Sugarcoat-シュガーコート- #156

第15話 All's fair in love and war. -19-


 蘇我邸の前面にある庭園で花に水遣りをしていると、携帯電話の呼びだし音が鳴りだした。美鈴に付き添っている孔明のだ。
 応答は怪訝そうな声から始まり、どういうことですか、とちょっと驚いた様に変わる。
 美鈴は水遣りしていた手を止め、顔を上げて孔明に目を向けた。電話は他人行儀な話し方が続き、畏まった返事で手短に終わった。
 そして孔明はまた携帯電話を耳に当てる。けれど、一言も発しないまま携帯電話は耳から離れた。考えこむようにしていると、再度電話が入った。
 通話したとたん、孔明の表情が一瞬にして驚愕した様に変わり、それから険しい面持ちになった。
「お兄ちゃん、どうかした?」
 電話が終わったところで美鈴が覗きこんでみても質問は無視され、孔明は携帯電話のボタンを押している。美鈴はしかたなく見守った。
「伯父上、我立家が動きました。八掟叶多さんが拉致されたそうです。貴仁と則友さんが同行していたようですが、ふたりともに連絡が取れません。おそらくは……はい……はい、わかりました」
 孔明は抑制した声で応答し、電話は終わった。
「お兄ちゃん、叶多さんが拉致ってどういうこと?! 我立家って?」
 厳しい顔つきは、美鈴を向くとわずかに緩む。すぐさま孔明は立てた人差し指を自分のくちびるに付け、声を高くした美鈴を制した。
「今日は激動する」
「え?」
「理由はあとだ。状況が変わってくるだろう」
 意味はまったくわからない。それでも美鈴はこっくりとうなずいた。
「わかった。それで、いま起きてることを教えてくれる? 叶多さんは大丈夫なの?」
 孔明は迷うように沈黙した後、口を開いた。
 叶多、貴仁、そして則友は拉致され、三人ともに連絡が取れないという。行方もわからない。
 それは紛れもない犯罪事件で、被害者は友だちの叶多、当面の加害者は我立家、即ち大好きな人、玲美かもしれない。
「母上に報告してくる。あとは伯父上の指示待ちだ。美鈴、おまえは部屋で待機してろ」
 孔明は美鈴の返事も待たず、邸宅へと足を向けた。

 どうしよう……どうにかしなくちゃ。
 あの日と同じ思いを抱きながら焦るしかできないでいると、普通にないほど遠い敷地内の入口方面から車の爆音が聞こえてきた。
 あんな音で蘇我邸にやって来るのは一人しかいない。
 見る見るうちに音は酷くなり、美鈴には気づく様子もなく車道を突っきっていく。車は蘇我邸宅のすぐ近くに止まった。
 車から降りたのは玲美一人だ。
 玲美お姉ちゃん、何しに来たんだろう……。
 玲美の足取りはどことなく軽やかだ。
 美鈴はその場にジョウロを置いて、急いで邸宅に向かった。
 玲美は美鈴に気づかないまま中に入り、なんとなく声をかけずに追いかけてみると、唐琢の書斎へと入っていく。
 抜き足差し足で追い、そっとドアに耳をつけた。甲高い玲美の声は廊下まで筒抜けだ。

『おじさま、貴坊は捕まえたわ』
『ああ、聞いている。まだ口を割るというわけにはいかないようだが』
『貴坊は一族の正体を絶対に知ってるの。たぶん孔明もね。でも、本家の孔明を拉致るわけにはいかないし。おじさまはこれ以上、おばさまに嫌われたくないでしょ?』
『余計なことはいい』
『あら、照れちゃって』
 嫌われたくない? 照れちゃって?
 それが唐琢と英美の話というのなら、玲美の最大の勘違いだろう。案の定、うんざりしたに違いない唐琢は反応なしで、不自然に長い沈黙があった。
『とにかくおじさま。貴仁の弱点も一緒に拉致ったんだから時間の問題よ』
『そう願っている。それが千重家と得られ次第、陰の一族は潰す』
『え……。おじさまっ、潰しちゃったら啓司が納得しないわ! おじさまは啓司との結婚を進めてくれるって……』
 千重家、陰の一族と意味不明の言葉が並ぶなかの“啓司”。それだけはわかった。つい最近会った、あのホストみたいな夜の職業をしている人だ。
 カノジョがいることを知っていても、そうしたいほど玲美は彼のことを好きなんだろうか。そのために犯罪に加担している?
 待って……千重家といえば、千重アオイがいる……。
『提案だけはしよう。だが、そのさきはわしの知るところではない』
 唐琢はやはり無情で、今度は玲美が黙りこむ。次に聞こえたのは足音だ。
 美鈴は慌てて傍にあった観葉植物の陰に隠れた。
 出てきた玲美は、これ見よがしにドアを叩きつけて閉めた。
 そのまま鳴りを潜めていたが、唐琢が出てくる気配もなく、逆にまた話し声がしだした。聡明の声だ。同席していたらしい。
 美鈴はそっとその場を立ち去った。

