるあなた、領我家頭首ではないか」
「ご冗談を。蘇我本家が咎人(とがびと)へと堕落するのを防ごうと努めたまで。我々蘇我は最古から史上に残る名。それを(おとし)めるのは誰です? 分家にそれを望むものは一人もいない。本家もそのような意などないはず。我々領我家をはじめ、大多数の分家の望みは一つ。分家とともに蘇我本家に高貴なる永劫の栄を」
「分家としてそれを望むなら、なぜ一族のことを我が本家に明らかにしない?」
「我々が争いではなく、そして、名も知らないような上辺だけの社交ではなく、真に対等な共存を望むからです」
 領我頭首の言葉を受け、その背後に集まった蘇我の分家頭首たちほとんどが一様にうなずく。聡明は言葉に詰まったのか口を結ぶ。

 孔明が一歩踏みだした。
「父上、ご存じないようですが、蘇我グループはすでにいつ人手に渡ってもおかしくはありません」
「……どういうことだ」
「生憎だが」
 孔明にかわって答えたのは隼斗だ。挑むように、あるいは警告するようにわずかに顎を上げ、隼斗は続ける。
「我ら有吏一族で蘇我グループの株の三〇パーセントを取得、御グループの持ち合い会社との話もついている。蘇我の財源については有吏がそのすべてを預かっている――と、そう解釈していただきたい」
「頭領、我々がその趨勢(すうせい)に気づいたのはつい半年まえ。以来、我々は有吏家を陰の一族と捉え、談判する機会を得るべく慎重に準備してきたのです。そのために孔明を有吏に預けた。強引に出れば、蘇我は権力をも奪われる。だからこそのことですぞ。それを罪でふいにするとは……蘇我法家として物申す。いますぐ改められよ。落魄(おちぶ)れた本家など見たくはありませんぞ!」
 領我家頭首の声は庭園の隅まで伝わったのではないかと思うくらい空気が震えた。
「く……っ」
 歯を喰いしばったところで堪えきれなかったのだろう、唐琢は激しく顔を歪めて呻くように息を漏らした。

「誤解しておいでのようだが、我が有吏一族は非情を甘んじ、おとなしく看過するような微弱な一族ではない」
 隼斗の言葉に合わせたように、どこからともなく和惟が現れた。何かを引きずるような音を伴って前面に出ていく。前に立つ人が多すぎて、叶多には下まで見えない。
「土産だ」
 淡々と云って和惟が何かを放りだした。とたん、力尽きたような呻き声がかすかに聞こえてきて、和惟が引きずっていたのが人であることだけは見当がついた。どんな状態なのかはわからないけれど、あの倉庫で聞いた苦悶の声を連想させ、叶多は身をすくめた。

「唐琢頭領、本家は分家あってこそ。蘇我分家もなかなかのものではないか? 我々の意も、領我家、そして大方の蘇我分家が望む共存ということに異存はない。それでも尚、蘇我本家が難色を示し、今後、会談で収まらないのであれば、我々は手段を尽くして蘇我を抹消するのみ。如何なされる?」
「父上、刷新されるならいまです。最大限、蘇我のために父上のために僕も尽力します」
「もちろん、我々分家もですぞ」
 唐琢は口を噤み、その間、有吏は悠然とかまえ、蘇我は固唾を呑んで見守っている。
 唐琢は集まった面々を見渡し、そして領我家頭首に目を止め、口を開いた。
「交渉は当面、領我家に任せる。逐一、報告だ」
「御意」
「有吏一族の首領よ。それでいいだろう」
「快諾あるのみ」
 隼斗の答えを聞き、唐琢は身を翻す。