「玲美お姉ちゃん!」
 玄関を出てもうすぐ駐車場というところで玲美を引き止めた。止まってくれたけれど振り向く気配はない。
 美鈴が回りこむと、玲美のまつ毛が濡れているのがわかった。目の縁と鼻がちょっと赤い気がする。
「わたし、叶多さんと友だちなの」
「知ってるわ」
 玲美は少し顔を歪めた。それが後悔の表れであってほしいと美鈴は思う。
「でも、玲美お姉ちゃんのことも大好き。何も云えないわたしをバカにしないでずっと面倒見てくれたよね。自分のやりたいようにやってる玲美お姉ちゃん、うらやましくて、カッコいいって思う。だから、悪いことするなんて嫌だよ。教えてほしいの。叶多さん、どこにいるの?」
 玲美は迷うように黙りこんでいたが、縋る美鈴を見つめ、ため息を吐くとやがて口を開いた。



 通信手段は完全に閉ざされた。
 叶多とはおろか、貴仁とも則友とも携帯電話が繋がることはない。
 真っ先に向かった青南大では、グラウンドへと伸びる通路の途中、バッグと車のキー、そして叶多の携帯電話が真っ二つに折れて転がっていた。
 叶多の結末であるような――それは予感か、それとも怖れか。その区別さえつかなく、めちゃくちゃに気が(たかぶ)る。
 戒斗は折れた携帯電話をさらに潰そうかというほど握りしめた。
 冷静になれ。
 自分を叱咤(しった)する。
 どこだ。
 衛守家、和久井家、瀬尾家が総力を挙げて情報を収集中であり、あのときのように通信手段がなくとも突き止められる。
 信じるしかない。
 立ち尽くしていた戒斗はようやく身を翻した。
 その刹那、携帯電話の呼びだし音が鳴りだす。
「なんだ」
 通じるなり、咬みつくように口にした。孔明だった。
『戒、場所がわかった。蘇我第三倉庫、八号倉庫だ』
「誰の情報だ」
『我立玲美だ』
「……信用できるのか」
 そう云いながらも戒斗は足早にバイクへと戻った。
『美鈴が聞きだした。今回の件、玲美のリークで起きている。父と取引していたらしいが、父が裏切ったとかなんとか、玲美が頭に来ているのはたしかだ。それに、美鈴と玲美はなぜか仲がいい』
「わかった。詳しいことはあとだ。折り返し電話する」
『美鈴が云うには父の口から“千重家”と出たらしい。千重アオイと関係があるのか?』
「ある。なんだって?」
『陰の一族を潰すと』
「わかった」
『戒、どうする?』
「表に出るだけだ」
『待っている』
「ああ」
 電話を切るとしかめた顔も無にした。
 左耳に携帯電話と繋いだイヤホンマイクを装着した。バイクに跨りながら通信を始める。
「和久井、蘇我第三倉庫、八号倉庫だ。確認してくれ。衛守家と瀬尾家を動員、和久井家は千重家の保護だ」
 手短に伝え、御意、という一言の返事で通話は終わる。
 ヘルメットを被ってサイドスタンドを足で蹴るとエンジンをかけた。大学の門を右折したところで隼斗に連絡を取り、状況説明をした。
『拓斗も出た。必ず救いだせ』
「あたりまえだ。父さん、こういう想いをいつまで続けるつもりだ?」
 戒斗の質問に隼斗が応える気配はない。
「決断を待っている」
 通信を切り、戒斗は一気にスピードを上げた。



 人質。それがどういう立場のもとか、少なくとも貴仁の抵抗をやめさせるには役に立った。
 有吏をも動かした自分は、蘇我のために役に立っているかのようで、叶多は怖さと同時に情けなくて破れかぶれな気持ちになる。
 きっと叶多の勝手な行動は戒斗の顔を潰した。
 それでも戒斗は云う。何も心配するな。
 けれど、心配しているのは戒斗のほうだ。その言葉では足りないほど。
 だから、それに耐えられるように。断罪。その言葉を押しつけた。
 また会える。
 あたしは戒斗の腕の中で死ぬんだから!
 自分に云い聞かせるように内心で宣言していると、正面のいかにも重たいといったドアが開いた。真っ暗闇に徐々に明かりが差す。
 ここに来て、ちーと寒いが、と云いながら閉じこめられそうになったときには冷凍庫かと思った。脚を突っ張って抵抗を示してもなんにもならなかった。強引に押しこまれ、転んでいるうちにドアが閉められたのだ。
 震えが寒さからくるものか恐怖からくるものか区別がつかなかった。そのうち、空気が凍えるほどには冷たくないと気づいた。あれからどれくらい時間がたったのだろう。