「聡明、病院にやれ。見たくもない」
 振り向きざまに聡明に云い渡すと、唐琢は邸宅の中へと消えた。その聡明は事の成り行きに半ば耄碌(もうろく)したような様だ。雑用を云いつけられたことでようやく気を取り直したのか、背筋を伸ばしたと同時に高慢な顔つきに戻った。
 孔明を睨みつけ、聡明は中へと消えていく。
 これからさき孔明もたいへんだろう。叶多は漠然と思う。
 邸宅の前の人だかりが解け、有吏一族は駐車場へと戻ってきた。
「うまくいったってこと?」
「いずれにしろ、気が治まることはない」
 目の前に立った戒斗は口を歪めて肩をすくめた。曖昧な返事だ。
「まあ、プライドが高いせいで交渉口が本家ではなく、領我家になったのはうまくいったと云える。それを了承することで、有吏は蘇我本家を立てたことにもなるからな」
 背後が俄かにざわついて、戒斗は喋りながら躰ごと振り向く。おかげで叶多にも状況が見えた。
 有吏一族が取り囲む真ん中に、貴仁と則友、そして孔明を伴って領我頭首が現れた。ほかの頭首たちはと見ると、邸宅の中へと消えている。

「首領、思慮不足ゆえ、このような事態になって申し訳ありません」
 領我頭首が頭を下げる。その顔を上げたときのふとした眼差し。叶多はそれを見た瞬間に、直面する者同士、似ている、と思った。
「領我頭首、それは私の裁断力の欠如だ。そういうことだろう。領我家が視野に入りながら、和人――あなたの名を見逃すとはどうかしていた。経緯を聞かせてもらえるか」
「御意」
 領我頭首――和人は一礼をして話し始めた。

「戦時中、崇家との由縁についての経緯はすでにご存知かと。私の父、尚斗は、戦地に赴いていた蘇我法家の総領を乱に紛れて焼殺。自ら顔に火傷を負い、領我家総領とすり替わりました。曾祖父である和斗と尚斗による苦渋の決断だったかと思われます。蘇我として生まれた我々のほかに“もう一つの一族が在る”。それが父以降、領我家が尽くすべき真の一族――と、そう訓育されてきました。再生は崇家に始まる。私以下、これまでその遺言のみを頼りに動いてきた次第です」

「なぜ曾祖父は隠さなければならなかった」

「寸分の失態も許されなかったからです。領我家には真の一族を追い求めさせ、蘇我の血を無効にするほどの忠心を育てるために。真の一族にとっては、曾祖父故人の遺志によるものではなく、その世代によっての英断を。その判断を待つがために、探し当て(こいねが)いつつもこちらから動けませんでした。()こそ云え、曾祖父にも迷いがあったかもしれません。もしこのさきに同じ判断をする者がいるのなら、それは正しいことを保証される、と。我々有吏一族の末裔は曾祖父から託されたのです。堂々あっぱれであれ。我々有吏一族は隠れる必要はない。蘇我と真っ向から対すべきだと曾祖父は考えていました。暗でいるという保身のあまり、判断が鈍ることもある。それゆえ、民に大きな犠牲を強いた。曾祖父が生涯抱えた無念至極。いまこの時にそのわずか、報われたのやもしれません」

「曾祖父はじかに表に出るという裁断ができたはずだ」
「ご存じのとおり、有吏一族の多くは戦地に散り、衰退していました。立て直す時間が必要だったのです」
「“上”の総領は領我家から?」
 戒斗の質問を受け、和人はいったん則友に目をやり、ゆっくりとうなずいた。
「父が私の双子の兄とすり替えました。前、そして現“上”の(たっ)ての依頼、そして曾祖父の解放すべきだという意向が咬み合ってのことです。上は両一族の犠牲のうえにありましたから」
 隼斗はため息を吐きながら首をかすかにひねる。
「いま立て直しは相成り、ようやく出発点ということか」
「はい。このさき、領我家は内側から蘇我を監視して参ります。あわよくば、有吏の血で浄化もありかと」
 そう云いながら和人の目は孔明を向いた。孔明は肩をそびやかして応じる。
「どんな形であれ、実権は握るつもりですよ、伯父上」
「有吏で学べばいい」
 孔明の言葉を受けて隼斗が受け合う。
「遠慮なく」
 そして隼斗と和人は固く握手を交わした。

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* 英訳 Bound It … 束縛された“It”