「嬢ちゃん、出な」
 逆光で見えない顔が命令した。
 何があるんだろう。貴仁さんは? 則くんは?
 一気に不安と直面した。あのときと同じ、音のない暗闇は恐怖を甦らせるのではなく、現実から叶多を守っていたらしい。
 出たくない気持ちが動作を緩慢にしている。すると、つかつかと足音が迫ってきた。一歩下がったところで肩を捕えられて引っ張られる。それから腕を痛いほどつかまれると、叶多が小走りになるほど男は足早に歩いていく。
 叶多がいたような部屋が両側にある通路を抜けると、男の向こうにだだっ広い空間が広がる。窓のないワンボックスカーで連れられてきたから、ここがどこだか地図上のことはまったくわからないけれど、業務用の倉庫だろうことは見当がつく。
 男が前に投げやるようにして叶多の腕を離した。よろけて止まると、信じられない状況が広がる。
 恐怖のあまり舌が固まったようで、叶多は悲鳴もあげられなかった。
 おそらく荷物を持ちあげるためのものだろう。天井の滑車から垂れた鎖の先に両手首を括りつけられ、貴仁が少し宙に浮いてぶら下がっている。Tシャツは裂け、明らかに血が滲んでいた。
 そして、則友は少し離れたところで腹部をかばうように躰を折って転がっている。

「領我の坊ちゃん、そろそろ吐いたらどうだ。嬢ちゃんがどうなってもいいのかい」
 叶多を連れてきた男より年配でがっしりした躰つきの男が脅しを発した。叶多に近づいてくる。
 項垂(うなだ)れていた貴仁の顔がパッと持ちあがる。睨みつけるような眼差しはまだ生気を失っていない。
「その子は関係ない。離してやれ」
 貴仁の声音はあくまで冷静だ。
「ああ。お嬢さんのお達しでな。なるべくこの嬢ちゃんには手を出すなと云われている。ただし、なるべく、だ」
 云い終えると同時に、すぐ背後に来た男が叶多の髪をつかんだ。悲鳴は出なくて、躰をすくめたとたん、左側の髪が痛いほど引っ張られた。
「やめろっ」
 二つの声が同じ言葉を叫んだ。
 刹那、叶多の目の前で長い髪の毛が散らばった。自分の髪だと気づくのに時間がかかった。
 次には顎をすくうようにつかまれる。きらりと目の端に光を感じたとたん、頬にチクッとした痛みを感じた。
「やめろと云ってる!」
「吐くか?」
「っ……くっ」
 何かを堪えるように歯を喰いしばりながらも貴仁の口から呻き声が漏れる。
「さっさと吐いちまえ。でないと」
 頬から圧力がなくなったと思ったとたん、今度は反対側の髪が切られた。
「やめろっ」
 痛むだろう躰を無理やり起こして則友が叫ぶ。
「オラオラ、てめぇはじっとしてな」
 立ちあがりかけた則友は、傍にいた男から引き止めるように肩をつかまれたあと、拳を腹部に受けて転がる。
 呆然と眺めているうちにまた叶多の頬はチクリとした。それがナイフであることはもうわかっている。
「どうする、領我の坊ちゃんよぉ」
「その子を解放したら教えてやる」
「冗談はよしてくれ。坊ちゃんご執心の女だ。卑怯って言葉はおれらの世界では通じない。人質は常套手段さ。だろ、坊ちゃん」
「なら、おれをおろせ」
「そのくらいならいいだろう。やれ」
 滑車の回る音がして、貴仁の足が地に着き、頭上に伸びていた手も胸もとまでおりた。が、縛られた手が解かれることはない。
「その子をこっちに連れてこい。傷つけたら喋らないぞ」
 貴仁の言葉を受けて、男は鼻先で笑いながら叶多の躰ごと前に歩いていく。根が生えたようにしていた叶多の足は突っかかりながら前に進む。一メートル強といったところまで来て立ち止まった。
「大丈夫?」
 叶多に向けた貴仁の口調はいつもと変わらない。敢えてそうしているのか、からかいを含んでいる。いま、ナイフは頬になく、叶多はうなずいて応えた。いったん口を開けば、悲鳴が止まらないような気がして声は出せなかった。
 貴仁もまたうなずく。それから表情をがらりと変え、叶多の背後の男に向かった。
「一族のことは教えてやる。ただし。いまおまえたちがやっていることはすでに領我家には知れている。もし。おれたちが――この子とその“方”がこれ以上の傷なく解放されなかった場合、我立家の存続はないと思え」
 貴仁はゆっくりと一言一言を強調して云い渡した。
「おお怖ぇ」
 おどけた返事に倉庫にいた男たちが高笑いをする。

 何人いるんだろう……ううん、そんなことより、一族のことを教える……って貴仁さんは云った。それは“有吏”一族のことのはずだ。あたしのせいで、有吏のことがばれてしまう。それは、そうあるべきと叶多が思ったことに違いない。でも、順番が違う。あたし……なんてことしたんだろう。

「笑ってろ。いまのうちだ」
「まあまあ、坊ちゃん。吐いてくれればなんもしねぇって。早く云っちまいな。そうすりゃ、この嬢ちゃんは自由だ。そいつもな」
 しばらくふたりは叶多を挟んで睨み合っていた。
「さあ坊ちゃん、陰の一族本家は誰だ」
 男が促し、貴仁は一拍の間を置いて口を開いた。
「……千じ――」
「違うっ」
 気づいたときにはそう叫んでいた。
 この状況下、誰にとろうと守るべきものが叶多であるとしても、守られるべきなのは有吏じゃない。
 貴仁の目が叶多に移った。叶多は訴えるように見つめ、貴仁はやるせない眼差しを向ける。
「なんだ、この嬢ちゃん。うるせぇ――」
 ドオォ――ンッ。
 うるさいという言葉は途中でもっとうるさい音にかき消された。
 聴覚が麻痺するほどの爆音と同時に建物が激しく振動する。まるで爆発だ。音のしたほうを見ると、粉塵なのか煙なのか、何も見えないほど煙っている。
 ただ、空気の流れを感じて、その先が外に通じたことだけはわかった。
 白い煙の壁の中から人影が現れる。一人、二人、三人とだんだん増えた。ぼんやりとした影からその姿形が明らかになっていくにつれ、白黒の世界は色が付いていく。
 先頭に立つのは戒斗と拓斗だ。その背後に和惟をはじめとした衛守家と瀬尾家がずらりと並ぶ。

 助けにきてくれると信じていた。だから耐えられた。
 けれど、それ以上だ。
 戒斗は最悪の失態からさえも叶多を助けてくれた。あまりのタイミングの良さに、安心して泣くどころか恐怖が取り除かれ、かすかでも笑みさえ零れた。
 逸早くそんな叶多を戒斗が捉える。表情は少しも動かないけれど、自分を認識してくれたことに叶多は安堵した。

「な、なんだ、おまえらはっ」
「返してもらう」
 倉庫内に反響する男の声を断ちきるように、戒斗の据わった声が響き渡った。
 成り立っていない会話を合図に、男たちから怒号が飛び交った。
 行けぇ。
 やっちまえっ。
 また人質になるまえに。叶多がせめてもの助けになれるのは逃げること。それくらいだ。
 通じるかどうかはわからないまま、腰を抱える男の指を一本つかむと関節を思いっきり逆に曲げた。同時に、足の甲を踵で踏んづけた。習った護身術だ。
 不意打ちだったことも手伝ってか、男が呻き、手が緩んだ瞬間に叶多は抜けだした。直後、貴仁が頭上の鎖をつかみながらいったん下がった後、振り子の力を借りて足蹴りした。男が吹き飛ぶ。
 その間に則友が叶多を引っ張って、隅にある荷物の影に隠れさせた。
 殴り合っているんだろう、こもった音にいくつもの呻き声が重なる。
 それがやむまで十分もあっただろうか。漏れる呻き声は力なく、倉庫内は鎮静化した。

「叶多」
 いつものように足音は聞き取れず、戒斗はいつの間にかすぐ傍に来ていた。立てた膝に埋めていた顔を上げるのと同時に躰がすくわれる。
「戒斗、大丈夫」
 抱きつきながら云った言葉は、問いかけたわけでも安心させるためでもない。ただ確かめるように口にした。それに応えて、確かめるように戒斗の腕がきつくなる。
「則友さん、大丈夫ですか」
「ああ、打ち身だらけだけどね。しばらく、僕に触らないでほしい」
 呻くように則友が笑い、戒斗は笑ったのか、息を吐いたあとうなずいた。
 戒斗は歩きだしてすぐ止まる。
「戒斗さん、すみませんでした。すべておれの油断です」
 貴仁が開口一番謝罪した。叶多は戒斗の肩から顔を上げ、振り向いてみると貴仁の目と合う。
「叶ちゃん、ごめん。また怖い目に遭わせた」
「大丈夫」
「貴仁、悪いと思うのなら、このさき、蘇我として有吏のために尽くせ。それが領我家なんだろう」
 どういうことだろうと思っているうちに、貴仁は深く頭を下げた。
「御意」
 貴仁が顔を上げるのを待って戒斗はうなずき、それから破壊された倉庫の出入り口へと方向を変えた。
「行くぞ」
 拓斗の声がする。いつもの落ち着きはらった声だ。傷ついた躰で拓斗もまた戦いに加わったんだろうか。
 そして、もうすぐ外に出るというところで、呻き声どころじゃない、ぎゃあっという耳をふさぎたくなるような叫び声があがった。ビクッとしながら叶多が顔を上げたとたん。
「見るな」
 戒斗が素早く制した。
「叶多さん、大丈夫ですか」
 疑問に思う間もなく、横から瀬尾が声をかけて叶多の気を逸らした。
「はい。瀬尾さんは?」
「あのときと同じですよ。こっちは誰一人として傷を負っていません」
 そのとおり瀬尾は涼しげな顔で、まとめた髪は少しの乱れもない。
 一行は出入り口を通り抜けた。そこら辺りの様子は、抉じ開けられたのではなく、どう見ても爆破としか表現しようがない。コンクリートの地面が酷く(えぐ)れている。ふと、散乱した鉄屑が目に入る。戒斗の背中越しにそれらを追っていると、一つ大きな塊が見えた。
「戒斗、バイク!」
「ああ、ちょっとスタントやった。確実に一発でやる必要があったんだ。車は退避しにくいからな」
「でも――!」
「バイクは買い換えが利く」
 まだ抑制しているみたいで、その声は無感情だ。叶多はしっかりとしがみついた。
「あたしが買ってあげる」
 肩越しに云うと戒斗の躰から強張りがとれ、可笑しそうに、笑い声さえあげた。
「叶多お嬢さん、ご無事で何よりです」
 何台も車が止まった場所まで来るとタツオの声がした。
「タツオさん! 心配かけてごめんなさい」
「とんでもないです」
 タツオは本当にうれしそうで、そのぶん叶多の中に居たたまれない気持ちが帰った。
 戒斗の腕からおりると、タツオが開けてくれたドアから車に乗りこみ、戒斗が続く。瀬尾が助手席に乗ると、他の車と通信しているようで、車はしばらくしてから発進した。数台の車が前後を挟んでいる。

「戒斗、あたしバカなことを……」
 戒斗が手を上げて叶多を制したそのとき、こもった振動音がした。手もとを見ると、すぐ傍に無造作に携帯電話が置いてあった。戒斗がそれを取って、開いたかと思うと耳に当てる。
「……ああ、大丈夫だ。……わかった。ありがとう、父さん。……ああ」
 戒斗が携帯電話を差しだした。相手は隼斗だろうし、叶多は、あたし? と人差し指で自分を指しながら受け取った。
「かわりました。叶多です」
 おそるおそる電話に出ると言葉よりもさきにため息が届く。
『大丈夫か』
「はい。おじさん、ごめ――」
『無事であればいいことだ。八掟主宰とかわる』
 隼斗は戒斗と同じように叶多に最後まで云わせなかった。
『叶多、大丈夫か』
「お父さん、大丈夫だよ」
『よかった』
 ため息混じりの哲の答えからは、第一声の強張った口調が消えていた。
「心配かけてごめん。お父さんにも迷惑かけちゃったよね」
『良かれと思ってやったことだろう。咎め立てすることではない。あとのことは心配するな』
「うん……ありがとう」
『あとでな』
「うん」
 携帯電話を戒斗に戻した。見守っていた戒斗が乱暴に叶多の目の端を拭う。

「髪、短いのははじめて見たな」
「あたしだってはじめてだよ……あたしはまだ見てないけど」
 戒斗は口を歪め、物云いたげにしながらも口を開くふうではない。
「……可愛い?」
 その問いには当然答えはなかったけれど、場所も弁えず促すように戒斗は首をひねった。
 叶多もまた、形振りかまわず戒斗の脚の上に載った。戒斗の首に腕を回してピタリとくっつく。
「断罪、効いた」
「これで相子だよね」
 戒斗の腕が叶多を絞めつける。

 戒斗の腕の中で死ねたら本望かも――それは本当。
 でも戒斗、痛いほど絞めつけられるほうが死にそうにうれしいよ。

* The story will be continued in ‘Bound It’. *

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